メメントゲリ

合評会2023年07月応募作品

曾根崎十三

小説

4,376文字

7月合評会「人生の重要な局面において猛烈な下痢の腹痛に襲われる話」応募作品。汚い話です。カレー食べてる時にウンコの話をされたくないタイプの人はタイミングを考えて読むことをお勧めします。
うんこの王道です。

私の人生に下痢は常に付きまとってきた。何度か病院へ行ったが、これといった異常は見つからない。人生の重要な局面は常に下痢と共にあった。私はただの肝っ玉の小さな健常者なのだ。小学生の頃も、作文で優秀賞をとって舞台に呼ばれた時に猛烈な下痢の腹痛に襲われ何度も生唾を飲み込みながら、壇上に上がり、降りた瞬間にトイレへ駆け込んだ。パンツを降ろして座った瞬間に黒部ダムの放水のような勢いでウンコが噴き出した。よく耐えてくれた。

文化祭の劇で脇役を務めた時も胃の下あたりがキューっと痛くなり、脂汗が止まらなくなり、息絶え絶えに台詞を吐き出し、舞台からはけた瞬間に転がり落ちるようにトイレへ駆け込んだ。舞台上で私の顔色は信号機よりもカラフルに変わっていたのではないかと思ったが、終了後も誰からも指摘されなかったので、思ったほど顔には出ていなかったのだろう。便座に腰かけ、いくら下痢を放水してもしばらくは残便感が残り、また波が来る可能性があるので、しばらく戻れない。結局、その時はクラスの劇が終わるまで戻れなかった。そのため、自分のクラスが最優秀賞をとっても、いまいち感慨がわかなかった。練習はクラスの皆とやってきたつもりだったが、泣いて喜ぶクラスメイトたちと距離感があった。とにかく本番に弱い。下痢のせいなのか、それとも下痢のせいにできるよう体が予防線を張っているのかは分からない。本番直前からキリキリと胃が痛み、そのうちに、下腹部がキュルキュルしくしくキューっと痛みだす。今度こそは、と何度もトイレに行き黒部ダムの放水をして、もう出すものがないようにしておこうとしても、結局は出てくる。食事を抜いても出てくる。栄養という栄養、水分という水分を抜き取っても、この身を削って下痢噴射するのが容易に想像できる。

高校受験の時は試験中に手をあげて体調不良を訴えようかとも思ったが、途中退出後はカンニング防止のために席に戻れないという噂を聞いたことがあったので、血、いや水下痢が滲むような冷や汗をかきながら、なるべく腹を庇う姿勢で試験に出続けた。徐々にうんこが思考を蝕んでいき、思考がまとまらず、何度も凡ミスを繰り返しては消しゴムをかけ、書き直した。常にうずくまるような姿勢をしていたせいか、試験官の先生に、具合が悪いのかと声をかけられたが咄嗟に「大丈夫です」と答えてしまった。後悔した。呼び止めて「やっぱり大丈夫じゃないです」と叫ぼうかとも思ったが、そんな勇気も声も出なかった。大きな声を出せば衝撃で肛門からの黒部ダム放水が始まりそうな気がした。肛門に力を入れることでなんとか食い止めている。くしゃみをしてもうんこがコンニチハしてしまうだろう。肛門がひくひくとしているのが分かる。私の肛門は必死に放水を食い止めるために頑張っているのだ。がんばれ肛門。試験終了と同時にすり足で走ってトイレへ駆け込んだ時の安堵感と言ったら。

それでも高校には合格したし、大学受験時も同じような状況下で、まぁ合格するだろうと想定していた大学に合格した。第一志望には落ちたが、下痢でなくてもそもそもB判定をたまにとれる程度だったので、力不足だったのだろう。下痢を言い訳にはしたくなかった。何だかんだ言って私は下痢と上手く付き合ってきた。下痢のせいで大きな人生の損失を与えられることはなかった。私の人生は常に下痢と共にある。うんこは私が生きていることを突きつけてくる。昨日食べたエノキやひじきが浮いている。うんこは私が消化活動を行うただの動物なのだと否応なしに突き付けてくる。恋愛にも下痢は付きまとってきた。毎回、告白する時に下痢の腹痛で思い詰めた顔をしているので、皆とても真摯に優しく対応してくれる。そのせいで生まれる「間」が苦痛だった。しかし、大学に入って出会った彼女は「お腹弱いの」とすぐに気付いてくれた。彼女との交際は大学卒業後にも順調に続き、六年の付き合いを経て、下痢と共にプロポーズに成功した。

結婚の挨拶に行った時、私はうんこを漏らしたと思った。とうとうやってしまった。よりにもよって結婚予定の恋人の実家で。そろりとガスを抜いたつもりが、どろりとした感触が尻を這う。人間の尊厳だが何だか、大事な物を一緒に落としてしまったような気がした。心臓が凍り付く。恐怖と情けなさと同時になぜか懐かしさがこみ上げてくる。この懐かしさは何だろう。そうだ、赤ん坊の頃は誰しもうんこをオムツに垂れ流していたのだ。うんこをしてもただ泣くことしかできない。そして、親に尻を拭ってもらうことしかできなかった。この懐かしさは赤子の懐かしさだ。良い年をした成人男性なのに私はベビーベッドで泣き喚く赤子に戻ってしまった。うんこを漏らして。彼女は私の腸の弱さに理解はあったが、まさかこの場でそんなことになっているとは言えまい。とりあえず尻を拭いて、トイレットペーパーをパンツの間に挟む等して対処しようと思い、話がひと段落したところで恐る恐る彼女の両親へ「お手洗いを貸してください」と言うことができた。察してくれたらしい彼女も「この人、緊張するとお腹痛くなっちゃって」と一言を添える。よもやうんこをもらしているとは思っていないだろう。それでも彼女は両親と話しながら「早くいきなよ」と目配せをする。私は頷いて、お手洗いに直行した。家に上がる前に彼女から場所は聞いていたし、上がった時にも「あそこだよ」と耳打ちして教えてくれた。成人してうんこを漏らした私にはもったいない彼女だ。お手洗いに辿り着いた私はそっとパンツを下ろした。しかし、何もついていなかった。ひょっとすると、肛門周りの尻に付くだけで留まってくれたのか、と期待してトイレットペーパーで拭いてみたが、ほとんど何もつかなかった。幻だろうか。推測するに、きっと水っぽいすかしっ屁が出たのだろう。あの感覚がうんこを漏らす感覚だと思っていたが、どうやら違ったらしい。彼女、いや婚約者にも後で話したが複雑な表情をされた。それもそうだろう。結婚式の時も私は心配だった。真っ白なタキシードを下痢で茶色く染めてしまうのではないのかと恐れおののいていた。妻、ヤフー知恵袋、おしえて!goo、OKWave、Quora、片っ端から相談した。そんなに負担になるなら結婚式はしなくて良いと妻は言ってくれたが、彼女が以前から結婚式に憧れていたのは知っていたし、そのために貯金していた、と義両親から一部費用負担もされてしまった。やらないわけにはいかない。なので、私は介護用のオムツを履いて結婚式に挑んだ。服装に影響しないよう、口コミを比較し、少々高くても最も薄型で漏れにくいタイプを選んだ。それしか完全に惨事を防ぐ方法がないと思った。とはいえ、もし漏らしてしまったら、下痢が滲み出てこなくても、臭いで異臭騒動が起こるかもしれない。最新の注意を払い、飲食も最小限にして私は結婚式に挑んだ。何度もしくしくと腸が痛んだ。シャンパンを足元のバケツに流せるのは幸いだった。友人からの挨拶や両親への挨拶も肛門で留まっているうんこで頭がいっぱいで、まったく気持ちがついてきていなかった。ただ、うんこを我慢して唇を噛みしめているのを周囲は感動だと勘違いしてくれたらしく、私の中のうんこには誰も気づいていない自然な状況だったと妻は言っていた。

私は一度もうんこを漏らさず結婚式を終えることができた。式が終わってもオムツは綺麗なままだった。むしろ余ったオムツの置き場所に困ってしまった。購入はAmazonだったので周囲の目を気にせずできたが、捨てている所をご近所さんに見られても何か詮索されそうだ。結局オムツは未だに部屋にある。結婚して引っ越してもパソコンや本を置いている部屋の押入れにオムツは隠している。

それ以降も、私は下痢と共に生きた。会社の大事なプレゼンも、資格試験も、昇格面接も、上司とのゴルフも、妻との喧嘩も、義実家の集まりも、妻への誕生日プレゼントをサプライズで用意している時も、子どもを欲しがっている妻とセックスする時も、そんな妻の妊娠が分かった時も、下痢と共にあった。

会社に一本の電話が入った。妻が産気づいているという。携帯を見ると三時間前から何度も着信が入っていた。サイレントにしていたのでまるで気付いていなかった。とんだ馬鹿者だ。生まれそうと予想されていた時にしっかり仕事を休んでいたのに、一向に出てくる気配がないので、出勤した矢先の出来事だった。心の広い上司の理解と承諾を得て、私は大慌てで会社を後にした。そして気付く。じりじりといつもの痛みがこみ上げてくる。キューっと腸がしめつけられて、尻から今にも便が飛び出しそうだ。妻が我が子を産み落とそうとしているというのに。生唾を飲み込みながら電車に飛び乗り、いつもの産婦人科へ向かう。急いでも一時間はかかるだろう。タクシーの方が良かったか。いや、タクシーでもさほど変わらないはずだ。私はしくしくと痛む腸を押さえ、じりじりと外を眺めた。ここで途中下車してしまったらロスタイムしてしまう。尻から液体のうんこがどろどろと出ているような気がした。私が赤ん坊になっている場合ではないのだ。

最寄り駅の改札を出て階段を駆け下りる。冷や汗が噴き出ている。肛門がひくひくとしている。後ろから悲鳴が上がった。振り返ると、点々とうんこが私まで続いている。恐る恐る尻をさわると、水下痢が指に付いた。とうとうやってしまった。うんこを辿れば迷わず改札に戻れる。汚いヘンゼルとグレーテルだ。

「おめでとうございます。元気な女の子です」

悲鳴の中から声が聞こえた気がした。この私の幻聴は正しく、我が子は本当に女の子だったのだが、その話はまだ先である。妻が我が子を産んでいる時に私は尻からうんこを放出させたのだ。私は半泣きで駅構内のトイレに行った。良い大人のおじさんが涙ぐんでいる。うんこで。悔しいのだ。最も大事な時にうんこに負けてしまったことが。ブリブリとマンガみたいな音で残りの水下痢を放出しパンツを捨てる。しかし履いて行くものがない。ノーパンで汚れたズボンを隠しながらコンビニでパンツとタオルを買った。空しかった。ズボンも買わなければならない。うんこのせいで出産に立ち会えなかった、と妻は思ってくれているが、それもまた私のせいなのだ。うんこは私の一部なのだ。うんこと共にある。

我が子のお尻を拭きながら、私は何度となく脱糞でお産に立ち会えなかったことを思い出す。私はこの子が産まれた時、赤ん坊と同じ状態になった。とはいえ、いずれ私はまたあの薄型オムツを使う日が来るだろう。そのオムツを替えるのはこの子かもしれない。人生はうんこだ。うんこをせずには生きられない。うんこに始まり、うんこに終わる。

2023年7月14日公開

© 2023 曾根崎十三

これはの応募作品です。
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"メメントゲリ"へのコメント 10

  • 投稿者 | 2023-07-29 13:38

    まるで我が事を語られているのかと思うほどでした。さすが曾根崎さんです。下痢は人生と共にある、私が一番叫びたかったテーマを見事にそしてこれでもかと具現化してくれました。
    私は声を大にして叫びたい。主人公は情けない男ではありません。暴走する下痢と戦い、折り合いをつけ生き抜いた英雄です、ヒーローです。優しい妻と出会えたのもその人徳なのです。
    妻が出産の時に漏らしたって?当然です。人生の一大事なのだから下痢くらい当たり前です。それにお産の分娩台では大抵の人が大小便漏らします。まさに夫唱婦随ですね。

  • 投稿者 | 2023-07-29 16:53

    そう、タイトルにあるように、いつか脱糞することを受け入れるか否かで人生は大きく変わっていきます。腹を下したときにトイレの中で「神様ごめんなさい。これか私はまっとうに生きていくのでこの腹痛をどうにか収めてください」と何度も願ったことを思い出しました。脱糞なんて愛があればどうとでなるといった言う問いに深淵から覗くものはなんと返事をしたのだろうか。あーえーっと適当なコメントごめんなさい・

    • 投稿者 | 2023-07-29 16:59

      ごめんなさい。酔っていて確認せずに送信してしまいました。
      「いつか脱糞することを受け入れるか否かで人生は大きく変わっていきます」→
      「あなたが脱糞を受け入れるか否かで彼彼女の人生は大きく変わっていきます」

  • 投稿者 | 2023-07-30 00:40

    3連続で脱糞する人間の話を読んだせいでしょうか、心なしか部屋の中が下痢臭くなってきたように感じます。嘔吐恐怖というものもあるそうですが、どこかで粗相をしないかという下痢恐怖も実はけっこう普遍的なテーマなのだろうなと思いました。それにもかかわらずあまり触れられることがないこのテーマに正面から挑んだ作者の心意気に「文学者」を感じました。今のままでも充分傑作ですが、このテーマをさらに掘り下げもう少し長めに書いてほしい気もします。

  • 投稿者 | 2023-07-30 13:25

    ああー、できればこの子にはヤングケアラーなどにはなってほしくないなあと切に思いました。「うんこと共にある」のリフレインがだんだんスター・ウォーズの「フォースと共にあらんことを」に空耳してきて、なんだかいい感じでした。

  • 投稿者 | 2023-07-31 15:32

    人生はうんこだ。とても潔い。とてもいい言葉。オレ、コレ、スキ。
    全員うんこですよ。ええ。それはもう。

  • 投稿者 | 2023-07-31 16:19

    同じケツメド系人類として主人公にはシンパシーを禁じえません。私は特にプールサイドが鬼門で、どんなに暑い日でも日が陰ると途端に急降下してやばくなるので、水泳の授業を中座して、濡れた海パンを下げて半裸で用を足し、一人無人の校舎を戻り(小規模校で一斉授業なので)、消毒槽で飛び出したばかりの大腸菌を処分して、再びプールに入っていました。最近知ったのですが、あの消毒槽って全然意味なかったみたいですで。クラスメイトにうんこ水を飲ませてしまったことを無念に思います。

  • 投稿者 | 2023-07-31 18:00

     緊張すると腹痛と下痢に見舞われてしまう男の回想録。描写が丁寧で、身体的変化や苦痛が伝わってくるが、予想したとおり他の投稿作品とかぶる要素が多い印象で、できればもっと独創性のある作品に挑んでほしいと思った。

  • 編集者 | 2023-07-31 19:25

    げりっぴーの苦痛は、これが人生の過ぎゆく一局面に過ぎないと分かってても耐えきれないものである。他の方も書いた通りウンコは人生と共にあるのだと再確認。人間isウンコ。

  • 投稿者 | 2023-07-31 19:45

    「人生はうんこだ。うんこをせずには生きられない。うんこに始まり、うんこに終わる。」というラストが人生に対する諦観に満ちて淡く切なく、なぜか昔読んだフィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」を思い出しました。

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