自分のことを虫けらのように扱う人々ではなく、もっと優しい人と話がしたい。私が心底そう願っていた頃、取調室に制服を来た刑務官が訪れ、面会人があることを告げた。ミナガワはチッと舌打ちをして、「三十分なんてあっという間だぞ」と吐き捨てた。私は鬼ごっこで鬼役を押し付けた直後の子供みたいにはしゃぎ、面会室へと向かった。
アクリル製の透明板の向こう側にはミユキがいた。私はびっくりしてしまった。たしかに来るとしたら父かミユキしかいないのだが、私はただ誰かに来て欲しいとしか考えていなかった。正直に言うと、ミユキは私がそのとき、一番会いたくない人間だった。私は彼女を裏切ったのだから。
入室してからパイプ椅子に腰かけるまでの一連の動作をミユキはじっと見ていた。何を話せばいいのか、よくわからなかった。できれば、彼女の方から話しかけて欲しかった。しかし、座って正面から向き合うと、ミユキはいつもの困ったような眉をさらに顰めた。それを見ると、しまったという悔恨が沸き、なんでもいいから言うことにした。
「なんか駅の窓口みたいだな」
探し当てた言葉はそれだった。たしかに私と彼女を隔てるアクリル板はそんな感じだったが、言うべきことではなかった。
それでもミユキは額の緊張を解き、ふっと笑った。
「なに言ってるの」
彼女の声はかぼそく、私は反射的に「ああ、ごめん」と呟いた。ミユキはなにが「ごめん」なのかわからないといった風に首を傾げ、少しやつれた顔に笑みを浮かべた。
「どう? 留置場での生活は」
ミユキはそう尋ねた。私にとって、不平をかこつチャンスだったのかもしれないが、あえて言わなかった。ミユキのやつれた顔は、さきほどまでのすがりたいような気分を消し去った。彼女に心配をかけてはいけないという子供じみた英雄意識さえ生まれていた。
「快適とはほど遠いけどなんとかなりそうだ。我慢していれば、すぐに釈放だよ」
ミユキは私が言い終えると、その場に卒倒しそうなぐらいほっとしたようだった。それを見た私もまたほっとしたが、彼女をそこまで追い詰めていた心労を思うと、安堵はすぐに戦慄へと変わった。
「キミがそんなことするとは思わなかったもん」
ミユキはぎこちない笑顔を作り、そしてそれはすぐにくしゃくしゃになった。
「すぐだよ。警察みたいに巨大な組織っていうのは、何かよくわからない勘違いをすることがあるんだ」
「そう……そうだよね。私もそうだったし」
彼女は自分に言い聞かせると、面会に来るのが遅れたことを詫びた。私が住民票を移していなかったから、刑事もすぐにはミユキにまで辿りつかなかったのだろう、捜査に訪れたのは一昨日だった。その場ですぐに面会の方法を訊けばよかったのだけれど、ミユキはあまりの驚きにぼおっとしてしまって、訊くのを忘れていたらしい。
「うっかりしていてごめんね。ほんとなら、逮捕された次の朝ぐらいに来てないと駄目だよね」
「そんなこと……」
「ねえ、お父さんは? 弁護士の依頼とかしたの?」
「もうしたよ」
私はとっさに嘘をついた。
「そう。なんていう人? 私、連絡取ってみるよ」
「今すぐはわからないから、手紙で送るよ。一応、手紙は出せるはずだから」
ミユキは頷くと、ちらりと刑務官を見やった。そして、舌で頬を突っ張っている。考える時の癖だ。たぶん、刑務官の前で話してもいい内容なのかどうかわからず、言い出しかねているのだろう。
「とにかく、心配いらないよ」と、私はおどけてみせた。「たちの悪い冗談みたいなもんさ。警察もそのうち、間違いでしたよエヘヘ、なんて言って、釈放してくれるさ」
ミユキがつられて笑うことはなかった。彼女は少し身を乗り出すようにして、「何かできることない?」と囁いた。
「別にいいよ。こうやってたまに面会に来てくれれば」
「それだけでいいの?」
「十分だよ。ミユキがそうやっていてくれるだけで、なんかほっとするんだ」
ミユキは涙で顔が歪みそうになるのをなんとか押しとどめて、笑顔を作ろうとした。しかしそれは上手くいかず、得体の知れないものを食べたような表情になってしまった。私はそれがおかしかったので、真似してみせた。それでも彼女は笑わなかった。
刑務官が時間切れを宣告するまで、私の性格に関する話をした。あまりにうっかりしているから、こういう事件に巻き込まれる――それが二人の下した結論だった。未来に開かれているうんざりするような道については何も語らなかった。一夜があければすべてが解決している。二人ともそんな気分になっていたのだろう。彼女は昔――学生時代に私が住んでいたNのアパートから帰る時――と同じように「また来るね」と去っていった。
面会が終わってすぐに取調室へと送られると、検察官は新しい容疑の話をした。私に連続殺人の共犯容疑がかけられていて、そのための尋問が必要だという。なんのことだかよくわからなかったが、証拠の山が私を待っていた。
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