方舟謝肉祭(24)

方舟謝肉祭(第24話)

高橋文樹

小説

5,019文字

宗おじさんは恐るべき禁忌を犯して生き残っていた……そして、「書き改め」を終えたFは、血のことに関する恐るべき秘密を明かす。壮大なスケールで描く海洋メタフィクション、ついに完結。

Epilogue……長い時代の葬式が始まる

 

二〇〇五年、十一月三日。小説の執筆が一段落つき、友人の結婚式が行われる麻布迎賓館へ向かおうとする僕を引き止めたのは、お祖母ちゃんの訃報だった。

以前に肋骨骨折と診断された部分が実は癌で、もう手のつけようがない有様だったという。執筆のさまたげになっては、と案じて、僕の母は教えてくれなかった。いよいよ危ないという時、母は僕に電話をかけた。でかける直前の僕が、友人の結婚式と祖母の臨終を天秤にかけてモジモジしている間に、お祖母ちゃんは亡くなった。

『Fちゃんたらギッチョンチョンのパイのパイのパイ』――お祖母ちゃんは、僕が幼い頃、よくこんな歌を歌った。小説のための資料漁りの過程で知ったのだが、それは一九一八年、つまり大正七年、ベルサイユ条約締結をもって第一次大戦が終結した頃に流行った『平和節』の替え歌だった。

僕はお祖母ちゃんがその歌を知っていたということに、今さらながら、時代の連続性とでも呼ぶべきものを感じた。お祖母ちゃんが生きた時代があった。そして今、僕は生きている。

もしも小説が完成したら、お祖母ちゃんに読んでもらおう――漠然と、僕はそんなことを考えていた。長い間小説を書いていて、特定の誰かのために書こうという気持ちは忘れていた。本当に、久し振りだった。だから上手くいったはずだ……なんて言い訳をするつもりはない。作品の成否はともかく(もちろん、それはとても大事なことだけど)、誰かのために書くという行為それ自体を僕は思い出しつつあった。

「お袋は、最後までFの事を心配してたよ」

僕の伯父さん、つまり、母の兄がそう呟いた。某経済団体のK団連に勤めるK一伯父さんは、父無し子である僕の父親代わりのような役割を果たしていた。

彼が僕に伝えた言葉は、もしかしてフィクションだったかもしれない。なぜなら、お祖母ちゃんはもう、僕が成長しつつある人間だということを忘れて、永遠の子供時代に孫を押し込めている観があったからだ。

それでも、K一伯父さんは続けた。

「Fは松永家の期待の星だからな」

「でも、そういいながらもう二十六だよ」

K一伯父さんは肝臓が悪いための青黒くなった顔をふっと緩め、穏やかな笑顔を作った。

「まだ若いよ。これからだ」

突然、K一伯父さんももう若くないのだな、という思いが去来する。

昔のK一伯父さんはいつも酔っ払っていた。仕事の時でも、正月でも。僕には父親がいなかったから、他にサンプルがない。世の中の父親が酔っ払っていないなんて知らずに育った。だから、『博士の異常な愛情』という映画を見て、そこに出てくるソ連の書記長がアメリカ大統領との電話会談中にウォッカで酔っ払っていても、それがギャグだとわからずにいたくらいだ。でも、K一伯父さんは最近酒をやめた。

松永家の僕等の世代を支えてきたのは、一九四〇年生まれの伯父さんだった。出戻りの従姉Wちゃんも、僕の姉も、その他の連中も、有形無形でこの伯父さんの、いや、一九四〇年代の世話になっている。そんな伯父さんも、いまでは随分衰えて見えた。母を失うことで、ただでさえ小さい身体が、ますます小さく見えてしまう。

僕は両手を白紐でぐるぐる巻きにして合掌しているお祖母ちゃんの脇に座っていた。もうだいぶ酒を飲んでいた。酔い覚ましにと縁側に出て、冷たい風に当たることにした。

冬の訪れは近い。庭のグミの木は、お祖母ちゃんが亡くなるまでのゴタゴタでほったらかされ、変な風に枝が伸びていた。僕はお祖父ちゃんの残したサンダルを履いて、庭に出た。目のつく範囲で枝を手折る。始める前は数本で片がつくと思っていたけれど、ぽき、ぽき、とやっていくうちに、なんだか徹底的にやらねば気が済まなくなって、つい夢中になってしまった。

こういう神経質なところは、別にサンダルの呪いとかじゃなくて、単純にお祖父ちゃんと似ていたからだ。お祖父ちゃんはとても几帳面だったけれど、そういう性格の常として、癇癪持ちの一面もあった。他にも似ているところは沢山ある。

「Fちゃん、風邪引くよ」

2008年12月8日公開

作品集『方舟謝肉祭』最終話 (全24話)

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© 2008 高橋文樹

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"方舟謝肉祭(24)"へのコメント 3

  • ゲスト | 2009-04-16 01:00

    スケールの大きな内容で読み応えがありました。

    なんていうか鉄球に頭ぶつけたみたいな余韻でした。

    様々な感情が行き交う中で書き手はタブーを暴くことに取りつかれてるのかのごとくタブーと対峙していくのですが。

    登場人物たちのなかに好感を持てるものが居ることその人物が出会う恋路、切なくなるようなこと、そういう類が好きなら私はそういう小説を読めばいいのですが。

    そのような人物たちのどう吐き出しようもない感情が伝わるとき胸が痛みました。

    小説の中で書き手がやりたいことはたくさんあるのでしょうか。
    文学が書き手にとってどのような役割をもつのかはわかりません。

    この小説の完成とともに書き手は使命を終え、題名をつけ小説という形として留め産み落とすことができ種類の違う涙が流れてしまいました。

    • 編集長 | 2009-07-14 23:24

      >高橋亜紀さん
      こんにちは。お返事が遅くなりました。
      全部読んで頂き、ありがとうございます。
      これからもがんばりますので、応援よろしくお願いいたします。

      著者
  • ゲスト | 2011-01-26 14:45

    webで小説を読むという初めての経験をさせてもらいました。軽く掴まれそのうちにジワジワと引き込まれていきました。読み進むうちに「次はどんな風に裏切ってくれるのか?」とワクワクしました。「巧い」と言われると嫌かもしれませんが「巧い」なあ、と思いました。高橋さんの造詣の深さとポテンシャルの高さを見せつけられた気がします。「僕たちはいつもここから出発せねばならない」という言葉に、うむ、と唸りました。

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