Chapter Five……謝肉祭
前編 デイドリーム(三)
海光丸沈没から一夜明けた朝、我々は船に名前をつける事にした。私と松永の乗っているのが弥勒丸、小見達が乗っているのが菩薩丸である。
反対者はいなかった。そんな名前をつけたのは、せめて助かりたいという思いからである――松永の説明を聞いて、念仏を唱える者さえあった。
しかし、太陽は南中を迎え、我々に無慈悲な宣告をする事になる。
経度測定の結果、我々は東に十海里ほど進んだだけであった。正午の緯度測定を待った結果、北に六海里ほど流されている。一番近いパハロス島までの距離が六○○海里、この速度では単純計算で六十日かかってしまう。それまで生き残れる算段は無い。
もう一度北西行きを提案する私に向かって、松永は「そうこうしているうちに日干しになっちまう」と凄んだ。たしかに、それにも一理ある。我々にはまだ、一滴の水も無かったからである。
釣果は上々で、シイラ、カワハギを中心に、黄金鰺を釣る者もいたし、魚の釣れない夜に烏賊を釣った者もいた。釣った魚の内臓を餌にする方策がうまくいったのである。
生魚で水分が取れるとはいえ、それだけでは追いつかない。我々は徐々に乾いていった。南海の熱い太陽が、乾きに拍車をかけた。
口の中に粕のようなものが溜まる。時折、それを指で拭って捨てなければならなかった。唇はとうにひび割れ、柳井小町と形容されたみつのぽってりとした唇でさえ、半分近くまで縮み、古びた油絵のようにところどころ皮がめくれていた。唾はとうに出ない。舌で口内を探ると、石と石がぶつかったような感覚があった。
悪い事は続いた。海光丸沈没から三日目、海は急に凪いだのである。まだ三○海里弱しか進んでいないというのに、昨日までの微風さえ嘘のように止んでしまった。つぎはぎの帆は、だらりと垂れ下がり、単なるぼろ布となった。我々は疲れた身体に鞭打って、櫂を漕ぎ続けなければならなかった。
船が止まるのと同時に、釣果も芳しくなくなった。
「船長、こいつら逃げよります。憶えられてしもうたんでしょか」
夕釣りのための竿を握っていた水夫の沖田が私を呼び止めた。覗き込むと、確かに海中を泳ぐシイラはいたが、針には食いつかない。じっと針を眺め、ふいと泳ぎ去ってしまうのである。
「餌を腸じゃなくて身にしてみたらどうかね」
「やってみたが、駄目ですわ。こいつら、いっちょ前に贅沢になりよった」
沖田は憎まれ口を叩き、それから急に泣き顔になった。それがいかにも不当だと、魚に向かって泣くのである。どうやら、だいぶ弱っているようだった。
そして四日目、ついに脱水症状が始まった。菩薩丸の小見が報告してきたのである。その報を聞いて菩薩丸を手繰り寄せると、たしかに、船底に寝転がった井狩がうわ言を漏らしていた。もっとも老齢の井狩から症状が出たのである。
「とめ、論文が通ったぞ」
彼の顔は微かに頬笑んでいるようでもあった。聞けば、とめとは井狩の妻の名である。彼は他にも、パラオの土人に関する学術的な事を口走ったり、しまいには「鰹船じゃないか、あれは」などと、我々がひた隠していた願望をあられもなく口にした。
「もうええ、海水でも飲ましたったれ」
そう囁いたのは松永だった。私はつぶさに反論した。
「しかし、海水を飲むと、余計に多くの水分が失われてしまいますよ」
「良えじゃないか。どうせもう保たん。最後にたらふく水を飲ませたったら良え。おい、小見」
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