退院しても、右目はあまり回復しなかった。映るものすべてが曖昧で、以前はもっとずっと鮮明に物事を見ていたはずだけれども、どんな風に鮮明だったかは思い出すことができなかった。
そんな状態でも、刑事達に連れられて「城」近くの路地に何度か行く羽目になった。退院と同時に訪れた彼らは、被害届を出すよう熱心に説明し、つきっきりで私に書かせた。なんでも、浮浪者の暴行事件が相次いでおり、本腰で捜査をするためにも、多くの被害届が必要だとのことだった。浮浪者の中には殺されてしまった者もいて、マスコミにも注目され始めていた。
刑事達の微に入り細を穿った質問に対し、私はなるべく矛盾のないよう答えを出していった。犯人とは面識がないということになっていたからだ。できるならば、警察よりも早くマサキを見つけ、自首を勧めるつもりだった。
暇人はお人よしなのが常だが、マサキに肩入れしているつもりはなかった。私はまだ、彼がミユキを殺すのではないかという恐怖を捨てきっていなかった。マサキはきっと執念深い。それに、警察は事件が起きてからでないと動いてくれないから、逆恨みされないためにも、ただ彼が捕まるのではなく、改心させることが必要だった。
もしマサキが捕まった場合に自分が不利な立場に置かれるかもしれないとか、何かのついでに元史の件で嫌疑をかけられるとか、そういう危機意識はまったくなかった。目を怪我したことで私は世界に貸しを作ったような気になっていたし、何より、Mとの再会が私を楽観的にさせていた。
警察署に行き、似顔絵作成の協力もした。なるべくならマサキに似ていない顔をでっちあげなくてはならなかったが、まったくのヒントもなしに顔を考えつくことも難しい。しかたなく、私はマサキの顔を思い出し、その細部を少しずつ変更して、なるべくありきたりな顔になるよう、注文をつけた。
「この顔、似てますね」
似顔絵を描いていた警官は、私の顔と似顔絵を交互に見比べた。
「そうですか?」
「そうですよ。おい、なあ、これ、似てるよな」
呼び止められた別の警官は、絵を覗き込み、「そうですね」と笑った。似顔絵の警官は、その返答を見て、満足げに微笑んだ。
「職務質問されないよう、気をつけて下さいね」
実際に、その絵は似ていた。特に、鉛筆で描いた直線的な髪の毛がそっくりだった。私は似顔絵が自分に似てしまったことが不思議で、眉を顰めた。警官たちはそれを怒りの表情と取り違えたのか、笑いをぴたりと止めてしまった。
捜査協力が一段楽するやら、個人的なマサキ捜索へと出かけた。といっても、単に「城」の周りをぶらついただけだ。彼の素性を知っているわけではなかったから、偶然を期待する以外の方法はなかった。
それでもというか、やはりというか、私はマサキに遭遇した。彼は「城」へと至る、一番わかりにくい路地を曲がるところだった。私が声をかけると、彼は急に慌てだし、ほとんど逃げ出さんばかりだった。
「大丈夫だよ。そんな逃げなくても」
マサキはこちらを向いたままなおも逃げようとしたので、私は二、三安心させるようなことを言った。彼は徐々に警戒心を解き、こっちが近づいていっても、逃げはしなくなった。それは動物の餌付けに似ていた。
「ここにいれば会えるような気がしたよ」
私は笑顔を作った。作り笑いは得意じゃなかったので、どう見えたかはわからないが、マサキは安心したようだった。
「この間はすいませんでした」と、マサキは頭を下げた。
「いいよってわけにもいかないけど。なんであんなことしたんだよ?」
「なんで……」
「いや、こっちが訊いてるんだよ」
私は少しだけ厳しい口調になった。マサキは答えずに黙り込んだ。それから私の顔を見ると、なぜか呆気に取られたように目を丸くした。
「どうかした?」と、私は尋ねた。
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