溢れんばかりの

合評会2023年09月応募作品

曾根崎十三

小説

4,100文字

9月合評会「通勤中に渋滞に巻き込まれた話」参加作品。
前回の「人生の重要な局面において猛烈な下痢の腹痛に襲われる話 」との被り禁止とのことだったので、脱糞ネタを封じました。

車内のクーラーは効いている。冷えすぎているくらいだ。その冷えが彼女にダメージを与えている。刻一刻と危機が迫る。その様子を私はバックミラーを通し、生唾を飲み込んで見つめている。手に汗をかいて手袋越しでもハンドルが湿っている。

彼女が私の車に乗り込んだのは三十分ほど前だ。焦った様子の彼女に停められた。最初に見えた彼女は慣れない様子で手を挙げていた。挙げているのかよくわからない中途半端な動きだったので、大手同業者は既に何車か通り過ぎていたらしい。乗車後の彼女が言っていた。私が停まった時、彼女は半泣きに近い安堵の表情を浮かべていた。扉を開けるとそそくさと乗り込み、行き先を告げるなり、「会社の改装オープンの特別朝礼のためいつもより早い時間に到着しなければならないのに、寝坊で予定していた電車に乗れなかった」という旨の話を饒舌に語っていた。目的地は電車なら大回りしなければならないが、車ならすぐの場所だ。彼女はすっかり安心しきった様子だった。

しかし、予想外の場所で渋滞に巻き込まれ、彼女の運命は狂った。遠目に見る限り、今日から新しく工事を始めたらしい。昨日まで工事はしていなかったし、もちろん渋滞もしていない道だった。私には悪意も策略もなかった。ただ、幸運の女神が私に微笑んだのだ。

彼女は絶えず時計をチラチラを見ている。遅れそうなのが心配なのだろう。しかし、本当は彼女にそれ以上の危機が迫っているのが私には分かる。目が泳いでいる。焦点がおかしい。このタクシーを停めた時よりもはるかに挙動不審だ。顔色も真っ青になったり真っ白になったり真っ赤になったりと信号機よりもカラフルでせわしない。こんな表情をしていた人間を知っている。表情は賑やかなのに、それ以外は最小限におさえ、とにかく静かにしている。「人間の尊厳に関わる」とおそらく彼女は思っている。そんな表情をしている。今日寝坊しないように夜中と起き抜けにアイスコーヒーを大量摂取した、と言っていた。そのせいだろう。カフェインのせいなのか、水分のせいなのかは分からないが、どう考えてもそれがまずかった。悪意も策略もないところで、彼女は自業自得で窮地に追い込まれた。時間経過と共に口数が少なくなっていき、今は完全に無言となっている。呼吸すらも弱弱しい。恐らく少しの刺激で危険なのだろう。数分前に「降りて歩く」と言い出したが「本当によろしいですか。駅からも離れていますし、この辺はお手洗いのあるコンビニもありませんよ」と伝えると黙ってしまった。きっと今の彼女は車の振動ですら危うい。それならば、降りた方が彼女は救われるかもしれない。まだ隠れて放尿できる場所を探すという選択肢もある。しかし、降りたところで地面に降り立った瞬間に出てしまうかもしれないし、この辺りは見晴らしも良く、隠れられる場所もない。

私は、介護用吸水シートを持っている。運転席側と助手席側それぞれのサイドポケットに複数枚入っている。一度も使ったことはない。しかし、ここで介護用吸水シートを差し出したら私が変態だと発覚してしまう。この状況下で介護用吸水シートを差し出され、すんなりと受け入れて使用する女性はいないだろう。きっと彼女は軽蔑の眼差しで私を見る。通報されるかもしれない。彼女が尿意を催したのは全くもって私のせいではない。私は幸運に遭遇したラッキーおじさんに過ぎないのだが、いわれのない疑いを向けられるかもしれない。いや、「タクシーではよくある話なんですよ。こっちも車を汚さなくて済むように用意してるだけなんで気にしないでください」とでも言えば自然な流れになるだろうか。いかに何の気なしに吸水シートを提案できるかにかかっている。これは千載一遇のチャンスだ。放尿中は目をそらしているフリをしてバックミラー越しに観察すれば良い。いやいや、駄目だ。それは良くない。決して私がまじまじと見て良いものではない。私は変態だ。それはよく分かっている。いくら変態といえども、良識ある変態でありたい。良識のない犯罪者となってしまう変態のせいで全ての変態が社会の悪であるかのような迫害を受けなければならなくなる。決して変態は犯罪者ばかりでないのだ。世の手本として振る舞うべきだ。私は変態代表として真摯に紳士であろうと努力することができるのだ。

何年か前、客に利尿剤を入れたチョコサンドクッキーを食べさせ、繰り返し失禁させていた変態タクシードライバーが逮捕された。その当時はとんでもない変態犯罪者だと話題になっていたが、今も覚えている人はきっと少数だろう。世間からは忘れられてしまった。しかし、私は忘れない。逮捕された彼は介護用吸水シートを持ち歩いており、失禁しそうな客に介護用吸水シートで放尿をさせては悦びを感じていた。彼は今頃どうしているのだろう。刑務所に入って罪を償っているのだろうか。それともお金で解決したのだろうか。まだ裁判中だろうか。とても他人事には思えなかったが、結局は他人事にすぎなかった。私はきっと彼と同じ嗜好をしている。しかし、私は彼と違って実行はしない。できない。そんな度胸はない。妄想をしては自慰にふけっているだけだ。健康的で安全な模範的変態である。彼は変態の面汚しだ。彼のことを恨めしく思う反面、私は羨ましく思わずにいられなかった。犯罪者になってでも叶えたい夢を叶えられたのならそれはそれで幸せなのではないか。どれほど幸福な風景を彼は焼き付けたのだろう。羨ましくてたまらなかった。そうだ。どれほど否定しても、私は彼が羨ましい。その証拠に私の妄想のほとんどは私が彼になって、客を介護用吸水シートに放尿させたり、失禁させたりするものばかりだった。そんな夢を見て夢精していることすらあった。

彼女のためにもクーラーをゆるめてやるべきだろう。それが紳士の振る舞いだ。しかし、私は気付かないふりをしている。キンキンに車内を冷やしている。彼女の口は半開きのまま震えている。冷えているのに彼女は汗をかいている。こんなに汗をかいては膀胱に湛えられた尿が減ってしまうかもしれない。いけない。一滴でも無駄にしたくないのだ。もったいない。それはずっと変わらない。私が小学生の時、隣の席のあけみちゃんがおもらしをしてしまった。思えばそれが私の原体験だった。騒ぎ立てるクラスメイトを尻目に私は雑巾でおしっこを拭いた。その時の私は真剣だった。真剣な私に感化されてか、騒ぎは次第に小さくなり、担任からも褒められた。しかし、私は皆が思っているような模範的人格者ではない。決してあけみちゃんを可哀想に思って優しくしたわけでも、馬鹿にするのは良くないと憤ったわけでもなかった。私はあの時、あけみちゃんのおしっこがこんなにこぼれてしまってもったいない、というその一心で必死に集めようと躍起になっていただけだった。幼いながらもあけみちゃんの羞恥と屈辱にまみれた顔をはっきりと覚えている。私はその表情が見たかった。誰にでも優しく、どんな駄目なやつの面倒も見て励まし、動物からも好かれる、穏やかなあけみちゃんが絶望していた。あの表情。私の胸は高鳴った。その顔をじろじろと直視することなどとてもできなかったので、絶えず横目で盗み見ていた。盗み見ながらおしっこを必死に集めていた。いつでも、あの時のおしっこの感触とツンとした匂いだけははっきりと思い出せる。それだけ夢中だったのだ。その時から、いくつになっても女性のおもらしに囚われていた。AVもおもらしモノばかり見ていた。でもおもらしの後の性行為には興味がわかず、飛ばしていた。ただただおもらししている場面だけで良かった。それだけで興奮できる。それにAVのおもらしは芝居じみていたり、変に堂々としたりしており、私にとってしっくりくるものがほとんどなかった。尿意に耐えて顔色を白黒とさせている場面をもっとじっくりと描いて欲しい。簡単に放尿しすぎなのだ。作り物はこれだから物足りない。ショッピングモールなどに行くと女子トイレが行列になっていることがある。行列を見つけるなり私は遠目に観察せずにはいられない。その中には、現実として尿意を必死に我慢している女性が混ざっていることがある。ざっと見るだけですぐに分かる。尿意ソムリエの試験があったらきっと合格しているだろう。私はその人を横目で追い続ける。しかし、今の所、漏らした人はいない。私の目の前で本当に漏らした女性はあけみちゃんだけだ。

目の前の車がゆっくりと動き出した。またすぐ止まるだろう、と思っていたが、そのまま緩やかに速度を上げて行く。ああ、なんということだろう。渋滞が終わってしまった。ミラーに彼女のほっとした表情が写る。全てが、もう終わってしまう。夢のような幸福が、またとないチャンスが、指の隙間から滑り落ちて行く。確かに手元にあったはずだった。しかし、失ってしまった。

「ここから飛ばせば間に合いますね」

思っていることとは裏腹に私はアクセルを踏んだ。振動で彼女が漏らしてくれることを心の底では願っていたかもしれない。私なりの最後の悪あがきだった。しかし、彼女は漏らさなかった。そのまま目的地に着いた。彼女は耐えた切ったのだ。ちょっとくらいは漏らしたかもしれない。私には認知できないほどに。そんな浅はかな希望的観測をすることしかできなかった。大半の尿は彼女の膀胱に湛えられている。その存在に思いを馳せる。

小声で「ありがとうございました」と彼女は料金を払って車から出て行った。振動でさらに何滴かは漏らしているかもしれない。その尿は彼女のパンツに染み込んでいる。私には見えない所に。膀胱にあろうと、パンツに付着してようと、その尿は私には届かない。

Uターンをして彼女の会社が見えなくなった所で、路肩に停車させた。大きなため息をつく。私はどうあがいても彼にはなれない。サイドポケットに入っている介護用吸水シートを広げた。尿一つない。綺麗な状態だ。

私はベルトを外し、パンツを下ろした。まっさらなシートに性器を乗せ、力を込める。

驚くほど大量の尿が出た。

2023年9月18日公開

© 2023 曾根崎十三

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"溢れんばかりの"へのコメント 7

  • 投稿者 | 2023-09-18 12:37

    傑作だと思いました。「こんなに汗をかいては膀胱に湛えられた尿が減ってしまうかもしれない」というところが特に良かったです。

  • 投稿者 | 2023-09-19 16:11

    リード文では、そういう風にはしないと書いてあったけど、それすら前振りだと思って読んでました。いやこれは絶対に無理だろって。漏らすだろうって。嗜好的にも。これは絶対に出しちゃうんだろうって。でも、本当に出さなかったんで、本当にやらかさなかったんで。何だろう。残念? いやいや、良かったです。あと運転手の人が最後に大量に出したのでよかったです。

  • 投稿者 | 2023-09-23 20:17

    まさかの放尿ネタ。
    中国奥地で長距離タクシーに乗っていた時、寒さで猛烈な尿意に苦しんだ記憶がまざまざと蘇り、この運転手許さん。だいたい介護用吸水シートでこの大量の小便が処理しきれるものかっ! と激怒モード。
    さまざまな変態を描いてこられましたが、尿意我慢を楽しむというのもあるんですね。
    自分は良識ある変態だと自任しつつも、犯罪に手を染めた同僚を羨んだり、千載一遇のチャンスを前に心が揺れたりと、細部まで目が行き届いていて変態ワールドを堪能しました。

  • 投稿者 | 2023-09-25 08:34

    またとないチャンスを理性で押さえつける変態の鏡、いや変態聖人のような運転手さんですね。小学校1年生のときにクラスのおとなしい女の子が先生にトイレに行きたいと言い出せずに漏らしてしまったことがあって、漏らしたときの悲しそうな表情に心を奪われたことを思い出しましだ。それが私の初恋でした。

  • 投稿者 | 2023-09-25 17:10

    大を封印して小に走る。なんという華麗な叙述トリックだろう。それにしてもどうしてこれほどまでに変態の心理を的確に表現できるのだろう。もしかして俺たちの思考が聞こえているのか?

  • 投稿者 | 2023-09-25 18:46

     渋滞というお題なら生理現象に見舞われる設定を誰しも考えるので、そこをまず捨てることが創作のスキルを磨くことにつながると私は思っている。
     乗客女性の年齢や容貌などが不明で、運転手の独白が饒舌すぎて説明臭いところも気になった。

  • 編集者 | 2023-09-25 21:22

    うんこのJuan、おしっこの曾根崎、と言うことでよろしいでしょうか。しかし私より話が綺麗で良い。やっぱりおしっこはいいね。

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