存在しないキングダム

合評会2019年09月応募作品

高橋文樹

小説

2,500文字

ある夜、私は妻に起こされた。まだ四時だった。子供達が怖がっているという。第四子が生まれてから寝室を追い出される形になっていた私は、股の間で恐怖に丸まっていた愛犬を足で押しのけ、本来の寝室に戻った。半睡状態だった意識は、子供達の不安げな眼差しに刺されて醒めつつあった。たしかに、すごい音だ。地震でたとえるなら、震度三ぐらいで家が揺れ続けていた。家屋が横薙ぎの風圧にひしゃげるのを感じる。正確な風速はわからなかったが、屋外に出ていたら立っていられないほどの暴風だったろう。古い木造屋の屋根が吹き飛んでしまわないか心配だったが、その不安を伝播させる訳にもいかず、「大丈夫だよ、パパがいるから」と呟いていた。それでは拭い去れない恐怖なのだろう、子供達は何度も「大丈夫かな」と訪ねた。あるいは、母体の中にいる頃の恐怖というのは、こんなものなのかもしれなかった。それ以上何も自分を守るものがないという状態で守護者が脅かされるというのは。何時間か、あるいは数十分かもしれないが、答えのしれない恐怖の中で私たち家族は眠りに落ちるまで過ごした。

朝になって、眠気と高揚の入り混じったまま愛犬を連れて散歩に出た。思ったほど家屋の被害はなさそうだった。歩きしな、眠気は台風一過の太陽によって溶かされていき、子供じみた高揚だけが残った。あの屋根が剥がれている、大きな枝が落ちている、自転車が家の中から自転車が飛び出ている、カーポートの屋根がひしゃげている。そうした台風の爪痕を眺めながら、舌を出して喘ぐ愛犬と職場にしているアパートへ急いだ。

アパートの周囲にも台風の痕跡があった。となりの部屋に住む外国時技能実習生のために作った十平米ほどのウッドデッキは無事だった。背の高い構造物は前日の夜にあらかた倒しておいたので被害はなかった。自転車、洗濯機、屋根からの落下物、一通り見たが問題はなさそうだ。片言の日本語を話す隣の技能実習生が買ったばかりの洗濯物用ピンチハンガーはプラスチックのチェーンを風に断たれて項垂れていたが、前日の夜に「風が来るから備えておけ」と助言はしておいたのだ、いい勉強になっただろう。

家で仕事をしながら、私はSNSを眺めた。ほんとうは都内にあるオフィスに出社する予定だったが、この風では電車も動いていないだろうと諦めていた。千葉の電車は風に弱い。私の住む街から都心へは三つほどの路線が通っていたが、どれも大きな川を渡る。川の上の吹きさらしというのは馬鹿にならないものなのだろう、どの路線も止まってしまう。ほどなくして、ツイッターで津田沼駅の様子を伝える投稿がバズり出した。駅は入場規制となったようで、改札口から一キロはあろうかという行列ができていた。正午の時点でその状態だから、出社してもほんの二、三時間しか働けないだろう。

昼過ぎになり、私はセブンイレブンに向かった。ダイエットのため、昼食は野菜とサラダチキンにカロリーの低い麺類と決めている。家の近くには東京大学の初秋する検見川総合運動場という大きなグラウンドがあり、それを地元の私たちは「東大グラウンド」と呼んでいるのだが、その周りをぐるりと迂回する形で反対側に回った。途中、グラウンドの大木が折れ、人間大ぐらいの大きさの塊となってフェンスの上に落下していた。フェンスはひしゃげている、もし直撃していたら人死にが出ていただろう。その後、セブンイレブンにたどり着いたが、停電のため営業停止していた。自動ドアは開きっぱなしで、そこから店内の暗がりがのぞいている。私はそのまま近くの公園に行くと、タバコを一本吸った。公園の水道には大量のペットボトルで水を汲んでいる人がいた。断水しているのだろう。最近のマンションなどは上水道からの汲み上げポンプが電動なので、停電に伴って断水するらしい。タバコを吸い終え、二〇〇メートルほど離れた別のセブンイレブンへ向かったが、そちらも停電で営業停止していた。枝の散らばる駐車場をフランチャイズのオーナー一家だろう女性が掃除していた。私の方に笑顔を向けて頭を下げてなにか言っていた。ヘッドフォンで音楽を聴いていたので、よく聞こえなかったが、「お休みなんです、すいません」とかそんなところだろう。

週末になって、私は朝から子供達を公園に連れて行った。正確な樹齢は知らないが、両手の回らないほど大きな桜の巨木が何本も植わっている小さな公園だ。公園に着くと、そのうちの一本が倒れていた。根こそぎ、という表現はこうした場合に使うのだろう、膝が埋まるほどの深さから地面がめくれ上がっていた。すでに一次対応は終わっていたのだろう、桜の巨木は根本近くから切られ、横倒しになった切株だけが残っていた。私は伴っていた二人の子供を連れていき、切株を指した。

「お父さんが生まれてから、こんなにすごい被害は初めてだよ。四十年だ」

六歳児と三歳児は「四十年ではじめてなんだね」としきりに繰り返した。感心しているというよりは、単にその事実を新しい情報として納得しようとしているだけなのだろう。私にとっては四十年でも、彼らにとっては生まれてすぐ起きた出来事なのだから。切株の隣には防災倉庫があったのだが、それも全壊し、散らばったであろう中身がブルーシートの下にまとめられていた。子供達はそこに倉庫があったことも覚えていなかった。

私は一時的に都内に住んでいたことを除けば、人生の半分以上を千葉市で過ごしている。その四十年近い時間の中で、これほど地元が侵されことがなかった。こと地元に関しては、三・一一よりもひどい被害だった。あまり災害の少ない地域だという根拠のない奢りのようなものがあったにはあったろう。私の家は停電も断水もなかったが、被災者だという自意識が芽生えていた。怒りよりも悲しみよりも強い感情は明らかに屈辱だった。感情を向ける対象が存在しない場合、自らの落とされた状況に対する屈辱だけが残る。

なぜかはわからないのだが、私はそれが王を殺された臣民の屈辱そのものだと感じていた。存在しない王国の存在しない王が殺されたことに屈辱を感じる地元民。それが私だった。

2019年9月24日公開

© 2019 高橋文樹

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3.8 (13件の評価)

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"存在しないキングダム"へのコメント 13

  • 投稿者 | 2019-09-24 20:40

    台風災害についてはネットなどを通して目にしていたし、訪れたことのある場所も登場するため、現地ルポとして食い入るように読んだ。まさに今書かれるべき作品だと思う。タイトルと末尾にある王国の比喩はちょっと抽象的で私には難しかった。

  • 投稿者 | 2019-09-25 14:58

    災害に身体があれば、心があれば、被災者はそちらに感情を向けることが出来ますが、爪痕だけを残して手の届かない場所へ消えていく災害は、とかく不条理な存在だと思いました。

  • 投稿者 | 2019-09-25 18:49

    未曾有の台風災害大変でしたね。ご家族ともご無事で何よりです。千葉はいくつかの王国が集まった中世ドイツのような地域だと聞いていましたが、本当だったのですね。ぜひ統一してください。

  • 投稿者 | 2019-09-26 02:53

    淡々と、と言った印象を受けた。
    だからこそラストに突然訪れる比喩表現の理解の難しさに、当事者の感情というか、当事者でしかわからない(自分には意味が深くは分からなかった)、当事者こそ紡げる言葉が置かれて考えさせられる。

  • 投稿者 | 2019-09-27 02:27

    見たものを主観の色に染めないでそのまま書くからすごく説得力がありました。
    災害とは無縁だと思っていた地元が被害を被る、というのが、「それ以上何も自分を守るものがないという状態で守護者が脅かされる」という文脈に続いているのかなと思いました。その文章と文章の間に、先に書いた通りの説得力のある描写が挟まれるからこそそこに説得力が生まれるのかなとか。
    でも実はそういう解釈に意味なんてないような気がします。当たってる当たってないに関わらず。ただこのすごい強度の文章によって書かれる描写が、(この内容でこの表現は不謹慎かもしれませんが)すごく好きです。

  • 投稿者 | 2019-09-27 20:11

    たんたんとせまる現実のおそろしさを感じた。「根拠のない奢り」はみんなの病かも。

  • 投稿者 | 2019-09-28 22:59

    冒頭の画像と言い文章と言い台風被害のすさまじさが克明に伝わって来ました。
    確かに災害であっても他国からの侵略であっても自分の住む地域を蹂躙されることには違いがないから、屈辱感を覚えるのかもしれないと思いました。
    それにしても子供たちが可愛い。別に具体的な描写がないのにとても可愛く思えました。
    「根拠のない奢り」ってすごく的を得た言葉で、地域の防災委員を務める身としては、厳に戒めようと決意しました。

  • 編集者 | 2019-09-29 04:09

    ここで書くのも何だが、無事で良かったと思います。
    災害と郷土については、やはり「災害→困難→復興」という、後からまとまった物語も多そうだが、起きてすぐという時期もあるだろうがここでは被害について噛み締めるように書かれていて、自分でも「近代都市なら台風の雨風ぐらい」と考えてしまう面があったのでやはり気を付けねばと思った。気を付けても避けられなかったのが今度の大停電なのかもしれないが……。
    最後の「存在しない王国」は、自分の頭の中で色々なイメージがよぎったが、作者も「なぜかはわからないのだが、」と書いているので、それぞれに任せると見た方が良いか。自分の経験を辿れば何となく屈辱と「存在しなさ」に共感するが、ここで長々書く事ではない。

  • 投稿者 | 2019-09-29 17:50

    先ず、高橋さん、そのご家族が無事で何よりです。
    淡々と語られる被災状況の描写の後、王国になぞらえた発露に少々戸惑いましたが、その戸惑いは私が蚊帳の外にいると思っているからなのでしょう。そして、それこそが根拠のない奢りなのだなと感じました。

  • 編集者 | 2019-09-29 18:36

    長崎に住んでいた時は、大きな台風が毎年のように直撃していました。小学生くらいになると学校が休みになったりするのでワクワクしていたものですが幼少期には恐怖ですよね。愛犬と技能実習生がツボでした。最後の一文は凄みを感じました。

  • 編集者 | 2019-09-29 18:38

    大した被害にならず何よりです。備えは大事ですね。長崎に住んでいた時は、大きな台風が毎年のように直撃していました。小学生くらいになると学校が休みになったりするのでワクワクしていたものですが幼少期には恐怖ですよね。愛犬と技能実習生がツボでした。最後の一文は凄みを感じました。

  • 投稿者 | 2019-09-30 20:28

    どこにも、誰にも向けることのできない怒りこそ、屈辱と呼ぶのかなと思いました。自分の時間、子供の時間の違いが印象的でした。

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