自分より年上の子ども

高橋文樹

エセー

7,181文字

長崎から来た山谷感人の東京滞在についてのエッセー。山谷本人のプライバシーや尊厳への配慮は一切しない。それで家族が揉めても私の知ったことではない。

大人になって人付き合いに慣れつつも、こだわりもいい意味でなくなって来た頃、私は山谷感人と絶縁した。秋の福岡の、どうということのない居酒屋でのことだ。私はその場で電話を着信拒否リストに入れ、LINEやtwitterをブロックした。

それから一年と少しが経った。ある破滅派同人から「感人より連絡あり」という報告をもらった。

私が絶縁を決意した理由は、感人が私の小説を「つまらない」「売れない」と言ったことであり、それならば貴様が面白い小説を書いてその言葉を真実にするまで絶縁だ、となったのだが、よく考えたら彼が破滅派に登録してから九年の間、ひとまとまりの作品を完成させたことは皆無であり、その約束が履行される見込みは薄かった。そのため、時効という形で水に流してもいいかなと思っていたところだった。私は「髙橋が仲直りしようって言ってるよ」と伝えてもらった。次号の破滅派のテーマは「再会」にしようということになっていたので、ちょうどよかった。

その後開かれた破滅派新年会で、私は感人に電話をかけた。感人は「一月にガンズ・アンド・ローゼスのライブがあるから、それにあわせて二十三日に行くよ」とのことだった。早いな、と思った。再来週じゃないか。

 

二十三日、感人が羽田空港に降り立つ火曜日になった。が、折り悪く私の妻と三人の子供が全員インフルエンザになってしまい、さすがに飲み歩いているわけにもいかなかった。私は感人に謝罪するとともに、予定を二日間ずらして木曜の破滅派編集会議まで待ってもらうことにした。

木曜日、岩本町にある破滅派のオフィスを訪れた感人は、なぜか彼の勤めるコンビニの制服を持ってきていた。たぶん、面白いと思ったのだろう。私はなにひとつ面白いとは思わなかったし、編集会議にオンラインで参加している同人が「髙橋さんはコンビニで働いているんですか?」という質問をしてくるという輪をかけて面白くない展開になったのだが、家庭の事情で約束を反故にした負い目から、私は制服を着て編集会議に参加した。

その後、中華料理屋で打ち上げを行い、私の住む千葉の新検見川まで帰ってきた。もう少し飲もうと食い下がる感人に根負けする形で駅前にあるスナックに入った。私は普段そうした店にいかないので、地元のスナックに初めて入ったのだが、どちらかというとキャバクラのような感じで、若い女の子が二人ついた。

席に着いて二分ぐらい経つと、女が「地元の人なんですか」と尋ねてきた。私が「そうだよ」と答えると、女は「もしかして花中?」と続けた。いかにも私は千葉市立花園中学校の出身なので、頷いた。感人はその間、積極的に私の情報を開示し、私を巡る会話を盛り上げようとしていた。

感人は私と二人で飲む時、「派手に行こうぜ」と言って必ず女の子のいる店に行きたがる。それは別に構わないのだが、女の子とほとんど話さないで「高橋いじり」に興じる。私はこういう時、なぜ彼は高い金を払って女と酒を飲むのか、不思議に思う。彼は面白いのだろうか? 正直いうと、私もいい感じにいじられる訳ではないので、そんなに面白くない。スナックの女を楽しませるために道化を演じる必要性がわからないのだ。「サァビス、サァビス」とでもいうのだろうか。ほとんど義務のような気持ちでウィスキーの水割りを飲みながら、ひと回りも年の離れた女の子にしたくもない自分の話をしていた。

そういえば、九年以上前のことを思い出した。北千住の居酒屋でのことだ。私と感人が一緒に住んでいた北千住のマンションは、近くにタクシーの営業所があって、近くの商店街にはタクシー運転者向けに朝五時から営業している居酒屋があった。戯れに私たちはそこを訪れ、朝七時から飲んでいたのだが、同席していた水商売のカップルになぜか感人が「彼、東大出てる小説家なんですよ」という話をした。なぜそれを言うのだ。いま、このタイミングで。案の定、カップルのうち男の方が妙な敵意を抱き始め、剣道で県大会まで行ったとか、そんな話をしだした。こういう風にして始まった会話が面白くなることは、まずない。最初から私は彼にとって敵であり、私は敵ではないことを証明しなければならない。ときには惨めな道化——いやあ、勉強ばっかりしてたから世間のことはわからないんですよ——を演じなければいけないだろう。そうまでして、この黒服みたいな格好の男と楽しく話す必要があるとは思えなかった。

閑話休題。千葉のスナックに戻ろう。ほどなくして、感人が「カラオケ歌ってよ」と言った。感人はザ・イエローモンキーの歌を入れた。平成生まれの女たちはイエモンを知らなかったが、私は『楽園』を歌った。それが終わると、感人は続けざまに「いいねえ、次はビートルズ行ってよ」と『ロング・アンド・ワインディング・ロード』を入れた。そんな感じで中学の英語教則本に載っているビートルズを三曲ぐらい連続で歌わされた。

「ちょっとビブラート効きすぎだね」と、感人は評した。

「感人くんも歌ってよ」

「いや、俺はいいよ」

なんなんだ? どっちかというと、十八のときにゴリゴリのサザンロック・バンドをやるために上京してきたお前の方が音楽専門ではないのか? しかし、あまりにも固辞するのでそれ以上は勧めないでおいた。おそらく、ひどい音痴なのだろう。私は彼が実のところベースをまったく弾けないのではと疑っている。十年以上付き合いがあるが、ベースを弾くところを一度も見たことがないからだ。

その後、スナックでの支払いを済ませ、コンビニでビールを仕入れると、タクシーに乗った。私が書斎として利用しているアパートまで、彼を案内するのだ。感人はスナックの話を運転手に持ちかけだが、無視された。千葉のタクシーは態度が悪いのが有名で、話しかけても無視されるのだ。アパートに着くともう二時ぐらいで、コンビニで買ったビールを飲んだ。私は布団をしいてやり、それから三時ごろまで付き合って、ようやく私は家路についた。

 

翌日、「昨日は遅かったね」と静かな怒りを湛える妻から逃げるように犬の散歩を済ませると、都内まで出かけた。その日は夜まで仕事があったのだ。日中、感人から何度かLINEがあった。要するに、「俺は今日どうやって過ごせばよいのか」ということを執拗に確認してくるのだ。私はその日、仕事が八時ぐらいまであるので、千葉に戻るのは十時ぐらいになる。それから飲みに行こうというのではだいぶ遅いので、日中どこかウロウロして、夜になったら秋葉原で合流するのはどうだろうと提案したつもりなのだが、どこをどう取りちがえるのか、感人は「俺はこのアパートにいない方がいいの?」と突然被害者ぶるのだ。私としては、彼が東京滞在を有意義に過ごすための計らいのつもりだった。こんな千葉の住宅街でぼおっとしててもやることはないし、車を貸して下校中の園児の列に突っ込まれては迷惑だ。とにかく、文字に起こすのが憂鬱なほどうっとうしいやりとりを繰り返した結果、感人は千葉のアパートで私の帰りを待つことになった。日中、公開日が迫るWebサイトの制作を行いながら、千葉の住宅街のど真ん中でまんじりともせず私を待っているアル中がいると思うと、ぞっとしないものがあった。

その夜、私の帰りは十時を過ぎることになった。だが、あまり毎日飲み歩いていても家族の機嫌を損ねるので、私は一度家に帰り、妻と話してご機嫌を取り、それからようやくアパートへ向かった。コンビニで買った缶ビールとつまみを携え、自転車で。私がアパートにつくと、ベランダにおいてあった灰皿が部屋の中に移動され、煙草の匂いが充満していた。本が置いてあるので、部屋の中は禁煙なのだが。私が「タバコ」と言うと、感人は「おお、ごめんごめん、吸っちゃったよ、寒くて」と笑った。彼はそうやって私を試す。私が彼を許すかどうか、様子を見ているのだ。子供がそうするように。小さな我が子がわざといたずらをするのは構わないが、四十を過ぎてまったく小説を書かずにいる男の面倒を見るのはうんざりした。私は「外で吸ってね」と灰皿を外に出した。

その後、飲みながら話をしていると、私の苛立ちが伝わったのか、感人が「俺たちが喧嘩しても意味ないじゃん」と言い出した。いや、原因を作ってるのはおまえだろう。そう言い返すのだが、感人は「俺と君が喧嘩してたら破滅派も盛り上がらないぜ」と続ける。私の実感では、破滅派の現在の盛り上がりを支えているのは新しい投稿者たちであり、山谷感人といってもたいていの人は「誰?」となるはずなのだが……。こういうとき、私は一応、破滅派の目指すべき方向性を伝えているのだが、感人からすれば「それはビジネスでしょ」となってしまい、埒が明かない。これは私にとってコミュニケーションを諦めるに十分な温度差だ。その夜、私は「俺たちが喧嘩しても意味ないじゃん」という話を100回ぐらい聞き、最後はしょうがないので仲直りしたことにした。この会話の出口のなさとどうしようもなさは、西村賢太もかくやというレベルで、話に伝え聞くぶんには面白いが、実際に味わうとなると徒労感が凄まじい。ようやく三時ぐらいになって眠りにつこうとする感人を置いて、自転車で帰った。帰路、誰にも会わなかったのはよかった。もし会っていたら、吉田修一の小説ばりにぶん殴っていたかもしれない。

 

翌日、土曜日である。感人はこの夜、帰ることになっていた。といっても私は私で、世の父親たちと同じように子供の面倒を見なければならない。面倒なので二つにまとめてしまおうということで、私は三才になったばかりの子供二人を連れて稲毛海浜公園に行くことにした。感人は途中ローソンによると、「ここは俺に奢らせてよ」と張り切って駄菓子を買った。根がナイーブにできているのだ、子供の感心を金で買おうというのである。

稲毛海浜公園は海に面しており、コスプレの聖地となっている。なんでも、都内の大きな公園ではコスプレが禁止されていることも多く、写真を撮るにうってつけだとのことでレイヤーが土日になると集まるのだ。そんな公園で、子供達の関心といったらベンチに座ってお菓子を食べることだけである。私は海辺のベンチまで歩くよう子供をたきつけ、その先頭を歩く感人を指して「あのおじさんがお菓子くれるから」と吹き込んだ。はじめは「おじさん」を警戒していた子供達だが、お菓子をくれたというのですっかり気を許したようである。はじめは私とばかり話していた感人も、私が「いや、俺じゃなくて子供にいいなよ」と直接の対話を促し続けた結果、話すようになったようだ。感人本人は嫌がるだろうが、私から見ると、感人はずっと昔から子どもだったのだ。

その後、子どもが「ラーメンごっこする」というので、私たちは小川へと向かった。小川というにはあまりに小さい用水路の川底に生えた藻を木の枝ですくい上げる。それがラーメンごっこなのだ。私は子供たちが落ちないように見張り、感人は川っぺりに寝転んで缶ビールを煽り始めた。ラーメンごっこが始まって十五分ぐらい経っただろうか、私の娘が枝を落とした。枝は水面をするするとすべりながら川下に落ちてった。娘はお気に入りの枝をなくす惜しさから、「あーっ」と叫んだ。するとである。なんと、さっきまでビールを煽って寝転んでいた感人が立ち上がったのだ!

感人は明らかに娘が失った枝を取ろうとしていた。根が他人の評価を気にするようにできているのだ、いいところを見せたいのだろう。どう考えても対岸にぴょんと飛べば手で届く距離なのだが、感人はそのまま川底に降り立った。水の深さはほんの1センチほどだったので、靴で入っても汚れない深さではある。私は声をかけるのをやめ、感人の雄々しい歩みを見守った。微笑ましい光景だ。だが、そのことを二秒後に悔いることになる。川底にはヘドロがたまっており、ぬるぬると滑る。私は柔道をやっていたので、人が倒れるのは見ていればわかった。感人は一瞬バランスを崩し、たたらを踏みながら持ちこたえようとしたが、その一歩一歩がいかにもまずく、バランスはどんどん後方へと崩れ、ついに後方へドスンと倒れた。頭も打つ、ちょっとまずい倒れ方だった。完全にジジイの転び方だ。わずか五秒ぐらいのできごとである。私はすぐ走りよったが、感人は川底から這い上がると、芝生の上に寝転んだ。頭を抑え、呻いている。もしかしたら、救急車を呼んだ方がいいかもしれない。念のため確認したが、感人は断った。彼はそういう男だ。物事が決定的に悪くなるまで放っておき、保険料を釣り上げて死ぬのだ。もし彼がこのまま死んだら、破滅派にでも書こう。私はそう思い、ヘドロまみれで川っぺりに横たわる感人の写真を撮ろうとしたが、断られた。

代わりに、ヘドロまみれになったジャンパーを取ることを許可された。

「おじさん、転んじゃったよ。かわいそうだね」

私がそう言っても、子どもたちはさして興味がないようだった。それからしばらく、ヘドロまみれで横臥する感人を尻目に、子どもたちはラーメンごっこを続けた。

昼ぐらいになって、いったんアパートに戻ることにした。車に乗るとき、ズボンやコートを脱いで欲しかったのだが、感人はそういう気遣いをできる人間ではない。「ここ折れてない? 触ってみて」と運転中の私に何度も話しかける鬱陶しい骨折アピールを繰り返し、ヘドロの匂いを漂わせていた。アパートについてからも、私が貸している布団の上にヘドロまみれで横たわった。

このケツで車に乗られる方としてはたまったものではない。

飛行機に間に合うためには、十六時に車でピックアップすればよいということで、私は家に帰った。なぜ昼食を共にしないのかというと、私の妻と感人はまったく仲が良くないからである。ほとんど女のような嫉妬心から、まだ私と結婚する前の妻に対して攻撃的な発言を繰り返したことが原因だ。これにより修復不可能な不仲になっているため、私の家に泊まったり食事をしたりできないのである。十六時ぐらいまで子どもの相手をすると、車に乗って感人を迎えに行った。二十分あれば空港行きのリムジンバスに間に合うはずである。アパートに着くなり、感人は骨折アピールを繰り返した。普通、肩を骨折をした人間は歩けないから大丈夫。私はなんどか繰り返したのだが、感人は自身の不幸をこれ幸いとばかりに大アッピールした。

「これどうすんの、俺、こんなんじゃ飛行機乗れないよ、テロリスト扱いでしょ」

感人は自身のヘドロまみれのコートを指して言った。知るか、そんなもん。おまえさっき車にそのまま乗ってたじゃねーか。私はそういったのだが、彼は聞かない。このコートを置いて行くから、洗って手元に置いてほしいというのである。出た。またこれだ。彼は男のアパートに歯ブラシを置いていこうとする女のように、いつも私に服を残そうとする。心の底からいらないのだ。私はゴミ袋を渡して「これに入れて持って帰りなよ」と伝えたが、感人は「肩が痛くて持てない」「また取りに来るからさ」とモゴモゴ言い訳をして服を置いていこうとする。あまりにも会話が鬱陶しく、また、バスの時間にも間に合わないので、私はクリーニングに出して送ることを約束した。

稲毛海岸まで向かう途中、子どもが「おしっこ出そう」と言い出し始めるトラブルなどもあり、駅に着いた頃にはギリギリだった。感人は車を停めるなりバスに飛び乗った。私はほっとしたが、ふと車内のゴミ箱を見ると、缶ビールが入っていた。

並々と入ったビール缶がぽんっと置かれていた

ビールは半分ぐらい入ったままで、ゴミ箱の中に置いてあるだけだ。助手席でビールを飲んでいた時点でかなりのクズなのだが、百歩譲って「急いでいて捨てる場所がない」ぐらいの断りがあるならまだしも、何も言わないで置いていったらいつこぼれてもおかしくない。どう考えてもトラップ、何か私に恨みでもあるのだろうか?私は腹立たしい思いで車を降りると、道路の排水溝にビールを流した。

 

 

さて、以上で山谷感人が東京を訪問したときの様子を終わりにする。これは偽らざる私の気持ちだ。少なくともこのページに関して、山谷感人の基本的人権は存在しないし、一切の異議申し立てを認めない。

彼はまた3月18日開催予定の破滅派10周年パーティに上京することになっている。この文章があまりにハイコンテクストすぎてよくわからないという方は、私の書いた『フェイタル・コネクション』を読まれると良いだろう。山谷感人について知りたい方は『山谷感人と行く望郷ミステリーツアー』を読まれると良い。また、この東京滞在について山谷感人本人が『後日譚』というエッセーを書いているので、あわせて読んでいただければ幸いだ。すでにしてただ、一つだけ、そこを書く権利を譲った親友に伝えるとすれば『あれは、名誉の負傷だった』なる牽制と防衛戦を張っている。根がナイーブにできているのだ。

なお、私の方の後日談ではあるが、ヘドロまみれのコートをついにクリーニング屋へ持っていった。店のおばさんは「これ凄いわー、いくら貰えばいいのかしら、ほら、シミ抜き必要でしょ」と勿体つけた。おばさんによれば、500円玉程度のシミ抜きでも500円かかる。ということは、この全面ヘドロまみれのコートをシミ抜きするには、数万ではくだらない。私は「そんな何万も払えないので、だったら捨てます」といったところ、「そんなにかかんないわよ、2,000円ね」と答えた。まぎらわしいババアだ。

2017年2月18日公開

© 2017 高橋文樹

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