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破滅派20号「ロスジェネの答え合わせ」応募作品

曾根崎十三

小説

14,006文字

私はロスジェネじゃないから。いくら考えたところであなたの気持ちは分からない。

「『ロスジェネが怖い』という悲鳴」

そんな見出しを見た。何かのビジネス誌のネット記事だったと思う。あなたのお陰でメディアでロスジェネが再注目されている。ロスジェネ会社員は厳しい時代を生き抜いているのでパワハラ上司になりやすいのだという。被虐待児が虐待の連鎖を生み出すのと同じ理屈だろう。そういうやり方しか知らないから。そうは言っても自分の会社にはそんなにロスジェネがいない気もするし、パワハラするのはロスジェネかどうかは関係ない。

会社の問題おじさんも問題おばさんも大体ロスジェネだった。人の話を聞いてない。メールを見ない。それなりに仕事はできるので干されてはいない。いや、降格させられた人もいるな。聞きもしないのにキャバクラでの自慢話を聞かせてくるし、コロナウィルスは非実在ウィルスだと大真面目に語ってくるし、ロスジェネおじさんもロスジェネおばさんも大体難があった。かと思えば、叩き上げで本社の幹部の座に着いているロスジェネおじさんや、史上初の女性ポストについたロスジェネおばさんもいた。ロスジェネの中で格差社会が発生している。どの世代だろうと格差はある。

でも就職できているという点で職場の問題おじさんおばさんも格差社会の勝ち組側の存在なのだ。現時点で非正規で働き続けているロスジェネは年金もほとんどもらえる見込みがないらしい。

ロスジェネなんて怖くないのに。怖い人は怖いけど、ロスジェネかどうかは関係ない。バブルだろうとゆとりだろうと上司は大体怖かった。出来る奴というのは、自分にも他人にもほどほどに厳しくできる人間だ。

窓際の植木鉢にネイルチップが刺さっている。綺麗に五本並んでいる。私はそれに水をやる。忘れないようにしていた。でも今は忘れたくても忘れられない。変わり映えしない。しかし、爪の欠片は成長すると大きくなる、と私は思っている。あなたの爪を私は土に埋め、水をやっている。そのうち手になったり腕になったりするのだろうか。いや、成分が違うので無理があるだろう。爪は爪のままだ。このまま伸びたりすることはあるかもしれない。世界最長の爪も一爪一メートル程度はあったはずだ。日常生活で使うことがないのでもっとのびのびと伸び続けるかもしれない。

「そもそも爪って植えたら大きくなったりするんですか」

爪に聞いてみた。

「ならなくもないんじゃないですか」

「随分と遠回しな言い方ですね」

「爪なので」

爪の受け答えなどそんなものなのだろう。いつものらりくらりとしたことしか言わない。脳がないからだ。あなたの考えていることが全部分かれば良いのに。

私は目を閉じ、またあの日のことを思い出す。何度反芻したただろう。あなたのせいで、すっかり色褪せていた思い出が再び色濃く思い出されている。そして、思い出し過ぎて脚色している気もする。現在と分断された思い出はどんどん美しいものになり、ありのままの姿ではなくなってしまった。現実ではないということはそういうことだ。随分遠くまで来てしまった。

当時高校三年生だった私は薄汚れた子猫に餌をやっていた。目ヤニで片目が開かない子だった。母親とはぐれてしまったのだろうか。茂みからニャ―ニャーと微かな声が聞こえて近寄ると、その子はいた。怖いもの知らずで私から逃げようともせず、撫でてやると気持ちよさそうにしていた。一度は見なかったことにして家に帰った。しかし、すぐに気になってしまった。牛乳を持って行こうとしたが、ふと思いとどまってパソコンで牛乳を与えて良いかを調べ、ダメであることを知り、近所のペットショップで猫用ミルクを買い、子猫を探すと、すぐに茂みから人懐っこく出てきた。

「猫ですか」

突然、背後から男の人の声がした。それがあなただった。私は驚いてビクッと身を固くした。振り返らずに答えた。

「あ、はい。そうですけど」

「捨て猫ですか」

「いや、たぶん母猫とはぐれてしまったみたいで」

かわいそうなかわいい猫。か細い声で「にゃー」と鳴く。世の中の動物の赤ちゃんは保護してもらえるように神様がかわいく作ったのだ。誰かが言っていた。その通りだともう。家に帰ってもあのか細い声が耳に焼き付いて気になって仕方なかった。首をなでるとこんなに小さいのに一丁前にごろごろと喉を鳴らす。

「飼うんですか」

あなたは言った。

「いえ、私の家はペット禁止なので」

無責任だ、と怒られるかもしれないと思った。恐る恐る振り返ると、ちょうどしゃがみこんで近づいてきたあなたと目が合った。あなたの頭の後ろには満天の曇天が広がっていた。

「かわいい猫ですね」

あなたは猫を撫でた。

「私は猫アレルギーなので飼えません」

先生以外で「私」という一人称を使う男性を見たのはこれが初めてだった。聞いてもないのに、と思いつつ適当な相槌を打った。

「でも、猫が嫌いなわけではないので。少しなら平気です」

あなたは愛おしそうに猫を撫でた。猫は気持ちよさそうにしていた。私が撫でるよりも、あなたに撫でてもらった時の方が嬉しそうに見えた。そうして私とあなたは黙って猫を撫でたり、ミルクを飲ませたりした。心なしかあなたは鼻をズルズルと言わせていた。猫アレルギーだからだろう。そうやって無言で五分ほど過ごしてから、あなたはスッと立ち上がった。

「私は夕勤に行かなければならないので、失礼します」

一礼すると、どこかへ向かって歩き出した。夕勤、ということはバイトか何かだろう。私はあなたの後姿を見えなくなるまでずっと見ていた。あなたは一度も振り返らなかった。

それから少しして、私も子猫に別れを告げた。もう両親が家に帰ってきてしまう。受験生なのに勉強していないことがバレたら怒られる。「明日も来るからね」と私は子猫に手を振った。猫のか細い鳴き声が何度も聞こえてきて、戻りたくなる気持ちを抑えた。「明日行くから」と口の中で呟いて、振り返らないようにして歩みを速めた。

次の日、私は約束通り、猫に会いに行った。終礼が終わった瞬間、友達に声をかけられる前に猛スピードで学校を後にした。息を切らせて昨日の茂みに向かったが、猫はいなかった。さっと血の気が引き、慌てて周囲の道路を見て回ったがそれらしい死体も見つからない。茂みを探しても別の猫すら見つからない。この辺りにはよく野良猫がうろついていたのに。まさかまとめて保健所にでも回収されてしまったのだろうか。泣きそうになりながらうろうろとあちこち探し回った。

「いなくなってしまいましたね」

近所の公園を探しているところで、突然あなたの声がした。音もなく現れたので、思わず驚いて飛び上がってしまった。昨日の人だ、と思いとりあえず会釈した。気まずい。存在感の薄そうな顔なので気配を感じられなかったのだろう。可もなく不可もない当たり障りのないユニクロっぽい服を着ている。

「私もこの辺りを探してみたんですけど、いませんでした」

あなたは勝手に報告をした。かわいそうなかわいい猫はどこかへ行ってしまった。私が無責任に構うだけ構って置き去りにしたせいで、人の匂いで猫の仲間にも戻れず、危険を及ぼす人間から逃げる危機感も持てず、猫を酷い目に遭わせてしまっているかもしれない。年上で真面目そうなあなたには小言の一つでも言われるかもしれない、と身構えた。

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2023年10月17日公開

© 2023 曾根崎十三

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