基本方針

当サイト内に掲載されている全コンテンツ(文章・写真・絵画・PDFファイル・swfファイル等)の著作権は、破滅派編集部(管理者)またはコンテンツ著作者に帰属しています。

全コンテンツは私的利用の範囲内で利用されることを想定しております。私的利用の範囲を超える利用の場合は、破滅派編集部およびコンテンツ著作者の承諾が必要となります。

破滅派に投稿したコンテンツの著作権

破滅派編集部が作成したのではない、個々の作者のコンテンツの著作権は作者に所属します。

  • 破滅派では電子書籍および書籍として破滅派から公開かつ販売しているコンテンツについては著作の独占的利用権を保持します。これは利用規約に順じます。ただし、編集部と作者が交渉し、当該作品の二次利用について同意した場合はこの限りではありません。
  • 破滅派に投稿した作品のうち、電子書籍および書籍として公開かつ販売していない作品について、破滅派は著作の独占利用権を保持しません。作者は自身の裁量に応じ、著作を自由に利用できます。
  • 破滅派に投稿した作品のうち、作者が第三者(例・他の小説投稿サイト)に対して独占的利用権を付与していた場合、破滅派はそれによって生じる問題について一切の責任を負いません。
  • 破滅派を退会する際にあたって、作者のコンテンツはすべて削除されます。この削除によって生じる損害のすべてについて管理者は一切の責任を負いません。

※独占利用権とは、著作権法に定められる頒布権、複製権、公衆送信権、口述権、譲渡権などの財産権としての著作権に該当します。

コンテンツの引用

コンテンツの引用に関しては、 適切な範囲内でお願いします。その際は出所(URIアドレス)の明示をお願いいたします。
その他の点については、著作権法に準じます。

なお、以下の場合は引用の範囲を逸脱しますので、ご注意ください。

  • 画像ファイルをコピーして、参照元を記さないまま自分のホームページ・ブログに貼る。
  • 引用した部分が主文より長い。
  • 本文と引用分がカッコ・一行アキなどで区切られていない。

非創造的著作物の保持

破滅派では一般的に著作とされる創造的著作物(小説、詩、エッセーなど)については作者が自身の裁量により削除できるものとしています。また、退会にともない、破滅派がその財産権を侵害しないよう、速やかに削除します。

ただし、創造的著作物に該当しない投稿(お問い合わせメール、作品へのコメント、掲示板へのコメントなど)については、次のルールに基づき任意の期間に渡って保持されます。

  • コメントは削除・および編集ができない。
  • コメントに紐づく個人情報および内容は退会後も保持される。ただし、任意の第三者に対しては個人情報保護方針に基づき開示されない。

上記のルールは「会員保護」のために制定されています。コメント、お問い合わせメールなどは破滅派編集部および作者への攻撃に利用されることがあります。たとえば、投稿に対し執拗に非建設的な批判を異常な回数にわたりコメントとして投稿すること、攻撃的なコメントを投稿してすぐに削除すること、などが考えられます。破滅派ではこうした攻撃があった場合に、攻撃された破滅派会員を保護する目的から、コメントを削除せず、刑事訴訟・民事訴訟などの証拠として利用できるよう、外部に公開されない形で保持します。

こうした目的を理解したうえで、破滅派からコメントを削除したいという場合は正当な理由(GDPRなど)を添えてお問い合わせください。

クリエイティブ・コモンズ

当サイトのコンテンツは部分的にクリエイティブ・コモンズが適用されています。ライセンスはページごとに異なります。ページ下部をよく確認してください。

不明な場合はお問い合わせより当該URIをご報告ください。

無名詩人の悲劇

当サイトの全コンテンツは無料で利用できます。

しかしながら、全コンテンツは創作者たちの情熱を結晶させたものであり、「多大なる産みの苦しみをもってしても伝えたい」という純粋な思いがその背後にあります。

破滅派とはなによりもこうした創作者たちの情熱を発表する場です。

たとえ悪意がなかったとしても、無断利用で傷つく人はいます。

生まれてすみません

太宰治は『二十世紀旗手』において、以上のようなエピグラフを掲げています。秀逸な言葉として有名ではありますが、影にこのような逸話があるのをご存知でしょうか。

作品「二十世紀旗手」は、太宰の当時の苦悩をまるだしにしている作品だが、太宰がこの一句を副題としてどうしても欲しかったのだとしても、これが、原作者からの無断盗用であることにはまちがいはなかった。おまけにこの詩稿が未発表のものであったばかりか、寺内君が、まったく無名の詩人であったから、いっそう具合がわるかった。

「生命を盗られたようなものなんだ」寺内君が蒼い顔をしていった。 話をしている間に、ぼくが教唆者でないことだけは寺内君にも次第に解っていったが、寺内君はほんとに暗い顔になった。

「駄目にされた。駄目にされた」寺内君は呟くように何回もくりかえした。その言葉がぼくの心にも実感的に響いたものである。

–山岸外史、「”生まれてすみません”について」・『人間太宰治』(ちくま文庫)所収1989年、306〜307頁

この後、寺内氏は精神薄弱となり、「すこしおかしいことになっていたのじゃなかろうか」という 風聞が山岸外史の耳に入ります。

真偽のほどは定かではありませんが、こうした悲劇が繰り返されないことを破滅派編集部は切に願い、尽力いたします。