縄文小説参考文献『原人ダアア』レビュー

縄文小説集(第3話)

高橋文樹

評論

2,540文字

本稿は破滅派主催の縄文小説ワークショップの参考文献レビューである。エドモン・アロークール著『原人ダアア』を取り上げる。

原人ダアア』(エドモン・アロークール著、田辺貞之助訳、潮文社、1972年)は第一次大戦の最中、1914年にフランスで発表された小説である。

同書の解説によれば、19世紀の終わりから20世紀の初頭にかけてヨーロッパ全土で科学知識を元にした作品が流行した。流行には大きく分けて二派があり、片方はジュール・ヴェルヌ『海底二万マイル』やH・G・ウェルズ『透明人間』のようなサイエンス・フィクションであり、もう片方は当時の人類学や生物学についての知識を元にした本書『原人ダアア』のような小説である。

あらすじ

本書はダアアと呼ばれる原人が、目的のない放浪の中で妻をめとり、一族をなし、ついには火を手に入れる生涯についての物語である。ダアアは冒頭ではなんの知恵も持たない原人であるが、その冒険の中で次第に知恵や言語を獲得していく。一番初めに出会う妻がはじめてオックと呼ばれる瞬間は、本書において言葉の生まれる瞬間として演出されている。

——オック!

女の名は男によって与えられたために、音が荒々しかった。

——ダアア!

男の名は、反対に、女の案出したものなので、やさしい音楽的な抑揚があった。

前掲書、P.41

他にも棍棒を「投げる」という行為の発見や、同じ原人との殺し合い、二番目の妻タアとの出会い、子供の死、着衣の習慣などが少しずつ獲得されていく。

やがて、ダアアは一族(人数は言明されないがおそらく30人ぐらい)の長になり、海へ向かう。海岸で魚を食べて暮らすのは快適だったのだが、氷河期の訪れがそれとなく描かれる。ダアアは二番目の妻タアを失いながらも、やがて火山に辿り着く。そこではじめて彼らは火を手にする。しかし、ダアアはそのすぐ後、絶命し、およそ50年の生涯を閉じる。

構成

冒頭に記した通り、同書は当時の科学的知識を盛り込んだ小説である。悪く言えば、ひけらかすためのものであり、神の視点から説明的描写がひんぱんに挟まれる。このナラティブについては、作品の要請上当然のこととは言える。

科学を元にしているとはいえ、「原人について当時わかっていたことを書く」という目的のために、いくつか科学的整合性を無視した点があるのだが、それはたとえば、ダアアの成長についてである。

おそらく当時でも、一人の原人がなにからなにまで発見したということにはなっていなかったと思うのだが、ダアアはその生涯において、猿と人類を隔てる特徴のほとんどすべてを自分で「発見」する。投擲技術や火、共食いの忌避、太陽信仰の始まりなど、ほとんどすべてがダアアと彼の一族によってなされる。実際にはそんなことはなかったはずだ。これはおそらくだが、物語の要請上意図的にそうしたのだろう。

また、当時のバイアスがかかった視点も散見された。ダアアが違う種族の女タアを妻に迎えるシーンで、このような描写が見られる。

この妊娠は当然の結果として、ダアアの身辺に外来種の諸要素をもたらそうとしていた。それは二種族の子孫とその不調和な傾向とを混濁して、この最初の人類の団体に、やがては禍となるべき恐ろしい因子を導入した。しかも、そうした因子がかくも早く現れたことは、将来あらゆる人類社会に課せられるべき悪の表徴のようなもので、人間はその原因を察知することもできずに、長くこの悪のもたらす結果に苦しむであろう。なんとなれば、血統の複雑さは国民だけでなく家族のうちにさえ、遺伝子質の相違を永続させ、それによって性的吸引と知的相克、すなわち恋愛と反感というふたつの情念の狂暴さを激化して、歴史を血塗るようになるからである。

前掲書、P.126

あたかも純血主義を至高とするようなこの描写は、第一次世界大戦の年に発表されたという時代背景を考えると納得がいく。

本書は神の視点で書いているため、ダアアやオックといった登場人物の会話が書かれることは少ない。多くは内面描写で済ませている。しかし、言葉が生まれる瞬間には「ハア!」「フュウ!」「ハアアン!」といった言葉が使用されている。実際にこのような単語を発していたのかどうかはわからないが、たとえば「フュウ」は恐怖を表す叫び声であるなど、作品内言語としての整合性はとるようになっている。

基本的にダアアら原人の内面は動物的で残忍である。ダアアは子供が鷹にさらわれてしまっても特に何も思わない。一方、人間らしい(と、本書で位置付けられている)憐憫の情は、もっぱら女(オックとタア)に託されている。ダアアが殺した雌鹿の側を離れない仔鹿を見て涙するのはただ女のみである。ジェンダーについて一家言ある人は何か言いたくなるのだろうが、書かれた時代を考えるとこんなものであろう。

最後、海にたどり着いた場面で、海岸に打ち上げられた鯨の死体を見つけ、その体内に入って大喜びで死肉を貪るシーンがあるのだが、ここら辺はヨナ記などの影響があるのではないか、と感じた。

総括

本書はその目的である「科学的な知識を披瀝するエンターテイメント」と考えると、成功を収めている——実際に売れたのかどうかまでは調べていないので知らないが。

先史時代を描く上で最も困難となるのはナラティブの創出であるが、解説調の地の文が多く続くことにより、作中の会話は最小限となり、「ハアン!」や「フュウ!」といった若干滑稽な言葉が時折見受けられる程度である。私個人としては「そんな言葉、本当に言っていたのか?」と突っ込みたい気持ちもなくはないが、「被害を最小限にとどめる」という観点からは成功裏に終わっているように思う。

逆に考えると、先史時代の原人(や、それに続く現生人類の縄文人)を描くにあたり、会話における不自然さは相当の工夫を要するだろう。『原人ダアア』のように作品の要請上会話が少なくて済むものなどが簡単ではあるだろう。ぱっと思いつくのは次の当たり。

考古学エンターテイメント

タイムスリップもの

ただし、このナラティブの工夫こそ、わざわざ縄文小説を書く醍醐味であると私は考えるので、小手先の工夫で逃げないようにしたい。

それでは、これで感想を終わりにする。おそらく誰も読まないと思うが、『原人ダアア』を読まれる際の参考にされたし。

2015年10月29日公開

作品集『縄文小説集』第3話 (全10話)

© 2015 高橋文樹

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