4章 2は1よりも正しい

東京守護天使(第9話)

高橋文樹

小説

25,825文字

警備員ルシ・フェル樹と作家志望の女の子ペニー・レインが交わす書簡体小説。とばぎんビルを襲った史上最低の大洪水。東京の中心でウンコの洪水が全てを押し流し、人類は崩壊の危機を迎える。

Thu, 27 Jul 2006 02:12:53 +0900

 

SUB : 前略、ペニー・レイン。

突然だけど、君は人を尾行したことがあるかい? もしそうなら、今後のお付き合いは遠慮させてもらおう。君はとってもキュートだけど、日陰女的な湿っぽさも持っているから、ストーキングされると鬱陶しそうだ。

というのは冗談で、ぼくは先日尾行をしたよ。というより、させられたのかな。まったく、実にスペッシャルな体験だった。今回はそのことから書こうか。

あれはね、ペニー、つい先日のことさ。ぼくが例によって座哨勤務をしていると、清掃のオバサンが1F警備室に入ってきて、呑海さんをじっとりと睨むんだ。

「ねえ、ちょっと、ちゃんと警備してるの?」

なにごとかと思って話を盗み聞きしていると、オバサン曰く、東南アジア系の外国人がとばぎんビルの中を闊歩しているというのだ。B2Fのトイレにしばらくこもってから、階段を昇っていく。

「あれ、泥棒の下調べかなにかじゃないの?」

オバサンは「ちゃんとやってよね」という感じに口を尖らせ、ぼくたちにプレッシャーをかけた。とばぎんビルは一般客向けの外為業務をやっていないから、外国人客が来ることはない。来たとしても、それは近くにある外貨両替所の場所を聞きに来るだけだ。もしも定期的に訪れる外国人がいるとしたら、それはかなり怪しいということになる。

「いつぐらいからいるんですか?」

呑海さんが尋ねると、オバサンは「かれこれ三十日ぐらいよ」と答えた。「一ヶ月」ではなく、よりによって三十という数字はぼくたちの無能を暴きたてた。

オバサンが「リュック背負ってるわよ」との助言を残して去ると、その日の警備員すべてを集め、戦々恐々の作戦会議が行われた。ペニー、この「戦々恐々」という四文字熟語は大袈裟でも何でもないんだ。とりわけ、テロの脅威が現実的なものである大東京の中心ではね。去年の暮れ辺り、東京都知事からテロ警戒のお達しが来ていたんだ。

「とりあえず、ぼくが探しに行きましょうか?」

と、ぼくは好奇心でもなんでもなく、真面目な就労意識から名乗りを上げた。

「いや、危ないから、皆で行こう」

油田さんは言ったが、その日のもう一人は不健康数え役満のマユミさんだった。気のせいか、彼は顔が青白くなっていて、年老いた永遠の肥満児といった様相を呈していた。とても、テロリスト(らしき人)とは相対させられない。

「よし」と、呑海さんが言った。「油田さんとルシくんで不審者を探そう。マユミさんは1Fで待機だ」

ぼくは「了解!」と男らしく答えた。と、油田さんは事務机の下にあるダンボールを取り出している。埃をかぶったそのダンボールには、防刃服・防刃手袋・警戒棒の武装セットが入っていた。

「油田さん、大丈夫ですよ。そんなものまで出さなくても」

ぼくがそう言うと、油田さんは不安に濡れた目をこちらに向け、小さな声で「危ないよ」と呟いた。

「追い詰めなければ問題ないですって。昼間ですし」

「クフィ! 柱の陰で待ち伏せして、いきなり刺してくるかもよ」

「なんですか、その暗い想像は……。大丈夫ですって。そうですよね、呑海さん。見つけたらどうしますか?」

ぼくの問いに呑海さんは考え込んだ。そして、しばらくすると、「様子を見よう」と答えた。

「様子を見るって……具体的にどうするんですか?」

「まだテロリストと決まったわけじゃないだろう? なにもしてないのに捕まえるわけにもいかないだろうから、様子を見よう」

「了解!」

こうして、ぼくと油田さんはトランシーバーを持って狭いとばぎんビルへと散っていった。

ぼくは階段を駆け上がりながら、わくわくしていた。こんなにエキサイティングな仕事は、普段のとばぎんビルのメロウっぷりからは想像できない。やや不謹慎だけど、それがほんとうの心境だよ。

「こちら油田、聞こえますか? ドーゾー」

普段はまったく使わないトランシーバーからザワザワと囁きが聞こえると、ぼくの心臓は高鳴った。とばぎんの社員が不思議そうな顔で見ている。ぼくは得意満面にトランシーバーを口に当てると、「こちら、ルシ、ドーゾー」と答えた。

「ただいまB2Fにて容疑者を発見、応援頼む、ドーゾー」

「了解、ドーゾー!」

B2Fに着くと、駐車場の入り口付近で油田さんが壁の陰に隠れて、手招きしていた。

「どこですか、容疑者は?」

油田さんは人差し指で沈黙を強いてから、その指をそのままトイレの方向に持っていた。トイレからは、水がばしゃばしゃと弾ける音が聞こえて来る。

「なにしてるんですか?」

と、ぼくは油田さんに囁いた。

「クフィ! それがなんと、手を洗っているんだ!」

ペニー、君は不審者が手を洗っているとき、どんなデンジャーを想定するかい? ぼくは色々と考えたんだが、思いつかなかった。しかも、ここはB2Fの職員用トイレだ。B2Fには駐車場と警備室、そして運転手控え室しかないから、使う人間は限られてくる。そこで手を洗うのがいったいどんな目的によるのか?

ぼくは廊下を通るフリをして、ちらりと犯罪者の顔を盗み見た。清掃のオバサンから聞いていたような、「一目見て東南アジア系」というほどではないが、言われてみればベトナム辺りにいる華僑のような顔付きをしている。

「どうします、油田さん、声かけましょうか?」

「いや……様子を見よう!」

やがて、テロリストは歩き出した。上階へ向かうらしい、しかもエレベーターではなく、階段で! かなりの健脚だ! どうだい、ペニー、これは怪しさフルスロットルだよ。

しかしね、ぼくの体力を舐めてもらっちゃ困る。普段の巡回だって、体力強化のために1FからR(屋上)まで一段抜かしで昇ってるんだ。ぼくは油田さんにポンと背を押され、すぐに尾行を始めた。後ろから、「俺は出入り口を見張っておくからね!」という頼もしい声が聞こえた。

ペニー、それまで生まれてから一度も尾行をしたことのなかったぼくでも、尾行に関して知っていたことは幾つかある。それはね、バレちゃいけないということだ。

とばぎんビルには二つの階段があった。エレベーターに近い中央通り側と裏口側さ。不審者は裏口側を昇っていたから、ぼくはすぐさま中央通り側の階段へ移った。ちなみに図にするとこうなる。

09_ビル見取り図

 

自爆テロ実行犯はぐいぐいと大股で昇って行く。4F、5Fと普通の人間ならバテるところまで来ても、めげる気配はない。が、まだぼくの方に分がある。ペニー、ぼくはここで高等テクニックを見せ付けてやったのさ。

ぼくが『CITY HUNTER』で読んだ尾行テクによると、いっぺん追い抜かすことで尾行された相手は安心してしまうらしい。なにせ、尾行だからね。そして、再び追い抜かさせて、バックを取るんだ。ぼくは計画通り、6Fで一気にアルカイーダを追い抜かし、7Fのエレベーターホールで靴紐を結んでいるフリをした。どうせもう袋の鼠だ。奴の狙いはわかりきっている……来た! ぼくは横目でアルカイーダが8Fへ向かうのを確認すると、すぐさま尾行を再開した。

ところがどっこい、ペニー、ぼくが8Fに上がってみたところ、ビン・ラディンはすでに消えていたんだよ! ぼくは焦った。まさかまかれるとは思ってもいなかったんだ。

二基あるエレベーターは止まったままだ。使った形跡はない。トイレの個室はすべて見たし、屋上へ通じるドアは内側から鍵がかかっていた。それまで聞こえていた足音は聞こえなかったから、走って逃げたはずはない。とばぎんのすべてのオフィスはIDカードで管理されていた……。

「ルシです、ドーゾー! 見失いました、ドーゾー!」

「なんだって、ドーゾー!」

ぼくは油田さんに呼ばれ、1F警備室に戻った。見失ったと報じると、呑海さんはいきなりパニクってしまった。相手は相当のやり手だ! こちらも警備のプロフェッショナル、本社にいる元自衛隊レンジャー部隊の除隊者を呼ぶしかない!

……とまあ、大騒ぎになったわけだが、ペニー、もうタネはわかったかい? けっきょく、8Fにあるとばぎんマーケティング部の社員だったんだよ。駆けつけた本社の人が1Fのエレベーターホールで待ち伏せし、声をかけて判明した。例の人はぼくが7Fにいたそのわずかな時間に、IDカードを使ってオフィスに入った。不審者でも何でもなかったのさ。

この件でぼくの名は知れ渡った。とんでもない間抜けがとばぎんビルにいるとね。

しかしだよ、ペニー。なぜこの件でぼくがこんなに間抜け扱いされなくちゃならないだい?

まず、ぼくは責任者である呑海さんに指示を仰いだ。返ってきた指令は「様子を見よう」だ。実際、賤業並みの扱いを受ける警備員が身元を尋ねると、相手が激昂してトラブルになるケースは多かったから、むやみに声をかけてはいけないんだ。しかし、「様子を見よう」と言われちゃ、尾行するしかないだろう? この点に関しちゃ、歌方さんなんかも同情してくれたよ。

それにそもそも、尾行のやり方なんざ教わっちゃいないよ。ぼくはできるかぎりやった。あんな狭いビルで真後ろを歩いたら、怪しくってしょうがないよ。それに、とばぎんのオフィスの中はまったく見ることができないからね。8Fで見失うのはしょうがないことなんだよ。それならそれで「蛍光灯の交換です」と嘘をついて中の様子を見るなり、まだ打つ手はあったのに、本部に話を持ってってデカくしたのは呑海さんだよ。

それに清掃のオバサンもオバサンだ。絶対に不審者だなんて言って焚きつけて、ぜんぜん東南アジア系じゃなかったじゃないか。それどころかむしろ、普通の日本人だった。なんであんなに不審者だという確信を持ったのだろう? たしかに、B2Fのトイレで手を洗い、運動がてらに8Fまで駆け上がって行くというのは奇妙な行動かもしれないけれど、不審者と断定するのもどうだろうか。

――でも、楽しそうに尾行してたじゃない。

ペニー、君はそうツッコんだね? そりゃたしかにそうだけど、上の人に聞いても明確な指示はなく、それに従ったぼくがすべての責任と不名誉をおっかぶさるというメロウな役回りをさせられんだ。まったく、これでぼくの時給は一人だけ九〇〇円なんだから、やってられないよ。だいたい、尾行が上手なら、ぼくは探偵事務所にでも勤めているさ。「あんな人でいざというとき大丈夫なの?」とは、とある行員のマユちゃん評だけれど、こういう勘違いをする人は多い。いざというときに活躍できる人――不審者を取り押さえるとか、火事をすみやかに消すとか――は警察とか消防署にいるんだ。警備員の仕事はね、そこに居合わせることと、対処能力のある人に取り次ぐことだよ。

ペニー、君は若きプロレタリアートの闘いの日々があまり芳しくないと思っているかい? たしかに、それはそうかもしれない。だけどね、小説の題材としてはまさにうってつけの事件が起きたよ。聞いているだけでメロウな気分になっちまう話さ。

ほら、このメールも前回からわずか二週間しかたっていないだろう? これはね、ぼくがさびしんぼうだからでもなんでもなくて、送るべき内容がすぐに溜まってしまったからなんだよ。ほんとだよ。照れ隠しじゃないよ。

さあ、それじゃあまず、労働組合の沓名さんとの出会いから行こうか。

 

ぼくは油田さんと一緒に都バスに乗り、浅草にほど近い蔵前へ向かった。そこには本社のダーマスビルがあり、労働組合の沓名さんはそこにいるはずだった。

ペニー、スペッシャルな現任教育の話は以前にしたよね? あの研修会場はダーマスビルの中にあったんだ。そんなに立派なビルじゃないけど、いちおう自社ビルだし、受付もある。研修で定期的に訪れてはいたけど、いつもより少しだけ緊張した気分で受付を通過した。ずっとこの会社に勤務していたはずの油田さんも、かつて訴えようとした罪悪感からか、どこかこそこそしていた。

沓名さんは四十ぐらいで、とても腰の低い人だった。整った顔立ちをしているけれど、背が低く、頼りがいのある風ではない。昼間にやっている視聴者投稿番組の再現ドラマにでも出てきそうな感じの人だ。

「ああ、君がルシくん。噂は聞いてますよ」

そう言って通された会議室は、「奥まった」というよりも、ほとんど封じ込められた感じの場所にあった。異様に高いパーテーションで区切られた上に蛍光灯もないので、すごく薄暗い。ダーマスビル内の中核オフィスとは違う階にある薄暗い一角だった。

「それで、相談っていうのは、勤務体系のことなんでしょう?」

手ずからお茶を持って来てくれた沓名さんの口調は落ち着いていた。まるで、それがしょっちゅうあることだとでも言うように。

「ええ、そうなんです。勝手に勤務時間が変わってしまいそうで……」

ぼくはことの次第を筋道立てて説明した。持参した月のシフト表や『from‐A』の求人欄も見せ、とばぎんの勤務体系だって包み隠さず。ときおり、油田さんが余計な口(あの循環論法!)を挟んで議論をわかりづらくしたけれど、きちんと話は伝わったはずだった。

「じゃあ、ルシくんは勤務時間が変わらないのが希望なんだね?」

「ええ、早朝出勤はちょっと大変ですし。それに、一日通しの日当勤務がなくなるなら、出勤日数が多くなるわけですよね? それは面倒なので」

「そうか、それはじゃあ、ちょっと調整してみようか」

2015年7月10日公開

作品集『東京守護天使』第9話 (全13話)

東京守護天使

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© 2015 高橋文樹

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