小僧のザリガニ

いい曲だけど名前は知らない(第7話)

高橋文樹

小説

5,285文字

「夏の実話」をテーマにした、第二回SS合評のための掌編。幼かった私は公園で話しかけてきた年かさの男の子たちに連れられ、ザリガニの漁場を目指すが、あるトラブルに巻き込まれる。四歳か五歳の頃の記憶。タイトルおよび構成は志賀直哉「小僧の神様」を意識した。

ひょうたん池よりもいい場所を教えてやる——年嵩としかさの男の子にそう言われると、スルメを垂れた釣り糸がピンと張る時の甘やかな重みが私の手に戻ってくるようだった。私と友人のTはその日、東大グラウンド——のちに知ったのだが、東大ではそこを検見川運動場と呼んでいた——のひょうたん池に行くはずで、大人を伴わない初めての釣りだった。プラスチックの青いバケツと、上州屋で買ってもらった一二八〇円の釣竿と、虫カゴが私たちの装備だった。年嵩の男の子は、力一杯漕いだブランコの高みから私達のフル装備を見下ろし、言った。

「そんなんじゃ、釣れないよ」

私は、そしておそらくTは、恥ずかしいような気持ちになった。このお兄さんは、おそらく本当のザリガニ釣りに必要な装備を知っているようだった。

「俺がもっといい竿、貸してやるからさ、おいでよ」

その言葉を聞いたとたん、父が買ってくれた釣竿が急に頼りないものに見え始めた。私は一緒に公園に来ていた姉に釣り具を託すと、それを持って帰ってくれるよう頼んだ。姉はさらに一緒に来ていた近所の女の子たちの方へ走り、釣り具をベンチへ置いた。私はついて来る気配がないことを確認して安心した。なぜなら、女は必要ないからだ。

Tは不安げな表情をしていたが、その不安が私をなおさら意固地にさせた。私が強く誘うと、Tはついて来ることになった。Tは私に逆らうことがなかった。

年かさの男の子は二人いて、一人はとても背が高かった。いま思い返すとそんなはずはないのだが、私の背が彼の腰ぐらいまでしかないような気がした。もう一人の帽子をかぶった少年は、おそらく長身の少年の子分だった。二人とも小学生で、もしかしたらもっと大きいのかも知れなかった。私は長身の少年を自分に、帽子の少年をTになぞらえた。学ぶべき大人の見本がそこにはあって、私はまだ小学校にも入っていなかった。

ザリガニの漁場は花見川沿いにあるらしかった。私とTが行こうとしていたひょうたん池のある東大グラウンドのもっと向こう側だ。私の家から東大グラウンドへは歩いて五分の距離だったが、まだ五歳だか四歳だかの私が外周二キロはあるグラウンドの向こう側へ行くことは稀で、その先さらに五〇〇メートルは離れている花見川沿いへ一人で行ったことはなかった。私の親は暗くなった花見川沿いに人さらいが出るということをよく言っていた。

少年たちは川にかかる橋のたもとで道を折れた。そこはサイクリングロードになっていて、自転車が三台も横に並べばもう一杯になってしまう道だった。左手は川、右手はうっそうとしげった竹林になっていた。時折、看板が掲げてあり、ナマズの絵や溺れる子供の絵が書いてあった。下水が流れ込む土管からは洗剤が白い泡を立てていた。以前、Tの父親に連れられて行ったハゼ釣りで見た川とはまったく違う恐ろしげな匂いが、まだ陽の高いうちから漂っていた。

自信ありげに先を進む二人の少年についていくために私は必死に歩いた。少し太っていて、運動神経の悪いTを見たが、彼もまた同じ必死さで歩を進めていた。Tはいつも白いランニングを着ていて、水筒をかけた肩が赤く擦れていた。私は彼が水筒を持っていることがひどくバカに思えた。こんなに歩かなければいけない日に、ママのいうことを聞いて荷物になる水筒を持ってくるなんて。私は自分がけしてTよりも後ろを歩くことがないようにペースを調整した。Tは息を荒げながら、必死に置いていかれまいとしているようだった。

一キロは歩いたところだったろうか。いままで来たことがないほど遠くへ来た。少年たちは「休もうぜ」と提案した。そこは二本目の橋のたもとで、水門のような施設があり、その脇に砂利の駐車場があった。車が三台停まっていて、そのうち一台はパンクをしているらしく、右肩が下がっていた。私は先に座ったTの隣に腰を下ろし、水筒の麦茶を分けてもらった。Tよりも後に飲むと汚いと思い、彼よりも先に飲んだ。Tは特に逆らわなかった。

「あとどれぐらい?」

2015年9月1日公開

作品集『いい曲だけど名前は知らない』第7話 (全10話)

いい曲だけど名前は知らない

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© 2015 高橋文樹

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