エドガー・アラン・ポーの家

高橋文樹

ルポ

2,012文字

十年ぶりに海外に行った。フィラデルフィアにエドガー・アラン・ポーの家があったので、その様子にいて。

先日、仕事に関係するイベントに参加するため、フィラデルフィアに行った。海外に行くときはできるかぎり文豪ゆかりの地を訪うようにしている。フィラデルフィアゆかりの作家といえば、エドガー・アラン・ポーのようだった。私はイベントの合間を縫って、ポーの住居を訪れた。これはその記録である。

ポーの家はフィラデルフィアの中心から少し北に外れた位置にあった。私が泊まっていた宿から真東に少しいったところだ。Uberに配車を依頼して7ドルほどの距離だ。黒人の中年女性が無言のまま連れて行ってくれた。

フィラデルフィアは全米第五位の都市で、福岡と同じぐらいの規模だ。位置関係からすると、ニューヨークを東京とするなら、横浜のような位置にあたるだろうか。とはいえ、サイズ感などが日本とは異なるので、都市部の中心から少し離れると、低層のアパートメントが目立ち始める。寒空にセーターを纏った黒人男性が熱心にドアの修繕をしているような、住宅地だ。そういう一角に立ち並ぶ3階建てのメゾネットがポーの家だった。

ポーの家の外観。大鴉の銅像がある。

ポーの家の外観。大鴉の銅像がある。

スプリング・フィールドというその町に、ポーが長く住んだわけではない。多くの文豪がそうであるように、ポーもまた存命中は不遇だった。フィラデルフィアはポーにとってニューヨークから都落ちした末に行き着いた場所であり、光源氏にとっての須磨である。事実、フィラデルフィアでは賃貸住宅を転々としていたようだ。私が訪れた家は、フィラデルフィアに住んだ短い期間のうち、最後に住居としていたものらしい。

ポーの家は博物館として利用されており、誰でも入ることができる。館内にはレンジャーのような制服を着た中年の白人女性がいて、案内をしてくれた。ポーの家には装飾がいっさいなく、壁に当時を再現する絵が掲げられているだけだ。従姉妹であり幼妻であるヴァージニア、そして彼女の母でありポーにとっては叔母であるマライアの生活の跡が記されている。

一階ではポーの生涯を短くまとめたフィルムを見ることができる。ポーといえば、日本では江戸川乱歩がそのペンネームの由来とした通り、推理小説の発明家として名高いが、生前の仕事は批評、詩、ジャーナリズムなど多岐にわたる。とりわけ、自ら雑誌を持つことを切望し、各地を転々としながら、何度もニューヨークに弾き返され、ついには困窮のなかで結核に妻を奪われ、路上でアルコールに侵されたまま死んだその生涯は悲痛の一語に余る。文豪と一語に言っても、かような変転の末をそう呼ぶにすぎない。

私は帰りぎわ、みやげものコーナーでポーの直筆を模した一枚の詩を買った。赤い封筒からあの見慣れた肖像画が覗く薄いリーフレットである。掲載作は”Anabel Lee”ただ一編のみ。彼が最後に残した作品で、おそらくは最愛の妻ヴァージニアについての詩である。

 

一枚の油紙が入っている

一枚の油紙が入っている

ポーの文学的名声は、彼の死後もたらされたものだが、推理小説の生みの親であるというだけでなく、詩人としての評価が大きく寄与している。家の前に飾られたカラスの銅像に象徴される『大鴉レイブン』もそうだし、アメリカ英語の詩人として文豪に名を連ねているというわけだ。

ポーの死後、幾人かの文学者がその名声を謳い上げた。たとえばマラルメやボードレールである。フランス象徴派の詩人たちによって先駆者と認められた詩は、単なる推理作家兼批評家としてだけではなく、アメリカ英語詩の発明者としてその地位を確固たるものとした。彼らの書いたポーへの賛辞はいわば”tombeau littéraire”つまり「文学的な墓」である、というのは私がフランス詩の授業で聞いた言葉だ。

みやげものコーナーには、もう一つ、かの有名な『大鴉』も売っていた。私が『アナベル・リー』を選んだのはなぜかというと、大江健三郎の小説『﨟たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』でそれが取り上げられていたからだ。この長ったらしいタイトルは、『アナベル・リー』で幼馴染の少女アナベルが嫉妬した天使によって死んでしまう場面から取られている。依拠した訳は日夏耿之介で、いまでは「﨟たけた」という表現でかろうじて残っている言葉を”beautiful”の訳語に与えるという漢語的教養の違和をそのままタイトルに持って来た形だ。原文では”That the wind came out of the cloud by night, / Chilling and killing my Annabel Lee.”となっている。口語的に訳せば、「そして夜中に雲から風が吹いて来て/アナベル・リーは凍えて死んでしまった」とでもなるところだろう。いかにも大江らしいこだわりだ。

そういえば、その日もフィラデルフィアはとても寒かった。私はアメリカのそこかしこにあるダンキンドーナツでコーヒーを買い、イベント会場に戻る道を歩いた。途中で腹が減り、ダイナーに寄った。オムレツとソーセージとハッシュドポテトが乗ったワンプレートが13ドルだった。

2016年12月18日公開

© 2016 高橋文樹

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