二〇〇七年四月二十五日(消印・那覇)
前略、ハニー・ペイン。
突然のお手紙で、びっくりしたかい? しかも消印を見てくれ、なんと那覇だよ。ゴーヤ柄の切手だってとってもスペッシャルだろ?
まあ、訳がわからなすぎて、君はいまごろ、セクシーなツムジの上に五〇〇個ぐらいクエスチョンマークが浮かべているだろうね。目に見えるようだよ。
ともかく、こうやって君に手紙を書くのも、なんだか懐かしいよ。ほんの短い間に環境が激変したからね。そうだ、君は映画が好きだったから、ヴィム・ベンダースとかを見たりするだろ? ぼくは『パリ・テキサス』ってのが大好きなんだ。別れた妻を捜し求める夫がついに見つけた彼女はテレクラ嬢みたいのになってて、夫は妻とマジックミラー越しに向かい合い、とうとうと独白をする……というのがラストシーンだったよね。一人語りをする男の惨めったらしさがスペッシャルだよ。
でもね、ハニー、だからって「君のことはパリ・テキサスと呼ばせてもらうよ」なんて書かないよ。ぼくはハニー・ペインっていう名前が気に入ってるんだ。甘さと苦さの入り混じったメロウな響きが素敵だよ。それに、ハニーって呼びかけると、自分の恋人みたいだしね。
――それはあなたの勝手でしょ!
ハニー、君はそうツッコんだね? でも、気のせいか少しツッコみが優しいよ。まあ、それもこれも、すべてぼくが書いたことだけど。
そう、ぼくが君に手紙を書こうと思ったのはね、ちょっと気になることが一つあったからなんだ。ただ、それを聞くだけというのもアレだし、ぼくもいくつか報告したいことがあるから、またしても物語調に書くこととしよう。
そうだ、君はまだ小説を書いてるかい? とばぎんビルの物語は、最後の方が暗くなったんじゃないかと心配していたんだよ。あれだけ明るく書いてくれと言ったのに、ぼく自身がなんだか暗くなっちゃって、悪いことしたね。やっぱり病院のベッドでものを書いたりしちゃあ、暗くなるだけだよ。君も覚えとくといい、書く体勢が文体に影響を与えるってことをね。
いまやぼくはすっかり元気になって、週末は沖縄の海でフィーバーしてるぐらいだから、とっても元気だよ。
それじゃあ、始めようか。
ぼくはゆっくりと目を覚ました。
手術はすでに済んでいたんだけれど、痲酔が効いているあいだに大事なものをたくさん逃してしまったような気がした。なんだか、どうしようもなく悲しかった。
明け方になってようやく麻酔が抜けた頃、ママンがお見舞いに来てくれたよ。さすがに母親だからね、おろおろしながらも手術の成功を喜んでくれたんだ。ぼくの出生の秘密から始まり、警備員として地に墜ちるまでのストーリーを何度も話すんだ。そう、油田さんと同じ、ぶっ壊れたコンポみたいにね。
聞き飽きるという以前に、ぼく自身の物語なんだから、そう何度も聞いてられない。ぼくはなんだか腹が立ってきてね、こう言ってやった。
「ママン、その話はもうどうでもいいよ。イの一番でお見舞いに来てくれたのは嬉しいけど」
「あら、あんた、でも、誰か来てたみたいじゃない」
ママンはそういうと、ベッド脇にあるテレビ台の下に手を伸ばした。そこにはとてもゴテゴテした、虫みたいな細工の万年筆が置いてあったんだ。
たぶん、シーサーだった。ぼくはいつも、付き合った子の前で万年筆をほしいと言うんだよ。それ以外、人前で言ったことはなかったんだ。人生のどん底の時期にあって、もう別れてしまった女の子が手術後に置いていってくれた万年筆。それはたしかに、ぼくの抱えていた暗さをまろやかな筆致で塗りつぶしてくれたんだよ。
いつか、お礼に行こう。そう思いながら、ぼくは動けずにいた。なんたって、足にはボルトが二本も入っていたからね。それに、職探しをしなければならなかった。拘束時間の長いところに就職してしまうといいことができなくなってしまうから、ちゃんと条件を選びつつやらねばならなかった。
といってもこのご時世だからね、資格の一つもない限り、自由に働くことはできないだろう。ぼくは病院のベッドで看護士さんにちょっかいを出しつつ、その裏で資格の勉強を始めたんだ。パソコンやら簿記やら宅建やら、単品ではどうにもならないけど、お手軽に取れるやつだよ。
そのうち、彦ノフやChanもお見舞いに来てくれた。するとね、驚いたことに、ぼくが入院している間に彦ノフは次の仕事を始めていたんだ。なんと漫画家のアシスタントだよ。しかも、格闘技好きなら誰もが知っている有名漫画家の。
「でも、アシスタントってよくないって言いませんか?」
と、給料を聞いてジェラシーを燃やしたぼくは尋ねた。
「週一で一回が四十八時間労働だからね。時間は結構あまるよ」
「そうじゃなくて、創作態度に与える影響ですよ。ほら、アシスタントってけっこう食えちゃうっていうじゃないですか。そうすると、自分のものを作ろうって気が……」
「フェル樹くん、それはもちろんわかってるよ。長居するつもりはないからね」
そういう彦ノフにはドラえもんっぽさがかけらもなくて、なんだか毅然としていた。いまだったら神取忍にだって勝てそうだとさえ思ったよ。
やがて彦ノフは帰っていった。携帯電話で先生に呼び出されたんだ。新入りゆえにありとあらゆる雑用をしなければならない彦ノフは、使いっぱみたいだったけど、それでも少し輝いていたよ。
「なんだか、ちょっと差がついちゃいましたね」
ぼくが呟くと、Chanは乾燥ワカメをボリボリ食いながらこう応じた。
「まあ、俺らもSOいう時期に来てるってことさ」
ハニー、君は驚いたかもしれない。Chanには何一つツッコみどころがなかったからね。以前なら、それが逆にツッコみどころになるんだけれど、そのときはぼくも一緒になって落ち込んじゃったのさ。もっとも、Chanは帰り際、看護士さんに「すいません、ぼくって体毛が生えていないけどこれ病気ですかね?」と尋ねながら服を脱いだけどね。病名はもちろん「常識欠乏症」だよ。
ともあれ、Chanもまた動こうとしているらしかった。まだとばぎんに籍は置いていたけれど、町で出会う人すべてにネタを披露するぐらいの無茶ぶりだったようだ。こうやって、人は追い詰められてはじめて動くことになるんだね。
――かえってよかったじゃない!
ハニー、君はそうツッコんだね? しかし、ぼくは病院のベッドの上だ。ただ焦るしかできなかったんだよ。資格の勉強をするといっても、テキスト代やらなんやらで物入りだからね。ぼくはベッドの上で寂しく独学をしながら、看護士さん相手に弱音を吐いたりしていたんだ。
ハニー、そんな絶望のズンドコにいるぼくのお見舞いに来たのが誰だったと思う? とばぎんビルメンバー? まあ、それはたしかに当たりだよ。だけどね、もう一人、ビックリゲストが来たんだよ。
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