そんなネタ知らんわ

高橋文樹

小説

1,113文字

小説すばる2021年2月号にフラッシュフィクション「極端な一部の人」を掲載した記念に別のフラッシュフィクションを書いた。お笑い芸人の晴れの舞台に起きた事件を1,200文字以内にまとめる。

「はいどうも、チキン坊やです〜今日もカラッと揚がっておりますけどもね」と、前口上から始めつつ、芸人ゆ〜やは焦っていた。三十分ほど前に楽屋で目を覚ましてからどうも記憶を失っているらしい。後頭部が痛むし、人の顔がとにかくわからない。いま立っている舞台が漫談王二〇二〇決勝なのも、楽屋に迎えに来たスタッフの説明で知ったほどだ。いますぐ医者に行きたいところだが、芸歴十年の意地だけでなんとか漫才をしている。

「はい、いまお客さんからタッパー貰いましたけどもね」と、相方のかぎゅ〜がボケる。

「そうそう、このタッパーなら、なんぼでも唐揚げ入れられますからね……ってお前、それ去年の王者の掴みやぞ、ええんか? なんならタッパー使てた恐れさえあるわ」

ここでかぎゅ〜のたとえづらい変顔芸が入るはず……と右を見たが、朝目覚めたばかりの良家の子女のごとく、なんの表情もしていない。やや間を置いて「せえへんのかい!」とかぶっていたニット帽を叩きつける。

「なんかこう、おもろい顔あったやろ! 三連勤徹夜明けのピーターパンみたいな!」

会場はドッと湧いた。決勝の舞台ということは顔芸のくだりは披露済みだろうし、ちょうどいいスカシになったようだ。問題はここからだ。この舞台でどういうネタをやることになっているのか思い出せない。かぎゅ〜とは舞台袖で合流したっきりだし、会話も「遅かったな」「なんか寝てもうてボーッとしてんねん、なんか知らへん?」「知らんわ、決勝がんばろな」だけだった。ありそうなネタは「バイト面接」「根性焼き」あたりだ。鉄板の「道案内」を決勝戦に取っておくほどの自信はない。不安からかぎゅ〜の顔をチラッと見る。

「そういえば僕、こないだサウナで整ってきたんですけど……」

かぎゅ〜がそう言い出すと、ゆ〜やは完全にテンパった。知らんぞ、そのネタ。大会のために用意した新ネタあったか? とりあえず思い出すまでギャグでもしとかな……。

ゆ〜やの心配をよそに審査員席の松ボックリつけるはニヤニヤしていた。全然知らない奴を相方にして決勝の舞台を踏んだこのコンビがどういう落ちをつけるのか期待しながら。かぎゅ〜の代わりに舞台で必死にボケ続けている地下芸人のサイコパス桃田は、コンビを暴力的手段で入れ替えるという一世一代の奇策で漫談王の王座につけるか心配していた。桃田の相方であり実行犯のシリアルキラー岸田は観客席で凶器のゴムハンマーをどこに隠したか忘れてやきもきしていた。本物のかぎゅ〜は楽屋の着替えロッカーに押し込められながら、もうすぐ縄抜けを完了し、舞台に飛び出る準備をしていた。何も知らないゆ〜やはというと、新境地「整ったアザラシ」の真似で爆笑をかっさらっていた。

2021年1月16日公開

© 2021 高橋文樹

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