馬鹿か煙か

曾根崎十三

エセー

4,905文字

書きたくなったのでエッセイを書きました。第二弾。
ドコモメールの下書きにバッて書いたのをコピペしたので改行がバグってますが気にしないで下さい。

高いところが無理だ。本当に。
厳密には足下の不安定な高いところが苦手だ。なので展望台や、タワーの床が透けてるタイプのものとかは意外といける。しかし、観覧車と飛行機は恐怖と共にある。ぐらぐらしているものは落ちる恐怖がある。
しかし、そのくせ高いところに行こうとしてしまう。観覧車を見たら「乗ってみたい!」と思うが、近づくと怖い。飛行機に乗る前は腹痛を起こして何度もトイレに行った。飛行機事故の死体の写真を調べて余計に恐怖を募らせたりしている。
しかし私はすぐ高いところに行こうとするのだ。いろんな意味で。何かにつけて「やるなら上を目指す!」くらいの心構えを持っている。
小学生の頃、折り鶴が折れなかった。私の小学校は、修学旅行が広島で、毎年全校生徒で千羽鶴を折っていた。高学年のお兄さんお姉さんが、低学年の教室に来て、鶴の折り方を壇上からレクチャーしてくれる授業があったのを覚えている。言われた通りにやっても途中でついていけなくなる。なぜかめちゃくちゃしわしわになる。近くの席の子たちがフォローしてくれて、ゴールには辿り着くのだが、自力でできない。こういうのは女の子の方が得意だよね、みたいな話になるのだが、男の子になんとかしてもらっていた。手先が不器用でも運動ができれば良いのだが、体育もいつもほぼビリなので幼いなりに羞恥を感じた。
家庭科の時間で針に糸を通すのにも1時間かかった。これも「裁縫は女の子が得意だよね!」みたいな空気の中、最終的に男の子に通してもらった。恥だった。
そしてやってもらった私が何と言ったか覚えている。
「じゃあ私は折り鶴職人になる!」
今なら思う。「じゃあ」って、何やねん。何が「じゃあ」やねん。
「無理やろ」
と手伝ってくれた子に即答された覚えがある。
残念ながら、私は今、折り鶴職人にはなれていない。しかし、何も調べずにしわしわじゃない折り鶴を折れるし、脚付き折り鶴もやり方を見ながらならできる。脚付き折り鶴は半年くらい前に小1の甥っ子と、幼稚園児の姪っ子に大ウケした。ある意味職人かもしれない……。何の職人かは分からない。
その習性は成長しても受け継がれた。小学生の時も中学生の時も何かと学級委員長をやりたがって、名ばかり委員長をしていた。中学生の時はなんかクスクス笑われてたけど、誰もやりたがらない中立候補して選挙管理委員長をしていた。実力が伴ってなくても「長」にはなれるのである。皆やりたがらないので。
これは自慢なのだが、文芸部の部長は実力だったと思う。人望と活動貢献度的に。あんまり覚えてないけど学年会で話し合いの後、ほぼ満場一致くらいの感じで決まったのを何となく覚えている。あれって私しか立候補してなかったんだっけ? 他の役職はまあまあ話し合った気がするけど、部長に合うように配置した方が良いみたいな話になった気がする。無駄にマンモス文芸部だったので、いろいろ運営業務があったけど、何もかも楽しかった。昼休みの幹部会が白熱しすぎるも、いつも次の授業をサボっていたのて、その授業の単位を落としたりしていた。でも何でも「やってみよう!」の精神が基本だったし、自らの手足を動かすタイプの部長だったので「一番楽しい代だった。ありがとう」とか先輩からも言われてめっちゃ満足している。なんか老害ぽい雲行きだ。過去の栄光の話をしだすと人間はおしまいです。まぁでもまたこれが多分成功体験になっていて、そこに引っ張られてるんだと思う。また話が同じ展開やん。
仕事でも「トップになりたい!」と働いている。でも実力が伴っていない。トップになってどうするのか聞かれるが「社員が楽しく元気に安心して稼げる幸せな職場を作る」とうっすい回答をして根掘り葉掘り聞かれる。本心ではある。部長の時もそうだった。自分のもとで活動している子(大半成人しているが)たちを愛しているので、皆に楽しく元気に安心して活動してもらえる幸せな部を作りたいと思っていた。何も変わっていない。根本的には、とにかく上に行こうとする、馬鹿と煙の習性なのだが。
とはいえ、折り鶴よろしく、それなりに昇進はしているので、職人ではないものの、成果はないわけではない。ゆっくりでも上がっているなら、上がっているうちに入る。
高いところ、というのは得もできる。マスコミも会社も結局権力者に取り入れる人が得をする。特ダネをいち早く仕入れられる。情報というのは力だ。情報には高い価値がある。同僚でも公表前に権力者と仲良い人だけがそれを知っていて、その人の話を聞いた人から話を聞いた人らへんからいつも話を聞く。何なら事後で「実は○○さんは権力者から聞いたリーク情報で知っていた」とか知ることがある。それがマジでダルい。ほんまうざい。嫌いやわぁ。権力者なら漏らすなや。墓場まで持ってけ。言うなら全員に言え。いらんイザコザを生むねん、とは思うが、イザコザを感じている界隈は小物すぎてどちらかというと一方的に不満を感じているだけなので権力者界隈からすれば視界の端にすら止まらないのだろう。それなら、自分が権力者になればええやん、と思う。そんなになれてないけど。金! 富! 名誉! 欲しい!! この高みに私は登るのだ!
高みといえばよく山に例えられるが、山にはそれほど意欲はない。「登ろう!」となったら「登るぞ!」となるくらいの好感度はある。いや、そもそも球技と高所と絶叫マシン以外は何でも「お、やってみよう!」とはなるので山の好感度は別に関係ないかもしれない。いやいや、山があったらとりあえず入るのでそこそこ好感度はあるのかもしれない。
破滅派に来たのも「こんなにレベルが高い作品だらけの所に参加したら、自分も腕を上げざるを得なくなって、実力が上がっちゃうに違いない!」という軽はずみな向上心からである。いくつか投稿サイトの人気作品やイベント(合評会)作品を読んで、明らかに格が違うのが破滅派だった。
破滅派の合評会も毎回「よし! 優勝するぞ!」という気で来ている。優勝した時に決める次のお題を何となく考えながら参加しているが、1回しか優勝したことがない。その1回も参加してない人で「めっちゃ上手いな!」と思う人がいてたので、自分の中であまり優勝として受け入れられていない。
破滅派の高橋編集長は国語便覧に載ると言っていたが、私は幼稚園か低学年の頃に「お札(紙幣)に肖像画を載せられる有名人になる」と言っていた。親に「お札に載せられる人はみんなもう死んでる人だよ」と言われ「じゃあ生きてる状態で載せられる初の人になる」と言ったのを覚えている。こうして回想すると人生でなんやかんやある前はなかなかの異常ポジティブ型の人間だったと分かる。今思うと、日本で実現するには独裁国家でも作らないと無理そうである。いや、よっぽどのことがあったら記念紙幣くらいはいけるのではないか。諦めるのはまだ早い。手始めに破滅派の優勝を刈り取るとこらからいかねば……。
でも、不安定な高いところというのは怖いのである。
飛行機に乗るときにお腹ピーピーになるくらい恐怖だ。「人生の重要な局面で猛烈な下痢の腹痛に襲われる」気分を描くときに思い出して参考にするくらい内臓にキていた。乗ってからも冷や汗ダラダラだった。単純に高いところが無理なのだ。でも乗れる。お腹を壊し、滝汗冷や汗でも、飛行機に乗れる。
というか、どんな意味であれ、足下が不安定な高いところに行くというのは魅力的であり恐ろしいことでもある。破滅派で優勝した時も「次はもう二度と優勝できないかもしれない」と思ったし、昔会社の何かの実績で1位をとった時も絶えず抜かされる恐怖とプレッシャーがあった。今の肩書きも「次に来る上司には『なんでこんなポンコツがこのポストにいるんだ! 降格さしちまえ!』と思われるかもしれない! 思われないように気を引き締めて働かねば!」と毎日出来ないこと一つ一つに恥を感じながら生きている。どういうパターンであれ落ちることは恐怖だ。じゃあ起業したらええやん、高い役職で辞める奴は大体起業するのでなんかこうハイレベルなんだと思う。言うこと聞かなくて良いし、誰にも怒られないし。しかし、誰にも怒られないのはそれはそれで問題だ。不幸でさえある。自分一人では気付けない過ちに対してのリカバリーが遅くなり、手遅れになってしまう。自分のような注意散漫型人間にはキツいのでは。手伝いのために他人を雇えばその時点で下克上の恐怖が出てくる。じゃあ何ならできるのだろう。教員免許をとる時に「教育実習をして教師は無理だと思った」と友達に言ったら「え、じゃあ何だったらできるん? 何かできることあんの?」と言われてとりあえず免許だけはとったし、めちゃくちゃやる気のない就職活動もしたけど、教員免許はとってから一度も使ってないペーパー中高国語教員免許なのでマジで意味がなかったと思っている。これまだ使えるの? 切れてるんちゃうかな? 就職活動も面接でいきなり飛んだり、会場内にある展覧会に行ってから面接に行って説教されたり、本当に悪い就活生だった。働きだしてから痛感している。そんな面接希望者は本当にカスだ。交通費を金ドブするだけの就活生。面接は苦手なのに練習も全くしない。苦手だからやりたくない、と逃げ続けた。自業自得でなかなか就職できず、セ○ンイレブンの○塚○の町店のブラックコンビニバイトでめちゃくちゃこきつかわれていた。本当にあそこはブラックだった。最低賃金で時間外労働と罵声と暴力の溢れる軍隊だった。当時はなぜか「社会に出ても耐えられるように訓練してやっている」「お前を雇ってくれるところなんか他にない」と言われ「なるほど!」と納得していた。確かに、面接が苦手すぎてたかだかアルバイトの面接で10社落ち、その後雇われたラーメン屋のバイトはあまりにもドジっ子属性を遺憾なく発揮しすぎて2週間で店長から「お互いのためにならない」と別れ話みたいなトーンでクビにされて、ようやく雇われて4年くらい働いたコンビニだったので、コンビニで言われたことはある意味正しいといえば正しかったかもしれない。確かにクオリティの高い店だった。近隣店舗の中でも集客も売り上げも良く、お客様満足度は高かった。それでも、騙されてはいけない。最低賃金のアルバイトに文字通り罵倒と暴力という鞭を打って提供しているクオリティなのだ。もう10年経つが、あそこには買い物でも絶対に行きたくない。
何だったらできるのだろう。小説だけは昔から褒められていたので続いている。私の好きな倉橋ヨエコも何でも失敗続きだったが歌だけは褒められていたので「歌手になれるのでは?」と思って歌を続けたことで実際に歌手になったと言ってたし、私の好きな「ずっと真夜中でいいのに。」のACAねちゃんも負の気持ちを元に歌を作っていると言っており初期は本当にMCが壊滅的に下手で歌では急にパワフルになるので「歌が彼女にとっての外に向けて発せられる言葉なんだな。私の小説も、私にとって外に向けて発せられる言葉が小説だったし、私ももっと頑張ろう」と思っていたし、っていうか、何の話やねん。気を取り直そう。そうだ。高いところが無理って話だ。いや、そこに行くのだから、無理じゃない。無理って言ったらそこで話が終わってしまう。要は、苦手なのだ。恐怖の対象なのだ。
それでも、どうしようもなく高いところに心惹かれている。不安定でさえなければ良い。私はそこに行きたいのだ。足下さえしっかりしていれば、なにも怖くない。だからしっかりとした地盤を積み立てることさえできれば、なにも問題ではないのだ。丁寧な仕事を日々積み重ね、不安要素の少ない高みを築く。最高だ。私は高みそのものを目指しているのではなくその先の光景が見たい。観覧車や展望台に登るのも綺麗な風景を見たいからだ。飛行機に乗るのは目的地に行きたいし、雲の上からの風景も見たいからだ。高いところに行くことそのものが目的ではない。
しっかりとした足下で、その高みからの景色を見ることができれば、向かうところ敵なしである。

2023年9月26日公開

© 2023 曾根崎十三

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