ここにいるよ(16)

ここにいるよ(第16話)

高橋文樹

小説

13,132文字

裁判は長く続いた。やがて、「私」に判決が下される。「私」はそれに抗うことなく、その罰を受け入れることにした。半ば自暴自棄になった私は、償いの日々を無為に過ごすうちに一つの救いを見出すようになる。

裁判所の天井はとても高かった。しかし、窓がない。都心の一等地だから、建物の中に効率よく詰め込むことだけを主眼に置いているのだろう。それとも、脱走できないようにするためとか。

護衛官に腰紐を引かれ、てくてくと控え室に入ると、しばらく待つように言われた。私は二人いる護衛官のうち、若い方の顔を眺めながら、はじめて訪れる言語ゲームの舞台への緊張をほぐそうとした。彼も私同様この法定においては新人らしく、少し固い顔をしていた。

入廷を促す書記官の声がすると同時に、腰紐が引かれた。黒い手錠がそれにつられてちゃらちゃらと音を立てた。

扉をくぐって入廷する時、傍聴席を見た。被告人席は傍聴席に背を向ける形になる。今のうちに見ておかねばならない。しかし、事故後弱まっていた視力では、たくさんの人で満席になった傍聴席が渾然と一つに見えた。腕章をつけた記者らしい人々に混じって、父がいるのがなんとかわかった。元史の父親らしい人もいた。ミユキはいなかった。もしかしたら、傍聴席の抽選に漏れてしまったのかもしれない。よく見えなかったけれど、かつて私の同僚だったプログラマー幹も来ていたかもしれないし、海外から戻った真魚や、マサキの家族なんかもいたかもしれない。それに、これはとても考えづらいことだけれど、Mも。私は念のため、一礼をした。

傍聴席に意識の半分をさらわれたまま、席につくと、起立の号令がかかった。若い護衛官は入念に私の腰紐を解いた。ずいぶんと時間がかかった。その間、裁判長による丁寧な説明があり、それから、私は証言台に向かった。人定質問である。名前、本籍、現住所……私は私の知っている当たり前の事実を質問され、「はい」と答えた。

続いて、検察による起訴状朗読があったのだが、私は正面にある検察側の席を見て驚いた。ミナガワはカツラをかぶり、フレームのない眼鏡をかけていた。私はそのふざけた事実に驚いたが、私以外の誰一人、そのことに気付いてはいなかった。それか、無視していた。

ミナガワは一本調子の早口で朗読する間、しきりに眼鏡を触っていた。まるで、普通の人間に見えた。いや、普通すぎて機械みたいだった。あれは彼の戦闘服なのだろう。「おまえは親友を殺した!」と怒りを露わにした彼と同一人物とは思えなかった。とりわけ、法律という煩瑣なシステムを使いこなす人間としては、これ以上ないほど無機質だった。仮に彼の人生を想像してみろと十人に言ったら、誰も想像できないか、全員が同じように凡庸な想像をしてしまうかのどちらかに違いなかった。いや、実際に、私は彼の人生を一片たりとも知らなかった。彼にはきっと勝てないだろう。

起訴状は退屈だった。登場人物の多さに私はうんざりした。膨大な量の証拠と書類。山と摘まれた言語の前で、私は何が起きているのかわからなくなりつつあった。

被告人質問で、私は裁判官から思想についての質問を受けた。「なぜ殺すことが救いになるのか」というものだった。私は「マサキはアンチキリストだったから、キリストとまったく逆のことをする必要があった」と答えた。裁判官はわけがわからないといった風に視線を手元に落とした。そして、子供みたいに小指の爪を噛んだ。

茂庭先生はだいぶ劣勢に見えた。彼女は私の不幸な生い立ちについて説明した。また、自白が強要されたものではないかという証言を求めた。私は門外漢だったが、それはあまり有効ではない戦術に思えた。彼女は竹やりで飛行機をつつこうとする女工のように見えた。すべての質問は「いいえ」で切り返され、茂庭先生の焦りは額の汗となって具現化された。少しは手を貸してやりたいような気にもなったけれど、大がかりな自殺とでもいう考えを抱いていた私の意思は固かった。それに、彼女の着ていたクリーム色のスーツは、ミナガワの鋭さの前で、一層頼りなく見えた。

ミナガワは勝ちを確信していたのだろう。足早に証拠を見せ、私はというと、よく見もしないで同意した。弁護士には打つ手がないようだった。その日の最終弁論では、ただ叙情酌量を求めるのが精一杯だった。

ミナガワは論告求刑でも早口だった。

元史殺し、ホームレス殺し、マサキ殺しは、他人を顧みることのない冷酷な人間の起こした、一連の事件である。Kはマサキと知り合うことで、身勝手かつ傲慢な思想を抱くことになり、その計画を自分から率先して行った、復讐心も強く、自分のプライドのためだけに三人の命を奪った、その冷酷さに同情の余地はなく、このような人物を放置しておくのは危険である――要旨はそんなところだ。ホームレス殺しの被告だけは、主犯がマサキ、共犯が私という形になっていた。マサキは被告人死亡のまま書類送検されることになっている。

ミナガワは論告を「死刑を求刑する」という言葉で締めくくった。その言葉だけ、ゆっくりと発音された。誰も驚かなかった。傍聴席からどよめきが上がったのは、裁判官が私に今後の流れを説明している時だった。私を除く誰もがその厳しさに打ちひしがれていた。私は何か安堵の気持ちを覚えた。なんでもいいから、とっとと済ませてほしかった。

最後の意見陳述を終え、私は被告席に戻った。護衛官は「死刑」という響きにあてられたのか、紐を結ぶのにずいぶんと手間取った。間違った輪に通して、解いてしまったりした。彼は時限爆弾を処理するような顔つきのまま、「あれえ?」と小さく呟いた。私は思わず笑いを漏らした。視線が私の顔に集まるのが解った。

裁判は茶番劇のようだった。そして、その劇はまだまだ続く。食いつぶされていく時間と、その終わらなさを思い、私はボロ綿のように疲れきってしまった。

 

 

裁判は長いものになるだろう――茂庭先生が言った通り、次の公判までに三ヶ月がかかった。事件の重大さと求刑の厳しさは、証拠の扱いに異常な正確さを求める。

留置場から川べりの拘置所に身を移され、私はそこで生活し始めた。入所したての頃はそれほど退屈じゃなかった。入浴時や運動の時などに他の被告と顔を合わせることがあり、彼らの境遇を聞くことができたからだ。ヤクザ者や片言の日本語を話す外国人など、それまでの生活では出会うことのなかった人々の話は刺激的だった。

すぐに飽きてしまったのは、彼らがみな似通っていたからだった。貧困と家庭の不和。ほとんどがその二つに還元できた。わかってはいるものの、どうしようもできない――人類がそう思い続けてきて、そして、これからも存在し続けるだろう、諸悪の根源。彼らはみな――そして私もまた、他にやりようのなかった人間だった。

何度か顔を合わせた人間は罪名を尋ねてきた。私が「殺人です」と答えると、やるな、という反応が返ってくる。一目置く感じだ。あるヤクザに、私が拘置所のどの棟に収監されているのかを教えると、「人は見かけによらないね」と笑いながら言った。収監場所だけで死刑囚予備軍だとわかるのか――私はそんな風に感心しもした。

支援団体の参加者は増えたみたいだった。私は膨大な数の手紙を受け取り、目を通しただけでほとんど捨ててしまった。知らない人ばかりだったし、私が心から親しく思っている人の手紙はなかった。自分から手紙を書こうにも、書くべき内容がなかった。父から差し入れてもらった書籍を読み、日々を食いつぶした。

 

一年近くを要した審理が終わり、さらに三ヶ月がたって、判決の日が来た。久しぶりに出た外界は夏になっていて、太陽の光が川面に反射していた。空中にただよう分子の一つ一つがうきうきしているような陽気の中、判決を受けに裁判所へと向かうのは、何か滑稽な出来事のような気がした。それでほくそえんでいたのだろう。私を見た介添えの職員がぎょっとしたような顔を浮かべていた。たしかに、護送車の中で微笑む容疑者は気持ちが悪いし、それが死刑を求刑されていたとなると、なおさらだ。

判決それ自体はあっけないほどの時間で出た。死刑求刑の場合は、最後に判決を言うらしい。

被告はマサキ殺害に関して、拳銃所持という危急の時でもあり、多少の酌量の余地があるものの、そこにいたるまでにいくらでも防止策はあり、そもそも被告は拳銃の共同所有者である、他二件の殺人に関しては、無抵抗の相手を狙った残虐無比なものであり、同情の余地はない、求刑通り、死刑に処す。

神経質に右肩を動かす癖のある裁判長が読み上げた判決理由はもっと長かったけれど、要約してしまえばそんな感じだ。ゆで卵を作るぐらいの時間だろうか。

2015年8月4日公開

作品集『ここにいるよ』第16話 (全26話)

ここにいるよ

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© 2015 高橋文樹

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