七 二羽——一羽

歌 and ON(第7話)

高橋文樹

小説

5,130文字

饒舌屋が一人は居なきゃ、話が前に進まない。リリィと別れた老人の元へ、チビとデブのラッパーが二人かけよってくる。「売りが無いなど、泣き言云うな」全編七五調で書かれた衝撃のヒップホップ小説。

別れの後の静寂に、爺が煽ぐ火酒ウイスキー。出会いの数奇あやは神の気紛れ——と、落ち着かぬのも、理由わけ有りで。若い頃、あんな可愛い娘と恋をしたかった、と、年甲斐も無く羨む気持ち。そして亦、孤独地獄ひとりぼっちで不良の孫を探す無聊たいくつ

手元に残る嬰児あかごの写真——と、思った筈が、胸内袋ポケットは虚無の手触り。耄碌したかと省みて、いやいや、矢張り、消えたぞ——と、脳髄を寒気がすっと駆け上がる。其れなら——と、懐中探り、御神籤出せば、真ん中で破裂ゝぱりりと裂けて真っ二つ。あの娘、もしや真実まことに迷ったか。火酒を仰ぐ、胃の腑が焼ける。

怪談などじゃあるまいし——などと最初はじめは頻りに否み続けるが、九十歳そつじゅ超えれば、そんな物かとしっくり馴染む。想い迷うも悪くない。其れだけ人を想った証拠あかし

老いの極みの感傷に耽っていると、其れを邪魔する男が一人。襟立襯衣ボタンダウン生真面目かっちり羽織る背広ジャケットは、歌小屋クラブで踊る為じゃなく、業界人の仕事着フォーマルか。

「もしかして、自由振楽フリージャズの新宿三ツ星トライスターに居た……済みません、名前を失念しちまいました」

伺う男の視線には、畏れ多さを装った、商機窺う光が燦然きらり。素早く名刺を取り出して、さっと机に置いて見せ、此方こっちの意見も聞かないで、暢ゝすらすら先を進めていった。

「こんな時、お眼にかかれて光栄ですよ。あの店は若い頃、能く行きました」

どんな時だ——と、睥睨するよに名刺を見れば、高名な音畜盤レコード会社の斡旋スカウトで、言われてみれば、年甲斐の無い金髪に、首から下げた携帯電話、其の風貌は業界風。

「貴方みたいな大手の人が、こんな中古に何の用だね」

いえ、実は視て貰いたい新人が今夜生演奏ライブに出るもので」

男の指に促され、扉の方に眼を遣れば、不釣合ちぐはぐの二人が妙に気に成った。あれか——と、問えば、斡旋スカウトは愛想笑いで頷いて、此方ゝゝこっちこっち——と、手招きをする。太った方が屈むのは多分御辞儀の算段つもりだろうか。小さい方は自信無さげな顔で笑った。来るより前に暫くの間を置いたのは、腹を括った時間の所為か。小さい方が長椅子ソファの横まで来て一礼。

「今晩は。珍しいすね。爺さんがこんな所に一人でなんて」

「其れは可愛い道連れがつい先刻さっきまで居たんだが。たった今、廃棄ふられたよ」

「へえ、やる事かなり若いすね。俺が今まで見た中で、文句無しっす、最年長。女に夢中、世界記録ギネス級」

左様そうかい、其りゃ亦、光栄だ。其れでお宅は……期待されてる新人か。どんな音楽演るんだい」

「其れはこれ見て、この恰好かっこ。何処を如何、割り引いたって、悪餓鬼流ビーボーイスタイルでしょう」

かいなを開いて見せるのは、背伸びした子供の服装らしき物。蛇足だぼついた丁襯衣ティーシャツの胸、大きな文字で忌語ファックと書いて、裾にもたつく藍染ジーンズの、其の亦下に、でか灰黄色ベージュ裏革スウェード靴。髪形は真ん中残しの猛者刈モヒカンで。

「何の小僧ボーイか、理解不能さっぱりだ。給仕でもすると言うのか」

「まさか。生演奏ライブ出演るんすよ。後方うしろ色眼鏡グラサン掛けた豚、其れに皿回ディージェイの奴がも一人、準備で此処に居ないんすけど。全部合わせて三次元スリーディー。御見知り置き、宜しく、アンド確認チェックしな」

三次元スリーディー……聞いた名だ。貴方等あんたら、今日の大取か。随分と余裕のようだ」

「其の所為で、取り零すのも多いけど」

からからと陽気な声で笑うにつれて、余ゝぶかぶかの大きな服が無邪気に揺れて。派手な髪とは裏腹に面然のっぺりとした顔に在る眼は、笑い無くても変わらず細い、能面めいた一筆書きか。

「処で今日の大取が、こんな爺に何用だ」

「其れなんですよ」

斡旋スカウトは身を乗り出して饒舌に。聞いた話じゃ、今夜の大取三次元スリーディー、近頃どうも伸び悩み、流行はやり振楽ジャズ街角芸能ヒップホップ導入れては試たが、振楽風ジャジーに成った自信無く、耳の確かな人の意見を取り入れたいと、思っていたら、其処に偶ゝたまたま自由フリー振楽ジャズから大御所が。

「この爺さんは偉いんですか」

斡旋スカウトが再度呆敲ぽこんと一発叩く。痛え——と、呻く男を眺め、爺は明るく笑って云った。

2015年8月20日公開

作品集『歌 and ON』第7話 (全8話)

歌 and ON

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© 2015 高橋文樹

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