方舟謝肉祭(14)

方舟謝肉祭(第14話)

高橋文樹

小説

10,719文字

多くの命を失いながらも、宗おじさんら一行は最後の希望を求めてあがく。海洋冒険小説はやがて幕を閉じ、驚くべき展開が……。

Chapter Four……マギー司郎と呼ばないで

(一)

 

やあ、DD。久しぶりだな。元気か? おまえと会わなくなってずいぶん経つが、そんなに変わりはないだろう。相変わらず女の尻を追っかけているんだろうって、勝手に安心しているよ。

俺がこうしておまえだけに語りかけているのは他でもない、どうしても伝えておきたいことがあるからなんだ。それは端的にいって、次の一言に要約される。

Don’t call me Maggy.  ――ぼくのことはマギーと呼ばないでくれ。

意味がわからないだろうな。だが、これは俺にとってとても切実な問題なんだよ。それ以前の問題かい? もしかしたら、自分に対して直接呼びかけてくる小説に出会って、ちょっとびっくりしているかい?

まあ、それはいいんだ、DDよ。なんといっても、これは小説だ。俺がこうして書いている間におまえがレスポンスをするのは小説の性質上どう考えても無理だから、俺はNHK教育テレビの「歌のおねえさん」さながら、呼びかけに対する返事を聞いたことにして、勝手に始めさせてもらうよ。なに、大したことじゃない。ちょっとした文学談義だ。

さて、DDよ。おまえはいつか、近代文学の祖、夏目漱石が書いた『こゝろ』に対して疑問を――それも、かなり挑戦的な露骨さで――呈したことがあったな。憶えているかい?

「なんで先生はこんな長い手紙書いたんすかね!」

おまえの疑問は実にシンプルかつ正鵠を射たものだった。いや、おまえは「正鵠を射た」なんて古めかしく表現されるのは嫌いだったか? 「間違いない」とか書いた方が良さそうだな。

そういう疑問は昔からあった。そこまで不敬というもんではなく、いくつかの答えも用意されてはいる。たとえば、明治期の日本には「告白」という制度がなくて、小説内の「個人」の苦悩に満ちた過去を詳細に語らせる唯一の自然な方法が、恐ろしく長い手紙をいきなり送りつけるという、えらく不自然な方法であった、とかいう。

実際、キリスト教文化圏の国、それも神父様の前で自分の罪を告白するのがごく一般的なヨーロッパの国では、「発見された手記」という設定の私小説がやたら多いんだよ。どいつもこいつも、自分の不倫やらなんやらを手記に残しておいて(それも大体机の中に入れっぱなしにしてあるんだ!)、それがひょんなことから発見されたという、「刊行者の前書き」とやらが序文に付されている。

サルトルなんかはそれをパロって『嘔吐』を書いたがね。まあ、パロディもある程度の文化的蓄積があってはじめてできる。ドストエフスキーみたいな手もありだな。登場人物全員を恐ろしくお喋りにする、とかな。

要するにだ。おまえの嫌いな、いわゆる「大人の意見」ってやつで答えるとなると、こういうことになる――『こゝろ』の時代にはまだ蓄積がなかったから、恐ろしく長い手紙という不自然な方法で告白させざるを得なかったのです、だからあの歴史に名高い『こゝろ』の悪口をいうんじゃありません、揚げ足取りみたいなやり方で日本近代文学の発展にケチをつけるんじゃありません……。

そうだな、俺の「縞状力学」によれば、こんな風に意地悪く言うこともできるだろう――おまえが『こゝろ』に対して反発するのは、文学としての正統と未だ位置付けられていない作家の(つまり、既得権益層に属さない者の)単なる嫉妬だ、と。

DDよ、まだ怒るのは早いぞ。俺はまだ自分のほんとうの意見を言っていない。俺の話はとてもとても長いんだ。焦るなよ。

ともかくだ、「頭でっかちな人の好む名高い名作より、自分たちの心にダイレクトに響く小説を書きたい」という気持ちはわからなくはない。たとえそれが既得権益層に属さない若い書き手の愚痴だとしても、だ。その点については俺も同意する。押し付けられた「文学的権威」なんてクソ食らえだからな。俺たちは俺たちのほんとうに求めるものだけを書きたい。そこには同意するよ。

だがな、DD。一つ問題がある。現実には名高い名作はけっこう売れているんだ。正直いって、どこの馬の骨かわららないやつが書いた小説なんかより、世の中で信頼された作家の作品を読む方が安心するだろ? おまえは漱石の『こゝろ』や太宰の『人間失格』が年に何万部売れているか知っているか? そして、その累計部数は? この数はおまえの将来のためにいわないでおこう。とりあえず、うんざりするような数字だ。恐ろしいことに、古典というのはなかなか古びないのだよ。ゾンビのように。そしてそのくせ、現代人の心に結構ダイレクトに響いたりするんだ。人々はそれを求めている。嫌になる。

でもな、DD。おまえが『こゝろ』に対して抱いた疑問を、揚げ足取りだとか、嫉妬だとか断ずることなんて、いくら俺が「縞状力学」の提唱者だとはいえ、できないよ。俺の唯一にして最後の弟子DD。そして、元弟子でもあるDDよ。

 

いつか、おまえはある女の子の書いたEメールを俺に見せてくれたことがあった。そのメールはたしか、おまえの友達に宛てて送られたもので、そのメールを面白がったおまえの友達は、色んな人に転送しまくった。俺はよく覚えているよ。「いままでずっと……」とかいう件名が付けられていた。おまえはそれを笑いながら見せてくれたっけ。

メールは二通に分かれた告白、つまり「告りメール」だったな。活字離れした若者が、携帯メールで送れる量の目一杯まで書くなんて、大した努力じゃないか。そして、おまえの友達はそれを「見ろよこれ、超ウゼー」といって、ある種の「ネタ」として転送してきた。そうだろ?

『ずっとずっと隠してきたけど、もうダメになっちった……好きだよ。ずっと好きだった。友達だと思おうとしたことも何度もある。***に彼女ができても、「おめでとう」ってがんばって言えるようにがんばった。ずっといっしょにいたかったから。いまの関係こわしたくなかったし。でももうダメ。なんか、蓋がポーンて飛んでっちゃった』

これは俺がおまえから転送してもらったメールの原文ママの引用だ。俺達はこれにツッコミまくった。『がんばって言えるようにがんばった』とは何語だ! おまえは普段「蓋」なんて漢字書けねーだろ! などと、意地悪くな。

2007年10月14日公開

作品集『方舟謝肉祭』第14話 (全24話)

方舟謝肉祭

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© 2007 高橋文樹

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