フェイタル・コネクション(2)

フェイタル・コネクション(第2話)

高橋文樹

小説

11,751文字

男三人で暮らすはずが、同居人である次雄が出て行ってしまい、アル中との二人暮らしがはじまる。家賃の契約更新に暗躍するタカハシの脇で、シンジが酔いどれながら、その人懐っこさでタカハシの時間を奪っていく。といっても、タカハシにはするべきことなどなにもないのだが。

なんにせよ、問題は大家だった。シンジ入居のときに三人で住む旨は伝えてあったが、次雄が出て行ったことは告げないまま、時間が経過していた。次雄は契約書に名前を連ねていたから、書き換えが必須になる。かつて家を借りるというただそれだけの理由で不動産屋に小芝居を打ったことがあるタカハシにしてみれば、そうした契約書を巡るゴタゴタが煩わしかった。信用を得るという困難な作業を行わなければならないのである。これまでパジャマ同然の格好で平日の昼間に出かける姿を何度も見られていた。場合によっては、難色を示されるかもしれない。

「いや、タカハシくん、それは邪推でしょ。これまで家賃滞納したことないんでしょ」

「一回もないよ」

「じゃあ、大丈夫だって。こっちはお客なんだから」

「いやどうだろう。とにかく、シンジくん、更新料の半分渡してよ」

タカハシは、大丈夫だって、と呆れ笑いをするシンジから四万円をふんだくると、すべての力を注ぎ込んで正統的な手続きを踏むことに決めた。住民票や保証人の印鑑などをかき集め、更新料八万円を用意し、それだけでは物足りず、上申書を書いた。A5サイズの箔入り和紙に整然と連ねられた媚は、独得の気持ち悪い概観をしていた。が、それもこれも、一体シンジがどこから来たのかという決定的な問いを避けるための修辞だった。タカハシは一晩をかけて上申書を拵えると、一階に土建屋の事務所を構える大家を襲撃した。

大家は眼鏡をかけ、いかにも頑固な中年の管理職といった風貌をしていたが、考え考え話す風が値踏みするようにも見えた。しかも土建屋の親分である。危機を見抜く力がないはずもなく、にじりよる大家に小一時間も問い詰められ、シンジが何者なのかを改めて定義しなければならないことになったのだが、短いながら彼と屋根を同じくしてきたタカハシでさえ、彼の経歴が誤解を呼びやすいものだと知っていた。

「そんなに……変な人間じゃないですよ」

タカハシは笑いを収めると、遠慮がちに呟いた。顔に浮かんでいただろう薄笑いは、大家に不当な侮蔑を感じさせたのか、そりゃ変な奴だったら困るけどなあ、と、年来の労苦に凝り固まった唇が緩んだ。

「ええ、変な奴と一緒に住んで、一番困るのは僕ですから」

「まあ、それはそうだけどよ」

大家はひきずっていた足を止めて、腰を降ろした。タカハシが書いてきた上申書に手を伸ばす。

「まあ、これがはじめてというわけじゃないからな」

「ええ、これまでも家賃は滞納しませんでしたし」

「うん、まあ、そうだな」

大家はタカハシの顔を一瞥して、それから上申書に視線を戻した。タカハシは自分から家賃の話を切り出したことで、惨めな気分になった。契約変更の交渉をしている間、大家は一度とて家賃の話をしなかった。焦点は家賃ではないかもしれなかった。家賃を滞納せずに払い続けるというのは、それだけで一つの才能である――という自負を持ったのは愚かだった。やはり、信用という得体の知れない通貨を必要とするのだ。タカハシは高度資本主義経済を手強く感じた。あんなに払うのが大変な家賃というものでさえ、信用とは兌換性がない。なにか、別のものが必要なのではないかと、考えを巡らせた。

「そいつは、前科者とかじゃねえんだろ?」

タカハシは反射的に、はい、と答えた。が、本当のところはわからなかった。

「いいよ。わかったよ」

「いいんですか?」

「ああ、いいよ。君だって、そんな危ない奴を連れ込んだりしねえだろ」

タカハシはいつの間にか信用という通貨を勝ち取っていたことに狂喜した。

「じゃあ、不動産屋に電話しとけばいいですかね?」

狂喜して急に計画屋になりだすタカハシだったが、大家は途端に打ち解けた態度を見せ始め、それもいいよ、と断った。

「エイブルだろ? あそこ、手数料結構取るからな。そのまま住めよ」

「じゃあ、住民票とかだけ持ってきますね」

「いいよ、いらねえよ」

「ありがとうございます」

タカハシは大仕事を終え、心の底から人懐っこい気持ちに変わっていた。

「あの、上申書……返して貰ってってもいいですかね?」

「いいけど、なんでだよ」

「それ、結構書くの大変なんですよ。この先、どこかで使うかもしれないし」

「まあ、別に書かなくてもいいんだけどな」

ふうん、といった顔で大家は上申書を差し出した。タカハシは無礼になるのもかまわずに上申書をひったくると、一階にある大家の事務所を出て、四階まで一段抜かしで駆け上がった。リノリュームの階段はきゅきゅっと鳴りながら、高揚感をもたらした。

部屋に辿り着くと、居間の白いソファにスーツをまとったシンジが転がっていた。だいぶ髭が濃くなっていた。その見苦しさはすべての語彙をはねつけて、ソファの白の上で鈍く固まった。

「おお、どうだった!」

軽蔑の視線を跳ね飛ばして、シンジが起き上がった。

「通ったよ。いいって。住民票とかもいらないってさ。更新料浮いたよ」

「そう、じゃあ、ロックしちゃおうか」

髭に覆われた口元に笑いが宿った。彼にとって決して少なくなかっただろう更新料四万円は、アルコールに消えることになりそうだった。

「どう、タカハシくん、今日は暇かい?」

「まあ、暇と言えば暇だけど……ちょっと調べたいことがあるからなあ」

「今日ぐらい、いいじゃないか。その調べ物は、絶対に今日じゃなきゃ駄目なのかい?」

夕方から飲むのは嫌だからだよ、と言おうとしてやめた。タカハシが何をして、どんな生活を送っているかということをシンジは熟知していた。タカハシには、ある特定の期日までにしなければならないことなど、ほとんどなかった。

「まあ、無事に更新も住んだことだし、祝杯を上げようよ」

2015年9月2日公開

作品集『フェイタル・コネクション』第2話 (全5話)

フェイタル・コネクション

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© 2015 高橋文樹

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