絞情

W-E aka _underline

小説

3,762文字

2014年の未発表作

巨大なゴムシートでぐるぐる巻きにされ放置されたかったのだ。それにその部屋には無造作に夥しい数のゴムシートが天井まで積み上げられているから人一人埋もれたところで何の違和感もないだろう。そのようにして死にたいのと聞かれても薄らへらへらと笑って男はいやまさかこれは只のプレイの妄想だからといって紅茶を口につける。ところできみに埋葬されたいのだけどねと黒髪の女の淀んだ瞳に視線を注ぐ。女はどきっとし下を向き小声で私は首を絞めるのが好きだからそういうのはちょっとと早口でいったのちすぐに違うのよ貴方の望むことと私の望むこととの間の接点をイメージできないだけよとつけ加える。天井から幾らかぶら下がる電球の灯りは黄色く暖かくとても古びた木製の机と椅子そして僅かばかり聞こえるシャンソンの店内音楽。誰か別の客が入ってきたようだがずっと奥の暗闇に包まれた席へと消えていく。その客は二人だったようだが女はその行方を追ったあと手許に視線を戻し男の言葉に耳を傾ける。やり方が違いすぎるといいたいのだね。真横をすうっと給仕が通りすぎる。貴方は殺されたいんじゃないのでしょう。確かにそうだね消滅したいのさ。仏教的な話なのかな。まさかもしそうだとしたら百八の煩悩のなかの一つに消滅欲というのがあって自らの欲のためにそれを存分に愉しみたいのさ。男はまた笑ってこれは只のプレイの妄想だからと反復する。雪のなかで意識が溶けるように消えていくのはどう。分からないな。死にたくないのね。すでに死んでいるとしたらどうだろう。私はリアリストだからそんなファンタジーは受け入れ難いわ。戸籍謄本を持ってきたんだが。机上に広げられたそれを見て女が少し目を輝かせるが戸惑いがちにいう。どうしろというの。父、母、そして二人の兄、弟、その間のこの名前、それを塗りつぶしたいなら死を望んでいることになるがそうじゃなく俺以外のところをすべて黒で塗りつぶしたいというあくまでもものの喩えさ。貴方の家族を演じる者たち、この場合一、二、三、四、五、五人ね、彼らを私が絞め殺すようなプレイを作るというなら私にもできることがあるけどそうじゃないのね。殺人は記録に残るから。貴方の話は貴方が消えるどころか現れてしまうけど。沈黙。男が黒いゴム手袋を懐からとりだしそれをはめると戸籍謄本の左に右手をかざしさーっと手のひらを向けたままで右へ流し漆黒の残像を作る。ほら最終的にすべて消える。女は無言。男がさらに左手も黒いゴム手袋をはめつつ言葉を継ぎ足す。日本中の戸籍謄本の束をまとめて一度に包むどころか世界の隅から隅まで土地もなにもかも。女がぽつりという。黒い地球。そうだねゴム毬のようになって宇宙と同化すれば外宇宙生命体が高度なかたちで仮にいたとしても太陽を反射しないから観測できないだろう。なにが目的。男がまた薄らへらへらと笑いながらいう。快感、快楽、からだが気持ちよくなるだろうなという話、それは在り方は違えどきみもそうだろう。女がいう。私はこの両手によって相手が死に近づいていくその実感がほしいの。両手をかざしながら例えばこの黒いゴム手袋で相手の首を絞めるのなんてナンセンスというわけか。あのねちょっともう少し考えたいからまた次会ったときに話の続きをしましょう。

 

そうだね、白熱電球がちょうどいいだろう。先の二人が会話をしていたアンティークカフェよりちょうど北へ五百キロメートルの区域にある古い平屋で青年がそう独り言をいいながら襖の向こうの暗闇から取りだした赤い箱をがさごそと探って四つの電球を拾い上げるとそれを障子の近くにあらかじめ設置していたソケットにとりつけていく。椅子は壊れかけていて青年はその上で踊るように揺れるがなんとか取りつけ終わると椅子をしまい室内の灯りをすべて消して手にしていたプラグをコンセントに差し込む。障子の向こうにちょうど月が輝いているため真っ暗ではないが四つの白熱電球が光ってそれを見て青年は、世界が、反転した、と呟く。そして、ビニールのレインコートを着て外へ飛びだす。するとどうだろう。たちまち黒雲が空を覆って闇夜になり豪雨がこの区域を襲ったのだ。あっという間に地面が濡れて砂は流れ稲光さえ。強弱を繰り返す雨は大気を霞ませ木々は唸りレインコートの青年はただひたすら無言で走り続け走り続けやがて遠くに街の灯りが。幾多の通行人の隙間を縫って走り続け流石に息があがってきたというところで先の女が歩いていたのだ。青年は器用に着ていたレインコートを脱ぐと驚いて立ち止まっていた女にぶわっとかぶせて背後にまわって女のからだをぎゅうっと。中の女はびしょ濡れのビニールに圧迫されたまま気が動転していて必死でもがくが増々ビニールのしめつけは強くなり声も出せず恐怖に突き落とされているがあるときぱっと緩くなったので暗中模索の様相で抜けだしすると数人の男たちが青年を捕らえ押さえつけている。おい、大丈夫か、という声。女はへたり込んで風雨を受けながら震えが止まらずしかしそれでもなんとか立ち上がると背後に稲妻が。女は振り返る。避雷針のある小さな建物の一帯がまっ白だ。

 

半月経つ。女は都庁から三十分ほど歩いたアパートのようなマンションで一人暮らしをしていたが外傷後ストレス障害を煩ってしまったため電話でゴムフェチの男を呼びだしできるだけ側にいてくれるように頼み、ベッドの上で適度に脱ぎ散らかし風呂にも入らず倒れ込んでいる女を見たとき男は病人のようだと思う。薄らへらへらと笑いながらなんというか大丈夫さ俺はメディカルフェチではないから妄想と争う必要すらないよ。一抹の沈黙。馬鹿なことしたらほんとに絞め殺すから。不意打ちは一度しか起こらないと信じられるようになるのが回復の決め手だろうけどもしかしたらゴムシートに包まれてたら安心かもしれないよ。男が女と会うのはそれが二回目だったがどうやら僅かばかりの資金を稼き盲目的に東京へ飛びだし場繋ぎの仕事を探そうとした矢先の出来事だったようでたまたまネットを通じて知りあったこの男以外にあてがなかったらしい。例の青年は譲り受けた平屋で一人暮らしをしていたらしい精神鑑定になるようだ。女が眉をひそめて少し天井を見つめてからぼそり、分かんない、という。平屋の裏側には五百年以上も見棄てられた神社があるそうだ。関係あるのそれ。部屋の隅には十五メーター分のゴムシートと積み重ねられた書籍。男は半月間この部屋でほとんど外出もせずおよそプラトニックに寝たきりの女と生活していたがなぜそのような自由を男が手にしているのか女は問わない。雨の日は側に寄り添ってほしいという。ベッド半分ゴムシートが敷かれそこで男が寝そべる。シーツはその上へ。窓外で滴る雨音。私を襲った子の顔、知らない。未成年だからあまり情報が出ない。ビニールフェチだったのかな。違うと思うけど。もしそうだったら相手が見つからなくて可哀想な子だったのかなって。でもね違うと思うけど。首を絞めたい欲望がなくなっちゃったの。元に戻りたいわけ。分かんない。俺はこれを機にきみがゴムシートに目覚めればいいと思ってる。妄想の接点なんてなくてもいいのかなとは思うけど。まぁ出会い方が出会い方だからそんなにハードでなければきみに首を絞められてみたいとは思うようにはなったけどさ。

 

事件から一ヵ月が経ち、男と女が平屋へ出向く。曇り空。二人にとって意外なことに平屋はなにもなかったかのようにそこにあり背の低い門も簡単に開きそうだが気味が悪いのでそれはせずに外壁に沿って神社があるという裏側へ回り込んでみようとする。だが森に突き当たりそのまま逆方向へ歩かされる。森の闇は濃く男は少し寒気がする。どんどん遠くへ行かされるので来た道を戻り門から反対方向へ歩みだしたとき女が、見て、という。そこには四つの横に並んだ電球らしき灯りが障子の向こうに伺え、誰か住んでるのかな、と呟く。男にしがみつく。きょろきょろと確認していてだから男は女の背にやさしく手のひらをそっと置いて唾を飲み込み腕時計を覗き込むと午後六時二十五分が裏返って目に入る。あのときからまるで止まったままのようだ。誰かがいるとしても会いたくはないな、きみがそうじゃないっていうなら話は別だけど。事件の行方はあるときを境に薮のなかへ潜ってしまっていて例えば慰謝料であるとか整然とした発想の手が届かない領域に消えてしまっている。平屋の隣には塀の高い隣家がありそこは空き家のようだ。その隣にもその隣にも家は続き、平屋の裏に回れそうな予感がしない。鬱蒼とした森の面影。そのとき、ギィーーッと門の開く音がする。男と女が振り向くとそこには誰もいなくて、それで女は塀に男を突いて押しつけて目をぎらつかせそのまま両手を上げて男の首を絞めにかかる。男は抵抗せずじっと目線をさげて女をみつめる。それから門の方に視線をやってへらへらと笑ってみせる。女がいう、どう、気持ちいい。男がいう、悪くないね。女が門の方を見て、にやっと笑う。女の手が少し緩み、男が女にかぶさるようにして腕を回しそのまま抱き締める。曇り空のまま。男がいう。さぁもう一度首を絞めてみて、気持ちいいよ!

2023年6月12日公開

© 2023 W-E aka _underline

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