方舟謝肉祭(2)

方舟謝肉祭(第2話)

高橋文樹

小説

9,359文字

なぜFは血のことを書くに至ったのか? その秘密は、彼が訪れた祖父の葬式にあった。そこに現れた胡散臭い親父ミツムネ氏は、Fを「坊ちゃん」と呼び、慇懃な握手を求める……

Chapter ONE……回想(レミニッセンス)がやってきたヤアヤアヤア!

二〇〇三年五月二日、僕の祖父は八十九年の生涯を閉じた。読み終えた新聞を電話帳に挟んで型押ししてから古紙回収に出すほど几帳面だった祖父は、うっかり者の葬儀屋がサイズを間違えたせいで棺桶に収まりきらず、人生の最後の最後で格好をつけ損ねた。

まあ、その方が祖父らしい。かつて国鉄土浦駅前に持っていた百坪近い土地は、バブル直前に二束三文で売り払ってしまった。一時は四千万を超えたゴルフ場の会員権も、むざむざ紙切れになるまで取っておき、今では会費で伯父夫婦を悩ませている。祖父にはそういう抜けたところがあった。棺桶に収まらないぐらい、ちょっとしたご愛嬌だ。

膝を折って棺桶にねじ込まれた祖父が焼き場に入ったあと、親族一同は待合室で談笑することになった。僕は従兄姉などの近しい親戚と話していたが、ときおり、遠い親戚に話しかけられた。そういう人がどこの誰なのか、僕は母に聞かずに知ることができなかった。かすかに記憶の片隅に残っているような気もするし、ぜんぜん会ったことのない気もする。面倒だったが、親戚付き合いとはそういうものだと諦めて、天気の話と同じように漫然と挨拶を繰り返した。「こんなに大きくなって」と子供扱いされることに腹が立つほど、若くはない。

その程度の社交でぶんむくれていた僕だったが、十把一絡げに見ていた親族の一人によって、あっという間、魅了されることとなった。胡散臭いことこの上ない人物に目がなかったから。

昼の弁当を食べ終えた頃だった。その初老の男は聖人めいた仕草で左手を胸に当てたまま、すっと背を伸ばし、母の前に現れた。

「ちーちゃん、お元気ですか。相変わらずお綺麗で」

その抑揚に表れた落ち着きをさらに裏付けようというのか、彼は右手を差し出した。母は急に若やぎ、優雅にもたげた右手を両手で握り返した。

「あらー、みっちゃん! 嬉しいわ! あいかわらず伊達男ね!」

母の少女じみた高い声は、普段の僕なら面食らっていただろうけれど、このときばかりは気にならなかった。僕の興味は完全にその男に集中していたからである。

その初老の男は、やっと席を見つけたというように、僕の向かいへ腰を下ろした。年の頃、六十代半ば。耳に垂れるほど伸ばしたロマンスグレーの髪は、ティアドロップ形のサングラスとあいまって、上品に胡散臭い。ぴんとはった背筋、喪服の胸に差した白いポケットチーフ、握手のために差し出した手に光る変な指輪。すべてが仰々しく誇張されているせいで、冗談めいていた。

「はじめまして、ぼっちゃん。いや、たしかこのぐらい小さい頃にお会いかな?」

みっちゃんと呼ばれた男は、椅子の背ぐらいの高さで手の平を水平に動かした。僕は何も答えなかった。それどころじゃない。ぼっちゃんとはなんだ? 親戚のガキをぼっちゃん呼ばわりした目の前の人物への驚ろきが、僕を金縛りにさせていた。

が、みっちゃんは相手の違和感など関係なしに話を続ける。

「私はちーちゃんの従兄でして後藤ミツムネと申します」

「あら、また苗字変わったの?」と、僕の母。

「恋多き男ですから」

母は「まあ」と笑って、僕の顔を見た。ミツムネ氏の視線はそれと追いかけっこするように僕の顔を捕まえ、じっくりと吟味した。いやらしいサングラスの奥にある瞳は、その穏やかな目の形とは裏腹に、欲深い光を放った。

「お噂によると、ぼっちゃんは小説を書かれているそうで」

「誰から聞いたんですか、そんなこと」

僕は挑むような口調になった。収入の大半(というか、全部)をアルバイトから得ていたということもあり、社会的身分を問われることに敏感だったからだ。しかし、ミツムネ氏は勝ち誇ったようなへつらいで、「親戚中みんな知っていますよ」と答えた。

「なんでもぼっちゃんは才能がおありだとか。早くぼっちゃんの新作が読めるのを期待していますよ」

「僕もそうなればいいと思いますが、なかなか……」

「どのような小説をお書きですか。私はモームが好きなんです。ご存知ですか、サマセット・モーム。『月と六ペンス』のような小説を書いてください」

ミツムネ氏は言葉を返す暇を与えず、手を差し出した。反論したいことは山ほどあった。例えば、フランスの思想家アランの言葉――「もしもシェイクスピアが批評家の行列を引き連れていなかったら、誰も手放しで彼を賞賛したりはしないだろう」。今日び、『月と六ペンス』のような小説を書いたところで、そんなに売れはしないだろう。出版までこぎつけられるかどうかも疑問だ。

実際、僕は試してみたことがある。あるフランス作家の未訳作品を翻訳してワープロに打ち込み、登場人物の名詞をすべて日本名に置き換え(ワープロの編集機能「置換」を使っただけだが)、その他細部の不都合な点(地名、日本にはない習慣etc)を逐一見直し、ある中堅出版社に持っていったのだ。僕とさほど歳の変わらない編集者は、それを「文体が鼻につく」という無体な理由で没にした。本国では三十万部も売れた作品だというのに。僕はその後、作品の正体を明かし、編集者の無先見性をクソミソにこき下ろすことになるのだけれど、それで僕が得たのは、いつ電話しても「席を外しています」といわれる権利と「この世界にいられなくしてやる」という扇情的なeメールだけだった。

とはいえ、そんな非外向的反感(ルサンチマン)を親戚のオジサンにぶつけるわけもいかず、僕はミツムネ氏が差し出した手をがっちりと握った。そして、彼の去り際に残した言葉でぎくしゃくさせられることとなる。

「私はフランスにワインの農園を持ってましてね。パリの市長とも知り合いなんです。その関係で、ノーベル賞の選考委員とも知り合いですから、いずれぼっちゃんを推薦しておきますよ」

僕は笑ってもいいものか、母を見た。にこにことしているだけだ。別に笑うところではないのだと判断し、適当にへらへらすることにした。

「その時はお願いします」

「ええ。強力に推薦しますから」

ミツムネ氏は「強力」という言葉にアクセントを置き、それに合わせて強く手を握った。葬儀屋の人が焼き上がりを知らせに来たこともあり、僕とミツムネ氏はそれっきり別れた。

ややオレンジがかった祖父の遺骨は、思ったよりも大きかった。まあ、よく考えてみれば、祖父が几帳面だったから骨が細いようなイメージがあるだけで、実際はかなり大柄だった。僕は自分で思っていたよりもずっと、祖父のことを知らないのだろう。血のことはいつも謎めいているから。

さて、取り立ててかわいがられていた孫というわけではなかったけれど、僕は晴れて喉仏の骨を箸でつまむ権利をゲットした。それが済むと、親戚連中が遺骨を骨壷に収めやすいよう、少し後ずさった。この頃にはもう泣いている人間はいない。大豆を箸で掴むゲームのように、骨をつまんでいく。

傍観者になった僕は、ミツムネ氏がもういないことに気付いた。

「今日来てたミツムネおじさんって何者?」と、僕は側にいたT美伯母さんに尋ねた。母の姉である伯母さんは、嫌そうに顔をしかめた。

「私の従兄よ、従兄。昔はよく遊んだけどね。それも仕方なく。大人になってからは碌なもんじゃなかったよ。今日来たのだって、驚いてるんだから」

「従兄ってことは、清輝おじさんの息子?」

「違うわよ。あなたのお祖父さんは五人兄弟だったでしょ。その長男が宗おじさんっていうの。そこの息子よ」

「え、四人じゃなかった?」

伯母さんは「あ」と一人ごち、それから開き直ったような顔で「五人ったら五人よ」とつけ加えた。僕は祖父の兄弟構成にそれほど熱心だったわけではないので、自分の思い違いかと納得した。

「その宗おじさんはまだ生きてるの?」

「さあ。知らない」

「なんで?」

「なんでっていわれても、知らないものは知らないのよ」

僕はそれ以上尋ねなかった。母より七つ年上のT美伯母さんの顔では、嫌悪感が等高線のような皺を刻んでいる。祖父の兄であり、伯母から見たら伯父である人物の消息が語られないということは、それなりの事情があるということだ。遠い血のことも抹殺されうる。

後になったら母に尋ねよう。そう思いながら、僕はミツムネ氏と宗おじさんのことを忘れてしまった。なぜ忘れたかは思い出せない。たぶん、その頃は興味の対象がそこにはなかったからだろう。その頃の僕が書いていた小説は血の匂いがまったくしないものだった。

 

いつからと明確に書くのは面倒だからしないが、時代は「リアル」を求めていた。たぶん、「ヴァーチャル」という言葉が否定的な意味で使われ出したのと同じ頃だと思う。「リアル」という言葉は、肯定的な批評の言葉として、色んな場所で使われていた。少なくとも、二○○三年の時点において。

もちろん、「リアル」という言葉を辞書的に「現実的」と取るわけにはいかない。それは「欲望充足的」とでも訳すべき形容詞で、現実をありのままに書いたことを意味するのではない。主人公の英雄的な振る舞いも、費用対効果の大きいモテ方も、見え透いた自意識も、三面記事を題材にした悲劇も、すべて「リアル」だった。非現実的な設定の小説でも、「こっちの方がむしろ」という枕詞を隠しながら、「リアル」だと評されていた。

遅れてきた反抗期の真っ只中だった僕は、辞書的な意味において、「リアル」なものを書きたいと願った。そして、実際に書いた。主人公は凡庸で、事件は矮小だった。ごく些細な意匠しか凝らさない。ストーリーの始めと終わりで状況の変化はあまりない。しかし、凡庸さや矮小さ、不器用や無変化を引き受けることによってのみ、息も詰まるような時代的精神とでも呼ぶべきものが現出するのではと考えていた。

祖父の葬式が終わってから数ヶ月経った二○○三年の夏。それらの小説が陽の目を見なかったことで、僕は深刻な方針転換を迫られていた(昔付き合っていた女に「つまらない現実をそのまま書かれたって、つまらないだけじゃん」と、御茶ノ水の飲み屋で言い放たれたことも原因ではあるが)。

そうはいっても、という気持ちもないではなかったけれど、人々が求める「リアル」がそういうものなら、これはもう仕方がない。ごもっとも。小説も商売の一種なのだ。僕は「リアル」なものが書けるようにならざるを得なくなった。

問題は、僕がそういった「リアル」の感覚を共有もしくは内面化していないということだ。方針転換してすぐに書けるほど小説は甘くない。それまで別に浮世の憂さを忘れるために読んでいたのでもなし、「欲望充足」のための小説を書くのは困難だった。

成功さえすれば、ゆくゆくは自分の好きなように書かせてもらえるだろうという「リアル」な妄想を抱きながら、僕は「リアル」について考え続けた。そして、もう手詰まりだったということもあったのだが、逆説的にあのミツムネ氏に思い当たったのだ。

――私はフランスにワインの農園を持ってましてね。パリの市長とも知り合いなんです。その関係で、ノーベル賞の選考委員とも知り合いですから、いずれぼっちゃんを推薦しておきますよ。

ミツムネ氏が最後についた嘘。それはとても「リアル」なものに思えた。そこには彼の欲望が盛りだくさんに詰まっていた。

百万歩譲って、フランスに農園を持っているのが事実だとしよう。しかし、農園の登記簿とパリ市長までの距離は果てしなく遠い。たとえそれが同じ建物内にあるとしても。おまけに、パリ市長とノーベル賞選考委員までの距離はさらに遠い。僕はノーベル賞の選考過程を詳しく知っているわけではないけれども、市長の知り合い程度が頼んだところで取れるような代物じゃないだろうに。世界に何人の市長がいると思っているのだろうか。ストックホルムの市長ならともかく。

なにはともあれ、嘘はその人の世界把握の仕方を示すものだ。きちんとわかっている人は、それなりに手の込んだ(口の込んだ?)嘘をつく。綻びだらけの嘘は「世界がそれくらい甘かったらいいな」という願望の表れだ。ちょっとしたきっかけ(ワイン農園)さえあれば、名誉な地位(ノーベル賞選考委員)まで辿り着けるんじゃないかというせせこましい願望。独力でのし上がる労を厭う人間は、すぐに権力者にすり寄ることばかり考えるが、気に入られるにも資格はいる。お世辞だってけっこう難しい。

僕はミツムネ氏をズルっこしい人間だと分析し、興味を持ち始めた。「願望充足」を内面化した人間とは、他でもない、ミツムネ氏のようなズルっこしい人をいうからだ。

すぐさま千葉の実家に帰り、母に聞いてみることにした。母はあまり寄り付かない息子が帰ってきたのが嬉しいというのもあってか、T美伯母さんが示したような嫌悪感はまったく見せず、べらべらとまくし立てた。

「あの人は本当にお調子者でね、要領がいいっていうのかしら、ズルしていい目ばっかり見ようとするのよ、でもそれで成功したことなんてないんじゃないの、親戚中から嫌われちゃったから、ほら、お祖父さんのお兄さんに清輝さんっていたでしょ、あそこの息子、つまりあたしの従兄だけど、調布の芳孝さんなんて、みっちゃんが借金の肩代わり頼んだせいで大学にいけなかったんだから、相当恨んでるわよ、まあ、清輝おじさんもいけないっていえばいけないんだけど、とにかくそんなんだったから、まったくもってのつまはじき者よ、でも、なんだったかしら、この間はノーベル賞がどうたらっていってたでしょ、ああいうところは悪くないと思うのよね、愛嬌があるでしょう、女の人にお世辞がぽんぽん出るし、すごくモテるのよ、いままで五回結婚してるんだけど、みんな絶世の美女だったからね、二人目の奥さんなんて女優よ、テレビとか出てた、あたしこの間に俳優座の劇見にいったんだけど、その人出てたわよ、還暦超えた身体に鞭打って、よく働くわよねえ、長谷川今日子とか、ああいう女優もあたし嫌いじゃないけど、ほら、あんたいってたでしょ、あの子はモデル出身だなんて、たしかに綺麗だし、お人形さんみたいでいいんだけど、やっぱり女優は劇団出身がいいわよね、食いっぱぐれないから、なんだかんだいって、演技は職人芸的なところがあるし、女の綺麗な時期なんてほんの短い間だけだからね、で、なんの話してたんだっけ? ちょっと煙草吸いすぎよ、あんた喘息あったんだからもうやめなさいよ」

僕はすでに二本の煙草を吸い終え、もみ消しているところだった。

「何度もいったけど、煙草はやめないよ。あと、ハセキョーの話はもう二十回ぐらい聞いた」

「そう、で、なんの話だったかしら?」

「ミツムネおじさんの話だよ。前の奥さんが女優だったって頃から話がおかしくなったんだ」

母は「あら」といって舌をぺろりと出して見せた。「あの子はいつまでも少女臭さが抜けない」とは、母の姉であるT美伯母さんの弁だが、僕から見ると、昔の女学生がそのまま歳を食ったという感じで、よりによってそれが母だと思うと、どこかしらグロテスクな気分だ。

まあ、それはいい。この小説の主題は僕の家族ではない。遠い血のことだ。

「で、ミツムネおじさんはどんな仕事してんの」と、僕は尋ねた。

母はしばらく思い出そうとする素振りを見せたが、次第にそれは、自分の記憶喪失を驚いたような表情へと変わっていった。

「思い出せない?」

「なんだったかしら、たしか、宗おじさんは船会社をやってたと思うんだけど……」

「あ、それ、宗おじさん」と、僕は母を制した。「その宗おじさんってのは、第一だれなのさ。お祖父ちゃんは四人兄弟じゃなかったっけ?」

「違うわよ、五人よ」

「でも、ずっと四人だっていってたじゃんか」

「ああ、それ。嘘よ、嘘」

「なんで嘘つくのさ?」

「理由は知らないけど、あのおじさんのことはいっちゃいけないことになってるのよ。お祖父さんなんて、宗おじさんのことを心底嫌ってたから」

「じゃあ、戦後にみんなでこっちに逃げてきたっていうのは?」

「それも嘘」

「え、なんでそんなに騙すのさ。じゃあ、なに、分家されたってこと?」

「違うわよ、こっちから縁切って逃げてきたの」

「理由は? 貧乏だったからかな」

「そうでもなかったみたいよ。船会社もけっこう大きかったっていうし。山口のほら、柳井市ではかなりの名士だったって。まあ、今じゃ潰れてるみたいだけど」

僕は少し考え込んだ。ミツムネ氏だけじゃなく、宗おじさんも大変興味深い。というより、かなりオイシイ親子だ。ネタになりそうな気がする。

「ミツムネさんは今、どこにいるの?」

僕が尋ねると、母は「知らないわよ」と答えた。葬式でも聞かなかったらしい。僕がどうしたものかと思案顔をしてみせると、母は「そうだ」といって、漫画みたいなジェスチャーで手を合わせた。

「お祖母さんに聞いたらどう? 小説にでもする気なんでしょ」

「いや、参考程度にはなるかなと思って」

「実際に取材してみるのがいいんじゃないかしら、そういうのがリアリティになるでしょ、開高健のベトナム戦争ルポって面白いわよー、あんたも一生懸命書くのはいいけど、それだけじゃ埒があかないでしょ、文体は個性的なんだけど、ちょっと冗長なのよねえ、一度ノンフィクション書いてみたら、事実の持つ力は文体の修飾なんてなくても伝わるんだから、そういう切り詰めた文章を名文っていうのよ……」

僕がその頃実家によりつかなかった理由の一つがこれだ。母は僕が実家に帰るたび、小説の骨法(と本人が思っているもの)を説いた。女手一つで姉弟二人を育ててくれたことに対して感謝の念は持っていたし、就職でもして実家に送金することもせずにいた自分への忸怩たる思いもあるにはあったが、外野からの勝手な意見にはやはりうんざりさせられた。

確かに僕の書く小説は冗長だったが、簡潔な文章を書こうとして冗長になったのではなく、何かを表現しようとしたら結果として冗長になってしまったのである。プルーストを挙げるのは少しおこがましいが、冗長なら冗長なりに読まれるよう研鑚すればいいだけの話だ。

小説に文体などというものがあるとすれば、それは書き手の人格に深く関わった部分であるはずだ。僕はそれを意味もなく攻撃されるのに耐えられなかった。編集者の攻撃にはまだ(ほんの少しだけ)意味がある。攻撃に耐え、苦渋の思いで文体を変更すれば、出版されるかもしれないから。しかし、母の批判にさらされたことで僕が得るものはほとんどなかった。

実家に帰るたび、僕はやる気を失った。そんなに小説のことがわかっているなら自分で書けばいいじゃないか、有名出版社に入って編集者として大活躍すればいいじゃないか、という呪詛を飲み込むのに疲れ果てた。

まあ、この小説は遠い血のことに関する小説だ。母を攻撃するのは本意ではない。母に対して僕なりに感謝しているし、もし機会があればそれも書くつもりだ。

 

母が開陳した「小説の極意」にうんざりさせられたころ、姉が仕事から帰ってきた。アダルトチルドレンなりのやり方でしっかりしていた姉は、母をそれとなく諌め、話を別の方向に誘導してくれた。

その中で僕の知らなかった祖父のエピソードを聞かされた。人名を救ったカステラに関する話だ。

一九四四年、本土爆撃によって日本が破滅への序曲を奏し始めた頃、祖父のいた茨城もまた空爆の危険に晒されていた。祖父母はまだ幼い二人の子供(K一伯父とT美伯母)を連れて、山口県柳井市にある実家へと疎開した。そこで一間を与えられ、仮住まいということにしたのである。

ひとまず住むところを確保したのはいいけれど、食料が足りなかった。日本全体がどんどん疲弊していくにつれ、配給も減ってくる。育ち盛りの子供二人を抱えて、とても間に合う量ではなくなっていた。

祖父の兄である宗おじさんは、弟一家に食料を分け与えることをしなかった。海軍への徴収によって商売道具の船がなくなっていた、という経済的な理由もあるだろうが、宗おじさんは食料ということに関して、それだけでは説明のつかない吝嗇家だった。

しかたなく、近所で衣類などを物々交換に出し、なんとか口に糊する毎日だったが、ついにそれも尽きようとしていた。

祖母は一念発起、広島にいる知人に米を分けてもらうため、柳行李を担いで出かけていった。祖父と二人の子供は、残された米を細々と食いつないだ。

祖母が戻ってくる間、飢えに飢えた祖父は宗おじさんに食料を分けてもらうよう再三頼んだが、取り付く島がない。かくなる上は盗むしかないのだが、蔵には鍵がかかっていて、その鍵は宗おじさんがいつも身につけている。台所の棚にもすべて、南京錠が取り付けられていた。

祖父が見つけることができたのは、カビの生えたカステラだけだった。食器棚の奥、幾つもの皿に埋もれた箱に入っていた。あまりにも用心しすぎたため、しまったこと自体を忘れてしまったのだろう。

栄養失調ギリギリだった祖父たちは、そのカステラを細かく切り分けて、米に次ぐ主食として食いつないだ。カビの生えた部分も、カビを払っただけで食べてしまった。贅沢をいってはいられない。

祖母が米と野菜を持ち帰ると一段落したが、栄養状態はかなり悪かったらしい。宗おじさんは自分の家族に対しても吝嗇家を貫き通したらしく、曾祖父は栄養失調で弱り、腸チフスにかかって死んだ。玉音放送を聞いた祖父の一家は、逃げるように柳井を後にした。

「そこまで徹底して神経質なところは、お祖父ちゃんも宗おじさんも似ているね」

話を聞き終えた僕は、笑いながらそうコメントした。母も母で、別に厳粛な話をするという風ではなく、気の利いた冗談でも口にするような感じがあった。

「お祖父さんの戦争体験はついてないのよ、疎開する前だって茨城の日立にいたでしょ、ほら、工場があったから、それで空爆に遭って、身体が泥の中に埋まっちゃったんだから、なんでも水が鼻のすぐそこまで来てて、今にも溺れそうだったから、鼻からフンって息を吹いて、水がどいた瞬間に空気を吸い込んでしのいだらしいわよ、あとちょっとで発狂するところだったってさ、これ小説に書きなさいよ」

小説に書くかどうかはともかく、親戚の話でも面白いことはいくつかあるのだ、とわかったことは収穫だった。

僕はぼろぼろになった本皮張りのダイニングチェアーから立ち上がり、泊まらないで帰ることを母に告げた。母は残念そうな顔で「次はいつ帰ってくるの」と尋ねた。

「小説が出版されたらね」

実に心もとない約束。僕は実家を後にするため、玄関へ向った。去り際、姉が五千円くれた。

喜捨(バクシーシ)よ」

姉はそう言うと、照れ隠しのためか、わざと意地悪そうに笑った。玄関扉をバタンと閉めたせいで、袋ごとガレージに吊るされていた玉葱が揺れた。僕はその袋を取ってリュックに詰めた。

 

――(続く)

2007年3月2日公開

作品集『方舟謝肉祭』第2話 (全24話)

方舟謝肉祭

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© 2007 高橋文樹

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