Chapter Four……マギー司郎と呼ばないで
(三)
俺がこれから紹介するすべての資料に総題をつけるとしたら、『呪詛』とでもするのが適当だろう。実際、怨嗟の声というのは、どうしてかき消されてしまうのか。そしてまた、なんとか細く、弱々しく、それでいながら長く残る事か。
DDよ、俺のお祖母ちゃんが宗おじさんをなんて罵ったか、覚えているか? アレは噂に違わぬ「人食い鬼」だったよ。
・呪詛の一、紀和氏
さて、DDよ。おまえは紀和氏を憶えているか。宗おじさんの家に居座っていた、あのチンピラみたいな爺さん、パブ「中国女」のオーナーだよ。俺は柳井の家が誰の手に渡ろうがどうでもいいんだが、親戚の家に知らない人が住んでいるのはどうも奇妙だとは思っていたんだ。あの几帳面な松永家の面々が、財産譲渡をすんなり認めるわけがないからね。
それに加え、紀和氏がミツムネ氏と電話していたときの口調を憶えているかい? なんというか、相手の話を最後まで聞かずに「あー、わかったわかった、とにかく俺のいうことを聞け」という感じだよ。俺もおまえに対してああいう風な態度に出ることがあったが、基本的には悪いことだと思っている。結局あれは舎弟に対する態度だろう?
なぜ紀和氏はあんなに威張っていたのか? いや、それよりももっと疑問に思うことがおまえにはあるだろう。なぜ、俺はこの小説に紀和氏を登場させたのか? 俺が意味もなくあの爺さんを出すと思うかい? まさか。
俺は柳井を再訪する前、海光丸沈没事件が当時の新聞に載っていないかと、新聞の切抜きを調べた。そしたらまあ、ちゃんと大きく報道されていたよ。遭難事故は珍しくなかったんだろうが、さすがに一月遭難して助かったというのはあまりないんだろう。とはいえ、当たり障りのない記事で、宗おじさんが『昇龍絶夢』に書いた以上の情報はなかった。
ただね、不思議なのは、生き残ったのが宗おじさんと芸者のみつさんと、画家の紀和久実という風に報道されていたことだよ。画家? そっちの方がどう考えたって面白そうじゃないか。どうして宗おじさんは彼の小説で「若い水夫」と書いたのだろうか? 「画家の紀和氏」と書かなかったのは、そうできない理由があったんだろうか?
何かあると思った俺は、もう一度紀和氏の元を訪れ、『方舟』を読んでもらった。紀和氏は激怒したよ。あれはこんな立派な人間じゃない、すべてはやつのせいだ、とね。驚くべきことに、紀和久実というのは、紀和氏の親父さんだったのさ。
これは相当恨んでいるな、と色々訊いてみたところ、出るわ出るわ、悪口が。例のICレコーダーに収められた時間は総計で二十時間に昇る。ミツムネ氏の倍だ。ムニャムニャムニャムニャ、山口弁でまくし立ててくれた。
なにはともあれ、DDよ、すでにして驚くべき事実が明かされた。なんと、紀和氏はあの柳井小町みつの息子だったんだ。
紀和氏の宗おじさんに対する恨みというのは、直接的なものもあるだろうが、大部分は母親から受けついだ二次的なものだといっていい。ここにも「血のこと」は関係してくるわけだ。
ただ、なぜみつさんは息子にまで受け継がれるほどの憎しみを、宗おじさんに対して抱いたのだろう? 一緒に大事件を生き残った盟友なら、感謝してたっていい。宗おじさんはなにをやらかしたのか?
その謎を証し立てるものとして、みつさんの取っておいた宗おじさんの手紙があった。ミツムネ氏から貰った手紙の中にもみつさんの手紙は入っていたが、それだけじゃよく解らなかった。双方二つの手紙を突き合わせて読むと、一つの実相が浮かび上がって来る。
海光丸事件から生き残ったみつは、夫になった紀和久実と共に女給を置いたカフェーを経営している。今でいうキャバクラだ。その資金は宗おじさんから捻出していた。それは宗おじさんの自発的な寄付というより、みつ側の要望による。つまり、みつさんの手紙は「慇懃な脅迫」であり、宗オジさんの手紙は「追い詰められた悪党の悲鳴」であったわけだ。
ただ、俺に納得が行かなかったのは、みつさんはともかく、なぜ紀和氏がそんなに恨んでいるのか、ということだ。いくら恨みの英才教育がしっかりしていたからって、紀和氏からしたら宗おじさんは自分が育つための資金源になったんだから、そんなに恨むもんでもないだろ?
俺がそこらへんを問い詰めると、ポックリいくんじゃないかというぐらい、紀和氏は怒った。ひっつめ髪の地肌が真っ赤になるぐらい声を荒げて、宗おじさんのことを罵るんだよ。でも、それはなんというか、喉の奥に何かひっかかったような、ひどくぎこちない話し方だった。それはまるで、愛情の裏返しみたいな呪詛だったよ。
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