ここにいるよ(10)

ここにいるよ(第10話)

高橋文樹

小説

6,767文字

再び不慮の事故に巻き込まれた「私」は病院で目覚める。盲目となった私を優しく支えてくれるミユキとの時間を大切に過ごしていたところ、ある人物が見舞いに訪れる。

病院で目を覚ました――いや、「目を覚ます」という表現は間違いだ。多様な毒物の匂いが渾然と混じり合った中、泥の中から掬い上げるようにして、意識だけを取り出した――そんな印象だった。依然として、暗闇は続いていた。目の周りに鈍重な感覚があり、開いているのか、閉じているのか、区別すらつかなかった。次第にそれが恐ろしくなった。やがて、身体が震えるような低音が聞こえてきて、わらにもすがる思いでそれに聞き入ったが、よくよく聞けば、それは私自身の発するうなり声だった。それがますます私を怯えさせた。

「ちょっと、起きたの?」

私は声のした方へ顔を向けた。すると、「ねえ、起きてるの?」と再び聞こえる。私はしゃにむに頷いた。甲高い女の歓声が上がった。

「よかった、ちょっと待ってて、先生呼んでくる」

そういったきり、声の主はどこかへ行ってしまった。しばらくたって、複数の足音が聞こえ、誰かが私の肩に手をかけた。そして、ダンディな低い声が私の名を呼んだので、頷いて答えると、声の主は担当医だと名乗った。

「いいですか、落ち着いてください。あなたは目を怪我して、入院中です。ただ、安心していただきたいのは、目の状態はすぐによくなるということです。手術も済ませました。見えるようになりますよ」

それから、担当医は、怪我の状態を理路整然と説明した――私の左眼は重度の打撲傷で、多少水分が抜けている。右目は倒れた拍子に尖ったものにぶつけたのか、眼球に裂傷がある。どちらの目も、網膜などの重要な神経細胞は壊れていないので、安静にしていれば直る。眼球は意外と強い。手術はつつがなく終了し、あとは様子を見ることにする。

論理に照らされた明るい道が、私を少しだけ勇気付けた。だが、それもそう長くは続かず、すぐに不安が私を襲った。

「大丈夫、できるだけ側にいてあげるから。お父さんもたまに来るってよ」

声の主はミユキだった。私は彼女が本当にそこにいるのかどうか、確かめようと手を伸ばした。と、私の手はいくつかの細い温もりに包まれた。それはおそらく、ミユキの手だった。

父は、刑事と名乗る男の集団(と思われる足音)を伴って訪れた。刑事達は、そもそも入院することになったきっかけを聞きたいという。マサキのことを警察に言ったものかどうか、悩んだ。しかし、真実を告げた場合に生じるわずらわしさが、私に嘘をつかせた。

「若い男が、浮浪者を暴行してたんです。それを止めに入ったら、なぜか私が浮浪者に殴られまして」

刑事達は沈黙した。それから、ひそひそと何かを話し合い、本格的な尋問を始めた。私はマサキの外見的特徴――モグラのような目、枯れ木のような身体、季節感のない服装――を告げた。刑事達は他にも熱心に質問を繰り返したが、私は詳しいことはわからないと言った。

「もうちょっと具合が良くなったら協力しますから」

父がそう言うと、刑事達は初動捜査の重要性について訴えた。しかし、父の意思は堅く、刑事達の声はすぐに聞こえなくなった。

なんでも、私が病院に運ばれたのは、匿名の通報が入ったかららしかった。私は雑居ビルの脇に倒れていて、脳震盪を起こしていた。すぐにミユキに連絡が入った。ミユキはどうやって調べたのか、私の実家の父に連絡を取った。父は仕事の合間を縫って私の見舞いに訪れた。私の知らない間に、色々なことが少しずつ進行していた。

「もしかしたら、右目は元通り見えるようにならないかもしれないって」

ややあって、ミユキは私の頭を撫でながら、そう告げた。特に驚きはしなかった。右目にのしかかる重力は、左眼のものよりもずっと凝縮されていたから。

「まあ、そういうこともあるかなとは思ってた」

ミユキは何も答えなかった。私はたぶん、彼女が泣いているのだろうと思った。しかし、すすり泣きの声も聞こえない。涙を流していれば、頬が濡れているだろうと手を伸ばしても、その手はミユキに別の場所へと促され、頬に触れることはできなかった。手の甲に唇の柔らかさと、吐息の熱が伝わった。

「目の包帯が外れるのは、一週間ほど先になりますよ」

ある朝、医者が言った。私にはそれがどのくらい先のことなのか、よくわからなかった。暗闇の中で過ごす一日はとても長い。一週間となると、絶望的な長さだ。私はミユキにずっと一緒にいてくれないかと頼んだ。

「ずっとは無理だけど、できる限り来るようにする。仕事はあとで片付ければいいもん。キミの不安は後回しにできないもんね」

2015年8月1日公開

作品集『ここにいるよ』第10話 (全26話)

ここにいるよ

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© 2015 高橋文樹

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