地獄行きのチケットを握りしめて

プルーストが読みきれない(第4話)

高橋文樹

エセー

7,429文字

私と母の介護生活は終わった。そこで得られた知見を私は共有したい。今回から二〇二五年問題と介護にまつわる実践的な内容を書いていく。

こうして、母と私の四年にわたる物語は終わった。この体験は私にとって苛烈ではあったが、ひどいことばかりではなかった。親子の最後の時間として実り多い時間だった。

とはいえ、「色々大変なこともあったけどなんだかんだ乗り切ってよかったね」と『オデュッセイア』方式で終わらせるつもりもない。これから先は実践編として、情報収集・金・家族・メンタルセット構築などについてのハウツーを、私が事後に知った情報も含めて紹介していきたい。もちろん、私の母は亡くなってしまったが、恵まれていた点もあるので、そういう点はなるべく書いていくつもりである。

二〇二五年問題と介護離職

問題の二〇二五年が到来したわけだが、もしあなたが一九七九年生まれの私と同世代(プラスマイナス一〇歳)であれば、もうこの問題に巻き込まれてしまったと考えてよい。当事者である。以降、注釈なく「私たち」と書いた場合は、私と同世代の方に向けて書いていると判断してもらいたい。

二〇二五年問題と一口にいっても色々あり、日本で最大の人口ボリュームを誇る団塊世代(一九四七年〜四九年生まれ)が全員後期高齢者(七十五歳以上)になることで引き起こされる問題全般を指す。後期高齢者とはたとえば介護予備軍であり、いま元気な人であってもあっという間に要介護状態となる。日本人の老い方をデータ分析してみた 男性は25%が75歳までに亡くなり、女性は80代で3割が要介護にというヤフーエキスパートの記事を読むと、要介護認定を受ける六〇代はわずか二・三%と少数派だが、七十五歳から増え始め(一〇%超)、九〇代では女性の八〇%が要介護状態になる。また、どの本で読んだか忘れたので出典不明を承知で紹介するのだが、介護を受けないまま亡くなる人は数%、一%とか三%とか、せいぜいそんなところだ。死ぬまで介護が必要ないと想定することはとてつもなく分が悪いギャンブルである。

 

まとめると、いますぐ要介護になってしまってもおかしくないし、要介護になることがほぼ確定しているのが私たちの親なのである。

 

さらに、私たちの多くは働き盛り世代・子育て世代である。労働者としてはそれなりに責任のある地位についていることもあるし、不安定な非正規労働でハードワークをしている人もいるだろう。子育て世代としては子供の手が離れた人もいれば、新生児を抱えている家庭もあるだろう。共働き世帯も多く、昭和各家族的な「妻に義母の面倒を見てもらう」という価値観も薄れている。そうすると、あなたは子育てと仕事を両立しながら介護しなければならない可能性さえある。そして考えうる最悪のシナリオは介護離職である。介護離職したあとで復職するのに平均して一年がかかるらしく、親の介護費用も当然ながら発生する。介護離職だけは絶対に避けなければならない。

政府はすでに介護離職についての危機感を表明しており、ただでさえ人口減少と人手不足なのに、残った人手も介護に回ってしまう状況を軽減しようと、さまざまな方策を打ち始めている。ビジネスケアラー(働きながら介護する人)という言葉で呼び始めたのもその表れだ。私たちの中には氷河期世代も多く含まれているはずで、やっと手にした正社員の地位を介護によって失う可能性さえあるのだ。

 

もう一回、まとめよう。私たちの親は要介護になることが運命付けられており、私たちはそのうち働きながら介護をしなければならなくなるのだ。

 

まだ経験をしていない人のために伝えておくと、働きながらの介護は地獄である。私は理不尽な状況に陥ってもパニックになりながらとりあえず手を動かし続けるタイプの人間なのだが、人によっては絶望の波に押しつぶされてしまうだろう。残念ながら、あなたがその地獄を回避できる可能性は一%程度だ。地獄行きのチケットはあなたの名前で予約済みだ。

私たちはすでに当事者である。地獄を少しだけましな地獄にするためにやれることをやっておこう。

情報収集と戦力分析はすぐやる

日本の介護保険制度は世界一と言われるほど充実しているらしい。ただ、そのサービスを受けるためには自分で申請する必要があり、あなたが申請しない限りサービスが向こうから「大変でしたね」「メイ・アイ・ヘルプユー?」「私が来た(ドン!)」とやってくることは絶対にない。

 

まず地域包括支援センターを訪れておこう。これは自治体にリストが掲載されていて、たとえば千葉県なら県のウェブサイトに掲載されている。私のように実家が近くにない人は、親の家の近くで探すことになる。一番てっとり早いのはGoogleマップで検索して突撃することだ。具体的な相談事があれば話してもいいし、口を聞きたくなかったらパンフレットをもらって帰ってこよう。介護サービスの種類や施設の紹介などをまとめたパンフレットが存在する。実際、私は介護認定の七段階(要支援二・要介護五)をこのパンフレットで知った。問題点として、地域包括支援センターの営業日は平日であることが多い。親が遠方に住んでいる人は正月・夏休みなどの長期休暇のタイミングでしか帰省しないことも多いだろう。また、親だけをそこに行かせても、意味がない(大丈夫だといって帰ってくる)、またはそもそも行かない可能性が高い。個人的には有給を取ってでも一度訪れておいた方がよいと思っている。言うなれば、自発的にビジネスケアラー体験をしておくのだ。

施設についても調べておくべきだ。持病があるなら病院に通う必要があるし、デイケア施設などの場所も確かめておいた方がいい。また、入所する施設としてサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)や特養(特別擁護老人ホーム)、ケアハウスといった様々な施設があり、利用できる条件は金銭面だけでなく、要介護者の状態によっても異なる。これこれの状態になったらこの施設に行こう、家を売ってサ高住に入ろう、など折り合いをつけるポイントを把握しておくべきだ。

 

書籍なども二、三冊読んでおこう。できるなら複数読むことをお勧めする。もし親に持病(私の母の場合はパーキンソン病)があったり、特殊な事情があるなら、テーマを掘り下げた本を読んだ方が良いだろう。なぜ複数読むべきかというと、みんな事情が異なるからだ。また、「本にするぐらいの体験」が本になっているので、自分のケースよりもめちゃくちゃ大変だったり、大変ではなかったりする。

たとえば……

  • 『ビジネスケアラー 働きながら親の介護をする人たち』(著・酒井穣、ディスカバー・トゥエンティワン、二〇二三年)という本はビジネスケアラーをタイトルに冠した数少ない本だが、参考になりつつも、この著者の介護期間が三〇年というあと書きを読んでひっくり返ってしまった。いくらなんでも長すぎるだろう。この介護を乗り越えた著者を尊敬する。
  • アマゾンの聴き放題オーディオブックサービスAudibleには東洋経済などの介護特集がたくさんラインナップされているのだが、そこで紹介されるケースも「叔母二人の介護を親戚から押し付けられた独身中年男性」「障害のある子供を育てながらの両親介護」といった、私の介護など遊びだと言わんばかりのハードな事例だ。

このように、参考になりそうな事例をいくつかつまみ食いして、知識の幅を広げておこう。

スマホで使えるニュースアプリではトピックを設定できるので、「介護」などもキーワード設定しておくと良いのではないだろうか。とりわけ、二〇二五年問題に関連してさまざまな制度改定が予定されるており、介護保険法改正と介護報酬改定は定期的に行われている。あなたの近くの特養が人手不足で閉鎖してしまうかもしれないし、認知症の受け入れ幅が変更されるかもしれない。要介護三級の認定要件が厳しくなるなどもありえる。アンテナは高くしておくに越したことはない。

 

情報収集と同時に、自分の親の戦力分析もしておこう。ここでいう「戦力」とは当人の状況のほか資産・親戚関係などだ。たとえば、私の母の戦力は次のとおりである。

  • 独居(猫二匹)。独居はリスクが高いが、介護認定は受けやすい。
  • 家族は子供二人、娘は東京の共働き世帯(子育て中)、息子は千葉の片働き世帯(子育て中)。子どもが二人とも子育て世帯なのはマイナス要因だが、息子がすぐ近くに住んでいるのはとてつもないアドバンテージだ。
  • 国民年金+年金基金で月九万ほど。高くはないが、低くもない。後述するが、年金基金を積み立てたことはファインプレーだった。
  • 戸建てとアパートを所有、有価証券などの金融資産はなし。すぐ動かせる金額(現預金)はあまり多くないが、アパート所有はとてつもないアドバンテージ。
  • 近い親族に要介護者などはなし。つまり、介護をしている最中に他の親族の介護が始まる可能性は低い。
  • 家族仲は良く、揉め事もそんなにない。

私は早い段階で母の資産を管理することになったが、親の資産を把握していない人も多いだろう。見栄っ張りで金を持っているふりをしていた親がいざ介護が必要になったら現預金をぜんぜん持っていませんでした、という状況は避けたいものだ。また、結婚している人は配偶者の親戚がどういう構成になっているかも確認しておこう。紹介した「親戚の叔母さん二人の介護を押し付けられた独身中年男性」のような状況がありえるのかどうかで事情はぜんぜん変わってくる。良いパターンとして、介護を経験した人が身近にいるならば、その人の話は参考になるはずだ。

介護離職を避けるためにも、会社に利用できる制度が存在するのか確認しておこう。大きな会社なら人事部が、小さい会社なら経営者に聞こう。いまは制度が存在していなくても、育児・介護休業法が二〇二五年四月に改正されるので、自社の制度改正にいっちょかみを試みてもいいのではないだろうか。魅力的な介護制度は会社の魅力を高めることにもなる。私の場合もフルリモートワークでなければ地獄度は格段に上だっただろう。

 

一般的な知識と親とあなたの持つ条件をよく検討し、「これがあったらヤバいな」という要素がないか、よく洗い出しておこう。今すぐに、だ。それによってあなたの手に握りしめられた地獄行きのチケットの行く先が少し変わる。

家族を冷静に値踏みする

親との関係は介護の難易度にかなりの影響を与える。

  • 支配的な親であれば、なんとか非常勤講師で食い繋いでいる文学研究者のあなたに「自宅で死にたいので全部面倒を見ろ、大して稼げもしない仕事は辞めろ」と言うかもしれない。
  • 見栄っ張りな親なら「私には介護なんて必要ない、ピンピンコロリ一択」と介護に備えること自体を拒否するかもしれない。
  • 私の母のように「いまはぜんぜん大丈夫、もし介護が必要になったら老人ホームでもなんでも入るからね」と言うかもしれない。

家族の数だけ形があるので一概には言えない。この点に関して、私はとても恵まれていた方である。私の母は常々、子どもたちのために犠牲になることを厭わない性格だった。晩年の介護における柔軟な姿勢にも現れていたように思う。特養に入所する際に少しゴネたことはすでに書いたが、私の母は認知症になった状態でも私とその子どもたちを苦しめてまで自宅にいることはよしとしなかった。そういう意味で、私の母はとても偉かった。

いずれにせよ、言質を取るのは重要だ。物件は処分してよいか? どのような施設なら入ってもよいか? など、証拠として残しておこう。私の経験から役立ったのは、インタビューを装って動画を撮ることである。あとで見せるときに「ほら、このときこう言っている!」と確認しやすい。言った言わないの記憶に頼った論争になった場合、記憶を失っている親を論破することは不可能である。遺言書のように紙で残すと法的拘束力は強いが、親の抵抗感は強そうなので、無理強いはしない方がいいだろう。

親の希望については、少し悲観的な予測を立てておいた方がよい。いつでも老人ホーム入るからね、からの「まだ大丈夫」を前提としよう。私たちの親は自分が要介護者になることをまだ認めたくない場合が多い。

 

自分の家庭を持っている場合、許容できるラインを決めておこう。「介護離職をしたら復帰に一年かかるらしい」とすでに書いたが、あなたのパートナーがけっこう稼いでおり、何年か仕事をやめていてもなんとかなるというケースもあるだろう。その場合、介護離職を絶対してはならない、というわけではない。

一方で忘れてはならないのが、あなたが親を介護しなければならないように、あなたのパートナーも親を介護しなければならないのだ。もちろん、すでに親が亡くなっているなどいろんなケースはあるのだが、先に介護をする羽目になった人はこの観点を忘れがちなので注意した方がよい。たとえば、「夫婦で貯めた五百万の預金を親の介護のために切り崩したが、パートナーの親の介護をする段になったら一円も出せない」という状況では、あなたがたとえ親の介護を乗り越えたとしても、夫婦の老後に大変な禍根を残す可能性がある。

子どものいる家庭では「親よりも子どもが大事」という優先度を決めておこう。厳粛な事実として、子どもは成長するが、親は衰えて死ぬだけだからである。まだミルクの香りがするうんこのついた新生児のオムツを変えるのは全然辛くないが、大人のうんこのついたオムツを変えるのはかなりくる。子供の年齢によっても様々なステージがある。この点はとにかく話し合うことで優先度を決めておこう。ある程度成長してケア精神溢れる高校生ぐらいの子どもであれば、おじいちゃんおばあちゃんの介護を喜んで引き受けるかもしれない。それは情操教育としてけして悪い面だけではないだろう。もちろん、子どもをヤングケアラーにしてはいけないのは当然である。

なんにせよ、これらの約束は具体的にしよう。「まだ大丈夫」ではなく、「要介護二級になったら」とする。「お金の面で迷惑をかけない」ではなく、「最大で月三万円まで」「ビタ一文として金は出さない」とする。とにかく具体的にしておこう。また、この線引きが将来的にやばいことになる可能性も大いにあるので、適宜更新できる余裕を持たせておくことも大事だ。これは遺言書などを作成する場合にも言える。親密な間柄にある人たちの言質を取ることは辛いが、未来を守るために悪役になることも必要だ。

 

そして、家族や親族に対して防衛的な判断もしておこう。たとえば近しい親族に私と同じように会社経営をしていて、金銭的に困っている人がいたとする。たとえば、あなたの弟がそうだとしよう。介護施設への入所にあたっての資金を捻出するために、自宅を売却しようという段になって、あなたの弟は自分の取り分が減ることを恐れて売却に反対するかもしれない。こうしたリスク要因になる親族がいないかどうかを洗い出しておくことも必要だ。幸い、私はそういう目に遭わなかったのだが。

キャリアの喪失を受け入れる

あなたがビジネスケアラーとして仕事をしながら親の介護をし、介護離職は免れたとしよう。だが、あなたはキャリアを喪失する。職を失わなかったとしても、なんらかの停滞期に入ることは避けられない。

たとえば私は二〇〇一年に作家としてデビューしてから自分で会社を作るなどの紆余曲折を経て、二〇一六年ぐらいからSFを中心に作品を発表してきた。子育てと仕事をしながらなので遅々としたペースであったが、商業誌に載り、短編が選集に選ばれるなどしていた。しかし、私の熱心な読者なら、二〇二〇年以降にそれがぱったりと途絶えていることに気づくだろう。二〇二一年に『アウレリャーノがやってくる』を上梓しているが、この原稿は昔に書いたものが大半である。つまり、私は生活の糧を得る手段を失いはしなかったが、親の介護に突入したのちにアイデンティティである作家活動に大ブレーキがかかっているのだ。しかも、商業活動を再開した直後にである。また、私はWordPressというソフトウェアのオープンソース活動に熱心で、Capital Pという専門メディアを立ち上げたのだが、これもまた二〇二〇年以降にガクッと更新頻度が落ちている。情報科学の大学院に社会人として進学する目標も延期したままだ。私は会社経営・役員なので出世とは無縁だが、会社員なら出世レースからの脱落として現れるだろう。認めたくないことだが、私が介護に時間を取られたことによって、私の会社の売り上げは目標を下回っているのだろう。あなたが介護休暇をとってなんとか介護を乗り切ったとき、あなたの同僚は密かにあなたを恨んでいるかもしれない。

 

このように、親の介護を始めるとキャリアは停滞する。もっといえば、あなたが成し遂げられるだろうと思っていたものはその手から失われる。

そもそも子育てでも「キャリアの喪失」は起きる。世の女性のうち母親になったことでキャリアを失った人は数えきれない。『母親になって後悔してる』という本(新潮社、二〇二二)が話題になったことも記憶に新しい。だが、介護と子育てで決定的に異なる点がある。子どもは成長するが、老人は衰えて死ぬのだ。子どもは可愛いが、老人はそこまで可愛くない。子供のウンコは臭くないが、老人のウンコは臭い。キャリアの喪失の根本原因となる存在が美しいか美しくないかは重大な問題だ。

これはもうしょうがない。地獄のありふれた一風景として諦めるしかない。

私の場合、親の介護をすることで失ったものはあったが、その期間で育ててもらった恩を返すことができたと肯定的に考えている。認知症状の進行した母と通院時にいろんな寄り道をした体験は、私が幼かった頃に母とどうということのない近所を巡った古い記憶を呼び覚ました。ちょうど、『失われた時を求めて』の語り手が紅茶にマドレーヌを浸した瞬間に過去の記憶を思い出したように。人生でこういうことがあるのか、という新しい発見だった。この体験は、きっと作家としての私に役立つのだろう。

 

自分を納得させる方法については人それぞれだ。もちろん、最終的に「親の介護はほんとうに地獄だった」で終わることがあるかもしれない。しかし、それはそれで一つのあり方だ。私は地獄に咲く花もあると信じている。

2025年1月8日公開

作品集『プルーストが読みきれない』最新話 (全4話)

© 2025 高橋文樹

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