方舟謝肉祭(12)

方舟謝肉祭(第12話)

高橋文樹

小説

8,818文字

はるか南洋まで旅立った「宗おじさん」は、「地球村事業」の手ごたえを掴みながら、帰国の途につくが……。
性格の悪い語り手Fが描く小説はその加速度を増してゆく。傑作メタフィクション。

Chapter Three……方舟

三‐二 聖者の帰還

 

ともかくも、彼等は生きようとしていた。

生き残ったのは十七人だった。船医の田端をはじめ、残りの乗員三十七名は皆、海光丸と共に沈んだ。生き残った者達は二隻の船に別れると、何よりも先に海へ黙祷を捧げた。宗光は供え物代わりに自分の髪を抜いて海に落とした。

失った悲しみが(かたち)を取るより先に、二隻の船を寄り添わせて、持ち物の確認をしなければならなかった。まず、芸者達が後生大事に持ち込んだ衣類が少々。そして、小見が機転を利かせて放り込んだ布袋が二つ、それぞれ甘藷(かんしょ)と米である。続いて、種村のトランク。羅針盤、六分儀、海図、拳銃、筆記具、航海日誌など、航海に必要なものがぐしゃぐしゃに詰まっていた。その他、長谷浦が包丁、井狩は日記、水夫の一人が小さな工具入れを、もう一人が釣具一式を持ち出していた。避難艇から降りる時に使った縄梯子もある。避難艇に備え付けてあった物は、各艇に貯水樽一つと櫓が二本である。ただし、貯水樽に水は入っていなかった。

生きる可能性は限りなく低かった。広い太平洋で商船航路からも外れ、周囲には島一つ無い。帆船ならともかく、彼等には平たい船二隻に櫓が四本である。船位測定のための道具は揃っていたが、一番近い島まで、手漕ぎでは途方も無い距離である。乗員の半数近くが女であれば、人員のすべてが労力になる訳ではない。食料はまあまああったが、真水は今のところ無い。

それでも、種村と小見は生き残った二人の二等航海士を交えて生き残る方策を検討した。彼等は小声で話し合っていた。幽霊が泣くような声で。おそらく、その会話の中には他の者達の勇気を挫く言葉が混じっていたからだろう。自分がどうなるのか、誰もが知りたかったに違いない。しかし、誰も尋ねる勇気は無かった。

「真東に向かう事にしました。パハロス島を目指します」と、種村は厳かに告げた。

「どれぐらい遠いんですか」

井狩が尋ねると、種村は黙り込んだ。船長の沈黙に不安の色が広がる。それを押し留めようとしたのか、種村は「六〇〇海里です」と呟いた。不安は数の呪力を帯びて、絶望に色を変えた。

「まあ、こうなったら、行くしかない。漕ぐんじゃ。漕いで漕いで漕ぎまくるんじゃ」

宗光がそう言うと、水夫の一人が恐る恐る手を上げた。

「あの、帆を作った方が()えです。漕ぐのは疲れます」

「そんな事言ったってよ、どうやって作るんじゃのんた」

宗光の反論に水夫は気弱な態度を見せた。しかし、小見が「言うてみいよ」と促すと、困ったように「儂は船大工でしたけえ」と消え入りそうな声で呟いた。

船大工の提案では、櫓を一本犠牲にすれば、帆は張れるという事だった。衣類を釣り糸で繋ぎ合わせ、帆を作る。そして、縄梯子から取った縄で櫓を固定し、帆柱とする。どんな帆でも、有るか無いかで船足は変わる。

「よし、では、早速取り掛かろう。女衆には悪いが、衣類を縫い合わせてくれ」

種村の指示に従い、一斉に動き出した。針仕事をする芸者達と帆柱を作る男手で二隻に分かれ、それぞれの作業に没頭した。揺れる艇内での作業は(はかど)らなかったが、役割を与えられて初めて一同の顔に微かな光明が差した。

夜、もう日が沈むという頃になって、一隻分の帆が完成した。

芸者達は余った服をいったん(ほど)き、釣り糸と釣り針で縫った。縫い目も粗く、布も薄いが、一応風を捉える事は出来る。帆柱は、船底を彫って受け口を作り、釘と縄で固定したものだった。あまり安定せず、常にぐらぐらしている。

彼等の唯一の動力源であるそれらの帆のために、最も気を使わねばならないのは、風向きの変化だった。急造ゆえに簡単に帆を畳める構造になっていない。突風でも吹けば根元からぽっきり行ってしまうかもしれないし、帆が裂けてしまうかもしれない。

みすぼらしい帆である。が、()にも(かく)にも帆ではあった。

もう一本は作れそうになかった。帆柱の材料になる櫓はあっても、衣類が無いのである。仕方無しに、二隻を縄で(つな)ぎ、帆船が手漕ぎ船を曳航(えいこう)する事になった。

月はまだ半月にも満たない大きさだったが、それでも十分に明るい。眠れない者も多く、蜜々(ひそひそ)と話し合う声が聞こえる。その中に時々、啜り泣きや念仏が混じった。不安で眠れないのだ。

「もう寝た方がええ」

2007年9月6日公開

作品集『方舟謝肉祭』第12話 (全24話)

方舟謝肉祭

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© 2007 高橋文樹

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