どうということのない話

ハムスターに水を(第1話)

高橋文樹

小説

25,013文字

とりたてて取り柄のない「ぼく」は絶世の美女と一緒に暮らしている。少し精神のおかしい彼女は、日がな一日なにもせず、いもしない蛇と戦いを始めた。

ディエゴ・アルマンド・マラドーナは、サッカー選手としてあるまじき愚劣なプレーをしたその直後、五人のイギリス人ディフェンダーを置き去りにしてゴールまでの六十メートルを駆け抜けた。使ったのは左足一本、ボールを触ったのは十二回である。ボールがゴールネットを揺らしたとき、メキシコシティのアステカスタジアムに詰め寄ったサポーターたちは一斉に立ち上がった。観客席には、サックスブルーの津波が広がった。

サッカー史上に残る一九八六年の狂熱は、たとえばこのように説明される――四年前、イギリスに敗れて領土を失っていたアルヘンティーノにとって、イギリスへの復讐は悲願だった、その試合は代理紛争の様相を呈していた、そんなときにたった一人のアルヘンティーノがフォークランド紛争の復讐を達成した、それも、サッカーの母国にとってもっとも屈辱的な形で、そのときのアルヘンティーノたちの気持ちといったら!

こうした政治背景の説明は、あの出来事の一面をたしかに表している。しかし、それはごく小さな一部だ。奇跡については、もっとたくさんのことが語られねばならない。
他にも例を挙げよう。当時のイングランド代表キーパーの述懐。

――確かに彼の技術は素晴らしかったが、当時の我々の精神状態は普通ではなかった……。

負け惜しみのようにも聞こえるが、名前すら思い出すことの難しいこのキーパーの言うことにも、また一つの真実がある。「神の手」のことだ。彼の言う通り、それまで一点をリードしていたイングランド代表は、ディエゴの反則(ボールを手で叩き込むという最低の反則!)を目の当たりにした審判が笛に触りもしなかったことで、動揺していた。もしかして審判はアルゼンチンに金を貰っているのではないか、それとも南米とヨーロッパではサッカーのルールが違うのか、それともまさか、自分たちはサッカーではなくバレーボールをやっているのではないか? 疑念は人を弱くする。そんな気分でディエゴを追いかけようなど、無理な話だ。

選手たちの精神状態への言及は、サッカーに対する冷静な考えに裏打ちされている。アルゼンチンの伝統として、ボールを持ちたがるドリブラーは多いけれど、いくらなんでも五人抜きができるほど上手い人間がそういるわけはない。あれは偶然にすぎなかったのだ。「否定的な注釈」と呼んでもいいだろう。

こうしたすべてはディエゴの真実について語る。そのすべては正しい。あくまで部分的に。全体的に正しいことは、ただ一つだけである。それは、ディエゴだけが奇跡そのものであるということだ。

――俺は世界中のサッカー選手が憧れるプレーをやってのけたんだ!

後のディエゴ本人が語るように、彼はこのプレーによって、反復し得ない奇跡そのものになった。彼が麻薬で捕まっても、どんなに太ってしまっても、その真実は少しも色褪せない。悪童ぶりは奇跡を印象づける差し色のようなものでしかない。

そして、目下のところ、ディエゴだけが――この助詞は「奇跡」という言葉にもともと含まれる意味でもあるのだが――彼だけが奇跡のプレイヤーである。「神の手」という悪魔的な反則と、「五人抜き」という神業。その二つをあの時、あの場所、あの状況で成し遂げたことが、彼を奇跡そのものにした。

ディエゴだけが奇跡のプレイヤーだということに対して、異論を挟む人はいることだろう。事実、タイトルなどの成績に限れば、ディエゴよりも大きな文字で歴史に名前を刻まれているプレイヤーはいる。

例えば、選手生活で通算千本以上のゴールを決め、ワールドカップを三度制覇した「黒い真珠」ことペレ。もっと古い時代に青春を過ごした人は、「青銅の矢」ことディ・ステファノと答える人もいるかもしれない。それを回顧主義だと批判することは可能だが、その批判はそっくりそのまま返ってくることだろう。「だったらジダンなんじゃないか?」という風に。

ディエゴよりもジヌディーヌ・ジダンの方が上である、という命題を完全に否定することはできない。彼はまだ現役だ。こののち、とんでもないプレーを見せてくれる可能性は多いにある。二〇〇二年の日韓共催大会は大いに期待できるし、二〇〇六年のドイツ大会だってやれないこともない。そこで誰の想像も及ばないようなことをやってのければ、ジダンは奇跡そのものとなることだろう。そして、ディエゴは過去になる。奇跡ではなくなる。

そう、奇跡そのものであるディエゴとて、安泰ではない。「奇跡」とは現象であって、存在につけられる名前ではない。存在はその独自性によって唯一のものであることができるという思想は、一つの幻想だ。奇跡はそんな甘ったれた世界では起きえない。毎年のように起こるエル・ニーニョ現象の一つ一つを区別する暇人がどこにいるだろう? 現象は繰り返され、常に更新されうる。そうした反復の危機にさらされながら、なお更新されえない現象、その別名が奇跡だ。

サッカーは日々変わっていく。よりスピーディーに、よりフィジカルに、よりディフェンシヴに、よりシステマティックに、そして、より退屈に。ディエゴよりだいぶ前から、困難な時代が訪れている。あらゆる奇跡の芽を摘んでしまうほどの困難な時代が。

神様ペレが駆け抜けたのは、ミッドフィルダーがたくさんのスペースを与えられた幸福な時代だった。そして、ヨハン・クライフの頃、牧歌的な時代は終わりを告げる。現代サッカーを飲みこもうとする、大きなうねりが到来したのだ。

一九七四年ワールドカップ西ドイツ大会。「空飛ぶオランダ人」ことクライフ率いるオランダ代表チームは、トータル・フットボールを引っさげ、決勝まで進出した。すべての選手が連動して動くその流麗なフォーメーションは観衆を魅了し、誰もがオランダの優勝を疑わなかった。しかし、対戦相手である西ドイツ代表チームは、その強靭な精神力を駆使して、ある単純な事実に気付いた――クライフに二人のマークをつければいいのではないか? それは実行された。そして、奇跡は起きなかった。

その無慈悲なうねりを最初に打ち破ったのは、他ならぬディエゴだった。奇跡の芽が摘まれてしまう時代に起きた奇跡。それがもう二度と更新されないだろうと思うのは、間違いだろうか?

奇跡とは長い長い更新の物語につけられる一時的な別名だ。これまでサッカーに関わった多くの出来事の中で、ディエゴだけが奇跡そのものであり続けている。奇跡は後光となって、それを起こした人を照らす。ある人々は、畏敬の念を込めてディエゴをこう呼ぶ――神の子エル・ニーニョと。

ぼくはそう書いている。スポーツ雑誌に投稿しようと思ったのだが、評論と呼ぶには偏りすぎているなと反省して、投稿を自粛した代物だ。読み返してみると、自分でも唖然とする内容だった。でも、書いた当時の熱狂を無益だとは思わない。惰性で捨てずにいたレポート用紙に書かれた代物ではあるけれど、せっかくだから取っておこう。そう思って辺りを見回した。が、適当なものがなかった。雑誌の間にでもはさもうと思いついた瞬間、寛美ひろみがさっと奪っていった。

「これなに?」

「なんか盛り上がって書いちゃったんだよ。一、二ヶ月前かな。そんとき、テレビでマラドーナの特集やってたんだ。ほら、来年にワールドカップがあるだろ」

「ふうん。どこで?」

日本で、と答えようとしたぼくは、寛美の瞳が真摯な輝きを宿しているのを見て、言葉を飲み込んだ。彼女がぼくの書いた文章をまじめに読んでいるなんて! もちろん、その感動もすぐにしぼんだ。激しく上下していた彼女の瞳が徐々に速度を失っていくのは、読み終えたからというより、たぶん、好奇心の燃料を失ったからだった。やがて、彼女の目は動くことを止めた。

「サッカー好きだったっけ?」

ぼくが頷くと、寛美は、そういえば、サッカー部だったもんね、と知った風な口を聞いた。中学時代のぼくは剣道部で、それもたった一年で辞めてしまったのだが……。否定の代わりに黙り込んだ。寛美はそれで自分の勘違いを察したのだろう、紙に落としていた顔を上げ、まっすぐにぼくの顔を見た。彼女には、すべての過失をなかったことにする笑顔を盾にして、自分の思ったことをいつでも口に出す権利がある。

「なんかさ、面白かったよ」

「なにが?」

寛美は、こうやって、と言いながら、両手を前に出し、上半身を左右に振った。さっきレポート用紙のしまい場所を探していたぼくの姿を真似たのだろう。そうしている彼女は、美しいマネキンみたいに見えた。

「なんだか、自分がやってないことで表彰された子供みたいだった」

「表彰?」

「うん。表彰状みたいに持ってたもの」

「間違って表彰されると、そうなるんだね?」

ぼくは答えを待ち、やがて諦めた。その会話はいかにもまずかった。寛美の顔からはすでに笑顔が消えていて、退屈を表すへの字口が緩やかな傾斜を描きながら、唇のへりの瑞々しさを際立てていた。伏せたまつ毛は瞳の色を覆い隠して、濃く繁っている。退屈に不貞腐れた顔でも、彼女は無意味なくらい綺麗だった。彼女には会話のキャッチボールをする義務なんてない。やめたくなったらボールを捨てたって構わないのだ。ぼくはじっと眺めていた。彼女の視線は地面を這いながら、ゆっくりとなにかを探していたが、ぼくと視線を会わせるのだけは巧妙に避けていた。

やがて寛美はふいっと立ち上がってキッチンへ向かった。ほったらかしにされた形となったぼくは、引越しの準備を再開した。いつものことだ。

父親に寛大で美しい子に育つようにと名付けられた女の子は、その言葉の通りに育った。いや、ちょっと度が過ぎたと言ってもいいかもしれない。彼女は何に対しても拒否反応を起こすことがなく、興味を抱くこともなかった。だからこそ、あれだけの美人なのに、ぼくなんかと付き合っているのだ。

ぼくはその事実にひがむことさえしなかった。ありがたく平伏して、一緒にいていただく。彼女はそれぐらい美しかった。たとえ明日、ハリウッド俳優やアラブの富豪が訪れて、寛美をくれと言ってもぼくは驚かないだろう。付き合いはじめの頃は嫉妬と不安で苛まれたものだが、このままでは病気になってしまうとますます不安になって、どうしようもないどん底まで堕ちた時期があったから、いまでは、そういうことになった場合、あの生活は夢だったんだと思うように心がけている。もっとも、そんな風に余裕ぶった決意をしたつもりでいられるのも、彼女がぼくと一緒に暮らすと決めたからで、状況が変わればパニックに陥るかもしれなかったが。

あらかた準備が終わり、あとは引越し屋に任せればよかった。食器なんかの梱包はやってもらえるし、貴重品はミニ・クーパーに乗せて持っていけばいい。手ずから持っていく荷物を玄関近くに集める。手荷物の中で一番大きいのはハムスターのカゴで、そこではまだ名前のつけられていないハムスターが顔を覆ってせわしなく呼吸していた。胸の毛は黄金と白が入り混じっていて、見ていると気持ちが和んだ。

突然、何かの割れる音がして、ハムスターは飛び起きた。振り向くと、床にはガラスと麦茶が飛び散り、その爆心地近くに寛美が佇んでいる。割れたコップは特にお気に入りというわけでもなかったし、ムーミンに限りなく近いインチキ臭プンプンのイラストが入っていたが、東京のエージェントTに買って送ってもらった、それなりに値の張る代物だった。

それでも、寛美が慌てたり済まなそうしたりということはない。事態が勝手に解決したらいいというものほしげな表情で、周囲をキョロキョロと見回しているだけだ。ぼくはいつものように彼女の願いを察した。ティッシュを箱からとって、濡れた床にどんどん投げつける。その間、彼女は鈍くさい動きでティッシュを押さえつけながら、何かを探しているような素振りを見せていた。

「調子悪い?」

ぼくは寛美に尋ねたが、答えなかった。彼女は特に悪びれるでもなく、黙り込んでいた。顔を見る限り、調子が悪そうではない。

ぼくが掃除機をかけ、床を拭きはじめると、寛美は、もう引っ越すからいいじゃん、と声をかけた。もしかしたら、それは彼女なりの気遣いかもしれないと嬉しくなったぼくは笑いながら、大家さんに悪いよ、と返した。寛美は珍しく言葉のボールを投げ返してくる。

「立つ鳥、後を汚さずね」

「違うよ。濁さず。あれは水鳥だからね。中学生はよく間違えるんだ。瑣細ささいなことだけど、ひっかけ問題にちょうどいいだろ?」

寛美は、ふうん、などと気の抜けた返事をしながら、ふらふらと台所まわりを歩いていた。ぼくには後始末をさせられたことなど気にもならない。ただ、寛美との会話が少しでも続くよう、慎重に言葉を選びながら、ことわざについて語った。

「今の子供ってさ、ぜんぜん諺知らないんだよ」

「そうなんだ」

「そうそう。だから、英語の問題でもさ、『零れたミルクを嘆いてもしょうがない』って英文があるんだけど、覆水盆に返らずって訳しても通じないんだ」

「ふうん」

「それでさ、最近のガキは生意気だから、なんだよ覆水って、そんな言葉使わねーよ、とか反論するんだよ。いいから丸暗記しろっていうのにさ」

「痛い」

寛美はとつぜんそう言うと、顔を歪めて崩れ落ちた。今の会話のどこに彼女を傷つける要素があったのだろうか? ぼくは狼狽し、謝りながら走り寄った。彼女は右足を投げ出した。

「なんか踏んづけた」

ぼくの言葉じゃなかった――そう安堵すると、細いながらしっとりと脂肪をまとったその足を持ち上げ、膝の上に乗せた。

「ガラス踏んじゃったんだろ。見せてみろよ」

磁器を扱う骨董屋に負けないぐらい入念なチェックをはじめた。寛美は顔だけじゃなく、身体全体も美しかった。身長は一七〇センチ以上あって、嘘みたいに足が長く、痩せてはいても、安っぽいモデルみたいにガリガリではない。胸も大きく、お尻もぷっくりとしている。そして、これがなによりも素晴らしいところだと思うんだが、「線的」なところが身体のどこにもなかった。痩せている人というのは、腹筋が割れてしまっていたり、腕が骨と皮だけだったり、頬骨が出ていたり、どこかしら直線的な部分――絵で描くなら一本の線で描かれる部分――がある。しかし、寛美の身体にそんな余計な線はなく、滑らか面だけがある。特にアキレス腱などを見ていると、ため息が出た。どんなに太った人だってアキレス腱だけは線的だけれども、寛美のアキレス腱は、のっぺりと美しいのだ。よくもまあこんな美しいかかとを持つ生き物が生まれてきたものだと感心せずにはいられない。液体がなにかの魔法で美しく固められている、そんな感じだ。彼女の裸体を描く画家は新たな描画法を考えつかねばならず、きっと難儀することだろう。

徹底的な吟味をへて、ちょっとした怪我が見つかった。皮膚の一箇所が小さく割れ、そこから真っ赤な血が滲み出ている。ぼくは救急箱をひっくり返して刺抜きを出すと、血の出ている中心部からガラスの破片を取り除いた。それは二、三ミリの細い紡錘形で、針のように尖っていた。判創膏で簡単に止血をすると、彼女はすぐに立ち上がり、玄関の方を覗き込んでいた。

「どうした? 調子悪い?」

彼女は呼びかけを無視した。もう一度強く声をかけると、呆けたような顔をこちらに向けた。

「なんかね、生き物みたいのが足元通ったの。さっきもそれに驚いて、コップ割っちゃったんだけど……」

そう言うと、寛美は訝しげに台所の下辺りを入念に調べ出した。だが、自分の見たものに確信が持てない様子で、すぐにやめてしまった。

「ゴキブリじゃないの?」

「違うよ、もっと大きくて……」

寛美は途中で話を止め、うつ向いた。視線が地面に堕ちていき、そこからどんどん奥へ奥へ、深く深く堕ちていく。よくない兆候だった。

「なんかさ、懐かしい」

「なにが?」

「足の傷。手首切ったときみたい。ヒリヒリする」

そう言って、寛美ははじめてのリストカットについて語ってくれた。生まれてはじめての煙草を吸いながら、小学校五年生で手首を切った。人気のない昼時の児童公園。リストカッターは死ぬ気がないというけれど、その頃は生理もきてないような子供だったから、本気だった……。

この話はとてもとても長く続く。ぼくはちらりと時計を見た。引越屋が来るまで、あと一時間。それまで耐えようと決めると、ぼくは膝を崩して、あぐらをかいた。

 

 

それでも、ぼくは幸せだった。

これからはじまる寛美との生活がどんなに幸福か、細かく想像してみるまでもない。ただ、少し過去を振り返るだけで十分だった。

ある挫折から、ぼくは生まれ育った千葉を去り、縁もゆかりもない栃木で塾講師の職に就くことになった。それから三年目、中学校の同窓会があり、そこで再会したのがきっかけだ。

同窓会場は幕張のホテル・ニューオークラだった。周囲十キロを見渡しても、それ以上に高級な場所はなく、総勢二〇〇人が十年ぶりに、しかも地上四七階の高みで一堂に会するのだから、少しは盛り上がってもよさそうなものだけれど、とてもしみったれた会になった。

ジャージみたいな服で来ている人もいたし、仕事帰りの作業着の奴もいた。ぼくのスーツはオズワルト・ボーテングで仕立てたそれなりのものだったけれど、むしろ場にそぐわない雰囲気さえした。中学のときはとても大人しかったのに、自衛隊に入ってから人が変わった吉川という男は、会費が高すぎると幹事に因縁をつけ、会場の雰囲気をとても悪くした。みんなアルバイトみたいな仕事についていて、自分の仕事について明言をしなかった。快活だった少年が暗い青年になり、運動神経抜群だった少年がデブになっていた。離婚経験者が十五人、同伴した子供の髪を妙なことにさせている親は八人。ただ一人、国立大学の医学部に入った女の子は、忙しいからと欠席だった。華々しい成功談は一つも聞かれなかった。

地方の公立中学校にありがちな惨めったらしさは、酒の勢いを借りた下ネタか他人の悪口で盛り上がることになったのだが、うちの中学の場合、その二つを兼ねた、ある共通の話題が場を席巻した。

その話題とは、寛美のことだった。彼女にまつわる噂はヘドの出るようなものだった。都市伝説でよく聞く集団レイプをするグループがいたとか、ものすごい不良学校だったとか、治安の悪い学区だったとか、そういうことはまったくなかった。ただ、寛美という美人は誰でもヤらせてくれるという噂だけが、清流を汚すペットボトルみたいに公然と流れていた。中学二年の十一月からずっとだ。

不思議なことに、その噂を広めた張本人であり、また、実際に彼女を辱めもした七人は、裁かれも糾弾されもしなかった。中学生時分のぼくは、目立つわけでも喧嘩が強いわけでもなかったから、その状況を放っておくしかなかった。そして、噂を信じないという消極的な抵抗をすることさえできなかった。現に見てしまったからだ。

受験を間近に控えた昼下がり、ぼくはこれといった理由もなく、屋上へと繋がる階段を上がった。なんでそんなことをしたかはわからない。思春期にありがちな遁走行為だろう。

そこには寛美と三人の男が立っていて、寛美の服を脱がそうとしているところだった。寛美はその綺麗な顔に弱々しい笑顔を浮かべ、抵抗する様子がまったくなく、スカートの下に突っ込まれた手も抑えずにいる。少し腰を引いているのだって、パンツを脱がされないようにしているのか、制服の上着が脱げやすいようにしているのか、どっちだかわからない。助けるべきか、そっと去るべきか。どっちにしたって、足が動かなかった。一人の女の子の身体に六本もの手が伸びている光景は、そこにどれだけ美しい笑顔があったとしても、あまりに乱暴だったから。

やがて、暴漢と呼ぶにはあまりに手際の悪い三人組は、裏切られたような顔を浮かべるぼくに気付き、なんだよ、と凄んだ。そして、ぼくが一向に動かないとわかると、早々に諦めて去っていった。「しらけちまった」という言葉をリアルに聞いたのは、後にも先にもそのときだけだった。

残されたぼくと寛美はというと、これという会話を交わさなかった。助けてくれてありがとうとも、なんで邪魔するのとも言わない。乱れた服を鈍くさい動きで直した。寛美の息遣いと、乱れを直す衣擦れの音と、上履きがリノリュームのタイルに擦れる音と、ボタンの外れたシャツの胸元に見えたダサいレタリング入りのブラジャーと、制服の長いスカートから覗いた太腿と、狭い階段の踊場に満ちた汗の残り香と、階段の手すりに触れた指の震えと……流れ込んでくるすべての感覚に、ぼくは胸を高鳴らせた。

そのときのぼくの気持ちは、とても複雑なものだった。乱暴された女の子の姿を見て恋に落ち、それからその数秒前の笑顔を思い出して、ああ、あの子はやっぱりヤリマンなんだ、と失恋したのだから。

その後、ぼくと寛美が二人きりになったのは一度だけだった。それ以来なんとなく屋上に行く癖ができた(と自分をあざむきながら寛美を探し回っていた)ぼくは、屋上に毎日三回上がり続け、たった一回だけ寛美を見つけることができた。彼女は欄干にのしかかって空を仰いでいて、ぼくを見つけると、しばらくじっと見た。大きくて色の薄い瞳でじっと見られると、ぼくはなんだか恐れ入って、うつ向いてしまった。彼女がよってきても、ぼくは顔を上げなかった。なんにも思わなかったわけじゃない。頼めばやらせてくれるかもしれない、向こうから誘ってくるかもしれない、そんな邪悪な想像を抱きながら、胸が高鳴り過ぎて窒息しそうになっていた。でも、前髪を揺らしていったかすかな風圧が、なにも起きずに通り過ぎていったことを教える。肩越しに見送ると、入れ替わりに校舎へ入っていった寛美の足は、上履きを履いていなかった。ぼくは彼女のことが知りたくて、屋上へ出てみた。彼女のいた欄干の側に行くと、上履きは揃えて置いてあった。たぶん自殺しようとしていたんだということに気付き、ぼくはその場にへたりこんでしまった。

なんにせよ、寛美とそうした関わりを持ったぼくにとって、同窓会での欠席裁判は楽しいものではなかった。他に美しい思い出があったわけでもなし、寛美の悪口は幼かったぼくのふがいなさを思い出させるだけだった。

一時間ぐらいたって、それぞれのクラスにグループが別れはじめた頃、当の寛美がやってきた。実現するつもりもないクラス会の予定を立てたり、言いたくもない栃木移住の理由について尋ねてくるようなグループに加わるよりは、寛美を見ていたかった。冴えない同窓生に混じった彼女は綺麗だった。母親が選ぶようなコンサバティヴなニコルのワンピースを着て、髪をアップにしている。少しサイズ違いでダボついているけれど、そんな瑣細な点は帳消しになるほど完璧なシルエットだった。ぼくはちらちらと彼女に視線を送った。彼女はクラスのグループの端っこに加わっていたが、誰と話しているというわけでもなかった。テーブルクロスの裾をいじりながら、グラスに立ち昇るシャンパンの泡を見つめている。

これはほんとうに不思議なことだったんだが、そんなに綺麗な寛美が同窓会でみんなのため息を誘うということはなかった。会場と彼女だけを見れば、映画祭だといわれたって不思議ではないくらいなのに。彼女のクラスメイトたちは、むしろ嘲弄するような笑いを浮かべながらチーズを勧めたりしていた。そこでは美という単純でわかりやすい価値でさえ、変な風にねじれていた。ぼくは呆れを打ち消すように、シャンパンをあおりつづけた。

酒に飲まれるということはもう何年もなかった。ぼくはわざとガブ飲みしたのかもしれない。好奇心はアルコールを吸収して膨れ上がっていき、ついにはつかつかと彼女の側に寄っていって、「あのとき死のうとしてたでしょ」と囁いていた。寛美は飢えた鳴き声を主人に理解してもらえた猫みたいに、目を細めた。

「俺のこと、憶えてる?」

「笹岡くん?」

「違うよ」

「でも、顔は見たことある。屋上で」

彼女はまるでそこを見れば名前が書いてあるとでもいうように、ぼくの顔をじっくりと眺めた。見つめられているあいだ、息が止まりそうになった。唇の縁はリップで縁どりしたみたいにつやつやしていたけれど、それは持って生まれたものらしく、毛履きみたいなまつ毛にも、薄い赤味の差した頬にも、化粧の痕跡はなかった。彼女の顔が淫らに見えるのは、眉毛を描いていないせいだと気付いたときに、彼女は小さくかぶりを振った。

「顔は見たことあるけど、名前が思い出せない」

「だと思うよ」

「私の名前、知ってる?」

「会田寛美だろ。D組の出席番号一番」

寛美はひどく嬉しそうに目を丸くした。

なんといっても、ぼくみたいに凡庸な男の人生だ。着飾ったパーティーが跳ねたあとに、艶めいた事件が起きる……なんてことはない。ぼくたちはただ、一緒に駅まで歩いた。携帯は持っていないから、連絡が取りたければ、実家に電話してもいい、番号は卒業アルバムに載っているのと同じだからわかるでしょ。海浜幕張駅にあるバスターミナルまでわずか五分、話したのはそれだけだった。こつこつと石畳を打つヒールの音が夜に吸い込まれていくのを聞きながら、宇都宮から千葉まではどれぐらいかかるだろうかと計画を立てていた。

それから一週間後、ぼくは寛美に電話をかけた。彼女はぼくを、ああ、あの恩人くんね、と呼んだ。「恩人くん」という言葉は形式的な感謝とかすかな嘲りのうち、どっちを多く含むのか、などと探りを入れながら会話を続けた。その結果、寛美はあのときやっぱり自殺をしようとしていて、ぼくに目撃されたことで思いとどまり、それでもやっぱりぼくの名前を思い出せないということがわかった。そうした会話のらちの明かなさに――という言い回しが適当かは知らなけれど――うんざりしたぼくは、自分の名前を名乗り、その名前の男がどれほど実家近くのインド料理屋のキーマカレーを食いたがっているかについて熱弁を振るった。たった一つの相槌ももらえないまま、なじみでもないカレー屋のために暗中模索していると、どんどん喉が乾いていった。ぼくは水を飲んだ。寛美もそれにあわせてたくさんの水を飲んだ。

「それって、検見川神社の近くにあるやつ?」

ついに寛美はそう尋ねた。ぼくは声を裏返しながら、まさにそれだ、と叫んだ。

「京成の駅の裏っ側。シタールっていうお店だよ。あそこいらじゃ唯一雑誌とかで紹介されてる」

「シタールってね」と、寛美は力の籠りすぎたぼくの称讃を途中で遮った。「インドの楽器の名前だよ」

「そうなんだ。よく知ってるね」

「よく知ってるよ?」

ぼくは問い返された理由がわからず、うん、よく知ってる、と同じ言葉を繰り返した。寛美は、その「よく」の使い方って変じゃない、と尋ねた。自分の日本語能力を疑ったことのないぼくは、そういえばそうかもしれない、などとすっかり動転してしまい、なにを喋ったらいいのかわからないまま電話を続けた。

ともかく、なぜか水曜日の昼になった約束が果たして実現されるのかと疑いながら、新幹線やまびこに乗り込んで千葉へと向かった。宇都宮からだと、だいたい二時間ぐらいだ。その間、教材用の国文法ガイドを読みながら、変な言い間違いがないようにと予習に励んだ。

数え切れないぐらいの乗り換えを済ませて京成検見川駅に辿り着くと、寛美が人影もまばらな駅前の駐輪場にひっそりとたたずんでいるのが見えた。自動改札機が二台しかないような小さい駅で、下り線のホームには線路を渡っていくようになっている。周りの道路はすべて細く、身を落ち着けられる場所は駅に隣接する駐輪場ぐらいしかなかった。彼女はぼくに気づいた様子はなく、じっと目をつむっている。もう晩秋にさしかかっていたから、GAPの大きなロゴが入ったパーカーとデニムのロングスカートという出で立ちは、見るからに寒そうだった。時折吹く乾いた風にじっと耐えているようでもある。そんな女がボロい私鉄駅の駐輪場でママチャリに囲まれている様子は、「寒々しい」とでも評するのが日本語として正しいのかもしれないが、彼女の美しさは風景の文法をちぐはぐにしてしまっていた。

声を掛けると、彼女はぼくの顔をじっくりと吟味し、思い出したように、あ、と言った。その理由は説明されないまま、ぼくたちは線路沿いに歩き出した。

寛美は歩きながら、ぶつぶつとなにかを呟いている。尋ねても答えをもらえないので、じっと耳を傾けると、わけのわからない言葉だった。発狂したのかと思って寛美の顔を見ると、彼女は道路脇のブロック塀の上に突き出た卒塔婆そとばの文字を読んでいた。目指すシタールはブロック塀に囲まれた墓場の近くにあったのだ。

ランチ目当ての行列をなす主婦たちを尻目に、予約済みのぼくらは奥の席に通された。彼女がぼくに倣う形で、キーマカレーとチキンカレーを二つずつ注文した。鉄製のボウルに盛られた二種類のカレーは二色の濃淡を織りなし、テーブルを彩っていた。

「ここのナン、レーズンが入ってるのがうまいよ」

ぼくの囁きに寛美は、水曜日が休みなの、と尋ね返した。塾勤めだから平日と日曜が休みなんだよ、と答えると、寛美は、水曜日って「青」って言葉に感じが似てるよね、と返した。一向に噛み合わない会話が、臆病な内戦の銃撃みたいに続いた。

寛美がにわかに饒舌じょうぜつになったのは、彼女が通っているという大学の話になってからだった。高校卒業後、一度は調理師学校に入ったが、思い直してインド哲学科に入りなおした。東京の北の縁にある、聞いたこともない大学だ。来年はもう八回生になるので、そろそろ卒業しなくてはならない。本当は大学院に進学したいのだが、彼女の通う大学には院がない。まともな就職をするにはもう遅すぎるし、インド哲学では坊主にもなれない。親は自分を溺愛しているが、自分は少し精神的に不安定なので、それはまっとうな愛され方じゃないんだと思う。何回も手首を切ったことはある。そんなにしょっちゅうではないので、痕は残らない。自分は肉体的に健康なんだと思う、傷がすぐ塞がってしまうから。

そんな絶望的なことを話しながら、彼女はなぜか嬉々としていた。あけすけになるのに従って、彼女の表情はどんどん輝きを増すように見えた。周りでは主婦たちのスプーンが止まっていた。

絶望的という点ではぼくもあまり変わらなかったから、わかりあえると思って自分の話をしてみたが、寛美は人の話を聞くことがあまり得意ではないようだった。ぼくの話がつまらないというより、単純に話を聞くという行為それ自体が退屈だという顔だった。彼女の前に置かれたレーズン入りのナンは、粉みたいに細かくなるまで切り裂かれていった。

とはいえ、下手な鉄砲数打ちゃ当たるという諺が持つ真実味はバカにできない。寛美が異様な関心を示した話題が一つだけあった。それは、ぼくの飼っているハムスターについてだった。

「ハムスターっていうのは、どういう感じなの?」と、彼女は尋ねた。

「どういう感じって……かわいいよ。すごく和む」

「そういうことじゃなくって……」

寛美は何かがもどかしいらしく、少し残ったチキンカレーをスプーンでかき混ぜていた。言葉を探しているのだろう。そして、二分ほどの長すぎる沈黙の後、彼女はようやくのことでこう言った。

「ハムスターは何かを象徴しているの?」

「それはよくわかんないけど、一回うちに来て見てみれば? 少し遠いけど」

次の日曜日、寛美は電車で二時間の距離をものともせず、ぼくの家にやって来た。まだ名前のないハムスターは、回し車をカラカラと言わせたり、驚異的な速度で鼻周りを動かしたりと、その魅力を最大限に発揮したが、奮闘空しく、彼女の興味は五分ともたなかった。飽きたというよりも、見ることに疲れてしまったようである。

彼女は鈍重な視線を辺りに漂わせてから、ぼくのベッドに腰を掛け、仰向けになった。天井をぼんやりと見つめたまま、何も話さない。ぼくが側に座っても、まるで無反応だった。時折、不規則なタイミングで瞬きをしたが、それがなかったら、彫刻と区別がつかなかっただろう。

ぼくは彼女の胸にそっと手を触れた。宇都宮駅の新幹線改札の前、彼女の両脇で男たちが無遠慮な視線をぶつけていたその胸は今、あろうことか、ぼくの手の下、薄い布を隔てた向こう側にある。少し手を動かすと寛美の鼻から息が漏れた。その音に勇気を得たぼくは、既に時代遅れだったバーバリーチェックのミニスカートに手を入れてみた。寛美はそんなことにはまるで興味がないようで、退屈そうに天井を見つめていた。ものすごく濡れていた。部屋の中はあまりにも静かで、ぼくの心臓の鼓動だけが気違いじみた沈黙を打ち破ってくれた。

玄関を開けてから一時間もたっていなかった。毛布もかぶらないで、寛美は非の打ち所がない裸体を横たえていた。ぼくは目の前の悪魔じみた情景を眺めながら、回想に耽った。中学時代から思い起こし、人生のかなり長い期間を占めた感情の総決算をどうしたものかと思いあぐねると、気が狂いそうになった。成功? ぼくはなにかを成し遂げただろうか? 寛美は何事にも無関心に見えた、自分の身体の美しさにも。彼女は断るということを知らなかっただけなのかもしれない。

彼女の完璧な身体を通り過ぎていった愚かな男たちの一人になりたくなかったぼくは、休みのたびに千葉を訪れた。塾講師の仕事は夜中に終わるから、休日の朝に出て、午後を一緒に過ごし、ホテルに泊まり、朝イチの新幹線で帰る。彼女はなにかにつけてルーズだったけれど、待ち合わせに遅れることはなかった。そして、別れ際、必ず読み終わった本をくれた。九十九パーセント、背表紙が陽に焼けた仏教関係の本で、例外なく難しかった。「種子生種子」や「大乗阿毘達磨集論」などという見たこともない組み合わせの熟語が、夜明け近くまで愛し合った疲労を睡魔に変えて、車中のぼくをぐっすりと眠らせた。

そういうデートを厳密に繰り返して半年ほどがたつと、夏期講習の開始と同時に宇都宮から今市へ異動になる辞令が貼り出された。宇都宮も大した町ではなかったが、その名の通りにイマイチな町に移ることになったと寛美に告げると、彼女は自分も一緒に住むと言い出した。両親との関係に距離をおくためにも、実家を出たい。ぼくはその言葉を信じた。いくら今市が田舎だとはいえ、東京の大学まで通えないこともない。寛美と一緒に住めるという昂揚から、ぼくはミニ・クーパーを中古で買った。カスタムをたっぷりしたせいで貯金はほとんどなくなったけれど、納車と同じ日に寛美がトートバッグ二つだけを持って半年ぶりに家に来た。今から荷物を少しずつ運んでおくのだという。ペラペラの布で作られたバッグは、家に上がろうとしたとき、ドアノブにひっかかって持ち手が取れてしまった。

以上が、ぼくと寛美が同棲することになったいきさつの一面だ。世界中で何億回と繰り返されている、どうということのない話ではあった。

 

 

今市への引越が無事に済んだあとも、寛美は足に包帯を巻いたまま何日かを過ごした。宇都宮の家を出るときにガラスを踏んづけた怪我は、それほど大袈裟なものではなかったけれど、彼女はたいそう気に入っていた。動物の擬態のようだった。彼女が夜に風呂から出るたびにその繃帯を巻き直してやるのは、ぼくの新しい日課になった。

彼女が包帯に飽きてしまったせいでその日課がなくなった頃、夏期講習が始まった。といっても、出勤先ははなまる進学館、略して「マルシン」の今市教室ではなく、はなまる進学館個別指導、略して「マルコ」の今市教室だった。

マルコでぼくを待っていたのは、マルシンの一番できないクラスにいる生徒よりもさらに不出来な生徒たちだった。目の前にある漢字をそのまま写すということさえ、ちゃんとやらない。部活やらで都合がつかないために個別指導へ通わざるを得ない優秀な生徒もいるにはいるが、夏休みという季節の主役は彼らじゃない。教育熱は低いくせに短期で効果を得たがる親たちが子供を塾に通わせる時期なのだ。

短期の顧客である生徒たちを見て、新しい教材作成に活かす、というのが異動の表面的な理由だったが、要は左遷だった。講師一人あたりの稼ぐ額を考えれば、集団指導の方がいいに決まっている。事実、マルコはアルバイトの学生講師ばかりだった。ぼくは寛美との生活をよりよいものにするため、少しでも早くマルシンに復帰しなければならなかった。

左遷の理由はある生徒を退会させたことだった。学習塾経営にとって、生徒の数すなわち収入であり、生徒に辞められてしまうのは大問題なのだ。それも、貧乏な家庭の生徒やどうしようもない悪ガキだったりすれば、それほどのマイナス査定にはならないけれど、普通の生徒だとまずい。

退会届を出してきたのは、偏差値的には凡庸なH君だった。塾ではY・R・Kの三段階――父兄には内緒だが「優・良・可」の頭文字だ――にクラス分けがされていて、彼はぼくの受け持ちである、中二のKクラスに在籍していた。彼はその中でもさらに真ん中に位置しており、勉強熱心とはいえないが、塾もさぼらず、ほんとうに普通の生徒だった。

彼の家に電話をかけると、いつも母親が出て、もっとでぎる子だと思うんですけどねえ、とぼやいた。その言葉はたぶん真実だった。H君は決して頭が悪いわけじゃない。やればできるだろう。しかし、彼はやれない。やれないから、できない。少なくとも、今はまだ。

H君は清水中でサッカー部に在籍していた。中学二年生の時期だと、部活に熱心な生徒は勉強に目を向ける余裕はない。それでもスポーツが得意な子供は往々にして根性や集中力があるから、中三の夏期講習あたりからでも間に合う。H君もそのケースだった。彼の欠陥――もちろん、営利目的の塾経営から見た欠陥――は、自分がそういう人間だということをはっきりと自覚していることだった。そうしたずるさを子供の頃から身につけているのは、ある種の賢さの証明でもある。

ぼくがマルシン宇都宮教室で茶封筒に入った退会届を受け取ったとき、H君はこう言い放った。

「ぼくはそこそこでいいんだ。どうせ、宇都宮高校とかには行げないし、作新の総進科とかでいいよ」

彼はアルゼンチン代表のゲームシャツの裾をつかんでいた。残念ながら、そのシャツの背中に書かれていた名前はフアン・セバスチャン・ベロンのものだったけれど、眉が濃く、唇の厚いH君の顔は原始人みたい――幼くして将来の予想ができるオッサン顔――で、一九九〇年W杯イタリア大会決勝で破れたときのディエゴを思わせた。ずんぐりむっくりした体型も、ちょっとディエゴに似ていた。

「でも、もう少しがんばるだけで、宇都宮北ぐらいは行けるぞ。それに、これからは全員大学に入る時代だし」

ぼくの反射運動的な反論を見透かすように、H君は笑顔を浮かべた。

「でも、けっきょく偉ぐなんのは宇都宮高校とかの人でしょ? ぼくはそこまでできないし、サッカーしてえもの」

「両立したらいいじゃないか」

「無理だよ。その分サッカーしてえ」

「でも、勉強しておくと将来役に立つぞ」

「どっちみち、うちじゃ勉強で勝ち抜くのは無理だよ。お金ねえもの」

お金持ちじゃないと勝てない。幼いH君がその真理に気付いていたということもまた、彼の賢さの証明だった。

栃木県というのは、教育熱心度が低く、全国で沖縄に次いで下から二番目だ。日光東照宮や那須高原などの観光資源を抱えて潤っていた過去が因襲となっている、などと説明されるけれど、現代を生きる人間にとってはそんな解説はどうでもいい。投資をしないから、いい投資先がない、だから投資なんかできない。そういう簡単な悪循環なのである。当然、母子家庭のH家では、マルシンに割けるぐらいのお金しかない。H君は頭が良かったけれど、それだけの投資で大成できるほどの秀才ではなかったし、サッカーも磐石のレギュラーというほどの才能はなかった。

「ぼくは宇都宮で最高のサイドバックになるんだ。それでもういいよ」

中学生のサッカーは、プロのように適性でポジションを選ばない。上手な子はフォワードやウイングをやるし、下手な子はディフェンダー、身体の大きな子がキーパーだ。それなのに、はじめからサイドバックを目指す謙虚さ! ぼくは退会届を受理することに決め、塾内で「赤紙」と呼ばれている退会申告書を教室長に提出した。

そこまでならよかった。が、H君が出なくなった翌週、彼の母親から電話がかかってきた。

「なんだか、うちの子ったら、塾さ行かねえって言い出したんです。もう先生が来なくていいって。どういうことか、ご説明願えますか?」

彼の母親は電話口でぼくをなじった。泣きそうなのか、それとも単純に受話器のスピーカーが古いのか、どっちなのかは分からないが、声が震えていた。H君が出した退会届は、母親の同意を得ずして偽造されたものだった。ぼくはただ、残念です、とだけ言った。偽物の退会届を見せることで責任を逃れることはできただろう。しかし、母子家庭の信頼に亀裂を入れることはできない。母親は彼を厳しいことで有名な塾に入れると宣言した。ぼくは、やめた方がいいですよ、彼には向かない、とだけ言うと、受話器を置き、プラスチックのぶつかり合う乾いた音に誘われるまま、深い溜息をついた。

一人の人間としては間違っていなかった。しかし、勉強の先生としても、ビジネスマンとしても、ぼくは間違っていた。H君の母親の苦情は上司であるマルシン宇都宮教室の教室長の耳にも入ってしまった。彼は生徒達の死角にある喫煙スペースへとぼくを呼び出すと、どこか嬉しそうな表情で言った。

「君の頭、大事? まだMS‐DOSのままなんけ?」

「いやあ、すいません。近い内にアップグレードしておきます」

ぼくは薄ら笑いを浮かべながらそう答えた。「大事」を「大丈夫」の意味で使う栃木弁の用法が、ユーモラスな印象をもたらしたからなのだが、すぐにそれが間違いだったことに気付いた。

「ふざけんじゃねえよ」

その言い方は栃木弁特有の無敬語話法ではなくて、本格的に怒っていた。しかも、速達で送られてきた茶封筒でぼくの頭をペシペシと叩くことで、次第に怒りを強めているようだった。その中にはH君の母の手紙が入っていた。なぜ息子を見捨てたのか、という文面のものだった。ぼくは彼の偽造を告発する代わりに、うつむいて黙り込んだ。

「なんか言ったらどうだんべ? これは生徒一人が退会したっていうだけの問題じゃねえよ。うちの信用問題に関わる。どうして自分だけで判断したのけ?」

この言葉を皮切りにして彼の説教は延々と続き、ハイエナどもを呼び寄せる結果となってしまった。ハイエナとは、ぼくと同じように契約社員としてこの塾に勤めている五人のことである。慶応大学の文学部修士まで出た人間もいたし、司法試験を目指して勉強中の人間もいた。有名な出版社にかつては勤めていた者もいた。他の環境にいた時は、それなりの人間だっただろう。だが、ここに三年もいれば、抜け出ることは難しかった。塾講師という職は、それなりに貰えるが、給料は上がらない。目先の利益に捕われ、本来の目標を見失った結果、彼らは「ハイエナ」の呼称にふさわしい人間になってしまっていた。

ハイエナ達は重圧に死にかけているぼくの周りに集まってきて、ああでもねえ、こうでもねえ、と口を出しはじめた。それは決してぼくを援護するものではなく、ねちねちとした決まり文句にすぎなかった。ほんとうに余計なお世話なのだが、彼らはぼくに嫉妬していたのだ。ぼくは契約社員の中では一番若い。ほぼ全員が四十路を越えている彼らにとって、若さはまぶしく映るのだろう。物事が決まってしまう前なら、夢を見ることができるから。どこかで人生を踏み誤った彼らが憎んでいたのは、何よりもその可能性だった。結局、「若さゆえの過ち」といういつもの結論にいたるまで、かれこれ三十分はかかった。それなりの挫折をへて栃木へ流れ着いたぼくは、へとへとになって授業へと向かった。

怒られるのもその場限りだろう、と考えてはいたものの、この失敗はわりと大きな問題になったらしく、わざわざ貼り出された今市行きの辞令によって恥をさらすことになった。この汚名をそそぐには、夏期講習で何らかの結果を残す必要があった。

 

 

マルコの夏期講習は二つのコースに別れていた。夏休みを四半期に分け、一期と三期、二期と四期をそれぞれセットにして、二週間金七万円、受験生はその倍だ。書き入れ時なので、ハードであることには違いないが、各コースの間には三日ほどの休みがあった。

今市に越してきてからすぐに夏期講習だったので、町になじむ暇もなかった。というよりそもそも、栃木に越してきて三年になるというのに、どの観光地にも行ったことがなかった。一期と二期の間の休みで中禅寺湖へでもドライブに行けば、少しは土地への愛着も出て、やる気が出るかもしれない。

が、折り悪く、寛美は調子が悪かった。

「でも、あの車、ちっちゃい」

寛美は髪をいじりながら答えた。あの車とは、三百万円もしたサックス・ブルーのミニ・クーパーのことだった。

「そう? 中はわりと広いじゃないか」

寛美は唇を舐めてから突き出した。艶を帯びた唇が、ぷっくりと膨れ上がる。視線は深く深く落ちていき、新築のフローリングの上をそろそろと這いはじめた。ぼくは彼女の退屈に譲歩した。

「じゃあ市内にする? 東照宮だって近いし」

寛美は答えないで、枝毛を探していた。何本かの毛が汗に濡れて、頬に貼り付いている。その姿はどことなく所帯じみていた。個別指導に回されたというしょぼくれた現実に、惨めな生活感までが加わってしまうことは耐えがたい。

枝毛を探すのは不毛な行為だという怒りが、とつぜん胸の内で沸き起こった。寛美はほとんどお洒落をしない。洋服だって、「ファッションセンターしまむら」で全部揃えてしまう。枝毛のあるなしよりも、もっと根本的な改革が必要だった。

「じゃあ、美容院は?」

ぼくはそう言うと、地域情報誌を取り出して、彼女の目の前に広げた。広告ページには北欧の血が混じったような女の子が上目使いで写っていて、赤真っ赤染めた髪が発電所記号のようにうねっている。東京は表参道、美容院の激戦区で修行した人が北関東カルチャーを変えるために立ち上げた店だそうだ。寛美はただでさえ綺麗なのだから、なにをやっても似合うだろう。美容師だって、自分の腕を存分に振るえるのは嬉しいに違いない。などなど、説得を続けていると、寛美は雑誌を受け取って、広告のモデルをじっと眺めた。

「こういうウニみたいな頭がはやってるの?」

「いや、そういうわけじゃないよ。これはあくまで広告だから。でもまあ、やろうと思えばこれぐらい奇抜なのもできるっていうことだとは思うけど」

「なんで美容院詳しいの?」

「だって、いつも行ってるから」

「その頭で?」

寛美が上目使いで示したのは、ぼくの髪型だった。たしかに、素人がぱっと見て金のかかった髪形だとは思えないのはわかる。しかし、それはぼくの面構えのせいで、美容師の腕はそこそこいいのだ。サラリーマンに課せられた制約内で格好つけた髪型にするのは難しい。特に田舎の塾講師だから、色はもちろんのこと、襟足も、もみ上げもいじれない。ヒゲもだめ。頭のてっぺんのわずかな違いで差をつけなきゃいけないのだ。顔面で大きな遅れがある場合、とても挽回はできない。

「でも、寛美は学生だからさ、なんだってできるじゃないか。色だってド派手にできるし、パーマだって」

寛美はまだ広告の写真を見つめつづけていた。色の薄い瞳は細かく動き、紙面をくまなく検討している。ぼくはさらに綺麗になった寛美を想像しながら、どぎまぎと返事を待った。そして、かすかに寛美の顎が下がった瞬間に、行くんだね、と念を押し、塾に電話をかけてくる保護者ばりの熱意で予約を取った。

「でも良く考えたら、美容院ってそんなに好きじゃない。緊張するから」

今市の駅前で車を降りる段になっても彼女は渋った。開けた窓枠に手をかけて、日光線の駅を眺めている。北関東中を探しても、ミニ・クーパーの窓から駅を眺めるのがこんなに似合う女はいないだろう。

「まあいいか。もう着替えちゃったし」

彼女は決意を深めるように言うと、ボロスニーカーの紐を締めなおした。クーパーの扉を開けて、外に出る。完璧な身体の持ち主が後ろ手に閉めた扉のバタムという音は、あまりの格好よさに身震いすぐるらいだった。

家に帰ったぼくは、すぐさま電話をかけた。東京のエージェントTである。

「こないだ買ったミュウミュウのスカートって、サイズいくつだったっけ?」と、彼は尋ねた。

「九号だったと思うけど、上は違うんじゃないかな。かなり胸大きいから、十一号ぐらいだったかも。参考までに言うと、身長が一七三センチで、体重は五二キロ。上からアンダー七〇のFカップで、六〇、八六。股下は八一センチ」

「ちょっと聞いていいかい?」

「いいよ」

「なんでそんなに詳しいの? 芸能プロダクションの人みたいだぜ」

「ただの塾講師だよ」

ぼくはエージェントTにトッカの黒いワンピースを発注した。青味がかったスパンコールが裾のあたりで控え目な鳥をかたどっているやつだ。雑誌で確認してあったから、寛美に似合わないはずがなかった。カンヌあたりの赤絨毯の上を歩くのが似合うくらい、綺麗に見えるだろう。

「四十パーセントの割引で三万円。他は?」

「あと、ミュールかなにかを頼むよ。デコレーションのメリハリが利いてる強いやつ」

「ちょっと聞いていいかい?」

「いいよ」

「パーティーでも行くの?」

「いや、別に」

そして、エージェントTはぼくの貯金額を買いかぶって電話を切った。そのうち、代引きで宅急便が届くだろう。

今市駅まで迎えに来いと寛美が電話をかけてくるまで、一時間ぐらいあった。ぼくはわけもなく疲れてしまっていた。暑さが気力を奪ったのかもしれない。キッチンのところにぶら下がっている温度計は三十二度を示していた。なにということもなく、そのアナログな温度計を振ってみると、水銀が二十八度のところまで下がった。一瞬涼しくなったような気がした。しかし、そう感じた瞬間、さっきよりも暑くなった。熱気がまとわりついて、全身が薄い膜に覆われてしまっているような不快感。クーラーは壊れていた。ぼくは嘘つきな温度計を元に戻した。

と、その拍子に手がコーヒー缶に当たり、粉を床にぶちまけてしまった。粉はキッチンを中心とした扇形に広がった。もしもそこに寛美がいたら、ぼくは掃除機を取り出して片付けただろう。が、一人きりでは頑張る気になれなかった。居間のソファに横たわった。姿勢を変える度に、湿った皮膚がソファのビニール地から音を立てて離れ、その音がぼくを覚醒状態から少しずつ引き剥がしていった。

やがて、揺り動かされて目を覚ました。寛美が紅潮した顔で「大変よ」と言っている。なんだなんだ、自分があまりに綺麗になったことに驚いているのか? ぼくは生まれつきゆがんだ唇をさらに歪め、理由を尋ねた。寛美が答えるまで一、二分がかかったが、出てきた言葉は、コーヒーが零れてる、ただそれだけだった。しかも、野次馬のように恥知らずな笑みを浮かべて。

ぼくは犯人の名前を教えてやった。ところが、重要なのはそこではないらしい。寛美はぼくを急き立てると、台所へ連れて行った。

「ほら、ここのところを見てよ」

寛美はそう言いながら、こぼれたままのコーヒーを指差した。

「何かが通った後に見えるでしょう?」

確かに、コーヒーの粉の上に何かを引きずったような跡がある。寛美は考え込むと、この前の奴だ、と呟いた。

寛美の説明によると、引っ越し準備中に彼女が足を負傷する原因になった「謎の生物」が、再び台所を這いまわったそうである。ぼくはその生物を見ていなかったし、引っ越し先にまでついてくるわけがない。「謎の生物」などという呼び名もなんとなく仰々しくて、その言葉には狂気が含まれていやしないかと、怯えることしきりだった。

「ハムスターが逃げ出したんじゃないの?」と、ぼくは言った。

「違うよ。ほら」

寛美が口を尖らせて指差した先には、きちんと扉の閉じた飼育カゴがあって、その中ではハムスターがすやすやと眠っていた。夏はゴキブリが発生しやすい。地球上でもっとも繁栄している彼らの繁殖力を考えたら、新築のはずの我が家に短期間で住み着いたという説明も可能だ。いくらなんでも「謎の生物」はないだろう。

「じゃあ、ゴキブリかなにかじゃないかな」

「でも、こういう新しいマンションは防虫処理が施してあるんじゃない?」

寛美はただちに反論した。確かに一理ある。ぼくたちはマンションの改築後すぐの入居者だから、今市の2LDKにしては高価な七万円を払っていた。その家に入居一ヶ月でゴキブリが出るのは不条理でさえある。ぼくが納得しているらしい様子を見て、彼女はぼくに大家のところへ行くように命じた。

「仮にゴキブリだとしても、家の中にそんなものがいるのは大問題でしょ? ちゃんと防虫処理してるのか、訊いてきてよ」

「でも、大家さんの家ってちょっと遠いよ」

「訊いてきて」

普段と比べると異様なほどの熱意で、寛美はぼくを説得した。頬は火照って赤くなり、目はきっと見開かれていた。常軌を逸した熱意を宿す寛美の瞳は危うい魅力を持っていた。ぼくは魅入られた奴隷みたいにふらふらと、上今市へ向けてサックスブルーのミニ・クーパーを走らせた。休日にはこんな用途もあったのか、と変な感心をしながら。

印南いんなみという名の大家には、そんなに何度も会ったことがあるわけではなかった。七十を超えた老婆で、一人暮らしである。それだけならとりたてて言うほどのことはないのだが、彼女は宗教にハマッていた。その宗教というのが、どうやらヒンドゥー教らしい。インド哲学科の学生である寛美と暮らすぼくにとっては、少しは興味を持ちやすい大家だった。

蔵のついている豪邸の漆喰しっくい壁にはプラスティックのインターフォンがむりやりつけられていて、それを押すと、間延びした印南さんの声が聞こえてきた。しばらく待ったのち、了解を得て、大きな鉄門の端にある勝手口をくぐった。種々の植物が咲き乱れる庭を通り、ようやく玄関に辿り着く。そこまでしてぼくがで見たものは、寛美の美しさとは対象をなす醜い存在だった。

古希をとうの昔に済ませた脂肪の塊は、暴力的なネグリジェ一枚でぼくを迎え撃った。オールドミスのヒンドゥー教徒はその姿に恥じ入る様子もなく、何か用かしら、と訊いてきた。しばらく茫然としていたぼくだったが、この怪異な状況から逃れるためには一刻も早く用件を済ませることだと考え、知りたいことを率直に尋ねた。

「変なことお尋ねしますけど、あのマンションって、防虫処理とかしてあるんでしたっけ?」

「ええ、うちでは一年おぎにシロアリ駆除業者さんにお願いして、やって頂いてんべ」

「それって、ゴキブリとかにも効果あるんですか?」

「詳しく知んねえけど、そうだんべ?」

やるべきことを済ませた安堵から自然に顔がほころぶ。そうですか、と帰ることにしたが、印南さんは引きとめた。いわれない老人の寂しさがそうさせるんだろう。同情心からなんとなく断りづらくて、お茶を一杯だけ飲んでいくことにした。

玄関の上がりに座り込むと、印南さんが、上がんなんせ、と催促する。部屋に上がるのだけは頑として拒もうと考えていた。玄関先なら少し話しただけで帰ることができるが、上がってしまうと際限がなくなるからだ。

「いや、すぐ失礼しますから」

そう言って去ろうとすると、彼女は失望を隠そうとはしなかった。彼女は孤独を楯にして、ぼくを脅迫しているのだ。ぼくには「断らない」以外の選択肢がなかった。

彼女が持ってきたお茶は、緑茶ではなくチャイだった。茶葉はダージリン産だそうだ。時節を無視したこの熱い飲み物をすすりながら、ぼくは彼女の話に耳を傾けた。

このマンションの名前「プラーナ」はサンスクリット語で詩歌のことを意味する。ヒンドゥー教は仏教の生みの親である。不二一元論によれば、この世のすべてはマーヤー、つまり幻である。神はすべての中に遍在している。一般的にヒンドゥー教は多神教だと思われているが、そうではなく、すべての神はブラフマンの顕現である……他にも色々と聞いたが、忘れてしまった。印南さんの乳首がネグリジェに浮き出ていることが気になって、あまり話に集中できなかったのだ。

彼女はぼくの絶望などそっちのけで、年寄り特有の図々しさをフルに発揮し、ヒンドゥー教の素晴らしさを切々と説き続けた。湯飲みが空っぽになってからも、延々と続く。宗教に興味のないぼくは、彼女の意見にあまり共感できず、虚無を満たした湯飲みを握りしめて、少しでも早く時間が過ぎ去るのを祈っていた。

「ぼくの彼女、インド哲学やってますよ」

終わらない気配がぼくにそう言わせた。

「は、そう! なに、どんなことやってんのけ?」

「仏教っぽい話だったと思いますけど……詳しくはわかんないです」

「そう! ステキな方だんべ! 結婚すんのけ?」

印南さんはほとんど唐突にそう尋ねた。ぼくは返答に詰まり、彼女がどう思っているかわからないと答えた。老婆はその言葉に含まれる微妙なニュアンスを嗅ぎ取ることなく、作っぺよ、と叫んだ。

「はあ、まあ、それはちょっと……」

「なに言ってんの! いまどき、どこもかしこもできちゃった結婚じゃねえの! あんたも仕込んじまえばいいっぺ!」

結局、ぼくがよろよろになって印南さんの部屋を去ることができたのは、永遠に近い時間が過ぎ去った後だった。時間を無駄にした焦燥感に駆られてミニ・クーパーのアクセルを踏み込み、自分の部屋にどたばたと上がり込んだ。

台所にはまだコーヒーの粉が散らばったままだった。居間の床には寛美が横向きに寝転んでいる。どうやら、うたた寝をしてしまったようだった。

ふと、ぼくは寛美の右足の裏にコーヒーの粉がついているのに気付いた。踏んづけてしまったのだろう。ぼくは彼女を起こさないように、手の平で優しく払った。だが、一粒だけどうしても落ちない。爪の先でそれをこそぎ落とそうと、なんどか引っかいてみたが、無駄だった。よく見ると、それはコーヒーの粉ではなく、彼女が割れたコップを踏んだ時にできた傷のかさぶただった。あまりに小さなものだったので、見間違えたのだ。ぼくは、かさぶたがコーヒーの粉に見えるという発見を、意外なものだと感じた。すると、そのかさぶたが貴重なものに思われてくる。じっとそれに見入った。いつまでも見ていたいとさえ思っていた。だが、足の裏をくすぐられた寛美が目を覚ましたため、そのかさぶたを見る機会は奪われてしまった。

「あんまり遅いから、寝ちゃった。どうだった?」

ぼくは一年ごとに行なわれるシロアリ駆除隊の奮闘を彼女に伝えた。彼女はその報せをつまらなそうに聞き、「そう」と一言発しただけだった。ヒンドゥー教伝道師との精神的危機に溢れた対話をしてまで手に入れた情報は、寛美にとってすでに無価値になっていた。彼女はいつもの無関心に捉えられてしまったようだ。その証拠に、彼女は立ち上がると掃除機を取り出し、はい、とぼくに渡した。スイッチを入れてコーヒーの粉を吸い込むと、「謎の生物」の痕跡はゴミパックの闇へと消えてしまった。

「そういえば、この髪型どう?」

ぼくが掃除機を押入れにしまっていると、寛美はそう尋ねた。よく考えてみれば、まだコメントをしていなかった。寛美に美容院行きを提案しておきながら、彼女の髪型について言及するのを忘れるなんて、許されざることだった。ちょっとした悔恨に苛まれながら、綺麗だよ、と伝えた。寛美の髪は短くなり、軽くなった感じがした。顎に届く程度の長さになった彼女の髪は若々しい印象を与え、それでいながら、もともと綺麗な顔を引き立てることで大正モダニズム風の華々しさを演出した。ぼくの願った通りの効果を生んでいた。

「短いのも似合ってるよ。でも、もうちょっと冒険しても良かったんじゃない?」

寛美は非難されたような気分になったのだろう、うつ向いてしまった。そんなことを言うべきじゃなかった。彼女にとって、美容師とのコミュニケーションは困難に満ちたものなのだ。思った髪形を言葉にして伝えるのはとても難しい。しかも、色もパーマも自由となると、選択肢が増えてしまう。きっと、寛美は目の前に出された五冊近いヘアカタログに怯えたことだろう。そんな中から最良の選択をして、上手く伝えることなんてできっこなかった。ぼくは謝り、寛美を誉めまくった。かなり長い時間がたって、もう夜になるという頃、寛美がぼそっと呟いた。

「今日ね、美容師さんがお化粧してくれたよ」

とっくに気付いていた。彼女の頬にはピンク色のチークが差してあり、眉毛も整えられ、マスカラが塗られていた。唇も薄く口紅が引かれている。綺麗だった。ほんとうに綺麗だった。しかし、ぼくがそれを誉めなかったのは、他でもない、余りに美しかったからだ。ぼくと一緒に暮らす女の顔じゃなかった。

その夜、ぼくは苛立ちと焦りにまみれ、彼女とセックスをした。彼女はとても濡れた。ぼくはあの七人を思い出し、憎しみを打ち砕くためだけに腰を動かした。淫らな泣き声が、今市の2LDKに響いた。

すべてのことが済み、惨めさが部屋の中を踊りはじめたころ、寛美は、唇がカサカサする、と呟いた。たぶん化粧を落としていないせいだったが、ぼくはそれを自分の手際の悪さのせいにして、ごめん、と謝った。寛美は唇を舌で舐めまわしていた。そして、まあいいか、と呟くと、何事もなかったかのように寝入ってしまった。

2015年7月16日公開

作品集『ハムスターに水を』第1話 (全6話)

ハムスターに水を

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© 2015 高橋文樹

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