館長、感染させてくれてありがとう

メタメタな時代の曖昧な私の文学(第12話)

高橋文樹

エセー

4,905文字

バイラルメディアという新たなメディアが人目に触れることが多くなった。盗用スレスレの引用が平然と行われるインターネットという荒野で、創作者はどのような心構えをすべきか。

ジャレド・ダイアモンドが『銃・病原菌・鉄』において看破したのは、「人類の歴史は交流の歴史であり、東西の移動は南北の移動より楽だったから横長のユーラシア大陸がもっとも栄えた」という単純な事実だった。そう、人の行き来が盛んな場所は栄えるのだ。

交通および情報のインフラが強化された現在、世界は狭くなった。その結果、私は日本で品切れになり楽天でプレミア価格がついている人気のバックパックをアメリカの通販サイトから定価で入手できるし、中国人はカタコトの日本語で私にWebサイト制作の見積もり依頼メールを送って来たりする。Fedexが私の手元に送ってよこし、「払わないとどうなるのだろう」という素朴な好奇心からいまもまだそのままにしているアメリカ国税局発行の支払い調書こそ、人類の交流がどれほど進んだかについての証左と言えるだろう。

だが、交流は人々に脅威をもたらしもする。南米の原住民がスペインの軍隊によって壊滅的な被害を被ったのは、彼我の戦力差よりも病毒ウィルス(要するに風邪)の影響が大きかった。それはまさに『ハーメルンの笛吹き』だ。外部から訪れた客人まれびとは、美しい音色を奏でながら私達の子供を、未来を奪っていく。まるで、黒死病そのもののように。

現在でも私達はそうした病毒の脅威にさらされている。デング熱? 違う。エボラ出血熱? 何を言っているんだ。そうじゃない。私が言っている病毒とは、バイラルメディアのことだ。

病毒の目的はただ増えることにある

Viralバイラル Mediaメディアとは、文字通りVirusウィルスのように広がっていくメディアのことである。こうして破滅派というWebサイトを見ているあなたならば、一度は見たことがあるだろう。もう何度も見たことのある猫の動画がtwitterでRTされているところを。2ちゃんねるの「画像で吹いたら寝ろ」スレで何度も使い古されたGIF画像がFacebookで5,000いいねを獲得しているところを。

なぜこんなクソのような事態がおきるのか? それは、バイラルメディアの収益源が広告収入だからだ。

インターネットにおいて、広告の絶対的正義は露出機会の多さ(面積×時間×回数)であり、Googleの天才性は広告表現の本質を単純化したことにこそある。

あなたが自分のサイトにGoogleの広告を配置する場合、特に難しいことを考える必要はない。Googleの広告は――というより、いまほとんどの広告がそうなのだが――あなたが特定のサイトにアクセスして画面が表示されるまでの、コンマ数秒の間にセリにかけられる。表示される広告は出稿者達が提示した予算のうちもっとも単価の高いものだ。広告の内容は私がさっきまで見ていて結局は買わなかったPatagoniaのレインウェアかもしれないし、PHPプログラマ向けの高単価派遣かもしれないし、中学生の娘を犯そうとするエロ漫画の電子書籍かもしれない。なぜそうなるのか? 簡単な理由だ。リマーケティングと呼ばれる反復広告には一定の力があり、ブラウザに保存された閲覧履歴によって私の職業や年齢や得意な技術はGoogleにバレており、電子書籍で一番儲かるのはエロ漫画だから――要するにGoogleによって儲かる広告になるよう最適化されているから――だ。あなたがバイラルメディアの運営者であるならば、なすべきことはただ一つ。露出機会を増やすことだ。

では、シンプルに「露出機会を増やす」ということに特化するとしたとき、どのような戦略を取るべきか? バイラルメディアがとっている戦略は基本的に次のようなものだ。

コンテンツの盗用
当たり前だが、コンテンツを作るのは大変なのだ。Youtube動画やTwitterで出回っている画像、2ちゃんねるのコピペ改変話など、おそらく盗用しても問題になりにくいコンテンツがネタ元となる。「盗用ではなく引用である」というのがバイラルメディアの言い分であるが、「独自の主張」がほとんどないため、引用になるケースは稀である。
コンテンツの再利用
コンテンツは繰り返し利用される。屋根に飛び乗ろうとして無様に落ちる猫、飼い主との二年振りの再会に失神するほど喜ぶ犬、喃語でユーモラスに会話をする双生児。バイラルメディアはこれらの動画や画像、テキストが他のバイラルメディアによって利用されたからといって、自サイトでの掲載をやめたりしない。インターネットという島宇宙において、機会の増加は正義であり、よそが50,000のアクセスを稼いだのなら、同じコンテンツで20,000のアクセスを稼げばよいのだ。
扇情的なタイトル
我々はWebを見るとき、なんらかのインターフェースに向き合う。それはFacebookかもしれないし、twitterかもしれないし、Yahoo! ニュースかもしれない。いずれにせよ、限られたスペースにタイトルだけが表示されるのだ。それがスマートフォンとなれば、なおさらである。一瞬で「読んでみよう」と思わせなくてはならない。上記の「再利用」においてもタイトル付けは重要な差別化要因だ。その結果、扇情的なタイトルの記事が増えることになる。サムネイル(記事タイトルの横などにつける小さい画像)も重要だ。サムネイルの有無は記事のクリック率を左右する要因であることは統計的事実である。
感染の仕掛け
現在、FacebookをはじめとするSNSでは、「いいね!」という仕組みを用意しており、あなたがなにがしかの記事を見て「いいね!」ボタンを押した場合、そのコンテンツはあなたの友人に紹介されるようになっている。バイラルメディアはこうした仕組みを利用し、悪質なサイトでは「続きを読むにはいいね!をクリック」などと拡散を促す仕組みになっている。こうした仕組みに無頓着な友人がいる場合、あなたのタイムラインはひどいことになる。

これらの基本原則を貫いた結果、どのようなことが起きるか? あなたは大袈裟なタイトルのパクリコンテンツを何度も見る羽目になる。あなたがインターネットに触れている時間が長ければ長いほど、その怨嗟は強まっていることだろう。

キュレーターの功績

さて、バイラルメディアの鬱陶しさの原点は「広告収益を得ている」という点にあるのだが、仮にこうしたメディアが金銭を得ていなかったとしても、このもやもやとした気持ちは消えないだろう。そのコンテンツによって得られただろう賞賛や感動はあなたの手には入らないのだから。

インターネットにおいて、この種の剽窃は日常茶飯事だ。バイラルメディアというメディアの形式をとって目立ちはじめたのはつい最近だが、盗用すれすれのかっこつき「引用」は「キュレーション」と呼ばれた。当初は有名人がtwitterで紹介する行為のようなささやかなものが多かったが、Naverまとめやまとめブログのようにキュレーション、つまり何らかのコンテンツを紹介するためだけのプラットフォームが一気に広まっていったのだ。数多くのキュレーターが生まれ、彼らの多くは引用元も示さないままに無邪気にまとめを――彼らの病毒ウィルスを――拡散させていった。ちなみに、キュレーターとは元々図書館長や博物館長をさし、一連のブームが起きる前はアート展などの責任者をそう呼んでいた。

とはいえ、キュレーターにも言い分がないわけではないのだ。バイラルメディアやNaverまとめによって紹介されることではじめて読者を獲得するテキストもあるだろう。仮にあなたがそのコンテンツ(映像であれば画像であれテキストであれ)によって対価を得ていなくて、それがキュレーションによって人目に触れ、広告収入を生んだ場合を考えてみよう。その収益を受けとるのは誰なのか? コンテンツの作者? しかし、コンテンツそれ自体では1円の価値もなかったのだろう? 考えてもみたまえ。本を出版すると印税が10%弱入る。では、残りの90%はどこに消えていたのだ? あなたはそれについて抗議したか?

そもそもコンテンツビジネスというのは、コンテンツの作者にそれほど多くをもたらさない。『剽窃の弁明』という本では、出版がビジネスとして実りあるものになるにつれ、出版社が複製権の保護を訴えるようになったという。複製権とはコピーライトであり、確かに書店からすれば、どの印刷所が刷ったものであれ、『レ・ミゼラブル』ならば商売の種であることに変わりない。つまり、コピーライトとは、人類の高度な精神的発達によって生まれた作者保護の優しき絆ではなく、どこぞの法人がビジネス上必要だったからロビー活動によって手にした権利であると言えなくもないのだ。

ここで想像力を働かせてみよう。あなたのコンテンツをほとんど盗用して有名になったキュレーターがいたとする。そのとき、あなたは彼の元に行き、抗議する。

「あなたは私のコンテンツを盗んで得た富を私に返すべきだ」

そのキュレーターはカッシーナの白いソファにでも腰をかけて、こう答えるだろう。

「私がキュレーションを行うまで、あなたのコンテンツの価値は0円だった。それを私は自分の努力で富に変えたのだ。あなたは1円も得なかったかもしれないが、多くの読者を獲得しただろう」

どうだろう、想像しただけで地団駄を踏みたくならないだろうか。悔しいのう。辛いのう。しかし、ビジネス的な観点からは、このキュレーターがそれほど間違っているわけではない。ビジネスを創造したのは彼であり、作者ではないのだから。ここで、私は前掲書『剽窃の弁明』からうってつけの言葉を引用しよう。

剽窃を成功させるためには剽窃するだけでよいなどとだれが言ったのか? めくら滅法に木を拾ってくればヴァイオリンになるとでもいうのだろうか?

ジャン=リュック・エニグ著・尾河直哉訳『剽窃の弁明』現代思潮新社, 2002年, p.111

私達は弱肉強食の恐ろしい時代にどうすればよいのだろうか。まずは「コンテンツの対価はその作者が得るべき」という素朴な思い違いを改めよう。なんらかのコンテンツに金額がついた場合、それはビジネスとなる。そこであなたがお金を得られるかどうかは、あなたのビジネスマンとしての手腕にかかっている。あなたの創造的天才性に、ではない。

私達はいつか言うことになるだろう、「盗んでくれてありがとう」と。私達よりももっと後の世代では、そのときに一抹の屈辱も覚えないかもしれない。いや、ほんとうだ。私は冗談を言っているのではない。もしかしたら、あなたはいま「有名になってから自分の権利を主張し、利益を最大化しよう」と思っているのかもしれない。出版社が複製権を主張した前例にのっとれば、それは可能だ。だが、その前例は数百年も前のことだ。あなたの前にはあなたよりも有名になりたいがためにすべてをかなぐり捨てる別の作者が立ちはだかるかもしれないことを忘れるべきではない。いつか、あなたは私が正しかったと思うだろう。そう遠くない未来に。

こぼれ話

バイラルメディアという呼び名はウィルスのような広まり方に語源を持つ。したがって、私は病気の話でこの記事を締めくくろうと思う。

アフリカからインドにかけて広く存在する、鎌状赤血球症という遺伝型の病気がある。本来ならば赤血球は楕円形をしているが、この病気の患者の赤血球は三日月のような形になってしまうのだ。この場合、重度の貧血症を併発し、多くは成人するまで生きることができない。

この病気には人類の進化において適応的な意味がある。この病気は劣性遺伝なのだが、ヘテロ保因者、つまり片方の染色体にだけこの遺伝子を持つ人間は、鎌状赤血球症にならないどころか、マラリアへの耐性を持つ。その結果、熱帯地域を中心にしてこの遺伝子が現在に至るまで脈々と受け継がれているのだ。いま私達を悩ませ、苛立たせるバイラルメディアだが、それに適応し生き残る種が必ずいることだろう。

もっとも、私やあなたがその種だとは限らないのが困ったところなのだが。

2014年9月12日公開

作品集『メタメタな時代の曖昧な私の文学』第12話 (全21話)

© 2014 高橋文樹

読み終えたらレビューしてください

リストに追加する

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 短編集として公開したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

あなたの反応

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

作品の知性

作品の完成度

作品の構成

作品から得た感情

作品を読んで

作者の印象


この作品にはまだレビューがありません。ぜひレビューを残してください。

破滅チャートとは

この機能は廃止予定です。

タグ

この投稿にはまだ誰もタグをつけていません。ぜひ最初のタグをつけてください!

タグをつける

タグ付け機能は会員限定です。ログインまたは新規登録をしてください。

作者がつけたタグ

テクノロジー

"館長、感染させてくれてありがとう"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る