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鏡の思い

奇妙奇譚(第4話)

村星春海

付喪神というものがある。それはとても日本人らしいものだ。
強い思いは物を介して、持ち主へ戻る。

小説

3,118文字

長年使われた道具に宿ると言われる妖怪の類で、物持ちがいい日本人らしい妖怪がいる。
長年使われていなくても強い思いが宿ることはある。例えば母を思って送った櫛だったり。そういったもはや情念と呼ばれるほどに強い思いはいつまでも残るのだ。

───
 
「こーへー!」
「なんだよ」
「わたしね、おっきくなったら、こーへーとけっこんする!」
「はぁ?」
「だめなの?」
「……いいよ。おおきくなったら、あかりをおれのおくさんにしてやる」
「ほんと? わすれんでよ?」

───

 
なんて記憶はとうの昔。本人らはそんなことほとんど覚えてなどおるまい。覚えていたところで、そんなものは過去の過ちだと言うだろう。中学生とはそんな年頃なのだ。

「また教科書忘れたん? 康平、真面目にやらんと、高校行けんよ?」
「いいんだよ、俺はサッカーで世界目指しとるけんな」
「だらだわ、こいつ」
「んだと!?」
「あんね、世界に行くなら英語くらい喋れんといけんよ。日本語だけで世界へ行けるかっての、ばーか」
「うるせー!」

あかり、友ちゃん、康平の三人は朝の登校で一緒になった。学校まであと少しというところで、康平はいくつかの教科の教科書を忘れた事に気がついた。

「まぁいいがね、あかりちゃんが教科書見せれば」
「友ちゃん、甘やかさんで。そんなことばっかりだけん、こいつは成長せんのだわ」
「でも隣の席なんだから、どうせ見せてやれって、先生に言われるわね」
「まぁね」

この二人、幼なじみであるが、遠い親戚でもあるらしかった。本人らもよく分かっていないが、祖父だか祖母だか、どっかそこら辺のさらに上の方が繋がっているらしく、彼の名前は津森康平という。津森のばぁちゃんの孫だった。小さい頃はよく遊び、喧嘩し、それでもとても仲の良かった二人だが、小学校の中頃からどことなく距離が空いて、中学生になった頃には康平も部活動を始め、行動時間がズレていったのだった。
それでも時々一緒に帰ったりする事もあったが、お互い妙に意識しているのか、いつも口喧嘩という始末だった。共通の友人である友ちゃんにしてみれば、ただの痴話喧嘩だったが。

───
 
 しとしとと雨が降る六月。春の爽やかな空気はどこへやら、梅雨の湿った空気が村に充満していた。午後になり重い雲が現れ、帰宅時間になっていよいよ雨が降り出したのだが、こんな時に限って傘を持ってなかった。
康平は部活動が休みだったため、あかりと帰りが一緒になっていた。そんな中、雨に降られた。

「梅雨だってのに傘忘れちまったよ」
「最悪だわ。走って帰るには大降りだね」
「少し雨宿りすーか」
「止みそうにないわ。止むまで待とう」

二人は、昔よく遊んだ小さな小屋の軒下へと駆け込んだ。入口にちょっとした椅子があり、そこへ座る。キィ……と音が鳴った。
雨音が屋根を叩く。湿った土の匂いと、濡れた制服の匂いが混じる。薄暗い小屋の中では、雨の音以外、静寂に満たされていた。
康平は隣に座って前かがみになって外を見るあかりをチラりと盗み見た。あかりの白い夏服のセーラー服は雨に濡れて、薄く肌の色が透けて見えた。
康平はつい目を逸らした。

「……なんか、蒸し暑いわ」
 
あかりがそう呟きながら、小屋の中を見回す。
埃っぽい空気の中に、古い木の匂いがした。

「そうだな」

康平は短く答えた。
壁に寄りかかると、背中に湿気が染みてくる。二人の間に、妙な沈黙が落ちた。
あかりがふと、そばにあった棚の奥にキラリと光る何かを見つけ席を立つ。棚の中を見るとそれは、四角い木枠の古い手鏡だ。黒い木枠にぼんやりとした鏡がはめ込まれている。

「これ、懐かしいわ。昔ここでよく遊んだ時、これ使ってた。まだあるとは思わんかった」

あかりが鏡を手に取る。
鏡の表面は曇り、あかりの顔がぼんやりと映った。埃をサッと手で拭うと、鏡は綺麗にあかりの顔を写した。その時、その鏡が揺らめいた感じがした。あかりは思わず身震いした。

「どうした?」
「ちょっと、寒いかな……」
「馬鹿でも風邪ひくんだな」
「うるさい」

あかりは手鏡を見ながら再び康平の隣に座った。雨はまだ止まないし、むしろ強くなっていた。屋根を打つ雨音は大きくなり、この小屋の上だけ雨が降っているような気さえした。
湿った空気が肌にまとわりつく。あかりの制服の袖が、康平の腕に軽く触れた。
普段ならすぐに「触るな」と避けていたはずなのに、あかりは動かなかった。

「……ねえ」あかりが小さな声で言った。「なんか、寒いんだけど」
「わかってるよ。雨に濡れて冷えたんだろ。俺にそんなこと言われても、どうしようもないわ」

康平が横目で見ると、あかりは少しうつむきながら、自分の手をそっと握ってきた。
指が絡む。湿った掌の熱が、じんわりと伝わってくる。

「お、おい……」
「ごめん。なんか、手、あったかいから」

あかりはそう言いながら、もう少し体を寄せた。濡れたブラウスの感触が、康平の腕に触れる。雨の匂いと、あかりの髪の匂いが混じって、妙に近く感じた。
康平の喉が、小さく鳴った。

「……止むまで、だぞ」
「うん」

あかりは鏡を膝の上に置いたまま、康平の横顔をじっと見ている。その目が、いつもより少しだけ艶やかに見えた。康平はその視線に気がついてはいたが、どうしていいか分からず、気が付かない振りをしていた。

「ねぇ、康平」
「……なんだよ」

あかりは繋いだ手を動かし康平の指の間に自分の指を差し込んでいく。手の間で汗が吹き出す。

「私ね、康平と小さい頃からよく遊んでてさ、ずっと一緒におったが?」
「そう、だったか?」
「そげだったよ。鬼ごっこしたり、私に付き合っておままごとしてくれたり。でも中学入ってからはさ、康平も部活始めたから、なかなか一緒遊べんが」
「仕方ないだろ。いつまでも子供じゃないんだから」
「わかっとるよ。でもさ、昔からずっと康平と遊んでて、色々思ってたんだわ」
「色々って……なんだよ」
「……」
「なんか言えよ……」

康平はあかりが自分の肩に頭を置いたのを感じた。二人の間は密着し、お互いの鼓動が聞こえてしまいそうだった。汗と雨に濡れた体は熱気を帯び、小屋の湿度をさらに高めていく。

「あのさ、あかり……。お前なんか変だぞ」
「……変? 私は変じゃないよ」
「おかしいだろ……。普段はその、っ……!」

康平があかりを見る。肩に頭を乗せたあかりの顔がすぐ側にあった。瞳に康平自身が映り込んでしまうほどの距離だった。

「あ、あかり」
「康平……」

あかりはそっと目を閉じた。音はないもない。何も聞こえない、二人だけの空間になっていた。そして顔が近づきお互いの吐息が感じられるほどに。
その時。
 
「どわーー! すごい雨だ!」
「「わぁっ!?」」

突然大きい声を発しながら友ちゃんがびしょ濡れで小屋へ飛び込んできた。
あかりが驚いて持っていた手鏡を落とすと、鏡面にヒビが入った。

「ありゃ。二人も雨宿りしちょうかね、偶然だね。……ん? 二人とも手なんて繋いで、寒いん? 顔も真っ赤だがん。風邪引いたんじゃない?」
「わっ、なに手なんか握っとるん!?」

友ちゃんに言われあかりはパッと手を離して飛び退いた。

「お、お前が握ってきたんだろ!?」
「はぁ!? 私が握るわけないがん! あほ!」
「誰があほだ! お前の方があほだろ!だらず!」
「……やれやれ、仲がいいことで」

二人が大騒ぎをして、友ちゃんがそれを遠目に見る。いつもの光景に戻った。
雨はまだ、止まない。

───

時代は過ぎた。
あの小さな小屋は、やがて取り壊された。
割れた鏡の破片も、今はもうどこにもない。
あかりと康平は、その日のことは深く語らないまま、いつものツンケンした関係に戻った。
でも時々、梅雨の湿った匂いがすると、二人とも少しだけ、あの蒸し暑かった小屋のことを思い出す。

© 2026 村星春海 ( 2026年9月15日公開 )

作品集『奇妙奇譚』第4話 (全5話)

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