売っていない本の中身と永遠に出てこない見積もり

メタメタな時代の曖昧な私の文学(第6話)

高橋文樹

エセー

4,548文字

電子書籍という言葉が喧伝され、なにか本よりも安いものが流通するのではないかと期待されたがそうはなっていない。これは端的にいってテキストに値段はつかないからだ。私達は今、19世紀のお針子たちのように、値段のわからないモノの前で怯えている。

「芥川龍之介のブロマイド」という言葉を聞いてあなたはなにを思い浮かべるだろうか。顎に手を添えたボサボサ頭の細い顎が頭に浮かんだのならば、それが正解だ。あの芥川のもっとも有名な写真こそ、まさに「ブロマイド」と呼ばれるにふさわしい。そう、原宿のジャニーズショップでまだ売られているだろう「ブロマイド」とあの写真は同じものなのだ。

猪瀬直樹はある講演の中で芥川がなぜあんなに格好をつけた写真を撮ったのかについて解説している——芥川は大正期の作家だが、当時は雑誌や新聞といったメディアビジネス勃興の時代であった、『金色夜叉』のお宮が貫一に下駄蹴りを食らわされる原因となった金剛石ダイアモンドの指輪を送った男のモデルは博報堂創業者の息子と言われている、「成金の息子」の象徴が広告代理店の息子だった、メディアにおける有力なコンテンツの一つであった小説の書き手たちはある種アイドルでなくてはならなかった、だからこそ芥川は小説を書くだけの役職として毎日新聞に入社し、「格好つけたブロマイド」を撮らなければならなかった——なるほど、うなずける話だ。そういえば芥川に憧れる側だった太宰治は、自分の写真写りの悪さに絶望して心中を図っている(花藤)。

芥川を芥川たらしめていたのは、他でもないメディアの存在だった——というのはいささか乱暴だろうが、少なくとも、芥川龍之介は自分の書いた文学作品で生計を立てた特徴的な時代的存在だったことは間違いない。彼よりも上の世代に属する夏目漱石は大学教師であり、森鷗外は軍医だった。芥川が江戸時代のコンテンツ製作者だった滝沢馬琴を題材に『戯作三昧』を書いたのも、気まぐれなどではないだろう。売文という行為の闇の中で先達にすがったというのが正直なところではないだろうか。

芥川の書いた文章が売れたのは——というよりは、端的に芥川が文書を書く対価として金銭を受け取っていたのは、出版というビジネスモデルの枝葉に過ぎないのだ。

本の中身などどこにも売っていない

さて、時代は翻って現代である。電子書籍と紙の書籍について様々な議論が繰り広げられているが、その中の一つとして「電子書籍は印刷代や流通コストがかからないのだから、紙の書籍よりも安くできる」という意見がある。なるほど、これはもっともらしい意見だ。

  1. 紙の書籍の代金 = 紙代 + 印刷代 + 流通コスト + 宣伝広告費 + 本の中身
  2. 電子書籍の代金 = 製作コスト + 配信コスト + 宣伝広告費 + 本の中身
  3. 製作コスト + 配信コスト < 紙代 + 印刷代 + 流通コスト
  4. 電子書籍の方が紙の書籍よりも安い QED

確かに言われてみるとそんな気もする。では、電子書籍がいくらだったら納得できるのだろうか。500円の文庫が電子書籍で200円だったら許せるのだろうか。いやいや、100円? でも、それだったらブックオフの100円コーナーで買っても大して変わらない。もう一声! 50円? そんな端金は無料と一緒だ、もう無料でいいだろう……いやいや、こちらは読んでやっているんだ、ポイントをよこせ! え? こっちが払うのかい? 無料で本を読ませてあげているのに? 当たり前だ、こっちは貴重な時間を使って読んでやっているんだ……

結局のところ、本の中身がいくらなのかということはよくわからない。インターネット上を流通するテキストのほとんどは無料だが、書店で売っているほとんどのテキストは有料であるというこの現状は、テキストそれ自体の値段がいくらなのかという問いの回答にはなりえない。私やあなたが本を買っていたのは、本の中身に対する正当な対価がその値段だったからではない。なぜかはよくわからないが、その値段で売られていたからその対価を払ったのだ。事実、あなたはそうしたことに思い当たるはずだ。定価で買った新刊書よりも古書店の前で配られていた無料の本の方が面白かったということが。

私たちはテキストを買ったことなどない

ピーター・F・ドラッカーは「ホームセンターにドリルを買いにくる人はドリルを買いにきているのではない、木に開ける3mmの穴を買いにきているのだ」というようなことを言っている 。また、「ハーレーダビットソンはバイクを売っているのではない、週末のワイルドな生活を売っているのだ」というようなことを、ドラッカーではないが、似たような人が言っている。いや、それどころか、私はもっと想像力を発揮して、このように言うことができるだろう。「ホームセンターにドリルを買いにくる人は、パパはなんでも作れるんだ!という子供たちからの尊敬を買いにきている」「ハーレーダビットソンは62歳の男が定年退職して社会からお役御免されことを覆い隠すためのベールを売っているのだ」などなど、幾らでも思いつく。本当に、人が金を払う理由は幾らでもある。

さて、書籍の話に戻ろう。本を買うときの「私はこの本の中身に対して金を払っている」という素朴な思い違いについてだ。

ウンベルト・エーコのような稀覯本を買い集めている愛書家ではなく、ごく一般的な古典愛好者を想像していただきたい。その人は岩波文庫のような古典を愛読している。岩波文庫を片っ端から揃え、本棚が赤・青・黄・緑・鼠色に染まっていくのを楽しみにしている。『戦争と平和』を一念発起して五巻一気買いしたが、読んでいない。はじめは読まなくてはならないと息巻いていたが、いまでは読まなくてもいいのではないかと思い始めている。なぜなら、『戦争と平和』は素晴らしいに決まっているからだ。読むまでもないとさえ思う。今はそれよりも、赤帯のロシア文学の数がイギリスやフランスに比べて少ないことが気になっている。

この人は何を買っているのだろうか。知識や教養や歴史を買っているのだろうか。岩波文庫への信仰を買っているのだろうか。それとも、若かりし頃、思いを遂げられなかった岩波文庫好きの図書委員への追想を買っているのだろうか。正直なところ、そんなことはどうでもよろしい。いやいやそんなことはない、とあなたは思うかもしれない——私は本の中身こそが本の精髄だと思っており、本の中身だけがテキストファイルとして売っていても書籍代から印刷費と流通費を引いただけの額を支払うつもりだ——あなたのその気持ちは否定しない。だが、あなたが買っているのは「文化的なコンテンツに対して対価を支払う自分」ではないだろうか。結局のところ、本の中身を買っている人など存在しない。なぜなら、本の中身はどこにも売っていないからだ。

本の中身の見積もりなど永遠に出てこない

私達は300円〜700円程度の文庫本を買い、それがおもしろかったりつまらなかったりすることを受け入れているが、実体のない(ように思える)電子的なテキストに数百円払うことを割高だと感じ、出版社が印刷された書籍と電子書籍を同額で売るのをおかしいと感じる。では、幾らだったらいいのか? 私達は決められない。いや、決めることはできるが、大変億劫である。電子的なテキストを買うということは、書店にいってレジで金を払うことや、Amazonでレジに進みクレジットカード番号を入力することとはわけが違う。最終的に自分の所有するのもがあのごてごてした紙製のなにかではないというのは決定的だ。

一般的な商取引においては、これから買うものが幾らなのかについて見積もりを取ることができる。丁寧な業者であれば、その内訳も書いてくれる。だが、およそ電子的なテキストについてそのようなことはありえない。というのも、人類始まって以来、情報そのものを買っていたことなどないのだから。

そもそも、本の価格がおおよそ決まっていたというのは、消費者にとって幸福な一時代だった。19世紀末にパリに登場した百貨店ギャルリー・ラファイエットは定価販売によって多くの人々を魅了した。それまでパリ市民にとって買い物とは、商人、つまり優位に立とうとする専門家との交渉であり、ストレスの多いものだった。それがショーウィンドウと定価販売によってストレスから解放され、エンターテイメントとなった。定価販売でなければ、安く買うことができる喜びも存在しない。

いま、電子的なテキストの値段がよくわからないという状況は買い物史における前近代である。私達は19世紀のお針子と同じだ。薄暗い反物屋の奥から取り出してきた布を「とっておきのレース編がついているだろう、他では手に入らない」と言われ、そうなのかしら、と不安に思いながら自分の給金を遥かに超える額に怯えながら購入の決断をしなければならない。私達にはその額が適正なのか、よくわからない。この状況は長く続くだろう。本の中身の値段が永遠にわからない以上、それ以外の部分で値段を決めてもらうしかない。

あなたのテキストに値段はつかない

さて、本の中身の値段はないとして、電子的なテキストの何に値段がつくのだろうか。幸い、いまこの時点において、幾つかの典型が表れているので、それを紹介しよう。

無料

繰り返しになるが、インターネット上を流通するほとんどの電子的なテキストは無料である。そのほとんどは単に価値がないので誰も金を払いたいと思わないだけなのだが、中には収益化に成功しているところもある。

  • 広告やポータルへのコンテンツ販売を組み合せたもの。話題特化型ニュースサイトなどに多い。
  • なんらかのプレミアム商品を組み合せたもの。ニコニコ動画は「アニメを無料放送してその人気が出たらDVDの売上が上がった」という例を報告している。

会費

これはプレミアムの一種であるが、継続的にコンテンツを提供する代わりに定額の会費を請求するものである。ホリエモンこと堀江隆文のメールマガジンが収監直前に1万人の会員を持っていること(1万人×840円×12ヶ月=年1億強)が話題になったが、有名人を中心にこの方式を選ぶ人も増えている。

また、ニコニコ動画が単月黒字化を達成したのは、月額500円のプレミアム会員(混雑時でも快適な閲覧+ストリーミング放送権)が増加したことによる。

書籍と同じかほとんど変わらない値段

これは出版社が紙の書籍という牙城が崩れることを恐れて同じ値段で出しているものであり、先述した公式に従えば「不当に高い買い物」にあたるのだが、ボーイズラブやレディースコミックといった女性向けポルノを中心に売上を伸ばしている。「所有していることがバレない」という紙の書籍にはない反所有性に対して値付けされているといっても良いだろう。

 

このように、幾つかの例はあるものの、総じて言えるのはテキストそのものに値段が払われているわけではないということだ。あくまで広義のサービスに対して金銭が支払われている。売っていない本の中身は買うことができない。あなたのテキストに値段はつかない。

あなたが自分のテキストの対価として金銭を得たかったら、テキスト自体の金額について悩むのは時間の無駄だ。とるべき対策は多くない。あなたのテキストにあったサービスを展開している場所を探すか、作るかのどちらかだ。

2012年5月18日公開

作品集『メタメタな時代の曖昧な私の文学』第6話 (全21話)

© 2012 高橋文樹

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