一 あるびの少女

歌 and ON(第1話)

高橋文樹

小説

4,643文字

雨の降る六本木の町をスーツに身をまとった老人が進む。なにやら人探しをしている様子。と、老人の目の前で若い女性が……。衝撃の七五調ヒップホップ小説、ここに爆誕。

捜し求める足音は小糠こぬかの雨を弾いて響く、辿り着くならいっそ鳴れ。れる靴底、朽ちる老身、盛んな雨もいつか止む。いずれ滅する運命さだめなら、今だけは降れ、賑やかに。

……などと悲愴に、爺が一人、道を蹴立てる。婆娑ゝゝばしゃばしゃと歩く爺の顔色がんしょくは、思い詰めたか土気色。洒脱に掛けた黒い天鵞絨ビロード背広ジャケットの、肩口にざっと雨を受け、黒が一際濃くなった。中折帽に首帯タイも黒、白いのは襯衣シャツと髭だけ。単色調モノトーンなら棘ゝしいが、悟ったようなかんばせが、僅かに棘を和らげる。湯がいて灰汁あくを抜いたよな、脱俗さっぱりとした雰囲気は、独立独歩、唯我独尊、頼らぬ生の賜物か——。

左様そうは言っても、懐中ふところに、断念あきらめ悪い神頼み。

夏の終わりが近付けば、待ち人来る——懸けまくもかしこき上野弁財天、引いた籤にはそう在った。半世紀前の戦火に巻き込まれ、捨てた心算つもりの神頼み——とは云えど、消息が風評うわさ程しか無いのなら、紙切れを信じて試たくなりもする。其れで老身引きずって、えいや、と出掛けて試れば、雨。まあ良い——と、独白ひとりごちては中折帽を目深に冠り、歩み行く。

蹴立てる道は六本木通り。其の面影も、時代の声に掻き消され、乳臭い飲み屋の女と黒服と、異人の影が入り混じる。然し今更、惜しむ気も無し。嬌声上げる黒服を一顧だにせず、「巴旦杏アマンド」という麺包パン屋の辻を北へ折れ、其処で見送る女が一人、青銅ブロンズ像で「奏でる女」。向かうは歌小屋クラブ、「涅槃島アバロン」と云う。

持ちたる黒のかわばこが、雫まとって光沢つやめけば、映る街灯ネオンの万華鏡。風評うわさに聞いた消息は、雨の飛沫しぶきに消えた先、と数えて折れる、僅か三間みけんの通り道。宿屋ホテルアイビス」、「元寿里穴ヴェルファーレ」、西公園と、狭い割りには名所が多く、賑わう事も頻りと聞くが、今宵は何故か、人影まばら。

と、突然、厚い静寂しじま動機エンジン音がつんざいた。爺は鼓動を急き立てて、其処なる闇に目を凝らす。

原付の下品た唸りがこだまする。股を開いて二人乗り、口に洋風呂敷バンダナ、眼に色眼鏡サングラス、おまけに帽子が影になり、面相おもかげさえも視て取れない。

年端も行かぬ青臭い手が掲げる物は琺瑯エナメル鞄。晩夏の街灯照り返し、輝くGの紋章で、女物、高級品と視て取れる。飾りで付いた銀の鎖が、微燦ちらりゝゝちらりと闇に舞う。

物盗りと気付いた頃はもう遅く、疾風はやてのように走り去る。肩越しに見た標識ナンバーは、視線を避けて反り返り、暗記する視線を撥ね付ける。大通りまで僅かに五秒、怒号を上げる暇も無い。

儂も老いたと痛み入り、苦捨くしゃっと掴む中折帽。戦場で死に花咲かす覚悟を決めた、あの頃ならば逃しはしない。否、左様そうじゃない。物盗りが在れば当然、被害者が——。

兎も角、視れば、十歩先には傘も無く、女が一人、濡れそぼる。憑かれたように漂ゝふらふらと、濡れた背中も寂しく細い。老婆心など反って悪い、人にゃ濡れたい時が有る——等ゝなどなど、爺、都会の風を吹かせて試るが、情けを惜しむ歳のさが。遅きに過ぎる人助けだと声を掛ければ、其の眼が余りに朱くって、声が出る。

「あ、脅かした。御免なさい」

とこう、反って心配される。

「何と、白子か」

不意を突かれて口を出た言葉に、女……いや少女おとめ、ふ——とこう笑う。黄泉よみがえりにも似た白さ。此処は晩夏の六本木、季節外れを承知の上で、敢えて描くならはだの雪。

左様そうなの。御免、仰天びっくりさせて。奇形なの。こういうの、白化変種アルビノなんて云うんだよ。知っていらした、御爺さん」

齢の鎧で隠した算段つもりの隙間を突かれ、ぎょっとした。並みの渡世じゃ遭わぬ類の変り種。他人ひと胸中こころを見抜いたような先手の謝罪も丁重で、悟った風情、落ち着きが増す。

いやあ、何、此方こちらこそ、声を上げたり、驚いたりで、体裁無みっともないな」

慌て打ち消し、好々爺然、案じ顔など装うが、元が頑固じゃ板にも付かず、上手く行かない。ならば一転、開き直って、笑い飛ばした。

「知ってるも知らぬも何も、白子だろ。其の白さとて神の御利益。蛇なら神の御使いで、虎なら天然記念物。今宵は何と有難い」

爺が打った柏手かしわで二つ、ぱんと弾けて、繁華の街に沁み渡る。

「そう良い物じゃないけどね。肌だって、白いだけなら綺麗でも、此処まで行くと行き過ぎよ。気持ち悪いわ」

少女おとめの腕を眺めれば、人工物つくりものめいた白さに静脈の青が浮かんでぞっとする。

左様そうでも無いさ。其の服と良く合っている。其れに言うだろ、肌の白いは七難隠す」

少女は翻然くるりと首を向け、背を見下ろした。浮然ふんわりと、裾の広がる一枚服ワンピース、悲しい風合い、すみれ色。迷い美人に良く似合う。然し其れより眼を引く物は、捻った首の後ろ側、引っ詰め髪で露わに成ったうなじの細さ。眩しい白の頭聴器ヘッドフォンから伸びた導線コードが纏わり付いて、思わずきゅうと絞めたいような。当人は、そんな視線に気付きもせず、自分の服をめつすがめつ、最後に突掛ミユール固突こつんとやって、やっとこさ、安堵の気配いろを見せ笑う。

有難ありがとう。御爺さん、優しいね」

其の途端、少女の相貌かおが、一転崩れ、涙顔。泣いていたかは聞く勿れ、如何せ雨、濡れてしまえば解らない。頑固な爺は愚ゝおろおろと言い迷ったが、捻り出す言葉はきつい。

「おい、弱虫め、傘は何処だね」

少女は口をへの字に曲げて、目頭を其の手で拭う。汗に融け出た睫墨マスカラが、薄墨色のくまと成る。愚啜ぐすんと一つ、鼻が鳴る。

「嗚呼、如何したっけな」

と、少女は、付近あたり見回し、探して試るが、気はそぞろ、眼は曇り。泣かしたか——などと爺は、気不味い悔いに目を逸らし、其の勢いで四方見回し、眼を止めた。車道の上に咲いているのが傘の花。おう、あれか——と、柵を乗り越え、車道を行けば、寸手すんでの所で車に轢かれ、視るも無残に折れ果てた。

「御爺ちゃん、もう良いの、傘なんか。安物だから」

「其れなら嬢ちゃん、此れ使え」

「良いんだってば、直ぐ近くなの」

「遠慮はするな、面倒だ」

本当ほんとに良いの」

「解らん奴だ。袖触れ合うも面倒付手ついで、送ってやるよ。何処どこまでだ」

少女の赤い唇が、何処まで——と、自問する。眺ゝきょろきょろと付近見回し、放衝ぽかんと思い当たったように視線を落とす。

「直ぐ其処までよ」

ぴんと伸ばした少女の指を眼で追えば、指した先には薄明かり。入り口で無花果いちじくの木が対になり、漏れる灯りの神々しさと近寄り難さ。名にし聞こえん歌小屋の玄関口は、熱き女神ミューズ火陰ほとに似る。

涅槃島アバロンか。一緒だな」

と、爺が髭を弄くれば、有り得ないよ——と、少女が嗤う。

虚言うそを吐くのが上手いんだから。無理して合わせちゃ、後悔するよ」

虚言うそなもんかよ。涅槃島アバロン暗誦そらで名前を当てたじゃろ」

真正ほんとに行くの」

と、少女は口を手で覆う。指が白い。其の隙間から、あかの唇。爺の頬に、狡猾ずるい笑いの皺が寄る。

「年寄りが歌小屋クラブに行っちゃ悪いのか」

「悪くないけど、何するの。こんな音楽よ」

そう言って、耳から外す頭聴器ヘッドフォン、爺の耳に挿し入れる。白い導線コードの繋がる先は、襟元、胸の薄暗がり。懐中ふところに抱く音楽筒iポッド、さぞや大事な曲だろう——と、思えば、耳をつんざく大音量。

 

何方どっち付かずのままじゃ蝙蝠    黒さに紛れ再度また悪乗り

孤独が嫌で群れに籠り      羨むのは羽ばたく渡り鳥

這いつくばっても醜い蛇     脱皮して新しく黄泉返り

重苦ヘビーな日ゝ明日も多分メイビー      なんて溜息吐いて進む荒れたウェイ

怯えて逃げんな唯の案山子スケアクロウ    逃げる狡猾ずるさが増やす苦労

遠くでかあと恨みの節回フロウ     枝に止まり、やり過ごせ突風ブロウ

他人の夢に乗ってちゃ獏     膨ゝばくばく食べて休む暇無く

馬鹿ではねえと自己満足じこまんしちゃう 飛び出す気無いなら即蹴っ飛ばす

 

喚きな騒ぎな足掻きな動物人間ズーロジカル・ピーポー 今宵は成りな饗宴人間パーティー・ピーポー

任しときな俺ら動物園管理者ズーキーパー……

 

解らぬ風の溜息吐いて、引っ張り外す頭聴器ヘッドフォン

「御経を怒鳴りゃ、こう成るな」

「踊れるの。だよ、心臓止まったりしちゃ」

「踊れと云えば、喜んで。此方こっちとら、戦前生まれの死に損ないよ」

「え、死に損ない……」

少女は眉間に皺を寄せ、案じる顔は聖母にも似て、膚が雪なら百合にも似たり。

「何だか恐く成っちゃった。一体何をしに行くの、死ににでも行くんじゃないの」

一寸ちょっと野暮用。御嬢ちゃん、貴女あんたは何だ」

百合リリィだよ」

百合リリィと来たか。源氏名風だ」

其の華は、ふふふ——と軽く微笑んで、差し出した爺の傘に滑り込む。年甲斐の無い相合傘は照れ臭い。然し、少女は其んな事など気にもせず、紙魚しみ、皺、苦労で汚れた腕に、真白の腕を素流麗するりと絡め。

「じゃあ、行きましょう、御爺ちゃま」

言葉尻には色香が匂う。寄り添う脚もしゃんとして、儚い気配は消え失せた。現世うつしよの酸いも甘いも噛み分けた、一筋縄じゃ行かない様子。見据える眼には、芯の強さがしゅに滲む。きゅうと結んだ引っ詰め髪、うなじには後れ毛三本清ゝさやさやと、街灯ネオンの下で絹と成る。鼻と顎先すっと伸び、撫でたいようなたおやかさ。とは言えど、脱俗すっきりし過ぎた感も有る。肌の木目など、滑然つるんと剥けたうで玉子、尾篭びろうを承知で喩えれば、脱皮直後の女蛇。気を抜けば骨の髄まで吸いそうで、粟立つ肌も嘘じゃない。

出会いの脆さと真逆さかしら印象みために困り、突掛ミュールの先を眼で舐め上げた。其の眼が空いた手に止まり、急に発端はじめを思い出す。

左様そうだ、鞄だ」

「左様、先刻さっき、原付に強奪ひったくられた」

矢張やっぱりか。迂闊も迂闊、直ぐ警察に連絡だ」

「もう良いの。逃げちゃったしね。顔も見てない、声も聞かない、日本人かも解んない」

其れでも——と、爺が言えば、百合リリィいよよ意固地になって、新たな強さを見せつける。

「良いんだってば。其れよりさ、可哀想だと思うなら、金子おかねを貸して。涅槃島アバロン入場料エントランスを払ってやって。お願いよ」

自然な媚に、爺不思ゝゝついつい含笑にやけ顔。慌てて襟を否斜ぴしゃっと正し、懐手ふところて、取り出だしたる、伝家の宝刀、老人用携帯電話かんたんケータイ

「念の為、警察おまわりにでも云っとくか」

「駄目ゝゝ、止めて」

百合リリィは携帯強奪ひったくり、爺の胸の内袋ポケットさっと滑らせ、其の付手ついで花然はらりと肩にしなれ掛かる。肩の先には女の肉の柔らかさ。

「何だ、嬢ちゃん、訳有か」

「ま、左様そういう事で。そんな事より、御爺ちゃんの御名前は。私まだ聞いてない」

態ゝわざわざ名宣り上げるよなもんじゃない。何なりと、お好きなように呼べば結構」

百合リリィぱっと破顔一笑、良いの、そんなに格好付けて——と、其の謂いも亦、艶美つややかに。まなじりは優しく緩み、恰も絵師がすっと描いた筆跡。其の笑みがほどける刹那、細い声音で一言——脆弱モロイ

「何だね、其れは」

「御爺ちゃんの御名前よ。脆弱モロイ、ほら、返事をしてよ」

「誰の名だ」

百合リリィ答えず、誰かしらね——と、とぼけた笑みに、瞥然ちろりと出すは柘榴の舌で、目の覚めるよな朱さの所為せいで、爺益ゝ迷信深く。蛇にしちゃ、随分膨柔ふっくらした舌だ、触れたいような気さえする。其の考えが掴めない、良くて妖精、悪くて魔物、神仙めくのは白さの所為か。

「不思議なだな。涅槃島アバロンに天女の舞いを踊りに来たか」

「一寸野暮用」

「はは、可愛いひとだ」

白子、妖しく微笑んで、下唇に血かと見紛う舌が這う。そして亦、傾ぐ頭で濡れる毛も、宵の湿りを吸い込み朱く、頼り無い。

何歳いくつだね」

何歳かな——と、とぼけて試ても、いずれ二十歳は回るまい。よわい併せて百を超え、因縁めいた道の連れ。白い少女は吉兆か、はたまた非道い凶兆か。

ままよ、どうやら雨も止み、湿気も霧に姿を変えた。どうせ視にくい爺の目、謎めけば反って視える道理もあろう。立ち込める霧に灯った明かりの先は、奇怪な音で乱痴気騒ぎ。降りた地階が地獄でも構うものか——と、気勢も上がる。背広の爺、期する所が有るらしく、無花果の門を通った其の刹那、かんばせの皺が愈ゝいよいよ深くなる。

今宵きょう生演奏ライブが在るみたい」

入り口で少女は壁に顔を寄せ、見入るのは白抜き文字の広告フライヤー。爺も横から覗き込み、生演奏ライブの題目其の侭訳し……混沌夜こんとんや

「どんな生演奏ライブだ」

「解んない。取敢えず、行って試ようよ」

少女は腕を強引ぐいと引き、老いたる脆弱モロイを地階へ誘う。薄暗がりの階段で、膚も粟立つ重低音。怨念怨おねのん怨念怨念怨おねのねのん怨念怨おねのん怨念怨念怨おねのねのん……。

2015年8月14日公開

作品集『歌 and ON』第1話 (全8話)

歌 and ON

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© 2015 高橋文樹

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