筋金入りの反出生主義者である梨田ヌルは、精子と卵子に分かたれていた頃、「果たして我々は生まれるべきか」について慎重に熟議を重ねた。その総数は定かではないが、およそ八億から十億の精子たちで決を採ったところ、生まれるべきではない、という意見がやや優勢だった。その中から出生派の精子が代表として卵子側の意見を拝聴したところ、卵子は「どんな結果であろうと受け入れる」という事実上の委任を表明。出生派の精子たちは卵子の意志を尊重し、あわや受精寸前というところで引き返した。この結果、梨田ヌルはこの世に生を受けることはなかった。
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この文書は生まれることのなかった梨田ヌルの逆説的に幸福な生涯についての伝記である。もちろん、ここに書かれたすべての出来事は起きていない。梨田ヌルという名前もあくまで便宜的なもので、「無し」とnull——英語で「存在しない」を意味する——から採用された仮名に過ぎない。しかしながら、梨田ヌルの存在しなかった生涯についての記録を残すことは、存在しないことがいかに幸福かということをよく伝えうるだろう。
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一九九〇年代初頭の日本はまだバブル崩壊の前夜、山一証券破綻の報道が人々の熱狂に冷水を浴びせかける寸前といった時期の頃の話である。関東のとある学区に所属する住宅街で、都心まで電車で一時間という立地ながら七千万円もした4LDKの一戸建てが林立する地域で同じ歳の男女が別々の家で暮らしていた。その家は間に一件を挟んでおり、どの家も同じように庭先で夾竹桃が桃色の花を咲かせていた。年齢の近い両親たちは新居の完成からほどなくして交流するようになり、必然的に子供たちも仲良くなった。GEMEBOYやDRAGON BALL、ZARDといったコンテンツを通じて子供たちは親交を深めた。小学校から中学校を通じて六回のクラス替えがあった。実のところ、その男女はそれぞれクラス替え発表の掲示板を見に行くたびに期待と不安に胸を引き裂かれた。幸い、二人が同じクラスになることは一度もなかった。移動教室の際に廊下ですれ違うと、ぶっきらぼうに挨拶を交わす程度だった。少女の方は胸元で小さく手を振ったりもしたが、少年は顎をクイッと上げるだけで、その細やかなやりとりが誰にも見られないよう注意した。
それぞれ別の高校に進学し、少年はスポーツに優れた男子校へ、少女は近所で噂になるほどの進学校へ進んだ。この別離は二人の距離を急速に近づけた。高校一年生のある夏休み、たまたま昼時に外へ出た二人は玄関先で出くわした。少年は昼食前に近所の公園までジョギングがてら懸垂をしに、少女はドラッグストアまでドッグフードを買いに。
「ひさしぶりにちょっと話さないか」
少年が何の気なしに行った。ドラッグストアまでの道のりの途中にある公園で少年は懸垂をした。少女はベンチに座ってその様子を眺めていた。本来は別の公園にもっと懸垂をしやすい高い鉄棒があり、少年は普段そこで懸垂していることを知りながら。少年は十回三セットの懸垂を終えると、肩を上記させながら少女の隣に腰かけた。声をかけてから新たな言葉はまだ一言も発していなかった。
「なんか久しぶりじゃん、こうやって話すの」
少女が言うと、少年は顎をクイッと上げた。しばらく沈黙が続いた。
「俺達付き合わないか」
突如として勇気を出した少年の言葉に少女は無言のまま頬を赤らめて頷いた。ベンチの影に潜り込んでいたコーギーは舌を出してハッハッと息を切らしていた。その後の五年に渡り、二人の蜜月は続いた。海や星空や春の花が二人の季節を彩った。
二十歳を過ぎ、少年は大学生に、少女は専門学校を卒業して美容師として働いていた。学力という観点において、二人の立場は入れ替わっていた。少年は少女に追いつくために、少女は自分の手にした能力のくだらなさのために。
環境が変わったことは二人の信頼を容易くも破壊した。美容師が時折SNSに投稿する写真は大学生を苛立たせ、ある晩の二人の性行為は生殖を目的としたものになった。大学生は試し、美容師はそれを受け入れざるを得なかった。愛しているならば避妊など必要ない、それが大学生の意見だった。美容師は可能性に期待した。子供が出来なくても大学生がそれで満足するのならば、と。
ここで冒頭に戻る。結果的に梨田ヌルは生まれなかった。周到な熟議を経て出生を回避したというわけだ。この後の二人——精子と卵子の持ち主——がどうなったかはこの際どうでも良い。若いカップルに降りかかる幾多の試練を乗り越えて子をなすという害悪を成してしまったかもしれないし、あっさりと別れ、それぞれの人生を全うしたかもしれない。最終的に子供が生まれたかどうかはどうでも良い。その瞬間、それぞれの体内に存在していた精子と卵子のペアでなければ梨田ヌルは生まれ得なかったのだから。
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二〇〇三年に出生しなかった梨田ヌルは、すくすくと育たなかった。育休中の母の乳首に吸いつくこともなかったし、ふえーふえーという弱々しい泣き声で深夜三時に母を起こすこともなかった。母にならなかった女は、少なくとも二〇〇三年の時点で不眠に悩まされることはなかった。授乳によりその美しかった胸を萎ませることのなかった女は、眠りに身を委ねる子の温もりを知らないでいる代償に、つんと張った若い桃のような乳房で女として求められたことだろう。それは男にとっても同じことで、守る物のいない余裕を持って勇敢なフリをできたろう。早すぎた親という役割が二人のキャリアを傷つけることも、乳児保育のための苛烈な争いに疲れ切ることも、不甲斐なさにわけもなく涙に明け暮れる夜もなかった。
意味があるのか定かではない、ほんの十年や二十年でがらりと変わってしまう教育制度とも、梨田ヌルは無縁だった。折り紙や木の実を糊でぺたぺたと貼り付けた奇妙なオブジェが生まれることはなかった。両親は頭を下げながら申請した有給を使ってお遊戯会に駆けつけ、古い年式のスマートフォンで小さな動画を取り、その保存方法を巡って四苦八苦せずにすんだ。二人の結婚に懐疑的だった両親たちに動画を見せる必要もなかったので、少なくとも六人が意味のない動画——パフォーマンスが低いという意味で意味のない動画——を見つめる時間を節約できた。早くに亡くなった女の兄の墓前にmp4が拡張子の動画ファイルを収めたUSBメモリを備える必要もなかった。卒園式についてもほぼ同様である。節約できた時間や苦しみはこの時点ですでにかなりの量に昇る。
牧歌的な時代でさえそうなのだ、小学校に上がったらさぞかし苦しみは絶えなかっただろう。梨田ヌルがもし生まれていたら通っていたであろう小学校は、近隣の名高い公立中学に通うことになる学区ではあったが、四つある小学校の中では最も学力が低かった。家族構成、収入、そして近隣住民から構成されるコミュニティ、そのすべてが亡者の放つ磁場となって低きへと誘っていた。まだ若い両親の払える家賃で住める場所というのはそのぐらいのものであって、手に入るものといったらせいぜい、育児放棄されて夜な夜な遊びにくる友達、川でザリガニ釣りに夢中になりすぎて帰りが遅くなり両親を心配させる夜、アレルゲン満載の布団で知らない家の匂いに包まれる友達の家でのお泊まり、紙袋いっぱいに詰められた百円のハンバーガー、そんなところであった。
習い事はできてせいぜい一つか二つ、近所にある剣道やら水泳やらの教室に通い、頭角を表すことがあったとしよう。梨田ヌルは水泳の類稀な才能を持ち、子供だけで開催される大会で優勝したとする。梨田ヌルが生まれなかった瞬間から数年後、日本水泳は世界的に好成績を収めることが増えていたので、「もしかしたらオリンピック選手に」などと考えることもありえた。幾多の苦難を乗り越え、学校の部活動やスポーツクラブで鍛錬を積んだところで、オリンピックに出られるのは一握りである。多大な犠牲を払って手に入るのは一般人より少し優れた——そしてやがては失われる——肉体と試練の過程で出会う仲間といったところがせいぜいだ。社会的動物である人間には、仲間というのはとても重要だ。しかし、その仲間のうち多くは残りの人生でだんだん疎遠になっていき、一生続く友人やパートナーである可能性はかなり低い。つまるところ梨田ヌルは多くの時間とカロリーと細胞分裂を犠牲にした結果として、期待値でいうと一・三人の僅かな友人を得るにすぎない。この数値でさえ、かなり高く見積もったものである。
人生において対価を得るための再現性が高く、なおかつ学術的な社会調査で有効な指標とされているものの一つに学歴がある。梨田ヌルの人生において、高い学歴を得ることは本人の努力と運に恵まれない限り難しかっただろう。両親が子供に提供できた素養は壁一面の本棚と読書への理解、家庭学習のサポートといったところだ。近隣の学習塾では努力次第では県下有数の進学校に進めたかもしれないが、苛烈な競争の中で勝ち抜かなければならない。そうした競争に参加しないで済んだということは梨田ヌルにとって幸福だったといって差し支えがないだろう。
仮に梨田ヌルが生まれてしまったとして、牧歌的な子供時代をすぎ、不幸にも成人するまで生き延びてしまったとしよう。それまでに梨田ヌルが直面する苦難はすでにこの時点で数えきれない。学問、恋愛、社会的地位……「社会的地位?」と思われるかもしれないが、少年期においてすらそれはある。「いかにイケているか」という鳥類が羽毛の鮮やかさを競うがごときくだらない仲間内での評価のほか、部活動の顧問や学習塾の教師など自分の将来を決定する権利を持った指導者達との関係維持、存在に宿命づけられたパートナーを得るための修練、そして、そもそも不幸の元凶である保護者からの支配。こうした数々の苦難がおよそ二十年に渡って梨田ヌルを苛むのだ。
ここでは梨田ヌルの人生が「同時代人の平均的と比較してもやや良い」と仮定しよう。学力でそこそこの成績を修め、人生を共にすることになる一人の親友と、結局は疎遠になるのだが仲の良い友人が何人かいたとする。パートナーがいたことはあるが、幼い頃に結婚を約束した幼なじみのような特別な存在はいない。そこそこの成績なので、取り立てて良くもないが、悪くもない会社に就職が決まる。安定した業態の会社ではあるが、一族経営のため、梨田ヌルのもとに幸運が転がり込むことはない。国家レベルの経済動向という大きな力も梨田ヌルの経済的未来に大きくのしかかっている。そんな人生でも、一つや二つの幸福があるものだ。
梨田ヌルは、都市部にある大学に電車で通い、ワンダーフォーゲルサークルに所属していたとしよう。この時点で生まれていない梨田ヌルの性別は不定であるため、ここでは男性だったと仮定しよう。少なくともこの時代において女性として生まれるデメリットは計り知れないためだ。梨田ヌルは社会人になってから、出張先でワンダーフォーゲル部でかつて後輩だった女性に再会する。出張前に「今度そっちに行くんだけど」とLINEを送ったのだ。もっとも、実際には起きていないので、そんな通信記録はLINEのサーバーに残っていないのだが。落ち合った飲食店で名物——それがきりたんぽであれ、ほうとうであれ、牡丹鍋であれなんでもいいのだが——をつつきながら、昔話に花を咲かせる。「鈴木は近藤と付き合ってたの知ってた?」「加藤さん、今度テレビに出るらしいですよ、取材かなんかで」などといった、今後結婚式か葬式ぐらいでしか顔を合わせることのない知人の噂話で盛り上がる。「そうだ、今度山に行こうよ」と、思いつきをどちらかが口に出す。こうした思いつきを人間は人生のうちで何度も口にして、未達のフラグを立てたまま忘れ去るものだ。このケースでは、あくまで論証として度し難い幸運を仮定し、その思いつきが実行されることになったとしよう。後輩の都道府県にあって、森林限界を超えるために地元では信仰の対象でありはするものの、登山に興味のない人は知らないような山だ。
「ちょっと待って、水がなくなったから入れ替える」
久しぶりの登山で体力の衰えを痛感しながら、梨田ヌルは空になった水筒に水を入れ替えようと、バックパックのストラップに手をかけたとしよう。
「もう少しで傾斜が緩くなるから、そこまでがんばりましょうよ。はい、先輩」
後輩の差し出した手には後輩の水筒が握られている。梨田ヌルはそれを受け取り一口飲む。スポーツドリンクの甘みが喉を撫でながら胃の腑へ降りていく。潤される喜びも生まれなければ存在しないのだが、あったとしておく。梨田ヌルはそこに官能的ななにかを感じる。これまで性行為をしたことがないわけではない。肉欲によだれをたらす女の性器に自分の陰茎をこすりつけて焦らすような真似をしたことさえあるのに、水筒の吸い口の間接キスで胸が高なっているのだ。それはハイマツが目立つほどの高地で酸素が薄かったから、というだけではなかったりもするだろう。
午後三時には山小屋に到着し、わざわざ化石燃料を消費して運んだ燃料を使って狭い風呂が炊いてあったりする。信じ難いことに、山小屋の若い跡取りがそうした「カイゼン」を選ぶのだ、人類が存在しなければ美しいままだったはずの山の頂上付近で。二人はそれぞれに汗を流し、まだ汗の匂いが残る肌着の上にフリースを纏う。夕飯までの時間を山小屋前のベンチで過ごし、歩荷たちが荷上げした七百円の缶ビールを飲みながら、写真を撮る。プラスチック片を水に撒き散らさないよう細心の注意を払いながら作られた高級カメラには、人類が存在していないときほど美しくはない光景がデジタルデータ——ただの零と一の羅列——として収められる。
プラスチックの器でビュッフェ形式の夕飯を済ませ、二十時には消灯になる。明朝のご来光を拝むためには山頂までの時間を考慮すると三時には起きる必要がある。早く眠るのに越したことはないのだが、すぐ隣にはよく知った異性が眠っている。二人はこのように隣り合って眠ったことがこれまでない、というのも二人は大学の先輩と後輩でしかなかったからだ。ワンダーフォーゲル部で連山を縦走した時も、男女のグループは別々のテントを使った。未体験の状況が二人を昂らせていたが、他の人々がすぐそこにいる狭い山小屋で抱き合うわけにはいかない。なにか手立てはないかとそれぞれに思案し、「起きてる?」などと無意味な確認をし合う。息を殺して会話をし、挙句、隣の布団から意図的に発せられた咳払いに黙り込む。それぞれに向けあった背中で、届くはずもない相手の温もりを感じた気になってしまう。ほとんど一睡もできないまま布団を這い出し、山小屋でもらえる弁当を携えて山頂に向かう。ほとんど腰を下す場所もない狭い頂上に座り、地平線から太陽が登ってくるのをじっと待つ。鱗雲の隙間を赤く染めながら朝陽が登ってくる。
そうした経験を特別なものと思い込み、やがて二人は結婚という愚かな選択をする。通り一遍の儀式を終え、経済単位を一にする。
あくまで仮説のため、梨田ヌルは子を持つという罪悪を選んだしよう。妻の腹で膨れ上がる新しい罪に気づくこともなく、楽観主義という人類に備え付けられた欠陥によって、「新しい命を誕生させることはよいことなのだ」という結論を信じようとする。梨田ヌルは間違いに間違いを重ねる。
生まれた子供は女の子だったとしよう。きっと可愛い女の子だから——ブランキージェットシティが「悪い人たち」でそう歌ったように。災厄のはじまりは常に愛くるしく、両親に己の罪を気づかせない。はじめて買うおむつや、人類の産んだ罪の一つであるプラスティックに囲まれた生活、そしてあの苦々しいアンパンマン。梨田ヌルはけっして気づかない、彼の築き上げたすべての価値観がこの娘の顔をした罪過によって否を突きつけられることに。
梨田ヌルの築き上げたキャリアは徹底的に破壊される。競争から降りることを余儀なくされ、まだ仕事が山積みになっているオフィスからそそくさと帰るようになる。彼の評価は下がる。彼の同期は賢しくも子供を持たない人生を選んでおり——といっても彼らの大半もまたその精子がクタクタになった頃に同じ罪を重ねるのだが——己の持てる時間のすべて仕事に捧げている。会社の上層部から梨田ヌルはいかにも無能に見える。
罪は家庭にも不和をもたらす。妻はもう梨田ヌルが知っていた女ではない。常に苛立ち、性欲を募らせている。梨田ヌルの気持ちの奥底では、もう妻を愛する気持ちは薄れている。子育てを頑張ってくれてありがとう、家事をしてくれて助かるよ——そういった言葉はなんの効果もない。ペットボトルの蓋がほんの少しのズレで引っ掛かってうまく閉まらない、それぐらいの齟齬で簡単に壊れてしまう。
妻の怒りはどうやらキャリアの喪失にあるようだ、ということを梨田ヌルは理解する。生まれさせないという最良の選択をできるほどの知性はなくとも、それぐらいのことには気づく。妻は彼女なりに必死の努力を重ねて獲得したキャリアを、腹ボテにされた上ですべて捨てさせられたのだ。その怒りを彼女はうまく制御できない。納得づくだったはずの現実がこれほど辛かったとは思いもよらなかったのだ。理由のわからない怒りを向けられ、梨田ヌルはさらに愚かな決断をする。少なくとも、二人はいた方がいいだろう、それで人類を減らさないという使命を果たせる。その使命のもたらす充実に比べたら、キャリアを捨て去ったことなどすぐに忘れるはずだ、と。
次に生まれた子供は男の子だったとしよう。親になった人間にとって、一般的に同性の子は分身、異性の子は恋人である。そのどちらをより愛するかは、親によるが、梨田ヌルの場合は人生にやり残したことがあるという後悔から、分身をより愛する。分身に自分の人生をやり直させるのだ、分身には分身の人生があるというのに。
梨田ヌルの息子は厳しい親の指導が平等なものではないということに早いうちから気づく。寵愛を受ける姉に比べると、明らかに違うメッセージを受け取っているからだ。ゲームをやる時間がどうだとうるさく注文を付けられる。ほんとうはやりたいと思っていないスイミングスクールに強制的に加入させられる。努力がどうだと言われる。息子は明確に言語化できないが、そのメッセージが明らかに根拠のないもの、父親である梨田ヌルの独善性を根拠にしていることを理解する。やがて息子は父親の影響力を脱することができる年齢に近づくにつれ、反抗的になる。梨田ヌルと妻は自分たちの失敗も顧みず、「難しい子」だと決めつける。
ここで梨田ヌルに深刻な打撃が発生することも容易に考えられよう。妻が子宮頸癌または乳癌になって死ぬ、子供のどちらかまたは両方が変質者に惨殺される、梨田ヌル本人が深刻な病にかかる……。ただし、梨田ヌルの生涯が存在しないことがどれほど幸福かについて語る以上、いきなり決定的なことは起こらなかったということにておこう。梨田ヌルは様々な苦難を乗り越え、姉弟が共に大学まで進学し、無事卒業したとする。
子の経済的自立をもって「人生のあがり」と考える親は少なくない。ここでは姉が専門職に、弟が総合職としてそれぞれ就職したとしよう。だが、梨田ヌルの子供達の世代にとって、安定した職につくことは必ずしも簡単ではない。実際に手にした職の苛烈さについてはなおのことである。卒業した大学の偏差値という観点では、息子の方が上だったが、技能専門職として就職した姉を見下し、より経済的な成功を求めるようになる。その下向きの視線は父親である梨田ヌルに向かう。つまらない勤めを何十年も続けて、という具合だ。息子はビジネスの勉強会などに参加し、独立を志向する。現在の仕事で経験を積んでから、という梨田ヌルのアドバイスはけして息子に届かない。息子はせっかく就職した企業を三年かそこらで退職し、およそ成功する見込みのない事業を起こす。当然、すぐに資金ショートし、雑用のような仕事で食いつなぎ、実家に帰ることになる。
高校卒業から親元を離れていた息子は梨田ヌルにとってほとんど災厄のようなものである。息子には父親に対する根源的な怒りがある——父は自分の人生を損なった、という。梨田ヌルはその怒りを理解できない。自分はそんなに間違った教育をしただろうか? こんなに歳をとっても親が原因だということがあるのだろうか? 梨田ヌルは妻とよく息子のことについて話す。稀に実家にくる娘にも弟のことについて聞いてみる。所帯を持ってからはほどほどに実家を距離を取っている娘は、なぜか弟に同情的だ。「パパは弟にだけ厳しかったから」という言葉に、梨田ヌルは裏切られたような気持ちがある。このよくできた娘がいうことに耳を傾ける度量があれば、もっと違った人生になっていただろう、だがそのような明察は簡単に訪れない。妻が息子の損なわれた人生を修復しようと決意している風なのも理解できない。
子供達が独立したら山へ行こうという梨田ヌルの計画は頓挫する。たとえば、毎週の休みを使って少しずつ百名山を踏破しようなどという目的は果たされることはない。苛立ちとそれをおさめるためのアルコールばかりが募っていく。息子はときに家の壁を殴り、石膏ボードにぽっかりと穴を開ける。梨田ヌルは自分が二十五年ローンで買った家を守るため、動画サイトでDIYの方法を学び、石膏ボードを修復して壁紙を貼り直す。つぎはぎの壁紙がそこだけ歪な四角形になっていて、その白さがまるでパッチワークそのものだったような人生を思い起こさせるのだ。
人生における多くの戦いは劇的ではなく、明確な勝敗もない。ただ長く続き、苦しい。大学まで出してやり、立派に育て上げたはずの子供達の運命がかくも鮮やかに分岐するということは、産んだ親にとって想定しづらい結果だが、よく考えてみれば当然のことなのだ。執着したものを台無しにしてしまうものが人の性である。親に興味をもたれた時点で弟の運命は決まっており、放って置かれた姉はまともに育った。その違いについて明確な回答を用意することは神にさえできない。答えのなさは人を無口にさせる。梨田ヌルは物言わぬシシュフォスとなり、人生が終わるまでの数十年を黙々と耐えることによってのみ終えようと密かに決意するのだ。妻の侮蔑、息子の狂乱、娘の督促、そうしたすべてに対し、ただひたすらに耐えるという諦めにも似た頑迷さで乗り切ろうと決意する。
中高年男性の経験に裏付けされた忍耐への信頼は、多くの場合経験ではなく未熟さによる。人生の折り返し地点を経た梨田ヌルにはもう体力も精神力もない。苛立ちと不摂生が大腸癌として結実したりするだろう。発達した現代医療は梨田ヌルの命を救うが、手術後にはもう違った人間になってしまっている。古典的文学作品の多くにおいて死病からの回復が転機になっているのとは異なり、梨田ヌルの人生では終わりの鐘となる。病室のベッドで仰向けになりながら、退院までの短い日数を過ごしていると、娘が夫を連れて見舞いにくる。「調子はどう?」「もうお酒は禁止だね」といった他愛のない会話が繰り返される。その多くに意味はないが、「順調にいけばお祖父ちゃんになれるから」という言葉だけは梨田ヌルにとって違った意味を持つ。子を持つことに消極的だった娘が、ついに子を持つ決意をしたのは「生きろ」というメッセージだ。実のところ、新しい罪を重ねることでしかないのだが。
実際のところ、梨田ヌルはこの世に生まれていない。したがって、病後の中年を元気付けるために産み落とされた子供がいなかったのは幸いである。役割を負わされた生は初めから祝福されていない。他人の人生の供犠として始まる人生は、普通に生まれるよりもなお悪い。
梨田ヌルのその後の人生を想像してみよう。ときおり送られてくる孫の成長記録が唯一の娯楽だ。性格が明るくなったりもしていたかもしれない。しかし老いはそうした対処療法をすべて凌駕する。定年退職により収入は減少するが、二階の部屋には引きこもっている中年の息子がいる。年齢的に役職の必要な頃だが、空白の多い職歴では仕事を見つけることはままならない。梨田ヌルが数十人はいる企業の経営者でもあれば、適当な閑職を用意することができたかもしれないが、そこまでの甲斐性はない。諍いは日々苛烈になり、苛立った息子による暴力も増えてくる。だが、暴力は梨田ヌルに向かわない。惨めな人間は傷ついた動物さながら、より効率のよい復讐に向かう。妻の唇の端には血が滲み、腕には擦過傷が絶えない。妻は受難者の表情でもって日々を送っているが、梨田ヌルはそれを見て関心する——あそこまでの愛は自分にはない、と。
やがて梨田ヌルは脳梗塞などの深刻な病に倒れるだろう。一命を取り留めつつも、深刻な言語障害が残る。うまく話すことはできず、楽しみといえば日がな一日テレビを眺めることぐらい。五〇インチの平板な画面に映る斜陽メディアを見ながら、梨田ヌルは社会に対して何かを思うが、うまく言語化できない。驚きや不満だけが募っていき、かつて山に登っていた頃に覚えた世界の美しさに対する漠然とした信頼感はもうかけらもない。その一方、息子は四十近くなり、やっと仕事を始める。介護施設の夜勤は辛い仕事だが、妻は嬉しそうにしている。息子は以前と同じように昼は眠っているのだが、夜は働いているようだ。梨田ヌルはそれを良いことだと思うのだが、息子とは顔をあまり合わせないのでよくわからない。実のところ、もう興味が持てない。それよりも、妻に負担がかかりすぎていることが気に掛かる。自治体による介護支援は少なく、トイレにいくのにも妻の手を借りなければならない。自分はもう死んでしまった方がいいのではないか、とさえ考える。
梨田ヌルは誤嚥性肺炎などで入院を繰り返すようになる。家で死にたいという気持ちもあるが、このままどうということのない病気に命を削られるようにして死ぬのだろうということを確信する。息子は見舞いには来ないが、元気にやっているようだ。娘夫婦はなんどか孫を連れて遊びに来たことがある。死際としては悪くないのだろう。梨田ヌルはぼんやりと「自分の人生は幸福だったか?」と自問する。嬉しかったことを数え上げる。小学生のときにクラスの女の子五人が好きだといってくれたこと。妻とはじめて寝たときのこと。仕事で役職を貰えたときのこと。息子が水泳の大会で優勝したときのこと。孫が生まれたときのこと。悪かったことははるかに多く、数え上げるのを憚られるほどだ。こんなものか、と梨田ヌルは思う。生きるとは、こんなものか、と。人生は劇的なラストを迎えない。梨田ヌルは病院でそのまま生涯を終える。
もちろん、そんな人生は存在しなかったのだが。
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結局のところ、梨田ヌルが生まれなかったことは賢明だったと言えるだろう。幸福を数え上げることは意味がない。生まれなければn/0の幸福がある。幸福が存在しないのではない、無限の幸福なのである。
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