文脈の中で私達は無力である

メタメタな時代の曖昧な私の文学(第10話)

高橋文樹

エセー

3,514文字

テキストはある文脈の中に位置づけて読まれる。ただし、文脈は広がりつつある。人々がスマートフォンを持つことで、位置情報を元にしたマーケティングが可能になったように、IT界の巨人達はより強い属性を求めて支配可能なコンテキストを広めている。そんな世界で私達のテキストは無力である。

クリストファー・ノーランがアメコミを元にして制作した映画『ダークナイト』では、バットマンが宿敵ジョーカーにある選択を迫られる。愛しい幼なじみであるレイチェルを救うか、それともゴッサムシティの作られた英雄ハービー・デントを救うか? この選択はストーリ上重要な選択であるため、ここでは明かさない。が、パロディビデオについてならネタバレしてしまっても非難されることはないだろう。

そのパロディビデオでは、選択を迫られたバットマンがレイチェルを助けに行くため、iPhoneのマップを起動する。ただ、マップは次々と間違った道を示し続け、ついに辿り着いた目的地で待っているのは見知らぬホームレスである。呆然とするバットマンのはるか後ろで、レイチェルにしかけられた爆弾が炎を上げる。バットマンのヴォイスチェンジャーを表現するためにドスの利いたアテレコをしているのが傑作だ。

このビデオはAppleが満を持してリリースしたiPhoneのマップ機能に関する不満を表明した一連のビデオの一つである。iPhoneのマップはそれまでGoogle Mapを利用していたのだが、突如OpenStreetMapという別の地図データを元にした自作の地図アプリケーションを採用した。多くのユーザーはその質の低さに不満を持ち、Appleの天下は終わったと嘆いた。

巨人が求めた携帯電話の外のコンテキスト

これまで6年に渡って運営されているGoogle Mapの質は高いが、単なる地形データという点に関しては、OpenStreetMapも負けてはいない。異なるのは地図上に配置されたデータとその提供方法である。地図は現実の世界を元に作られるため、メンテナンスが必要だ。駅やお店のようなランドマークは場所が変わることもあるし、営業時間のようなデータも一緒に取れた方がよいだろう。半径1km以内のラーメン屋を検索し、辿り着いた結果その店がすでに閉店していたとわかったら、あなたはマップの質が低いと感じるはずだ。その象徴が「パチンコガンダム駅」である。iPhoneのマップはパチンコ屋を駅として表示した結果、iPhoneユーザー達を苦笑させ、ライバルであるAndroidのスマートフォンを使うユーザーを狂喜乱舞させた。Google Mapの質の高さとはまさにこのようなことが起きないよう蓄積された情報量であり、6年の歳月はだてではないのだ。

AppleにとってGoogleは競合する部分もあるが、場合によってはお互いに協力しあっている。iPhoneユーザーが利用するGoogle検索の広告収入はGoogleに入るし、これまでのiPhoneも質の高いGoogle Mapを利用できていた。だが、それでもなお、Appleが自前のマップを欲しがるのには理由があったということを分析する専門家もいる。

今まで画面の中で「お金を発生させる」といえば、広告で取るかバーチャルコンテンツで取るか、通販か。でも、スマホの地図は人を特定の場所に直接連れて行けるので、その店から直接お金を取れるわけですよ。それは広告の形かもしれないし、レベニューシェアかもしれない。いろんなやり方がありますが。

西田宗千佳「千地図アプリは“スマホの金脈”だった、AppleがGoogleに対抗した理由を探る」

携帯電話にはパソコンにない「文脈」がある。人は携帯電話を操作しながら移動する。トイレの中でMacを開くことはないが、iPhoneを操作することはよくある。PCは家族全員が使うが、携帯電話は特定の人が使い続ける。Appleがユーザーの不満や新しいマップの開発費という高いコストを支払ったのは、画面の外の文脈を買うためだったといえる。

テキストの外側にあるコンテキスト

さて、翻って私達のテキストである。テキストそれ自体には文脈があるが、私がここで呼ぶ文脈とはそのテキスト全体が位置づけられている文脈のことである。後者のことはあえてコンテキストと呼ぶことにしよう。

このコンテキストにはどのようなものがあるのか、潜在的な読者「彼」を少し想像してみよう。たとえば、彼はあなたのテキストについて好意的な書評が新聞に載っているのを目にする。これも一つのコンテキストである。また、あなたにはTwitterのフォロワーが2万人いて、彼はあなたのフォロワーである。これもコンテキストだ。彼は村上春樹が嫌いだ。彼は極度の近眼である。彼は引越したばかりだ。彼はタイに出張中である。彼はまだ中学生である。彼には恋人がいない。彼の親は金持ちである。彼は今、急いでいる。あなたのテキストをあなたが書いたということを彼は知っている。これらもすべてコンテキストであり、あなたのテキストはコンテキストと無縁ではいられない。

インターネットにおいて、こうしたコンテキストのうち「属性」として数値化できるものは積極的に収集されている。i-modeが全盛期だった頃、ちょっとした占いアプリを作って利用させるだけで、その携帯電話の持ち主の生年月日や性別を取得することができた。これだけでコホート分析の材料として十分である。そうした属性を知らない企業は知っている企業から購入しているし、のどから手が出るほど欲しい情報だ。現状、電子書籍のサービスの質が高いと感じられないのは、こうした「属性」情報を持とうとしていないか、うまく利用できていないか、そのどちらかあるいは両方が原因である。

コンテキストとは部族の宗教である

マーシャル・マクルーハンの予言通り、人間は再部族化しつつあり、インターネットはそれを補強する。私達は属性の入力を求められ、それを自然なこととして受け入れている。Twitterでは「クラスタ」という統計用語が使われているが、これを部族トライブと言い換えてもなんら不自然ではない。「2ちゃんねら」は「2ちゃんねる族」であり、「ニコ中」は「ニコニコ動画族」である。利用者の中にはそれを自意識として引き受けている者もいる。ベネディクト・アンダーソンが指摘した国民意識が生まれたように。

こうした「コンテキストから抽出された属性による部族化」の好例といえるのが、小説『カゲロウデイズ』のヒットである。これはニコニコ動画に投稿された初音ミクの曲の世界観を表出されるために書かれた「ボカロ小説」だが、2012年末時点で50万部を超えるヒットとなった。ただし、普段からニコニコ動画を利用していない非ニコニコ族にはわけのわからない小説が突然売れたという印象だろう。私は未読だが、非ニコニコ族が読んだら「強力な部族の聖書を読んだが、わけのわからないことが書いてあった」となるのではないか、と思っている。

他にもコミケにおける二次創作エロ同人誌などは適切なコンテキストに配置されており、例えば「涼宮ハルヒがデレてキョンとセックスする」というエロ同人誌の表現は原作の設定(ハルヒはツンであり、キョンに対して恋心を抱いているが、それは表明していない)によって補完される。より詳しくは宇野常寛『ゼロ年代の想像力』を参照されたい。

こうした異なる部族に対してコンテキスト無視のテキストを届ける行為は、異教徒に聖書を読ませるのと同じ困難を要する。

再編される希望のコンテキスト

上述したように、インターネットによって利用可能なコンテキストは徐々に明らかにされており、再部族化が進んでいる。さらに、AppleやGoogleといったIT業界の巨人達はより強度の高い属性を求めて様々なコンテキストを入手しようとしている——考えても見てほしい、ニコニコ動画を見る人間より、外食をする人間の方がずっと多いのだ。Appleが「クソマップ」の悪評を甘んじてまでほしかったコンテキストが地理情報である。

あなたのテキストはいつしかどこかの部族に迎え入れられ、列聖されるかもしれない。だが、そうでない場合、私達のテキストはとても無力だ。

一つだけ希望があるとすれば、技術の進展に伴い、あなたのテキストは適切なコンテキストに配置されるかもしれないことだ。あなたのテキストは旅先で30代の男性が珈琲を飲みながら読むと素晴らしいのかもしれない。そうしたことがこれから起きるかもしれない。ずっと遠い未来、もしかしたらあなたが死んだ後で。いまもって質が向上しないAppleのマップを見ていると、そう感じずにはいられない。

繰り返すが、部族の聖人になれなかった場合、私達のテキストは無力である。引き続き、この無力の源泉——そう、力の源泉ではなく、無力の源泉——について考えてみたい。

2013年3月25日公開

作品集『メタメタな時代の曖昧な私の文学』第10話 (全21話)

© 2013 高橋文樹

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