ラブレーが残した「ガルガンチュワとパンタグリュエル」と呼ばれる一連の作品はフランスにおけるルネッサンスの代表的な作品として文学史にその名を刻まれている。その名を知る人は少ないし、知っている人のほとんどは読んでいないだろう。内容をかいつまんで説明すると、巨人の親子の年代記である。父親ガルガンチュワは戦争に勝利を収めてユートピアを築き、息子ガルガンチュワは苦学を収めて諸国を漫遊する。およそ父子とはこのようなものだ。
さて、ラブレーの時代から500年後の現在、Webの世界でも巨人の親子が熾烈な戦いを繰り広げている。GoogleとFacebookだ。
関係の錬金術が好きなもの
Facebookは先だって上場を遂げ、驚異的な資本調達を遂げた。FacebookがGoogleに対して優勢であるという根拠として、「Facebook上のデータをGoogleは集めることができない」という点がある。FacebookはSNSであるため、あなたが見るFacebookのページと私が見るFacebookのページは異なる。Googleの放つクローラーはこのデータを集めることができない。Facebookは7億人と言われる登録ユーザー間のやりとりをじっくり分析し、広告を販売することができる。
FacebookはそもそもSNSであるため、徹底したメタデータ志向である。おそらくあなたと私が交わすメッセージの内容について、Facebookはまったく興味がない。Googleにとってほとんどすべてのテキストはゴミであるが、Facebookにとってはゴミでさえない。重要なのはあなたと私が交わすメッセージの頻度、長さ、そしてその感想といったメタデータである。人々の関係がわかっていれば、最適化はたやすい。実際、あなたのFacebookのページには、あなたと疎遠なフレンドの情報は出ないようになっている。
Facebookは現在、Open Graphという新機能の仕様を固め、各Webサイトの開発者に向けて使用を促している。これは各WebサイトなりサービスなりがFacebookに対してユーザーアクションを報告するような仕組みである。Takahashi Fumikiは破滅派で方舟謝肉祭(1)を読んだ——JaneはH&Mで1980円のカットソーを買った——TimはiTunesでQueenのAnother one bites a dustを聴いた——こうしたすべてを逐一報告せよ、さすればさらなるアクセスを与えてやろう——こうした「メタデータ徴税」こそが新時代の巨人が小人たちに求めていることであり、Googleに対する最大の脅威となっている。
それでも、父子は父子である
メタデータ志向の巨人Facebookに対して焦りを感じたGoogleはGoogle+というSNSを開始した。当初はFacebookの真似事を始めたのかと受け止められたが、どうやら違うようである。このエッセーを書いている2012年3月1日より、Googleはすべてのサービスの個人情報を統合することにしている。つまり、メールを使おうがカレンダーを使おうがそれらのデータはGoogleの提供するサービスすべてにおいて横断的に利用される。あなたは前時代のSF的な想像力を発揮して自分の個人情報が特定されることを恐れるだろうが、Googleはあなたがポルノ動画を検索していたからといって脅したりすることはない。単にポルノ動画を勧めてくるだけである。Googleが検索履歴や訪問サイトから年収・性別・年齢などを推定していることもごく一部で話題になっているが、これはGoogleなりのやり方でメタデータを推計しているだけの話だ。あなたは自分が思っていたよりもポルノ好きだったり、本当は低い年収を言い当てられて怒るかもしれないが、それはただの事実である。
こうしたGoogleのドブさらい的なやり方はFacebookが「いいね!」ボタンでメタデータを直接収集しているのと比べるとずいぶん遠回りなような気もするが、ゴミを大量に集めるのがGoogleのDNAだ。あなたが「9月2日に六本木でサンドイッチを食べた」とか、「既婚者の異性の友人とディナーの約束をしたが怖じ気づいていかなかった」とか、そうしたゴミのような情報もGoogleにとってはなんらかのデータである。ガルガンチュワが殺戮の限りを尽くしたように、ゴミを集め続けるのがGoogleの流儀だ。それがFacebookに敗れ去れる方法かどうかはわからない。
あなたは救われない、巨人ではないからだ
さて、長々と二人の巨人の戦いについて説明してきたが、問題はあなたのテキストである。どちらの巨人がこのメタデータ戦争に勝利を収めようが、あなたには迷惑な話である。Googleの社是が悪になってはならない
であることは有名だが、巨大であることは悪よりも度し難く迷惑なのである。ジャイナ教徒がいくら気を使っても虫を殺してしまうのと同じように。
メタデータを巡る戦いにおいて、「よい評判」は貨幣として機能する。「いいね!」をたくさん押されたコンテンツは多くの人の衆目にさらされ、「いいね!」を得る機会が多くなる。富める者がますます富める仕組みだ。あなたのテキストを多くの人が待ち望んでいるという状況でない限り、あなたが大量の「いいね!」を獲得することは難しい。
間違って巨人に踏みつぶされたりしないよう、あなたはある程度戦略的に振る舞う必要がある。良いメタデータを獲得するにはどうしたらよいか、という戦略である。これは二点の意味においてタフな戦いだ。まず一点は、このテキストがよいメタデータを獲得するにはどんなテキストであったらいいかを考えながら書くのがそもそも難しいということ。そして第二は、結果的に導き出される戦略がいまのところかなり身も蓋もないものである、ということだ。
多くの人が興味をもっていてなおかつ政治的・宗教的でない話題について小学校五年生ぐらいの語彙で7つ程度までの簡単な秘訣を紹介するようなテキストを書くことにやぶさかではないというのならば、戦略はきちんと用意されているし、巨人の力を借りることもできる。だがそうでない場合は少し時間が必要だ。いまできることと将来できるようになるであろうことをきちんとわきまえておく必要がある。インターネット時代の『ガルガンチュアとパンタグリュエル』はまだ二巻なのだから。
"父は殺戮の限りを尽くし、息子は本が読める"へのコメント 0件