新宿のゴールデン街で飲んだとき、たまたまポルノ男優と話す機会があった。その夜の少し前、私は新宿二丁目のバーで青山真治という映画監督に「態度が生意気だ」という理由で殴られ腐っていたので、考えるのも面倒だとばかりにただひたすらウコン茶ハイを飲み続けていた。映画関係者の集まるその店では私のことがすでに周知の事実となっていたようで、その俳優も事件を知っていたらしかった。簡単な自己紹介のあとで、私が殴られた話になった。その俳優は青山と面識があったようで、私を見て、「どうせなんか言ったんだろ」と言い捨てた。そう、私は確かに何かを言ったはずだった。まさかそれで殴られるようなことになるとは思わなかったし、まさか私が殴り返しもせず、我慢しなければならない羽目に陥るとも思わなかったし、私が柔道をやっていなければとあれほど思ったこともない。もし自分が人を傷つける技術について無知だったら、おそらくそれを知らないだろう人に対して存分に暴力で答えることができただろうから。それにそもそも、高名な映画監督であったとしても言葉に対して殴打で答える道理はないだろう——そんなことを思いながら、私はウコン茶ハイの粉っぽさを舌の上で弄んだ。
「まあ、でも俺も青山さん嫌いだな」
私は俳優の独白に味方を得たような気になった。「ヘルプレスなのはお前の方だ」などと言って盛り上がったのち、ようやく私は名前を名乗ることとなった。私が名前を名乗ると、俳優は「渡辺文樹かよ!」と失笑するように声を荒げた。私も渡辺文樹という監督のことは知ってはいたが、模倣しているように思われるのは心外だった。
私は私の名前を気に入っていた。いや、より正確には、私は私とそれにまつわるもの——出身地や卒業した学校や家族や友人——を気に入っていた。その中でもとりわけ名前というものは私を私たらしめているというほどわかちがたいものだった。俳優として映画業界に所属する人間にとって、「文樹」という名前はどうしようもないほど特別な意味を帯びているかもしれないが、それでも高橋文樹という名前は他でもない、私だけの名前であるはずだった。
名乗ることによって不愉快な思いをすることはここ数年多くなった。特に社名のせいである。
私の経営する会社は株式会社破滅派といって、いままさにこの文を発表している場所を単に法人格にしただけだ。私は自分の生業をウェブ制作としているから、取引においては株式会社破滅派を通すことにしている。電話には「はい、破滅派です」と出るし、銀行では「株式会社破滅派さま」と呼ばれる。こうしたことどもは起業する前から想定していたので、笑い話にすればよいだけだった。だが、自分でも予想外だったことに、そうでない場合もあった。
創業当初のこと、誰でも会社を作ったときはそうだと思うのだが、周囲が色々と声をかけてくれた。私の周囲には経験豊富な企業家がいなかったので、その多くはささやかなものだったが、ある友人が北陸の資産家を紹介してくれた。グループ起業のオーナーで、全国とまではいかないが北陸の広い範囲に複数のビジネスを展開している、私の親と同世代の経営者だ。友人は「さくっと資本金もらおうぜ」などと軽く言っていた。私も彼も、エクイティ・ファイナンスという概念の存在さえ知らなかったのだ。私はちょうどその頃、会社員時代に知り合ったヘッドハンターから「ビジネスアイデアコンテンストに出て欲しい」という依頼を受けていたので、そのときに作った事業計画書をそのまま友人に託した。数日後、消沈した友人が伝えたくれたのは、「ビジネスをなめるな」という一喝だった。破滅派などという名前で会社を作ること自体、ビジネスをなめているということらしかった。たしかにそうかもしれない。頭の固い人はそう受け止めるだろう。また笑い話にすればよいだけの話だ。だが、怒りを鎮めるのにはとても時間がかかった。その後数ヶ月、風を受けた熾りが暗闇の中で赤く光るように、折に触れて怒りが沸き起こった。ふざけた名前だと——つまり、中身ではなく名前だけでふざけていると——判断されたこと、そんな当たり前のことが許せなかったのだ。
創業当初のその思いから、私は孤独な戦いをするようになった。社名にこだわらず取引を行ってくれる顧客を大事にしようと。名ばかりの問題ではなく、破滅派が作る製品の質や機能を愛してくれる人たちに報いようと。包装紙を変えたただけで喜ばれるのは利口かもしれないが、私はそうした手段を取るべきではないと感じていた。
そうした経営方針を貫いたある日、あるクライアントが上場を果たした。私はそのクライアントとの間に取引がある事実を公言することはなかったが、いつか上場を果たした時には自慢させて欲しいと頼んでいた。そのクライアントのビジネスにおいて、私が作成したソフトウェアが重要な役割を果たしていることは明らかだったし、オープンソースソフトウェアとして破滅派が無償で公開しているソフトウェアがビジネス的な成功を収めたという事実は、インターネット時代の教理の一つ「伽藍とバザール」を体現するような出来事だったからだ。私は上場が私のおかげだとまでは思わなかったし、結局のところビジネスにおいて重要なのは何事かをなそうと思ったその決断だという程度のことはわかっていたが、自分の手柄としてそれを公表することぐらいは許されるのだろうと思ったのだ。
私はそれがどれほど卓越したことなのかを知りたくて、マット・マレンウェッグという人物にコンタクトを取った。彼はWordPressというソフトウェアの生みの親である。私が作ったソフトウェアがオートロックだとすると、WordPressはマンションのようなものだ。私が作成したソフトウェアはWordPressの拡張機能として動作し、いうなればマンションの機能を拡張する類のものだった。世界中のウェブサイトの四分の一はWordPressでできており、彼が共同創業者に名を連ねるオートマティック社は未上場で評価額は千億円を超える。その彼が来日する機会があったので、ぜひ聞いてみたいと思ったのだ。WordPressでできたサイトによって上場を果たした会社はどれぐらいあるのか? 拙い英語で尋ねると、マットは「聞いたことないよ」と驚いた顔で答えた。
「じゃあ、それは自慢してもいいのかな?」
私が尋ねると、マットは「もちろん。すごいことだよ」と答えた。
「それを彼らに伝えるよ。マットがそう言っていたって」
私はそう言うと、握手を求めた。マットは以前会ったときよりもずっと温和な表情で笑っていた。私はとても誇らしい気持ちになった。たしかに、多くのサイトがWordPressによって動いている。上場企業の多くがWordPressを利用していることも知っている。だが、WordPress単体で上場した企業はほとんどない。そして、私はそのための重要なソフトウェアを作成した。これまで費やしてきた、マニュアルの翻訳やノウハウやソフトウェアの公開などといった膨大な努力の末、世界的に見てそれほど多くない例を達成した。その事実がほんとうに誇らしかった。
結局のところ、私がそれを公表することは叶わなかった。クライアントは秘密保持契約を盾に、一切を公言してくれるなということだった。契約書を仔細に眺めれば、取引があること自体を秘匿しなければならない内容にはなっていなかったし、そもそもウェブサイトの構成ソフトなどはすぐに調べることができるのだから、公然の事実といっても良かった。しかし、すべてがどうでもよかった。私はただ悲しかった。WordPressはソフトウェアの更新があるたびに、それを利用するすべてのサイトで貢献者の名前一覧が表示される。その人たちの多くはボランティアで、なんの対価も受け取っていない。ならばせめて、その名を称揚されるべきだというのがオープンソースの文化だった。ビジネスをしていようがしていまいが、多くの人はオープンソースに多くを負っている。あなたのメールの秘密が守られるのは、おそらくあなたの知らない誰かがそうしたソフトウェアを開発したからだ。あなたがなにかを調べ、その答えを検索して見つけられるのは、そうしたウェブサイトを構成するソフトウェアをあなたの知らない財団が懸命にメンテナンスしているからだ。「その名を秘匿せよ」というクライアントの要望はそうした二十一世紀の哲学への冒涜のように思えた。申し訳程度の記名記事さえさせてもらえないのだから。
だが、こうしたこともいまは取るに足りないことに思える。私が破滅派という名前を掲げているのはそれが私達に与えられた傷であり、名誉だからだ。銀行で呼び出しがあるたび、人は笑うだろう。少なくとも、あと数年は。彼らにはその権利がある。だが、そうした人たちもいつか破滅派という言葉にそれ本来の意味を見出すようになるだろう。しょせん名前など名ばかりなのだから。
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