AFTER DIARY 第一章

Hell If I Know(第1話)

W-E aka _underline

小説

11,447文字

思うことがあり読み返したら面白かったので投稿します。

2004.06.08.THU “PC買い換え

 

パソコンが壊れてしまい、新しく買い直した。前のやつはiMac OS-8.5 症状は電源を押すと起動音がなり、顔のある小さいパソコンの絵がでて、ここで止まる。本来ならこの後、顔のある大きなパソコンの絵が現れ、自分で設定した壁紙が現れるのだが、そのステップを踏んでくれない。起動ディスクによって立ち上げることはできるけれどそうやって開かれた画面では再インストールすることくらいしかできない。バックアップをとってなかったというかとろうと思ってた矢先のことで僕はパソコンには疎いので、もしかしたらという気持ちで前のパソコンを放置している。気分転換もかねてiBookG4を買った。小さいのはすばらしい。ここ数週間非常に疲れていて、僕は元々怠惰な人間なのだがそれが1人でいるときはとくに全面にでてしまっている。メール設定もしてないし、フォトショップやら色々まだ入れてない。この新しいパソコンはインターネットだけができる。そもそも買ってから立ち上げるに至るまでに1週間も経っていた。

 

生き方をまた変えたいなーと強く思う。iBookG4の初期設定ではインターネットの始めのページがMSNに設定されているので、YAHOO JAPANよりこっちの方がメインストリートなのだろうかと思い、コミュニティを少し巡ってみたけど、つまらない。ライフスタイルから男性カテゴリへ行くと非常にゲイコンテンツが多く興味深い。男性カテゴリでは、あとはみんなでわいわいしようよ系が目立つ。なんて漠然としてるんだ。漠然としたこの手のわいわい系は喋ったり居酒屋行ったり系と捉え直すことができる、くだらない。僕は、居酒屋ノリが大嫌いだ。昔からだ。というか、わいわい系って男性カテゴリに登録するべき内容なのか??超むかつく!ああそういえばどれくらい前だろうか、コギャルって存在が生まれたの。あのとき僕は彼女らにリスペクトで、なぜなら彼女らはパンクで、僕も彼女らに見習ってもっと自分本意になろうとしたのだった。あれはとてもいい勉強だった。自分本位というか感情本意というか。2ちゃんねるの独身板へ久々に行ったら、スレッドがどれも彼女いない板とでも言い換えたらいいかのような内容ばっかで最悪だった。通常なら関係してくるはずの結婚という言葉すらなく、むしろ結婚は男たちにはハナから興味がなく独身という言葉が無意味になってきているのかもとすら思わされた。結婚して何か男に得なことあるのか?最近は子供は欲しいけど結婚はしたくない男が増えてるらしいよ。結婚関係の板見てみろよ、どこも地獄絵図じゃん。とのことだ。それはいい時代の風潮だ。僕は、子供も欲しくないけど。子供。つねづね思うのだ。なんとかして子供の問題をクリアできないかと。そもそも僕のホームページの最も表紙にあたる部分のタイトルはmaking-Bだが、開始してすぐの頃はMAKING BABIESだった。サイト解説にあるイントロダクションを見てほしい。まず出生届について僕は述べている。僕はノリで子供を作る連中に対し、大きな悪意がある。タバコは20歳からとかそんなくだらない設定なんかしないで、子供を作れるのは法的に25歳から(要・育児免許)とかにしてほしいくらいに強く思う。子供は愛の結晶ではない。新しい個人的存在の誕生だ。思春期までに両親に愛されなかった子供たちは、愛情に極端に飢える、が、もし、両親という存在がそもそもなかったら、つまり、今でいう孤児的な立場が普通だったなら、どうなんだろうか。両親に愛されることが普通とされていて、周りを見回してもどうやらそれが確かに普通らしいという状況がなくなったなら、愛情に極端に飢えることも少しは和らぐのだろうか。異界人が地球にやってきてこう言うだろう。

 

「生んだ人間がその面倒まで見ているなんて地球とは不思議な世界だ!」

 

両親が子供を育てる という常識は絶対ではない。生まれたばかりの人間は他の動物に比べて極端に弱いが、人間以外の動物に可能なことは、ある程度人間にも導入することができる。もしそうなら、子供の出産から幼児教育までをもっと制度的に扱える気がする。道徳的にどうとかはどうでもいい。そういうのは時代とともに変わる。

 

200X.XX.XX.XXX “X51.ORGでの肢体切断関連の記事

 

に流れるようについていたコメント群を延々と読んでいた。

 

——身体完全同一性障害とは、例えば「足のこの辺から下があるのがどうしても違和感があって切りたいんだよ」という点で悩んでいる人につけられた名称で、性同一性障害のように先天的なものとして扱われようとしている。心境を例えていえば「腕が二本あるんだ。普通じゃないだろ。で、普通になりたいんだ。余分な一本に違和感があって気持ち悪いから切りたいんだよ」といった感じのようだ。例えば、鼻が二個あって一個減したいのは「普通になりたい」気持ちだし、性同一性障害の場合も、男なのに女に生まれてきてしまったから身体を女に戻したい、というのも「普通になりたい」気持ちだから解る。だが「足が二本あって一つ減したい」ないし「ともになくしたい」という肢体切断指向は、その人の持つ世界の中でしか「普通になりたい」感じではないので、そのように生まれてきたのなら正統なのかもしれないけれど、不思議な話だ。おまけに、願望を叶えて両足切断手術を施した人が、のちになってまた別の箇所を切断したくなるケースもあるそうで、そうなってくると少し話が違うのではないか。そのケースの場合はそれこそが自然なんだという独立した純粋な思いだったのだろうとなんとか頑張って受け入れてみたいとは思うものの、やはりどうしても思ってしまうのは、身体完全同一性障害ではなく強迫観念の人ではないのか(あくまでもその人のケースの場合)。

 

今日は「言葉のサラダ」という検索ワードで色々見ていた。昔から僕はこの言葉が生理的にダメだが、僕が精神分裂家系にあることは確かだし、基本的に僕という人間が現実社会で生きていけるのは、精神分裂状態をときおり作品化していることが、1つにはあるんだろうと思っているのだった。言うなればラインの向こう側にあるものをラインぎりぎりまで近づけて、それ以上加工もしないという提示の仕方であり、一方で、ラインのこっち側から同じことをしている自分もいる。

 

詩にはなくて小説にはあるジャンル。それって推理小説だけかもしれない。そう読んで、いや、冒険活劇もそうではないか、と今思う。だが、小説は詩から独立した言葉の作品じゃないか。叙事詩には冒険はあるように思うのでやはり推理小説こそ極北なのかもしれない。事件を提示して犯人やその犯行手順を読者に向けてさぁ当ててみろ、というパズル要素は、哲学書と構造は一緒だ。ということで、ボルヘスがミステリーを作るようになったり、実存探究の末にオースターがたどり着いたり、エトセトラ。マンガや小説を、たいてい人は、暇つぶしや楽しむという前向きな姿勢=娯楽や、何かが得られるかも;触れあえるから、という期待で読む。

 

小説を延々生むくらいならレビューを大量に作った方が世のためになると思い訓練していたが、今にして「それは間違いだった」と気づく。作品でなければまとめる価値がないのだ。つまり、作品でなければ時間を越えられないのだ。ところで昔はこのように左脳的文章をほとんど打たなかったが、こうした左脳的文章は小説にはならないのだろうか。たとえば改行ごとに一行空けているが、そこに架空の登場人物を配してこの文章を小説に仕立てることは技術的には容易だが——そんなフェイクな。

 

——と言ったのちにようやく彼は、僕に目を合わせ、沈黙を作り、次に僕の口が開くのを待ちだしたのだ。鉄塔は風雨を受けて天に伸び、遥か彼方に見えるオフィス街の光は、まるで欠落部分を埋め尽くしているかのようだ。一台の車が脇の道路を駆け抜け、その音の印象を残し、霧の向こうへ消えていく。

 

このようにして——行動少なく雑感で埋められる類いの——ウェブ日記の途中で始まった架空の設定だが、この段階ではなにも語っていないに等しい。とにかく僕という語り手と、彼という登場人物が現れたわけだが、このどちらかが主人公になるとして、ともに思想を伴ったキャラ立ちをさせなければ空虚だ。

 

かといって、とってつけたような思想を与えても意味がない。先の日記で、四肢切断と、精神分裂について、この両者の関連性一切なく語ったが、だからといって、そういったキーワードをこの二人の主要キャラに与えたところで、やはりとってつけたような感じで、それでは動いてくれない。

 

思想を伴った人物造形をする場合、そこには著者の持つテーマから必然的に小説が浮かび上がり、人物と結びつかなければならないが、最近考えているのは、僕の文章歴において文学というキーワードが現れたのはほんの一時期だけだったということだ。ホラー小説というフォーマットを第一に据えれば、精神分裂そのもののような作品を回避できるような規制のもとで進行できるのではないか、そう僕は彼に言って、一歩、風雨に身をさらす。

 

「書きためているのですか」

 

とよく聞かれる。いや、全然だ。あまりにも無駄に小説を作ってしまったように思えて、必要がなければ作らないようにしようと思ったからだ。しかし、何において必要というのか。僕自身にとって必要でなければ他者からきっかけを与えられたところで小説など作る気も起きない。さっきの日記の後半に繋がる話だが、レビュー等へ文章欲求を移したのは失敗だった、ゆえに、このような架空に手をつけるのだ。僕は、物語を過去からたぐり寄せなければならない。彼の話を受けて、オフィス街の光を受けて、この真っ暗な雨天のもとで車が通り去るのを何度か目に焼きつける。ここで登場人物たちに名前をつけるべきだろうか。そんな恐ろしいことができるだろうか。雨を浴びながら財布をとりだして自動販売機から缶コーヒーを二つ買い、彼のもとへと戻る。一つを受けとった彼に僕は話し始めるだろう。物語を。

 

「これはかつて実際にあったことだ」と僕は言う。「小説はこのようにして架空から解き放たれるのだ」

 

彼は身震いを起こす。数時間前に聞いたニュースでは雷雨になると聞いている。街中の、ファミレスやコンビニで待ち合わせをしてもよかったが、彼がそれを拒み、僕は電話越しに同意し、じゃあ場所をどこにしようと話して言われるがままにやってきたのが、この場所。

 

「アジテーション。テロルの背後。首都圏での、惨劇。余分なものを削っていく。握りしめた携帯電話の向こうの女の声がなにを発しているのか興味がなくなり、急カーブの多い道路を飛ばしていたのだ。僕は助手席で、出会って間もないその男は惜しげもなく携帯を切るとゴクリと唾を飲み込み懐から煙草をとりだす。その晩も雷雨。いいか。よく聞けよ。闇の中だ。僕たちはまだ二十歳の半ば。運命はすでにつかむものではなく、まるでどさどさ大量の降ってきた肢体のなかで埋もれ足掻いているよう。意識を失った肢体たちに番号をふって笑って声を上げて、運転している男はそれを運命の固まりと呼び煙草の煙を口から吐く」

 

このように、鉄塔の下で、彼に物語り始めた僕だが、そのような行動をとった必然性は何だろう。たいていの物語り始めるホラーは、聞き手がそれを待ってましたとばかりに構えているものだ。百物語形式、ないしは、寝床で子どもが親に「ねえ、なにかお話を聞かせて」。ところが、僕は、彼が一切望んでいたように見えないにもかかわらず、物語りはじめている。この大雨があがるのを待っているからとは言え不自然ではないか。しかし、僕の欲求によって進行しだしたのだ。彼はというと、缶コーヒーをずっと黙って飲んでいる。僕は、

 

「いや、四肢切断や言葉のサラダの話がつまんなかったからじゃないんだよ。むしろ興味深かった」

 

そう口にする。しかし、唐突に思うのだが、僕はどうすれば車に興味が持てるようになるんだろう。今、僕は一台の車を所有している。僕は無免許だ。教習所へ通うことを考えてないわけじゃない。ところで、車はときおりエンジンをかけてやらなければバッテリーがあがってしまう。それをすることすら億劫で、J.G.バラードの「クラッシュ」がいっときの解決策になっている。エンジンをかけている間、僕はその小説を少しずつ読み進めている。車の事故でエクスタシーが得られる者たちの物語。この本を通して車は性的なものに変わり、車それ自体がフェティッシュ対象となり、ここで初めて興味がわく。車での読書中のBGMをドラムンベースにしてみたが、これらのことについて僕は彼に聞く。

 

「そうだね。カーセックスは好きなのか?」

 

カーセックス。それは十代の頃に夢見ていたシチュエーションの一つだ。あの狭い中でなんとかできそうな体勢を整えて……とそういう拘束感は味があるかもしれない。それにあの密室。車という、エレベーターほどには一瞬ではない密室空間で、要望の対象が隣にいたなら、それはすでになにかが始まっている。このときに交わされる言葉は重要だ。それによって現状は散漫にもなれば一点へと進みだしたりもする。もし隣の相手に触れでもしたらこれは奇妙な感じだ。もし車だからといって「じゃあホテルに入ろうか」などとなるようならそれほどでもないが、密室という可能性の深い場所であるにもかかわらず、車というのは行為には向いていない場所だ。この、性と日常の隙間にあるのが車というものだ。向いていないにもかかわらず可能性の深さに追いやられて動きだしてしまったなら、ここからディシプリンが始まる。そのような車に流すべきBGMは選択に注意を要する。僕はこれらのことを話しながら、最後に「カーセックスの醍醐味を味わうためには、そのとき乗ってるその車の所有者じゃなきゃダメだね」という。

 

「じゃあきみは免許をとる必然性があるってわけだ」

 

そう笑いながら彼は目を伏せる。今、この雨宿りの状態も、密室に近い。側にいる相手次第でもっと興奮することもできたのだろう。でもそれは今後の課題として残しておこう。今は関係ない。話し手の僕の車体験は僕が語る物語に影響されるだろう。なぜなら僕の関心ごとは数ヶ月ずっと車に向いているし、僕のもっと深い関心ごとはずっと性にあるからで、この二つは改めて今、粗いながらも結びついただろう。僕は車のことばかり考えている。田舎で車に乗るのは分かる。交通の便が悪いからだ。都会で車に乗るのも分かる。車は資本主義社会的産物だからだ。だが、僕が住んでいるのは郊外だ。郊外は都市計画の一端だが、その退屈さにおいて田舎に似ている。しかし田舎のように自然があるわけでもない。郊外とは、不便な都市だ。こんなばからしいところで、交通の便が悪いから車を、なんて、僕には理由としては弱すぎる。ところで彼はというと会うたびに昔の人が腰を抜かすような話題ばかりをしてくるのだ。例えば彼が四肢切断をしたがっているとは到底思えない。刺激的だから好むのかといえば、それよりは深い欲望があるようだ。考えてみれば僕はそんな彼に物語ろうとしているのだから、そのことは念頭に入れなければならない。じゃないと彼が退屈してしまう。まだ天気予報で言っていたようには雷も鳴っていない。ということはまだこの大雨は始まったばかりというわけだ。さっきの物語だけど……と僕は口を開く。

 

「フラッシュバックが見えるか? おれたちは口論し事故っただろう——運転席のガラス越しに白く細い閃光——さっきの電話の女はなんて? と僕が聞くが、それはまずかったのだろうか?——雨とバンパーの格闘もむなしいほとんど光と闇だけのフロントガラスにいらついたのか? ハンドルが、道路の流れをまったく無視して大きく切られ、こみあげて吐きそうな振動と頭の向こうで飛ぶような爆音、それから僕の脳中に図像としてガードレールに何度もぶつかる車が浮かぶ。そのイメージは、瞬く間に現実に追い越され、スケートリンクのようだ。金切り声が車のボディを覆っている。胸にきつく食い込むシートベルト——僕は、何度も大声を上げている、今ようやくそれに気づいたのだ。天井をこする頭と、それから、僕は、舌を噛まないようにしなきゃと考えるがその着想点と現実に体を動かす脳のところまでが連結点さえ見出せそうになくて、また激しい衝突音、おまえはこんな状態で笑ってるのか?——雨の流れる道路上でタイヤが火花を散らしている僕の映像——何度も目をつぶる——嗚咽——気がつけば、僕はまったく濁りのない純粋な叫びをあげ続けていて、暗転——とても長い時間か、一瞬。僕は呼吸を荒くしていて、どれくらいか気を失っていたはずだが、高揚感は一向に治まりそうもない。持続している。雷鳴。風雨。暗闇。煙の匂い。ざぁーーっと雨の音が突然耳に飛び込んでくる。ドアが開いたわけじゃない。自分が助かっていることに気づくが、それは、たぶん……。運転席の男は、ハンドルを覆うような体勢で、いて、その男を、僕は長い時間、目に入れていなかったような錯覚、それから恐怖心。なにが、どうなったんだ?……

 

実際、なにがどうなったんだろう。僕は、語り終えてから読み返したくなったが、即興で彼に話して聞かせているわけだからそれができない。続けるだけだ。

 

「ところでさっきホラーにしたいと言ってたけど、どうして?」

 

「それくらいばかばかしくなきゃ物語なんて語れないよ。モンスターの登場する必然性ってやつは、舞台となる現実がリアルに語れているかどうかの批評、そのものでもあるんだ。失敗してりゃ、速攻ギャグになってしまうだろ。まあそのバッドテイストな路線も好きだけど」

 

「じゃあきみの物語にはこれからモンスターが具体的に登場するのか。楽しみになってきた」

 

僕が途切れ途切れに語りだした物語は彼の関心を惹くことに成功。しかし、この物語は「起承転結」でいえば「起」に当たる部分ですらない。登場人物二人の会話には幾らかのキーワードがなきにしもあらずだが、今はただ最初のアクションと呼べるものが起こっただけだ。僕は、少し時間稼ぎがしたかったので前々から聞きたかったことを彼に聞いてみる。例えばさっきの四肢切断の話だが、どうしてきみはそういうものに興味があるんだ? まず僕の考えを先に述べるよ。きみは強い刺激を求めて生きているんだ。でも、だからといってきみが安全圏から両脚ともにでているようには見えない。いや、もちろん、きみの私生活を把握してるわけじゃないから確信は持てないよ。でも、ひとまずこのラインで話を進める。で、きみは二次元の快楽を探してるんだ。

 

「ちょっと待って。なにそれ? というと思った?

 

彼は飲み干した缶コーヒーにさっき吸い始めたばかりのタバコの灰を落とし、一瞬僕と視線をあわす。雨の強さが次第に増してきている。オフィス街の明かりはまだ強い。僕は時計を覗き込む。同時に一陣の風が吹いて僕の前髪を揺らす。と、大型の車が一台前を横切り、暗い水たまりをはねながら去っていく。

 

「人々は抽象的な興奮を濾過するのが得意だ。人々ははじめは抽象世界に住んでるんだ。そして言葉を知れば知るほど人々は狂っていくんだ。その狂った領域に不用意に入ってくるもんじゃない。狂気と向かいあうためにはそれ以上の狂った言葉が必要だ。だから、おれは四肢切断の話を聞いて興奮するんだよ。じゃあ会いにいこうか。だけど出会ったそいつは、確かに膝から下がなかったが、と同時に抽象的だったんだよ。しかも、そいつはわりと普通のやつで、要するに抽象からほとんど抜けだしてない存在だったんだ。そうだ、今度切るところを見せてくれる人を紹介してほしい。で、見たら痛いだろう。痛みは抽象的だ。ただそれだけ。おれはもういいよって言ったんだ。これはおれの作り話だ」

 

「寓話かよ」と僕は言う。「きみはセックスも嫌いだったね、そういえば」

 

「強い刺激を求めて生きている。それは確かだよ。蚊帳の外で満足してるわけじゃないんだ。もしスプリットタンをしてきたやつが語り始めて、その決行理由が存在のためだったなんて言おうものなら、そいつのことはもうどうでもよくなるね。二手に切れた舌がきみの表現なんだねってだけだ。だっておれはそれをしたくないんだから。関心の持ちようがないよ。でも、その舌が本来の自らの姿なんだって言われたら、少しは会話も成り立つ——おれだって、本来の姿になりたいんだ。方向性が違おうが。——憧れじゃないんだね。自分に素直になろうとしたらそうなったんだ。素敵じゃん。そうあるべきだ」

 

僕は聞きながらもさっきの寓話を気にしていて、あれは小説という物語にならなかったのだろうかと、そのような問いを考える。初めてのレジのとき、例えばだよ、目の前に客がいると想像して対応してみなさい、って感じでやってみる、その瞬間は架空内だ。例えばだよ、ややこしい客がきて今から言うようなことを怒鳴ってきたらどうする? と、しばらく架空が続いたらどうだ。彼の言い方を借りようか。架空というのは僕にとって刺激? 似ているのは確かだ——それがないと生きられないくらい大切なんだから。僕は分かってる。僕は、雷がくるのをじっと待ってるんだ。鉄塔の麓だが、僕らは真下にいるわけじゃない。雷に打たれて死ぬなんて、彼にしてみれば抽象に巻き込まれて死ぬ、そういった単なる無駄死にでしかないはずだ。ただ、それが起こりうるかもしれない場所で、結局は無事に強い衝撃でからだのオーガズムに飲み込まれ勃起し果てたい。ビビったときに小便を漏らすようなやつは馬鹿だ。そういうときこそあの白い精液を漏らすべきだ。それ以外でイくなんて馬鹿げてる。目前の雷のような刺激を崇拝しているわけじゃないよ。僕が言いたいのはイくなんて馬鹿げてるってこと。

 

「きみの物語はどうなったんだ?」

 

僕はまだ彼のことを飲み込めていない。強い刺激。もっと強い刺激。二次元の快楽。三次元こそ抽象。僕たちは抽象世界で生きている。曖昧で、霧のような。僕たちは今、二十世紀希有の具象画家フランシス・ベーコンが好きだったあの頃、高校時代の友達同士の関係みたく、静かに語らってるんだ。語りは小説だろうか。例えば、近代小説ではよく何人かでの食事風景が現れる。——私はこう思いますね。ちょっと待ておれは反対だ。あたた方の意見はとても面白いですが仮にこう考えてみたらどうです? 黙って聞く主人公の登場。きみは、いつも突飛な発想を思いつくな、いや面白い。私、思ったんですけれど、こういうのはどうですか?——この議論のざわめきのなかにいた主人公は、やがて、その空間から自らの道を歩みだすこと、それ自体が物語を形成する。ひっそりと点灯する街灯。落ちるタバコの灰。ずっと遠くの空が一瞬光ったように感じる。だが雷鳴は幾ら待っても聞こえてこない。その主人公はかすんだ空に差す月光の明かりに視線をやってふと立ち止まる。その月は、きっと満月だ。その主人公はフラストレーションを抱えて生きている。

 

翌晩、恋人と散歩をしながらその主人公は森の木々に目をやり、彼女の繊細な腕に目をやり、ぼくはきみのその腕を切りとって抱きかかえて眠りたいんだ、と思う。昨晩の哲学めいた大人たちの会話は実は、性生活の理想的なあり方について述べられていたのだ。そこでこの主人公が言葉を発せなかったのは、僕の妄想が論外極まりないと一蹴りされるだろうと確信していたからで、隣を歩く恋人にも当然言うことはできない。嫌われたくなかったから。ねぇ、きみの腕、欲しいな。口が裂けても言えないのはきっと、きみの腕が欲しいのは愛ではなく美から生じているからなんだ。およそただの性倒錯。だけどこの主人公はそういった専門用語めいた言葉をまだ知らない。ただ怯えて、歩きながら、じっと黙り込んでいる。美しい空だわ、と恋人が透き通った声で口にする。主人公は風の流れる夜空を見上げながら昨晩のざわめきのことをときおり思いだす。ぼくも大人になったら、あの会話に参加することができるのかな。やがて真夜中——

 

「ところで」と僕は彼に尋ねる。「せっかくの雨宿りだ。物語るのもいいけれど、きみの話も聞きたいな。確かきみは五年ほど前に極めてセンセーショナルなショップを開いていたよね?」

 

「なんだよ、急に。まああれはロンドンにいたときに奇妙なある人物と出会ったところから始まったんだ。それは必然に近い偶然だった。おれは身体改造に興味があったからロンドンの住まわせてもらっていた友人に、ここではそういう会合やなんかはないのかなって聞いたんだ。そいつは、心当たりはあるけれど紹介できるかどうかは分からない、と言ってきたのでおれは左腕の長袖をまくってみせた。左手全体に繊細なタトゥーをびっしり施していたからだ。デザインは、その才能に惚れ込んでいた日本人の友人でかつアーティストの男にしてもらった。今見せるよ。これだ。——で、ロンドンの友人はすぐに納得して、連絡してみよう、と言った。翌日には身体改造の小さなコミュニティーの参加が決まった。それでさっき言っていたある人物に出会ったわけだ。その男は、全身くまなくピアッシングで溢れていたが、それとはまた別の欲望を持っていて、なおかつ、アーティストだった。それが限りなく皮膚に近い第二の皮膚だ。彼は、人間の持つ肌の再現に取り組んでいた医学生だった。そして、それをまといたい欲求を持っていて、更には腕だけのオブジェなども制作していた。ここがポイントだ。ロンドンにいる間、おれは頻繁に彼と会うようになっていて、皮膚をまとうフェティシズムにすっかり魅了されてしまっていた。夜は、自らの腕に皮膚をまとい、女の脚だけのオブジェを一本抱いて眠るときもあった。もう一つの偶然は、帰国後にこの腕のタトゥーデザインを施した男がピアッサーの友人たちとショップを開きたいと言ってきたことだった。それでおれはぜひ開業に参加させてくれ、おもしろいものを輸入したいんだ、と言った。かいつまんでいえばこれが始まりだ。タイミングがよかったんだろう、このショップは一気に知名度を持った。雑誌やなんかのインタビューを受けたこともある。二度ほどロンドンのアーティストの来日を世話したりもした。今も交流は続いてるがいっときの高揚感は治まって安定した感じだ。すべては出会いとタイミング。おれが何者かであるわけじゃない。タトゥーはプライベートな自己表現だ。メディアを介して何者かになろうと思ったこともなかった」

 

「これまでにもちらちら聞いてたけど、まとめて聞いたのは初めてだ。ありがとう」と僕は言い、それから思ったのは、寓話に続き今度は回想か、ということだ。今の僕にはまったく分からないのだが、ただ漠然と根拠も見えずに思うのは、彼が小説的人間ではないってことだ。なぜそう思うんだろう。空はいよいよ本降りになってきて遠くの空ではひっきりなしに光り始めていて、僕の物語は一向にプロローグのままだというのにまるで現実の方ではクライマックスが近づいてきているようだ。おまけに、まさに今、向こうのオフィス街の明かりが消え始めてきたんだ。携帯をとりだし時刻を確認したけれど、停電ではなさそうだ。僕は、「雷を待つのは終わりだ」と言って、彼にタクシーを探すことを促す。それは、信じがたい展開のように思うかもしれないけれど、実はとても筋の通った話だ。ここで一章が終了する。

2023年11月19日公開

作品集『Hell If I Know』第1話 (全2話)

© 2023 W-E aka _underline

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