『ライアの祈り』は森沢明夫による長編小説である。読んでから知ったのだが、森沢による「青森三部作」の最後を飾る作品である。
『ライアの祈り』梗概
物語は以前取り上げた『二千七百の夏と冬』に同じく、現代と縄文時代が交錯する形で書かれる。登場人物およびあらすじは次の通り。
縄文時代
- ライア
- 一人称は「ボク」だが、実は女の子。女だてらに狩りに参加していたが、猪によって足を負傷し、シャーマンとなることを決意する。
- マウル
- ライアの幼なじみの少年。ライアとはお互いに想い合っているが、ライアがシャーマンとなったことで、その思いが結ばれることはなくなった。
- サラ
- ライアの幼なじみの少女。ライア、マウルといつも三人で一緒にいたが、血の交易(遠く離れた村に嫁を差し出す掟)に従い、村を出ることになる。
ライアは負傷を負ってシャーマンとなるが、シャーマンは子供を持つことを許されない。が、サラが血の交易によって遠くへ言ってしまうことがわかったとき、ライアは「私の祈りは家族が一緒に過ごすことだ」という結論にいたり、マウルと共にサラを取り戻す旅に出る。また、旅路のついでに族長から許しを得て、マウルと結ばれる。
現代
- 大森桃子
- 36歳でバツイチ女性。離婚の原因は不妊であったことだが、それを隠している。メガネ屋で働いている。ときおり、縄文時代の夢を見る。
- クマゴロウ
- 考古学者。桃子と合コンで知り合い、お互い惹かれあう。桃子と同じく、縄文時代がフラッシュバックする。
- 桜
- 桃子の職場の部下で、すべての男をひきつける美少女。しかし、実はレズビアンであり、桃子に告白して玉砕する。その後、桃子たちの仲を取り持つキューピッドとなる。
桃子はクマゴロウと恋に落ちてから、なかなか不妊であることを言い出せなかったが、ついに告白する。そして、桃子がクマゴロウの発掘を手伝っている最中、桃子が丹精こめてつくったミサンガとそっくり同じものが縄文遺跡から出土する。それはかつてライアがサラのために作ったものとまったく同じであった。つまり、サラはライアたちの村へ帰ってきたこととなる。驚きを隠せない二人だが、そうした不思議な偶然と自分たちが時折起こす縄文フラッシュバックには何か関係があるのだろうと落着する。
その後、クマゴロウがミサンガをなくしたパプア・ニューギニアに舞台は移り、ウィッチ・ドクター(呪術師)の予言どおり、桃子は妊娠する。で、話は終わる。
縄文時代を描く際の工夫
各時代でそれぞれ主要な三人とあらすじを挙げたが、もちろんのことそれぞれが呼応する関係にあり、桃子はライア、マウルはクマゴロウ、サラは桜となる。
表現上の工夫
まず違和感を覚えたのは(というのも、『二千七百の夏と冬』を読んだ上での意見だが)、縄文時代を書くにあたっての表現上の工夫はほとんど見られなかった。知識としては調べてあるのだろうが、主人公ライアの一人称は「ボク」である。また、次のように、制約を課しているようには思えない書きぶりだった。
ボクの身体は、心地よいリズムで上下しているようだった。夢うつつのなか、閉じていた目を薄く開くと、夜の森の樹々が視界に入った。なんだか、お腹と胸の辺りが温かい。
大森明夫『ライアの祈り』小学館 P.57
「リズム」という単語を使ってしまって良いのだろうかと思わなくもないが、とにかく、こうした意味で語彙ベースの工夫は見られなかった。他にも「シャーマン」や「アスファルト」といった単語がライアの一人称として使われるのには若干ズッコケるところがある。また、縄文時代の人物名も「サラ」「レイ」などの若干バタ臭い名前が使用されており、単語の選択に対する誠実さはあまり感じなかった。
構造上の工夫
構造は『二千七百の夏と冬』に同じく、現代と縄文時代が交互に描かれているが、主要パートは明らかに現代の方であり、縄文時代の物語は現代の登場人物の補完的な構造になっている。たとえば、ライアがシャーマンとなり子を産む権利を剥奪されるのは、桃子の不妊症と対比される。
全体的な感想
正直に言えば「つまらなかったし、参考にならなかった」のだが、映画化も果たし、商業的にはそれなりに成功している作品であるため、この作品を縄文小説として選んだのが間違いだったということだろう。本作では桃子とクマゴロウがデートを重ねる度に、食事にでかけるのだが、この大部分はご当地グルメ解説パートとなっている。
「ねえ、クマゴロウさん、おすすめの美味しいものは?」
「馬肉鍋なんてどう?」
「いいかも! 八戸って、昔は馬の産地だったんでしょ?」
「そう、よく知ってるね。だからいまでも馬肉鍋の店が出てるんだよ。ほら、あそこ」
前掲書、P.152
一事が万事この調子で、食に対するうんちくを垂れ流すところが多い。もっとも、テレビを見る方はご存知の通り、このようなグルメ・リポートは定番的人気を誇っているので、小説も例外ではないということだろう。事実、Amazonレビューでも「美味しそうな食べ物が出てくる」という点を好評価しているものがあった。
また、この物語の主要なパートが現代であることを考えると、別に縄文時代の部分はなくてもよいのだが、「ご当地小説」であると考えると、納得が行く。青森には三内丸山遺跡があり、縄文時代というのは青森県にとって重要な観光資源なのである。主人公の大森桃子が青森三部作『津軽百年食堂』の娘であるという設定をベースにすると、この小説は「町興し小説」としてはうまくいっているのではないだろうか。ちなみにだが、あとがきには「ビバ青森!」と書いてあった。さらに付け加えると、作者は千葉県出身のようである。
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以上、レビューといっても語るべきところがあまりなかったというのが正直なところだが、縄文小説の参考文献としてはカテゴリーエラーだったということだろう。Amazonで「いい人しか出てこない」という点を好評価の理由に上げているレビューを読んだ時はひっくり返った。私のように心が汚れている人間はすぐに悪い人間を登場人物にしてしまうので、気をつけたいところである。
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