方舟謝肉祭(23)

方舟謝肉祭(第23話)

高橋文樹

小説

5,864文字

多くの命を失いながら、避難艇は太平洋をさまよう。語り手の種村船長を襲う死の影。彼が力尽きる直前に見た悪魔のような光景とは。壮大なスケールで描く、海洋メタフィクション。

Chapter Five……謝肉祭

前編 デイドリーム(四)

 

嵐の日から三日。糸を持つ手が見えるせいか、魚はまったく釣れず、雨も降らなかった。食料は徐々に浪費し、我々は水と甘藷の割当量を減らさねばならなかった。我々は真剣に焦っていた。

その夜、航海士の新田が(とも)にいる私のところまでやってきて、耳打ちをした。

「殺しませんか?」

それは最もな考えであった。こっそりと松永を見る。船首を寝床と決めている彼は、目をつむっていた。

「どうやって?」

(かい)で殴ればいいんですよ。二人でいけば」

私は躊躇した。今、殺し合いをするには理由が揃いすぎている。人が一人死ねば、甘藷(かんしょ)と水の分け前は増える。放っておいても、松永に殺されるかもしれない。何よりも、我々は四六時中、獣の檻に入れられたような気分だった。

物音がした。心臓が止まりそうになる。振り向くと、松永が横たわったまま、目を開いている。新田は魅入られたように黙っていた。私は彼が恐怖のあまり、今にも松永に飛び掛るのではないかと思っていた。しかし、私には加勢できそうになかった。恐怖で足がすくんでいた。

「こそこそせんと寝ろや」

新田はその言葉につられ、立ち上がった。船底の中央に横たわる。私はじっとその様子を眺めていたが、何事も無く新田は横になる。ほっとして目を逸らした瞬間、がたがたと人が暴れる音がして、乾いた音が続いた。誰もが目を覚ました。松永の手には拳銃があり、かすかな火薬の匂いが漂っていた。

私は松永を手伝って新田の死体を海に流した。何か、不思議な気がする。新田の死体は手付かずのままだ。私は殺されていない。

 

嵐から五日目。カツオドリが船側に止まった。無人島に済むこの鳥は、人を恐れない。紀和が手で捕まえ、首を捻って絞めた。一番弱っていた芸者のせいが血を飲んだ。肉は包丁で(さば)き、等分した。獣肉を食べたのはパラオを発って以来だったので、その旨味には表現しがたいものがあった。身体中の血が沸き立ち、鈍磨していた四肢に少しだけ力が籠る。

とはいえ、陸地からはまだ程遠い。そうそう鳥が止まってくれるはずもない。それきり食料は何一つ入らず、甘藷を(かじ)る事になった。

食料の不足とそれのもたらす帰結。私はその想像を暗いものとして受け止めなくなった。

それよりも問題は水であった。もう後一日分しかない。松永は嵐の日以降、一日の割前に加え、海水を同じ量だけ飲むようになっており、外の船員にも勧めていたが、私だけは断固飲まなかった。

「塩が多い言うても、薄めりゃ大丈夫じゃろ」

それが彼の言い分だった。

紀和は絵を描いている。水平線しかない海を眺めながら、熱心に鉛筆を走らせている。湿った紙には炭が載らない。

 

2008年11月20日公開

作品集『方舟謝肉祭』第23話 (全24話)

方舟謝肉祭

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© 2008 高橋文樹

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