種無しぶどう

ハムスターに水を(第2話)

高橋文樹

小説

19,329文字

勤務する塾での立場が危うくなった「ぼく」は、昔の教え子に再会したことをきっかけに一発逆転の妙案を思いつく。長嶋茂雄にそっくりだった教え子は、東京で少し大人びて、「ぼく」よりも眩しく見えた。

○To 22歳の私

朝ご飯は毎日三食とっていますか。きちんとした身なりで過ごしていますか。無遅刻無欠勤ですか。休みの日でも六時に起きていますか。無駄遣いをせずに貯金していますか。就業時以外でも勉強を怠っていませんか。たくさんの人と出会っていますか。

○To 26歳の私

独立のための資金は貯めましたか。忙しくても健康管理に気をつかっていますか。後輩に好かれていますか。これまで培ったよい習慣を捨ててはいませんか。社会人としてのマナーを身につけましたか。財務関係に明るくなりましたか。会社法などについての知識は十分ですか。信頼できる仲間はできましたか。

○To 30歳の私

独立できましたか。忙しさにかまけて周囲をないがしろにしていませんか。目先の仕事ばかりこなしていませんか。将来につながる事業展開をしていますか。社内事情にくまなく目が届いていますか。独身というハンデを覆すだけの処世術を身につけていますか。

○To 40歳の私

仕事に対してやる気を保っていますか。守りに入っていませんか。チャレンジングでいつづけていますか。新しい事業に進出するための下準備は終えていますか。会社を私物化してはいませんか。足元を救われないための手回しにぬかりはありませんか。時代の変化に対してかたくなになっていませんか。孤独に耐えるだけの技術は身につけましたか。

◆私の長所

私は努力家の人間です。私は我慢強いです。私は一人の人間を大事にできます。私は真面目です。私は嘘をついたことがありません。私は誘惑に屈しません。私はお金を貯めるのが好きです。

◆私の短所

私は意固地です。私は不器用です。私は夢見がちです。私は自己評価が低いです。私は友達が少ないです。私は非社交的です。私は劣等感の塊です。

◆大きなヴィジョン

私の夢は事業を立ち上げ、大きな会社にすることです。オーナー会社にはしません。そこに入った人が人間として成長し、社会に対して貢献する人間となってくれるような成長の場としての会社を作りたいと夢見ています。

 

 

ぼくはそう書いている。自己啓発本にしたがって作った表は読み返すに値しない幼稚な内容で、未来の自分へのメッセージが四十歳までしか書いていないあたり、見通しの甘さを物語っていた。が、これを書いたときは、他人の提案するモチベーションの保ち方を猿マネすることでしか、ぼくはぼくであることを保てなかったのだ。

教材用にと開いた『夢は叶えるものだから~モチベイト・ユアセルフ!~』からひらりと落ちた自己分析シートを元に戻し、別の本を取り出した。マルシンにいた頃なら本屋に行っただろうが、個別指導ではやる気も出ず、一回使った本をリサイクルしたくなってしまう。結局、ぼくは三冊の本――『伝記シリーズ独眼竜政宗』・『プロジェクトX』・『アルジャーノンに花束を』――を選び、その日に指導する生徒のための補助教材とした。

マルコでの夏期講習でぼくが実践したのは、相変わらず「国語理論」だった。国語を勉強することによって、他の教科の点数も少しずつ上がるというものだ。理系の講師たちは文系の我田引水だと因縁をつけたりもしたが、たとえば、数学の方程式ができない生徒はそもそも問題の文章をちゃんと読んでおらず、なにをXとして求めろと言われているのか理解していなかったりする。それはすべての教科に通じることだ。

国語を勉強することの重要性に気付いたのは、ひょんなことからである。講師として働きはじめてすぐ、通り一遍の新人と同じく、なにをしていいかわからずに職場をウロウロしていたぼくは、ファイルキャビネットにある資料を読み漁ることで時間を潰した。その過程で、日本一の難関高校である開成高校の合格者と不合格者の平均得点のグラフを見つけたのである。両者の違いは国語の点数であることは明らかだった。他教科の差はあまりなく、英語と数学にいたっては不合格者の方が少し高いぐらいだ。どうして国語だけ、平均点で十点以上もの差がでるのか。理科も社会も数学も英語もあるのに、どうして国語だけこんなに違うのか。そのデータも、国語ができないと駄目だという事実も、誰もが知っていた。そういう点で、この発見はぼくの独創というわけではなかった。

ともかく、入社まもないぼくには他にデータもノウハウもなかった。統計的な正しさを犠牲にして、「国語ができる成績優秀者は頭がよく、国語ができない成績優秀者はただのガリ勉である」という仮説を立て、さらにそれを発展させて、「国語ができれば頭がよくなる」という「国語理論」を打ち出したのである。もちろん、特定の教科ができるに越したことはないのだから、「国語理論」の肝は「国語さえやればいい」という点にある。他の教科は多少犠牲にしてもいいのだ。教科書や参考書は読めばわかるように作られているのだから、そっちはそっちで勝手にやれという放任主義である。

国語の勉強法もいたってシンプルだ。まず、テキストの漢字をピックアップして、授業開始時にテストを行う。間違ったものはその場で十回書き取り。十分程度で読める部分を読ませる。そこになにが書いてあったかを一問一答形式で答えさせる。間違った場合、テキストの中から該当部を書き抜かせる。そしてもう一度読ませ、要約を作らせる。そこには一切の感想を挟んではいけない。どれだけ著者の意見を理解しているかだけを見る。それで終わり。文法など一切やらない。あんなものは、受験直前にやれば間に合うし、きちんと文章が読める人間には当たり前のことだ。

この「国語理論」は功罪なかばするところがあった。成功した生徒もいたし、無意味な勉強だと親に言いつけた生徒もいた。とくに完成しなかったときのリスクが大きかった。マルシン宇都宮教室の教室長はその大胆さにケチをつけたが、若輩者のぼくにだってプライドはある。個別指導のマルコに来たらぼくの自由裁量だ。ここで自分のやり方を貫きとおし、生徒たちに優秀な成績を残させ、マルシンに復帰する。それがぼくの短期目標だった。

七月末になると、毎日ヘトヘトになって家へ帰ることが多くなった。朝の九時から夜の七時までびっしりと詰められた授業スケジュールをこなすのに精一杯で、疲れも抜けない。しかも、塾業界では一年の間でもっとも忙しいこの時期を、いつもと違う環境で乗り越えなくてはいけない。H君事件の汚名を返上するためとはいえ、休みが待ち遠しくてならなかった。

家に戻ると、寛美はいつも本を読んでいた。卒業論文を早めに出せば、九月に卒業できるらしい。テーマは「フロイトにおける唯識思想」である。インド哲学とフロイトに何の関係があるのか、ぼくにはさっぱり分からなかったが、彼女はとても大事なことだと主張した。彼女がなにかを主張するなんて珍しいと、理由を尋ねてみると、大学の先生にヒントを貰ったという。彼女みたいな多留学生は永遠に大学生のつもりでいるから、先生たちが尻を叩かなくてはならない。しかもインド哲学科だ、先生たちの追い出し術も堂に入ったものだろう。

とにかく、人生で二十一回目の夏休みで、あの寛美がついに勝負に出ようというのだ。ぼくは彼女のやる気を信頼し、自分の夏期講習に専念した。

寛美がフロイトを味方につけてインド軍と、そしてぼくが「国語理論」を振りかざして小・中学生連合軍と戦ってから二週間、八月十日になろうとしていた。一時の休息、盆をまたいで十日間の休みである。

たしかに疲れてはいたけれど、はじめからゆっくりしようとしていたわけじゃなかった。十日もあれば、前回の休暇で行けなかった小旅行に出ることができる。しかし、そのすべては次の言葉で否定された。

「でも、今から予約取れないし、どこ行っても人いっぱいでしょ?」

休みはもうすぐそこに迫っている。無計画のまま十日間も家にいるのはかえって不健康だし、寛美も調子を悪くしてしまうだろう。ぼくは八月九日の深夜一時にいたって、なんとか反論を試みた。

「それはそうだけど……近場なら、ヘトヘトになっても家に帰ってすぐ寝れるじゃないか」

「近場って?」

「中善寺湖とか、那須とか。温泉の日帰りでもいいし。いい値段の湯葉食うとか」

「丸一日潰れるじゃない」

「十日もあるんだよ? ビル・ゲイツとかウォーレン・バフェットとかジョージ・ソロスじゃないんだから、十日間の休みのうちの一日を潰すのは別にいいんだよ。どうせ、他のところでたくさん無駄にしてるんだから」

寛美は欠伸あくびをした。ぼくは自分の説得が失敗に終わったことを悟った。ふにゃふにゃという欠伸の余韻を残して発された彼女の言葉は、ぼくの確信をはっきりと裏打ちした。

「なんにせよ、今はこの家を二時間以上離れるわけにはいかないから駄目」

寛美が駄目という以上、駄目なのだ。ぼくらはどこにも行かず、水をたっぷり飲んでぼおっとしているハムスターと一緒にごろごろすることにした。ミニ・クーパーは駐車場で日に焼けて、エンジンを錆びつかせていった。

そんな病的な休息のあいだ、とてもたくさんの電話をした。自分からかけることもあったし、向こうからかかってくることもあった。一つ一つの電話は十分ほどの短いものだったが、たったそれだけの時間が一日のあいだでとても重要な意味を持った。それは念入りな前戯みたいなものだった。

というのも、ぼくと寛美が無為に任せてセックスばかりしていたからである。朝からしているものだから、いくら寛美が世界一綺麗だといっても、二日目になると精力が尽きてしまう。しかし、寛美は呆れるぐらいに貪婪だ。ぼくが彼女のパンツに手を入れて――もちろん、しかるべき状況においての話だが――そこが乾いていたことなど一度もなく、四六時中濡れているんじゃないかという想像もあながち間違いとは言い切れない。塾で中三に長文読解を教えていて、〈devour〉つまり「貪る」という難単語が出たときなど、思わず寛美の顔を思い浮かべるぐらいだ。そんなに好きなら応えてあげないわけにはいかない。なんとかして心身ともに鼓舞しつづけなくてはならなかった。

そんなときは、外部からのメッセージが役に立った。恐ろしいくらいの美女とド田舎のマンションで二人きりというおとぎばなしめいた空間を打ち破って、目を覚まさせてくれるからだ。人魚姫は自分が物語の主人公をであることを知らなければ、悲劇のヒロインとしての自分に酔うことはできない。電話をかけてくるのが誰にせよ、その人はぼくを「世間」に引き戻して自分の凡庸さを思い知らせ、寛美といるのが奇跡のような状況だということを再確認させた。受話器を下ろし、だらしないくらい見事に濡れた寛美に向かい合うと、ぼくは自分の幸福に酔いしれることができた。そういう意味で、電話は上手な前戯みたいなものだったのである。

中でも最高の前戯をしてくれたのは母だった。

八月十四日、珍しく家の電話が鳴り、その向こうでは実家の母が、今年こそ帰省してちょうだい、と懇願した。ぼくは長らく実家に帰っていなかったが、寛美の言葉をそっくり真似て、今はこの家を二時間以上離れるわけにはいかない、と断った。母はこれといったいわれのない二時間を訝った。ぼくはその疑念を嘲笑うみたいに、来年こそは帰る、と嘘をついた。母は食い下がった。

「そんなこといって、また延び延びになるのよ。お姉ちゃんも結婚するのよ?」

「式には出るよ」

「でも、その前に子供が生まれるから」

「だから、式には出るよ」

母は自分の言葉を喉に詰まらせたみたいにモゴモゴと、子供が生まれるのよ、を繰り返した。ぼくは向こうが諦めるまで、式には出るよ、を繰り返した。電話は長い長い反復の末、狂おしいほど静かに切れた。

ぼくが家族とうまく行かない理由は、誰かが悪いというより、大学二年生の時に発症したおたふく風邪のせいだった。一週間もの間、高熱が出た。睾丸は握り拳ぐらいまで膨れ上がり、カエルのように足を開いて眠らなくてはならなかった。そして、熱が引いた後、念のために精子の数を検査すると、まさかというか、やっぱりというか、結果は見事にゼロで、ぼくは無精子症になってしまったのだ。医者は手のほどこしようがないと申し訳なさそうに言った。おたふく風邪による精巣障害でも、精子数がゼロになるのは大変珍しいケースらしかった。自分を襲った不幸の意味を深く考えないように、ポカンとするのが精一杯だった。

子供を残せないという事実を冷静に捉えられるようになった頃、ぼくは開き直った。人間は他の動物とは違う。子孫を残すことだけが生きる目的じゃなし、他にできることはいくらでもある。自分の生きた証となるものが残せれば、子供がなくても悔やむことはない。何かを残せばいいのだ。何か、自分だけのものを。

考えに考えた挙句、それは自分の会社だという結論に至った。ぼくは自己啓発本を読みまくり、授業などそっちのけでアルバイトに励んだ。起業に必要なたくさんのことを学ばなくてはならないという考えから、なるべく色んな仕事をやった。下北沢で雑貨屋の仕入れを手伝い、代官山でお洒落な喫茶店のウエイターをやり、歌舞伎町の居酒屋で便所に詰まったゲロをすくい、大手町のイベント代行会社でパソコン入力事務の仕事をやった。経営に関する本もたくさん読んだ。大学を卒業すると、人生経験を積むために千葉の実家を出て、新宿区大久保の小さなアパートに移り住んだ。大久保は雑然とした、怪しげな町だ。ぼくはその混沌の中から、不死鳥のように舞い上がるつもりだった。

のべ三年間、ぼくは六百万円を貯金し、すべての準備が整ったと思った。しかし、ITとなにかをうまくからめた会社をやろうと動き出した矢先、ぼくは得体の知れないどん詰まりにはまった。銀行に行って金を借りようにも、ビジネスモデルがないから説得のしようがない。金もビジョンもないから人が集まらない。どんな仕事をしたらいいのか、よくわからない。なにも決まっていないから、どの選択肢も決められない。

このよくわからない泥沼に絶望し、はたと気付いた。「ベンチャーを志すフリーター」と言えば聞こえはいいけれど、実際は時間を切り売りしていただけなのだ。本当に経営に必要なことは、雇う側もなかなか教えない。簡単に教えたら、新しい経営手法を考えなくてはならないからだ。それを企業経済というシステムのせいにするのは簡単だが、如才ない若者は、魔術的にも見える方法と恐るべき体力によって、すでに起業を果たしていた。それにひきかえ、ぼくの手元に残っていたのは、「勤務時間×時給」の公式が書かれた味気ない明細書の山と、細かい入金が羅列された気違いじみた預金通帳と、抽象的な経営知識の残り滓からなる安っぽい自己評価シートだけだった。

ぼくは傷心のまま実家に戻り、なぜだかわからないが、狂ったように服を買うようになった。リュックを片方の肩にかけて、うつ向きながら早足でスタスタ歩くようなダサい貯蓄魔が、青山やら代官山やらのセレクトショップで服を買うようになったのである。

両親は、ぼくの浪費と起業計画と無精子症のつながりを一本の線で結びはしたものの、その後の対応においてまったく誤っていた。結婚するためには無精子症を治さなくてはならないし、それができないのなら、あの医者を訴えてもいい、訴訟するためなら全面的にバックアップする。そうした親心を無碍むげにするつもりはなかったけれども、彼らの連発した「困る」がぼくをうんざりさせた。外見ばかり気にするのは困る、子供が作れなくちゃ困る、男としての能力が足りないのは困る、嫁が来なくて困る、早くクローン技術が確立されなくちゃ困る……。ぼくはそんなに「困らせる男」なのだろうか? 実家に帰ると一日に五十回は発される「困る」によって、ぼくは次第に精神を病んでいった。近々、千葉を去ろうという決意をぼくは固めていた。

友人のいる東京で再び暮らすという選択肢がはじめは優勢だった。しかし、彼らはみな忙しく、苛立っていた。助けの手を差し伸べるどころか、いまさら慌て出したぼくに説教を食らわせる奴もいた。もっと酷い奴は、ぼくを「種無しブドウ」呼ばわりした。それはかつて周囲の重苦しい雰囲気を察したぼくが自虐的に使ってみせた呼び名だが、他人には言われたくなかった。みんな、自分のことしか深刻に捉えられないようだった。ぼくは大学の友人達と二度と会わないことに決めた。

かつてバイトをしていた所で正社員として働こうかとも思ったが、条件はまったく悪かった。起業を目指していたときはあんなに応援してくれたのに、本格的に雇うことは嫌みたいで、なにをいまさら、という表情だけが帰ってきた。バイトをしていた時に築いた人間関係は案外もろいものだった。ぼくは適当に愛想笑いを浮かべ、かつての職場を後にした。

もう頼るものはない。就職情報誌とハローワークだけだ。ぼくはなんのアドバンテージも持たずに、厳しい市場原理に身を委ねなくてはならなかった。

それならそれでどこだっていいや、そんなヤケを胸に採用条件を検討していたぼくは、ある会社に目を止めた。栃木県の進学塾、契約社員、週休二日、実働六時間、月収約二十五万(日当一万千五百円)、諸手当アリ、昇給アリ、四大学部卒可、未経験者歓迎、研修制度アリ、正社員登用制度アリ。フリーターをしていた頃よりは多くの給料を貰える、未来もあるだろう。ぼくの決意は一瞬にして固まり、すでに受話器を手にしていた。

その後、簡単な学力試験と面接だけで受かった。バッサバッサと首を切っていく厳しい研修が終わると、宇都宮に移り住んだ。地図を見てみると、実家からはかなり離れていた。家族から遠く離れている、これ以上家族を憎まなくてすむ、そういった事実にほっと胸を撫で下ろした。ぼくは栃木という縁もゆかりもない土地で、すべてのしがらみから解き放たれ、粛々しゅくしゅくと塾講師の仕事に励みながらも、人生の意味とは無縁に生きていた。それからH君の件で今市に飛ばされ、これはもう緩やかに狂って人生終わりだ、と自嘲していたところ、寛美が転がりこんできた――夏期講習あいまの休暇へと至る人生のアウトラインだ。

そして、ぼくはその休暇を使ってセックスばかりしていた。

母親との会話が引き連れてくる一連の回想は、寛美と暮らすことの価値を再確認させ、最高のセックスをもたらすわけだが、時々、度が過ぎて出す場所を間違えてしまった。もちろん、それはノンアルコールビールみたいなものなのだけれど、寛美にはひた隠しているわけなので、一応、焦ったフリをしなければならなかった。

「子供ができたらどうすんの?」

寛美は苛立ちながら叫び、ぼくは「そうしたら、結婚しよう」とうそぶいた。そうやって嘘をつくことがぼくには必要だった。寛美も少し興奮していた。寛美の胎内に奇跡が起きることなど少しも願っていなかった。偽物の悪意は、この十日間に溺れつづけるための調味料に過ぎなかった。

エージェントTとも電話をした。彼はアルバイト時代からの付き合いで、起業を目指す若者の集う変なビジネスサークルに参加したときに知り合った。自暴自棄になったぼくを見捨てなかった心優しい男だ。起業にも成功した。アパレル商社に入り、最近になって店を持った。洋服狂いになったぼくは、それまでダサかった男の悲しさか、アレキサンダー・マックイーンの穴開きニットガウンや、ジョン・ガリアーノの鎖つきジャケット、ラフ・シモンズのシャギーパンツなど、ワンシーズン過ぎれば着られなくなってしまいそうな奇抜な服ばかり買っては、メチャクチャに合わせていた。そんなぼくを見かねた彼は、社員割引で手に入る品を斡旋してくれ、その上、シンプルで使い勝手のよいものを選んでくれた。ヘルムート・ラングのジーンズ、プレミアータのストレートチップ、フェイク・ロンドンのカシミアニット、ナンバー・ナインのコットンジャケット、クールのハンチング帽……。もしかしたら、向こうは払いのいい顧客の一人と思っているのかもしれないが、栃木に来てからも服選びは彼に任せていた。

彼を柏にある小さなセレクトショップのオーナーに、ぼくを栃木の洋服狂の塾講師にした、その違いはよくわからない。しかし、ぼくは彼のことがとても好きだった。翻訳小説みたいに胡散臭い話し方や、ズケズケと人のプライバシーに入り込んでおきながらきちんと後片づけをして帰っていく折り目正しさ、ゲイであることを告白した五秒後にぼくみたいな男は別に好きじゃないと言い放つ臆面のなさ。どれもこれも、気持ちのいい男だった。東京の知り合いでは唯一連絡が途絶えていなかった。

彼と電話をしたときは、下着を注文した。このあいだ頼んだトッカのワンピースはまだ袖も通していなかったが、寛美に外出する気がないのでは仕方がない。部屋で着たって、どうせすぐ脱いでしまうのだ。

「アンダー七十のFだと、かなり高くなっちゃうけど、いいかい? Dカップより上は高いんだ。うちは専門じゃないから、割引も利かないだろうし」

「かまわないよ。三万円ぐらいだろ?」

「そうだね。なるべく交渉はするがね。で、リクエストは?」

「下着はぼくもわからないからな。任せるよ」

「ゲイに任せちゃっていいのかい? セクシーの意味が違うかもしれないよ」

「まあ、構わないよ。あ、なるべく面積の小さいやつがいいな」

「ちょっと聞いていいかい?」

「いいよ」

「これからセックスしたりするのかい?」

「電話を切って五秒後ぐらいにね」

エージェントTはそのままなにも言わずに電話を切った。そして、翌日の昼には代引きで小包が届いた。中に入っていたブラジャーはコーヒーフィルターぐらいの大きさしかなく、パンツはどこが上だかわからない紐状のものだった。

そんなこんなで、性生活のよきスパイスとなっていた電話だったけれど、十日間の休暇の最終日にかかってきたものだけは、逆効果をもたらした。

その日、夕飯の材料を買って帰ったぼくを迎えたのは、受話器を突き出す寛美だった。

「出たの?」

寛美は頷き、だってうるさかったから、と答えた。それが母親だったりしたら、結婚するの結婚するの、おめでとうおめでとう、と面倒なことになる。

「誰だって?」

「知らない。名前言わなかったから。若い子」

ぼくは母親ではないことにほっとしながら受話器を受け取った。相手は「私」としか名乗らなかったが、その声を忘れるはずがない。ぼくが塾講師になってからはじめて受け持った受験生にして、「国語理論」の最高傑作、ミスターからだった。

「おい、元気だったか?」

「先生、女の人と住んでんだ」

その言い方には、嫉妬のようなものが混じっていた。ミスターはぼくの最高傑作であると同時に、史上もっともぼくになついた生徒でもあった。

「どうしたんだよ、こっちに帰ってきたのか?」

「うん、ちょっとね。夏休み中は宇都宮なんさ」

「どうだ、東京は? 楽しくやってるか?」

ぼくはやや興奮のていで彼女の近況を尋ねた。ところが、彼女はあまり乗り気ではないらしく、ちょっと暗い声で、まあね、とか、適当に、とか、生返事を繰り返すばかりだった。

「なんだよ、あれだけ行きたがってたのに……。勉強についてけないのか?」

「勉強の方は大事だけど、実はさ、相談したいことがあんだよね」

「おお、いいぞいいぞ。何でも来い」

「進路のことなんだけど」

「ああ、いいよ。何だっていい」

卒業した教え子に頼られるという、生まれてはじめての状況は、ぼくを有頂天にさせた。中・高校受験が専門で、大学受験にはあまり詳しくないけれど、そんなことは構わない。夏期講習の三期と四期のあいだに会う約束して、電話を切った。その瞬間から、ぼくが寛美を抱く気をなくした、というわけではない。彼女の方がぱたりと大人しくなってしまったのだ。

 

 

ミスターとの約束の日は八月二十一日だった。宇都宮パルコで待ち合わせたが、人影はまばらだった。東武宇都宮駅から伸びるオリオン通りのティッシュ配りは一向にはかどる様子がなく、アルバイトの学生と思われる青年がティッシュの詰まった段ボールに腰を掛けてうなだれていた。

ミスターが少し遅れてやってくると、ぼくは彼女に導かれるまま、ドトールに入った。彼女はウルフカットが流行ると女子全員がウルフカットにする宇都宮のダサさを、のっぺりした崩壊アクセントで二言三言吐き捨てると、アイス・カフェラテのSサイズを二つ注文した。彼女はぼくが支払いのために出したサックスブルーの皮財布を見て、ため息をついた。

「それってどこの?」

「ビゾンティだよ。イタリアの」

「高い?」

「まあ、そんなでもないけど。高校生には高いかもな」

「いいなあ。私もほしい」

「まあ、お嬢さん学校で持ち物競争したら、家計が持たないよ。ミスターは大学に入ってから、おシャレしな」

ぼくはそう言うと、飲み物の乗ったトレイをカウンターテーブルに置いた。ミスターはいったん座ったが、スツールから腰を浮かせ、カウンターの上を這うようにぼくの顔を覗き込み、こう呟いた。

「先生さあ、私の本名って覚えてる?」

中三当時の彼女は目元が長島茂雄にそっくりで、クラス内では「ミスター」と呼ばれていた。本来ならばイジメに発展しかねないそんなあだ名も、彼女持ち前の明るいキャラクターによってギリギリ愛称でとどまっていた。そんな彼女は国語がまったくできなかったので、マルシン宇都宮教室以外にマルコ宇都宮教室にも通っていた。両親は、ろくなのがない栃木の学校ではなく、東京の高校に入れると鼻息を荒くしていたからである。幸い、転勤族の娘で栃木にいるのであり、父方の実家は東京だった。当時まだ入社したてだったぼくは研修代わりに個別指導で教えており、東京に憧れる彼女は東京を知るぼくによくなついた。ぼくはこれ幸いと、「国語理論」を試した。彼女の成績は中三の夏まで変わらなかったが、その後に急上昇した。国語が上がったのみならず、すべての教科で偏差値が五ぐらい上がったのである。誰も誉めてくれなかったが、彼女が東京の名門女子校である桜陰に入ることができたのは、ぼくの教えの賜物たまものだった。

「かわいい教え子の名前を忘れるわけがないだろ」

彼女の本名に国語の最高偏差値七十二を添えて教えてやると、細い下がり目がさらにゆるんだ。

「あー、よかった。ミスターが本名だと思われてたら、ヤバかったよ」

どうやらそれが彼女の心を解きほぐしたらしい。彼女は本題に入り、国立の医学部に進むべきか、それ以外に進むべきか悩んでいると、ストローを忙しなく回しながら言った。

「医学部とそれ以外っていう選択肢なら、医学部を選んだ方がいいんじゃないかな。それ以外ってことは、選ぶための積極的な理由がないんだろ?」

「んー、そういうわけでもないんだよね。微妙かな。医学部ってさ、六年かかるでしょ」

ぼくは彼女の答えに――というか答え方に――失望を覚えた。昔のミスターなら、何かを質問された時には、んー、どうでしょう、と長島茂雄のモノマネをして教室を沸かせたものだが、今の彼女はそうしたサービス精神を失っていた。彼女を他人から区別し、彼女を彼女足らしめる特徴が消えてしまうのに、たったの三年しか要さないというのは、ちょっと残念な事実だった。

「でも、国立の医学部は難しいから、医学部向けの勉強しておけよ。ギリギリで医学部に変更しても、受かりっこないから。その逆は簡単だよ」

「でもさあ」と、彼女は目尻の下がった目をさらに細くして言った。「私、早く働きたいんだよね。その二年が惜しいの」

「なんで働きたいのさ?」

「彼氏を養ってあげたいんさ」

「養うって……彼は自分で働けばいいじゃないか。それとも、どうしてもヒモじゃなきゃいけない仕事なの?」

「うん、サッカー選手。普通にサラリーマンとかやってたら、スポーツ選手になれなくない?」

「まあ、一回普通のサラリーマンやってからプロスポーツ選手っていうのは、相当の才能と努力が必要だと思うけど……」

「無理かな?」

「いや、レベルがわかんないから。彼は冬の選手権とかに出れるレベルなの?」

「なにそれ、冬って」

「ほら、正月にやってるだろ。高校生活最後の試合だよ」

「どうかな、出たって話は聞いてないけど」

「あ、その言い草だと、もう高校は卒業してんのか」

「そうだよー。そんなガキと付き合いっこないべ。二十六歳だよ」

「二十六歳でプロ志望?」

ミスターはぼくの調子に不安げな顔を浮かべ、首根っこを掴まれた猫みたいな頷き方をした。ぼくは調子の悪い寛美と話すときのように、慎重に言葉を選びはじめた。

「今、その彼はなにしてんの? 仕事は?」

「してないよ。だって、練習してるんだもん」

彼女は「いつも」を示す栃木弁を織り交ぜながら、困ったような顔をした。バイトは、と尋ねると、その顔はさらに曇った。

「してないけど……」

その人はなんなの、と問おうとして、やめた。その人はたぶん、なんでもなかった。軽蔑するよりむしろ途方に暮れてしまったぼくを見て、ミスターは悲しそうな顔をした。それはそうだ。ミスターは桜陰に受かるぐらい国語ができたから、他人の考えを読む力が高かった。自分の彼がぼくにとってなんでもないということは気付いてしまっていた。

「その、それはいつから付き合ってんの?」

「今年の春から」

ミスターはそれが確実に真実であるにもかかわらず、自信なさげに答えた。

「長期休みじゃないときはいつ会ってんの?」

「会ってないよ。携帯でメールとか」

「向こうから連絡来る?」

「あんまり……」

「なにで知り合った?」

「え、紹介?」

その疑問形は彼女たちの出会いの陳腐さを物語る。たぶんナンパだろう。千葉もそうだったが、地方の繁華街の駅前には退屈を持て余す少女たちがペタンと地面に座っているのだ。もう身体の関係はあるのか、と尋ねようとも思ったが、聞くまでもなかった。養ううんぬんと言っているのだ、もう彼女は大切なものをすべて捧げてしまっているだろう。もうあげるものがないから働こうとしているのだ。

ぼくは一つの話を思い出した。あるギリシャの詭弁家によれば、ラクダは等距離に水と餌を置かれると、どちらを選んでよいか分からず餓死してしまうという。が、退屈な男であるぼくは、とりあえず水を飲めとラクダに言う。食料なしでも一ヶ月持つが、水なしでは三日も持たないからだ。判断のつかない二択問題は、とりあえず常識で決めるといい。

「ミスターは医者になりたいのか? それとも彼を養うために稼ぎがいいから医者っていってたのか?」

彼女は答えなかった。たぶん、職業選択の大前提がもろいために、地盤沈下を起こしているのだ。なにを決めたらいいのかわからないのだろう。ぼくが起業のときにはまった泥沼と同じだ。しかし、彼女の場合はそのまま転落しないだろう。花の桜陰生だし、時間は若者に選択を迫るのだから。

ミスターはこれから彼の練習を見に、新栃木方面の中学校へ行くと言った。車で送ってやろうとしたが、彼に見られると怒られるからバスで行くと言う。ぼくは自分の「国語理論」が間違っていたのか、それとも桜陰は女ばかりで抵抗力が弱いのか、そんなことを考えながら、ミニ・クーパーを運転した。

「また困ったら相談乗ってね」

別れ際、ミスターは悩みを消せないままの表情で、細い目をさらに細くした。

娘を汚された父親の気分はこんなだろうか、と二重の意味で悲しい想像力を働かせながら家に帰ると、寛美はキッチンの流しの下にある収納スペースに頭を突っ込んで尻を振っていた。ぼくが帰ってきたことに気付いていないようである。部屋着として使われているコットン製ワンピースの尻の部分には、エージェントTから送られたきた、恥知らずな下着の線がくっきりと浮き上がっていた。その淫らなダンスをずっと見ていたぼくは、休暇以来眠りっぱなしだった欲情を刺激され、彼女の尻に手を触れた。ところが、流しの下から顔を出して振り向いた彼女は、邪魔しないで、と冷たく言い放つと、再び頭を突っ込んで、ごそごそと動いていた。一体何に夢中になっているのかは分からなかったが、ぼくは神妙にソファに座って待つことにした。

テレビは消音になったまま夕方のニュースを映していた。テロップと映像でイスラエルでのインティファーダだとわかる。自爆テロは近頃増加の一途を辿り、この日もバスの乗客七名が死んだ。パレスチナの過激派組織が犯行声明を出しており、犯人は、乗客の一人である二十七歳の男性と見られている。テロップが終わると、最後はひどくひしゃげた屋根無しのバスをパンして終わった。とてつもない暴力がその内部を一瞬で満たし、そしてどこかへ逃げていったのだ。飛行機で行けば半日で到達できる距離で自爆する男がいて、ここにはソファに座ってテレビを見ている男がいる。二人とも、ほとんど年齢が変わらない。

泣き叫ぶ子供たちは映っていなかった。教育的な効果を考えれば、映した方が良かっただろう。しかし、夕方のニュースにはそんな悲劇を求めていないのかもしれない。消音になったのはたまたまだったけれど、そのニュースはひどくシュールな印象を残した。自爆をした男の命が無駄に思えた。

インド哲学を専攻する寛美は、こういう命の儚さを思わせずにいない話が好きかもしれない。ぼくはさっそく教えてやろうと、寛美に呼びかけたが、返ってきたのは大きな溜息だった。

「ああ、また」

さらにそんな呟きが聞こえてきた。気にはなったけれど、せっつくと彼女を刺激してしまうかもしれないので黙っていた。彼女は居間の方にまで広がっていたカゴやら炊飯器やらを収納スペースに戻すと、するするとぼくの側に寄ってきて言った。

「絶対見つけてやろうと思ったのに……。あいつ、なんて種類かしら」

「何のこと?」

その問いかけに、寛美は、たぶん蛇よ、と答えた。ぼくは蛇という語の唐突な響きに戸惑いを覚え、思わず言葉を失いそうになった。

「……何が蛇なの?」

「あれよ、この前家の中をちょろちょろしていた奴よ」

寛美はそう言うと、さも口惜しそうに、隣へ腰を下ろした。ぼくがミスターと会っている間、寛美は蛇を室内で見かけたそうである。周辺視野にチラッと入っただけだが、あの気味の悪い動きは蛇以外の何物でもなかったと言う。いつもは何事にも無関心な寛美だったから、一生懸命に説明する姿は感動的と言っても良かったが、その内容は話し振りとそぐわなかった。今市で蛇が出るのは、たぶん珍しいことじゃない。ヤマカガシとかアオダイショウとか、どうということのない蛇が迷い込んだのだ。しかし、彼女がそれで納得しない以上はしょうがない、ぼくは蛇の脅威について聞きつづけた。

ぼくは巧妙な相槌をしながら立ち上がり、ハムスターのカゴに近づいた。ハムスターが格子を掴み、物欲しげな顔をしていたからだ。餌入れは空だった。ハムスターはしょっちゅう餌を食べていないと死んでしまうから、給餌には気をつけなくてはならず、全面的にぼくの役目だった。寛美に任せると、それがストレスになってしまい、調子が悪くなってしまうのだ。

ぼくが餌を交換するあいだ、蛇について語る寛美の声はどんどん大きくなっていった。しばらく放っておいた方がいいと思ったが、あんまり大きいので振り向くと、寛美はその美しい眉間に皺を寄せてぼくの肩口にまで来ていた。

「すごく大きい蛇だと、そんなの一口よ」

その得体の知れない怒号を耳元に聞きながら、ぼくは少しだけ怯えた。大学に八年間も通ったあげくにインド哲学に関する論文を書こうとすれば、頭がおかしくなっても不思議ではない。それはあり得そうな悲劇だった。

「おまえ、ちょっと疲れてるんじゃないか?」

寛美はぼくの言葉をなにか違った風に捉えたらしく、考えに耽ってしまった。おもむろに冷蔵庫を開けると、その中をじっと見つめている。なにを飲むか悩んでいるのかと思ったが、そうではない。そして、すべての推測をはねつけたまま、まあいいか、と言い捨てて、シャワーを浴びに行ってしまった。無関心が彼女の心を占領したのだろう。

やけに喉が乾いた。ぼくは寛美が開け放した冷蔵庫からペットボトル取り出すと、気まぐれに「ラボーナ」で扉を閉めることにした。左足をいったん後ろに下げて、軸足である右足の後ろを交差させるように通して前に蹴り出すトリッキーなプレーだ。ディエゴがこうやってセンタリングを上げるのを何度か見たことがある。

この試みは失敗した。どこをどう蹴ったのか分からないが、冷蔵庫のドアは閉まるどころか、余計開いてしまい、ぼくはもんどりうって倒れる羽目になったのである。その音に驚いた――というか単に反応した――寛美が風呂場のドア越しに声をかけてきた。

「久し振りに、一緒にお風呂入ろうよ」

気遣う言葉ではなかった。ぼくはその唐突さに戸惑った。が、寛美が何かを提案するなんて、滅多にあることではない。それに、「お風呂」という言葉の幼稚さと実際の行為の淫靡さが織り成すコントラストは魅力的だった。結局、ぼくは痛む左足を擦りながら浴室へ向かうことにした。

寛美は浴槽に顎まで浸かっていた。入ってきたぼくに目を向けるでもなく、じっと前方を見つめたまま、膝を抱えている。彼女の肢体は白く艶めいて、お湯の中で揺らめいた。呼吸に合わせてかすかな波紋がたち、屈折した裸体はその姿を変える。それはぞっとするほど美しい光景だった。

ひたひたに張られた湯からは、湯気がまったく出ていない。温度を確かめようと手を入れると、寛美は、かき回さないで、と言った。

「上から下に行くと、だんだん温度が下がるの」

ぼくはゆっくりと底の方へ腕を伸ばしてみた。真夏には快適な温度である。だが、その温度がじっとりと腕を包み込んでいるのは、どこか異常な感じがした。こんな水風呂に入るのは、身体に悪いことかもしれない。身体が悪くなると、心までおかしくなってくる。ぼくはこの温度と圧力が寛美を侵すのを恐れた。そして、裸のまま浴室を出ると、追い炊きのスイッチを押した。ピッという電子音を聞いた寛美は、ああ、と淫らにうめいた。その声は浴室の中でかすかに反響した。ぼくは浴室へ戻ると、恨めしそうにこちらを見つめている寛美の後ろへ、ちょうど彼女を抱えるようにして浴槽へ入った。

「どうして火つけたの?」

「夏だからって、冷やしすぎは良くないだろ」

寛美は少しむくれてみせたが、まあいいか、とすぐに無関心になり、ぼくに体重を預けてきた。濡れた髪の先が束になって、ちくちくと肩に当たった。その刺激に反応するようにして、ぼくは彼女のうなじにキスをしたり、乳房を愛撫した。彼女の大きな乳房は嘘みたいな質感でぬるま湯の中に浮いている。ぼくはそれをゆるく掴んだ。つねるようにするのが彼女の好みだったが、そうするとそこが破け、彼女のすべてが溶け出てなくなってしまいそうな気がした。

「なんか胸が大きくなったね」

優しく乳房を撫でながらそう聞くと、彼女は目を閉じてだらしない快楽に身を委ねたまま、小さく頷いた。頬に浮いた汗の玉が、するりと寛美の顎を滑り落ちた。

いつまでもそうしていたかったが、風呂の温度が上がってくると、寛美は、熱い、と浴槽を出てしまった。水と汗にまみれた彼女の尻は、地球の引力からつるりと脱皮するように、去って行ってしまった。

追いかけるように脱衣所を出ると、部屋はクーラーがキンキンに効いていて、寛美は裸のまま、髪もろくに乾かさないで、ベッドに入っている。恐ろしいくらい澄んだ瞳は、ハムスターを眺めていた。ハムスターは眠っていたが、目を開けていた。夏と一緒に寛美も死ぬような気がした。

 

 

九月からは週二回、マルシン宇都宮教室での授業を受け持つことになった。復帰ではなかった。マルシンでは一クラスに文系と理系の教師が一人ずつ付き、そのどちらかがクラス担当の責を負うことになっていた。マルコ今市教室への左遷が急に決まったものの、夏期講習のどさくさに紛れてクラス担当を投げ出させるわけにはいかない、どうせ中一と中二のどうでもいいクラスが二つだ、人手も足りないし、しばらくはあいつを呼び戻してやらせておこう――それがぼくの置かれた状況だった。週の二日を宇都宮の集団指導で、それ以外の三日を今市の個別指導で過ごすという変則的シフトは、正社員でなく契約社員なのだという事実をあらためて突きつけた。

もちろん、クラス担当の責から外れなければ、名誉挽回のチャンスがあるはずだったのだが、二学期開始時点からそのチャンスさえ危うかった。

夏期講習の終わる頃、総まとめの模試が行なわれるのだが、ぼくの受け持った十数人のマルコ生と二つのマルシンクラスの平均偏差値が軒並み下がっていた。国語はわずかな上昇を見せたが、とりわけ英語の落ち方がひどかった。左遷によるモチベーションの低下とそれによる授業準備不足が原因であることは間違いなかった。もはや教室長は怒りさえしなかった。

「国語理論も行き詰まったな」

そう言いながら、平均偏差値を示す棒グラフを赤ペンで囲ったのは、副教室長の姫岡さんだった。三十代前半だが、宇都宮教室ではぼくの次に若い。出身は秘湯のあるような栃木のド田舎だが、都内の有名私立大学を卒業したためか、標準語をうまく使いこなした。宇都宮パルコで買ったらしいベージュやライトグレーのスーツも垢抜けていて、この塾では「できる男」といった位置付けだった。受付の女子アルバイトの間では、パッチリとした二重まぶたと真ん中分けのツーブロックをからかって、「王子」というあだ名をつけているそうだ。

「英語だけやらせときゃよかったのに、なんで怠ったかねえ」

ぼくは、はあ、と呟き、いくつかの言い訳をした。数学や理科の低下は理系教師の責任もあるし、第一、夏期講習の間は集団授業をやらなかった。大勢の前での授業はひさしぶりだったし、「国語理論」はすぐに効果が出るものでもない。姫岡さんは鷹揚な笑みでうんうん頷きながら話を聞き、もうなにも出てこないとわかると、やんわり教え諭した。

「まあ、おまえの言うことは、さもありなん、だな。どっちみち、こうなっちゃしょうがない。なにか、挽回の方法を考えないとな」

「でも、最近、マルコのレベルが落ちてませんか? ぼくが研修でいた頃より、やる気ない子がいっぱいいますよ」

「今市教室だからだろ? あそこはできたばかりだから、ハードル低くしたんだよ」

「それなら、成績下がるのはしょうがないじゃないですか。その点、わかってくれてるんですかね」

「さあ、どうだろう。俺はわかるけど、教室長が上にどう上げるかは知らないぜ」

ぼくが、そんな、と絶望に似た声を上げると、姫岡さんは心底同情したようにタール一ミリの煙草を一本くれた。それからジッポを出し、ホストみたいな手つきで火をつけた。

「あと、これは教えてもどうにもならないかもしれないけどな、おまえって、去年の2K‐1のクラス担当だったよな」

「ええ」

「この夏でな、そこの持ち上がりの3K‐1の生徒が二人辞めたんだ」

「それがどうかしたんですか?」

「全員、清水中の奴らなんだよ。しかも、もう一人退会届を出してて、引き止めてるところらしい。教室長はおまえのせいだってことで了解しているみたいだぜ」

姫岡さんはそう言い残すと、スーツの裾をひらりと翻して去っていった。反論する隙はなかった。

一口も吸っていない煙草は半分ほど灰になっていた。気を落ち着けようと残りをふかすと、ハイエナ達がわらわらと集まってきた。喫煙室は講師たちの情報交換の場でもある。彼らは正社員である姫岡さんが去った瞬間を狙っていたのだ。彼らはぼくに向け、ああでもない、こうでもない、と憶測を告げた。もっとも、それはいつものことなのでぼくも慌てはしなかったのだが、彼らが最後に「若さゆえの過ち」という結論に至らなかったことは意外だった。彼らの態度には嫉妬らしいところが微塵もなく、完全な同情に変わっていた。

宇都宮から今市へ向かう日光街道の真っ暗闇を北上しながら、ヤバいヤバいと一人ごちた。悪意ある判定でイエローカードを一枚貰ったようなものだ。何とかして名誉挽回を図らないと、ただでさえ少子化のあおりを受けている業界だ。姫岡さんの言葉も、教室長の沈黙も、翻訳すれば「リストラ」になる。モチベーションの低い中で、それなりに熱意のこもった授業をしたのだ。気持ちが急に上向くことはないだろうし、そもそも次の模試は十月末で、「国語理論」はそれほど早く結果を生まない。他の方法を見つけるのも難しかった。というよりも、そんな方法があれば、ぼくは独立して塾経営をしていただろう。

暗い街道を照らすヘッドライトの隅に狸の目の煌めきを見つけたりしながら、考え続けた。成績上昇がすぐには見込めないとなると、ありうる手柄は生徒の数を増やすことぐらいだ。そもそも、塾が成績を気にするのは、それが評判となって生徒数が増えるからだ。だったら、ぼくが直接生徒を増やしてやればいい。辞めた3K‐1の生徒だって、身元は割れている。H君と仲のいい奴らだろう。彼の諦めに満ちた哲学に影響され、受験から逃げ出したのだ。対処法はその逆で、H君を再び入塾させてしまえばいい。すでに退塾した生徒に連絡を取るのはご法度だが、もし辞めた生徒がぼくを名指しして復帰したとなれば、印象は回復する。

ヘッドライトの照らす狭い県道の暗闇を見続けていると、思考が純化していった。ディエゴ・アルマンド・マラドーナ。神の子。すでに一流のサッカー選手だったディエゴが、キーパーとの競り合いの時、ボールに向かって手を差し出してしまう気分はどんなものだったのだろう。ファウルの判定を貰わないなどと思うはずがない。下手をすればレッドカードだ。おそらく、手を高く掲げたのは、はじめ、キーパーの視界を遮るためだったのだろう。それでも、ディエゴは明らかな意図をもってボールに手を触れたように見える。行動と意図のあいだに横たわる壁を超えさせたもの、「神の手」を顕現させたもの、結果的にディエゴを奇跡そのものにしたもの、それがなんだったのか、ぼくは知らない。きっと崇高なものなのだろう。それがなんであれ、奇跡そのものになろうとする意志こそが、きっかけを掴む。

H君に接触を取ることは、かなり危険な行為だ。「神の手」に匹敵する最悪だと言ってもいい。しかし、だからこそ、そこへ向かわねばならない気がした。H君が復帰したタイミングで、ぼくの「国語理論」があらゆるところで実を結ぶ。最悪のあとに最高が訪れる。ディエゴが五人抜きをしたように。

家の駐車場にミニ・クーパーを止めた。車から降りず、H君との再会法についてじっくり考える。直接会う、電話をかける、手紙を書く。ぼくが知っている方法は、多くなかった。人間の出会いの少なさに絶望を感じながら、ともかくも検討してみると、手紙が良さそうだった。もう出会うことのないと思っていた人から手紙が届く。それはロマンチックに違いない。

玄関を開けると、寛美はいなかった。机には置手紙があって、『鳥取砂丘に行ってきます』と書いてあった。今、寛美はとても調子が悪いのだ。そういうとき、彼女は寝袋を持って、物寂しい場所へ一人旅に出る。あんなに綺麗な女が一人で野宿したりするのは心配だったけれど、これまでも別に問題はなかったし、なにより、ぼくには精神医学の知識がなかったから、それがいいのか悪いのか、よくわからなかった。怪我をした猫が孤独になることを欲するのと同じような動物的本能だと思っていた。

それに、そんなに他人ばかり気にしてもいられなかった。そのうちひょっこり戻ってくるだろう。ぼくはハムスターに餌をやると、早速手紙を書き始めた。

2015年7月17日公開

作品集『ハムスターに水を』第2話 (全6話)

ハムスターに水を

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© 2015 高橋文樹

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