父が死んだ夜、私は蔵にこもり、代々の観相図譜を一冊ずつ開いていった。
埃と古墨の匂いが、鼻の奥を刺すように立ち込めていた。行灯の灯りは弱く、棚に並んだ写本の背表紙を、ぼんやりと橙色に染めている。指先が触れると、紙は乾いた骨のように冷たく、ところどころで微かにざらついていた。頁をめくるたび、かすかな虫の死骸や、百年以上前に誰かが落としたと思しき鱗粉のようなものが、静かに舞い上がった。
我が家に伝わる観相図譜――人の顔の造作から、その者の性質や運命を読み解くという、旧い学問の写本である。文明開化の世にあって、こうしたものはもはや迷信の名残に過ぎない、と私は思っていた。西洋渡りの骨相学を修めた身として、頭蓋の凹凸や角度を測る学こそが、これからの世を照らす光であるはずだった。だが父は死の間際、私にこう言い遺した。「図譜を継ぐことだけは、やめてはならぬ」。
思えば、父は生前、図譜について多くを語らなかった。私が骨相学の書物を持ち帰るたび、父は咎めもせず、ただ寂しそうに笑うだけだった。「お前の学問も、いずれ図譜と同じ道をたどるのかもしれぬな」――冗談めかしてそう言った父の顔を、私はまだ覚えている。あの時は聞き流したその言葉が、蔵にこもる今になって、妙に重く胸にのしかかっていた。
写本は、当主が代替わりするたびに新しく作られる。まず巻頭に「始祖の顔」を写し、次に代々の顔の記録を書き足し、最後に、当主自らの観相を描き加えて締めくくる。それが習わしだった。だが、どの代の写本にも、必ず一頁だけ、欠けている。虫食い、あるいは火事による焼失――そう伝えられてきたが、欠けているのは決まって、当主自身の顔を描くはずだった、最後の頁だった。
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