七号の企画会議で、編集長は膝を打った後、こう付け加えた。「周さん、書き手が見つからんかったらどないすんねん」。私は答えた。見つからんかったら、見つからんかったこと自体を記事にすればよろしい。取材の失敗もまた取材である。カストリ雑誌の懐の深さは、こういうところにある。何を書いても記事になる。何を書けなくても、書けなかったことが記事になる。編集長は納得半分、不安半分の顔で頷いた。あの男の不安は大抵、部数の心配から来ている。六号は品切れた。七号はそれ以上に売れねば、次号の紙代が出ない。私の探索は、いつのまにか市場の紙の謎を解く企てから、『裸線』という紙を延命させる企てへとすり替わりつつあった。この入れ替わりに気づいていながら、私は気づかぬふりをして企画を進めた。
私はまず、四人――帳簿付けの復員さん、乾物屋の順伊さん、進駐軍の日系さん、そして生駒の巳代蔵翁――に、あらためて話を聞いて回った。皆、以前より口が重くなっていた。復員さんは筆跡の照合を続けているが、控えを人に見せることはもうしないと言う。順伊さんは、書き手を探すこと自体が間違いかもしれないと言う。日系さんは局の機密に触れる話だと言って、多くを語らなかった。巳代蔵翁に至っては、店先で会うたびに「先生、また来たんか」と苦笑するばかりであった。
四人に共通していたのは、私への警戒ではなく、私への奇妙な憐れみであった。復員さんは帰り際、「潟見さん、あなたはもう記事の外にいない人間です」と言った。順伊さんは何も言わず、干鱈を一本、無言で持たせてくれた。売り物にならない、少し傷んだ品だと言い添えて。憐れみを受け取る側に回るというのは、記者にとって不慣れな経験である。私はこれまで、憐れむ側として取材をしてきた。憐れまれる立場から見る鶴橋の光景は、これまでと同じ市場のはずなのに、一枚膜を隔てたように違って見えた。
取材の空振りが続くうち、私は自分の記事の書き方そのものを疑い始めた。私はこれまで、書き手を「探すべき対象」として記事の外に置いてきた。しかし『裸線』六号の一件以来、私自身が換算表の品目に組み込まれている。ならば私は、探す側であると同時に、探される側でもある。取材する記者が取材対象の内部にいる、という構図は、報道の作法としては失格である。だが、この市場において失格でない立場など、そもそも存在するのだろうか。
八月の初め、私は思い切った試みに出た。換算表に向けて、記事という形ではなく、直接の「手記」を書き、辻に貼り出したのである。文面はこうだ。「符牒市場、比率の主へ。貴殿の正体を問うことをやめる。代わりに、貴殿がこれまで書き記してきた者たちの記録を、当方にて残したく候。ご一報あれば幸甚」。我ながら阿呆らしい文面だと思いながら書いた。阿呆らしさこそが、この一件の本質に一番近いのかもしれない、とも思った。
翌朝、私の手記は消えていた。誰かが剥がしたのか、風で飛んだのか。だが換算表の欄外に、見慣れぬ一行が加わっていた。活字体でも手書きでもない、ガリ版刷りのような、機械と手の中間の筆致であった。
「勘定は、まだ済んでいない」
私はこの一行を、弥吉に見せた。弥吉は長いこと黙って字面を睨んだ後、言った。「周さん、これ、うちの活字と違うな。せやけど、うちの活字に似せて彫っとる。誰かが、うちの字を真似て彫ったんか、それとも――」。弥吉はそこで言葉を切った。それとも、うちの活字そのものが、ひとりでに誰かの手を借りて彫られたんか。弥吉の職人としての誇りが、その先を言わせなかったのだと思う。
弥吉は活字箱の奥から、使い込んだ「勘」の字と「定」の字を取り出し、私の前に並べた。二つとも、確かに弥吉の彫った活字であった。だが、その二字が並んだ瞬間の姿は、弥吉自身も見た覚えがないという。「字ぃいうのはな、一つずつ彫るもんや。並べた時にどんな顔するかまでは、彫った本人にも分からん。誰が並べたか、いうことのほうが、字そのものより怖いことがあるんやで」。弥吉のこの言葉を、私はその晩、手帖に書き留めた。書き留めながら、自分がまた、書くという行為によって何かを固定し、固定した端から誰かに読まれているのではないかという疑いを、拭えなかった。
私は七号の企画を、独占手記から方向転換した。書き手を暴くことはできない。だが、「勘定は、まだ済んでいない」という一行だけは、確かに何かへの応答であった。誰の勘定が、まだ済んでいないのか。私は巳代蔵翁が語った、生駒の婆さんの逸話――「かんじょうはすんだ」――を思い出さずにはいられなかった。あの一行と、この一行は、まるで問いと答えのように向き合っている。もし換算表が本当に、済んでいない勘定を記録し続ける装置だとすれば、私たちの取材そのものが、その勘定を長引かせているのかもしれない。
私は七号の巻頭に、これまでの取材を記事にすることをやめ、代わりに一枚の空白の頁を置くことにした。編集長は猛反対したが、私は押し切った。空白の頁の下に、たった一行だけ添えた。「ここに書かれるべきだった記事は、まだ勘定が済んでいない」。阿呆な思いつきだと、書きながら自分でも思う。だが六号で私自身が品目に組み込まれた今、私にできる最も誠実な報道は、書かないことを書くことだけかもしれなかった。
――昭和二十二年八月附 換算表(欄外・ガリ版様)
勘定は、まだ済んでいない
(活字体の由来不明・弥吉証言により保留扱い)
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