方舟謝肉祭(10)

方舟謝肉祭(第10話)

高橋文樹

小説

9,477文字

南洋群島の楽園パラオは、宗おじさんの思っていたほど栄えてはいなかった。つきまとう植民地の悲しい幻影。蝕まれていく現地の人々の悲しさを充分に理解しながら、宗おじさんは南洋を活路とすることを決意する。「たってのお願いがあります」そういって頭を下げる宗おじさんには、強い決意があった。

Chapter Three……方舟

二‐二 南海の楽園

 

二日後の朝、短い滞在を終え、海光丸はサイパンから出航する事となった。内地からの定期船は年に四回しかない。なんとなく名残惜しいのだろう、島内の日本人全員が見送りに集まった。島民も能く解らずに大勢集まっている。粗末な紙テープが甲板から桟橋へ伸び、得体の知れない現地語が飛ぶ。宗光は幸成の顔を見た。周りに大勢いる土人と見まがうほど焼けたその顔は、うっすらと涙を流しているようでもあった。名残惜しいらしく、港でいつまでも手を振っていた。

サイパンとパラオの間にあるヤップ島は抜港し、一路パラオのコロール島を目指すことになった。八〇〇海里の距離である。コロールに到着するのは五月二十一日の朝になる。

航海は順調で、予定日の早朝にはパラオの島影が見えた。もう移民達のいない甲板は寂しいが、宗光ら一行は、手の開いている船員も含め、そこからパラオ諸島を眺めた。朝まだき薄明の霞みの中に、もうもうと生い茂る濃緑の木々が、こんもりと島の輪郭を縁取っている。サイパンよりもずっと自然の多い島であった。

コロール港に近づくと、海岸にそって薄ぼんやりと小さく灯っている。あれはなんだと民俗学者の井狩が騒ぐので、船長室へ訊きに行くと、「あれはかがり火ですよ」と種村が答えた。

「この海域は珊瑚礁が多いので、知らせてくれてるんですよ。坐礁したら事ですからね」

その言葉どおり、かがり火の間を縫うように進むと、火を焚いている付近が珊瑚礁になっているのが、海水の色でわかる。コロールの港はC字型の環礁になっていた。その真中に広がる白緑(びゃくろく)礁湖(ラグーン)を海光丸は進んでいるのである。その光景につい有頂天になった宗光は、種村が汽笛を鳴らせと水夫に命令したのを聞くと、「儂にやらせえ」と操舵室へ乗り込んで、何度も鳴笛レバーを引いた。猛牛の鼻息さながら、海光丸は汽笛を鳴らし続けた。

その音に導かれたのか、小さな船がすうっと寄って来る。土人と見間違えたが、日本人の水先案内人で、南洋商会の社員だということだった。

導かれてゆっくりと接岸し、埠頭に降り立つと、湿気った大気が朝に冷やされ、靄になっている。街中で動いている者はおらず、インコらしい鳴き声だけが聞こえる。

「社長はまだ寝ていますから、宿に案内します。昼頃お迎えにあがります」

案内人は済まなそうに頭をかいた。頭に巻いた手拭には「南洋商会」という太字が裏返しに見える。

「旅館は無いんか?」

「ありますけど、泊まるようなものじゃないですよ。それに、こちらでは土人が家に泊めてくれますからね」

「はあ、そうか。なら、旅館を造る手間が省けるわ」

「今日お泊めするのは、面白い場所ですよ。ちょっと他所には無い」

船員達は海光丸に寝泊りする事にして、宗光一行は土人達の集会所へ向かった。コロールの土人達はだいぶん文化的な生活を送っていたが、昔ながらの集会所はまだ残っていた。

造りかけの町から少し離れると、白い砂道の両脇には、種々の木々が繁り始める。森と呼んでいいほど緑が深くなった場所で、急にぽつんと開けた広場があった。そこに巨大な建物がある。井狩はすぐさま駆け寄り、子供のように目を輝かせた。

「これは何ちゅうものですか」

「ア・バイだったかな。土人の造れる建物の中では最大ですよ」

井狩はいかにも興味深そうにア・バイをスケッチした。椰子の葉で()いた破風屋根は地面に届きそうなほど広く、台風に備えてらしい。竹を横桁に渡した壁面は、大部分が石灰で覆われ、そこに鮮やかな彩色が施してある。種々の動物、労働の風景、神々の異様な顔……。

宗光はふと思いついて「土人達はこれをどれぐらいで作るんじゃ」と尋ねた。南洋紹介の男は苦笑して答える。

「どうですかね。村に一つあればいいという程度ですから。作り変えるとしても、神様にお伺いを立てたり、大事ですよ」

「ほいたら、酋長に頼めば良えのか。幾らぐらいかかる?」

「彼等には労働という観念がありませんからね。金を積めば、まあ、話にはなるでしょうけど。旅館を造るんでしたっけ」

「そうじゃ。その酋長に会わせてつかさい。ちょっと交渉してみる」

「まあ、どっちみちパラオ本島の方も土地はたくさんありますから、後でご案内します。通訳もつけます。詳しくはうちの社長と話してみてください。それまでは、このア・バイで待機をお願いします」

そう言い残して、案内人は去っていった。五十畳近い内部に入ると、片言の日本語を話す土人の男数人がア・バイの竹床に座布団を引き、食べ物を持って来た。揚げた実芭蕉(バナナ)やタピオカの団子、マンゴーにパパイヤ。特に、椰子の実の汁は乾いた喉を潤した。

満腹が一行に微睡(まどろ)みをもたらした。旅の疲れが溜まっていたのだろう、高床式の家を通る微風に涼み、竹の青い香りで鼻を洗い、南洋の午前は過ぎていった。

陽が高く昇り、一行は暑さで徐々に目を覚ました。いくら涼しい普請(ふしん)だとはいえ、熱帯の真昼は耐え難い。

と、ア・バイの入り口から呼びかける声があった。外に出ると、隻足の男が立っている。男の右足ではズボンが平たくなり、木の義足がはみ出ていた。傷痍軍人のような風貌だった。

「あんたは宗光さんか?」と、男は横柄に尋ねた。

「ええ、松屋汽船の松永宗光です。お宅は?」

「南洋商会の穂積幸之進だ。サイパンでは息子が世話をしたろう」

「のおた、社長さんですか」と、宗光は急にかしこまって、ア・バイの入り口に正座をした。

「そうだ。あんた、なんだか旅館を造るとか。南さんに面倒を頼まれてる」

「ええ、そうなんです。是非、色々面倒を見てやってつかさい」

2007年7月30日公開

作品集『方舟謝肉祭』第10話 (全24話)

方舟謝肉祭

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© 2007 高橋文樹

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