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わたしのきのこ

合評会2026年7月応募作品

眞山大知

エリンギはバター醤油炒めに限る。それが決まりなんだ! 2026年7月合評会参加作品

タグ: #リアリズム文学 #官能 #百合 #純文学 #合評会2026年7月

小説

5,558文字

塾講のバイトが終わったタイミングで、美紗紀から電話がかかってきた。わたしに会いたいのだという。

「わたしだってそんなに安くないんだからね」と言って電話を切ると、わたしは電車に乗り、何度か駅で乗り換えて、大きな病院の手続きぐらい複雑で面倒な手順で、夜の東京を移動する。

五反田駅で降りる。東口の、居酒屋とラブホテルとラーメン屋が光る街から品川方面へ歩く。歩くたび、股が擦れる感覚がした。本当は品川駅のほうが美紗紀の家に近いけど、わたしは夜の五反田を徘徊したかった。

歩道にはいかつく着飾った女の子たち――あの子たちはデリヘル嬢だと美紗紀が教えてくれた――が、ヒールの音をコツコツ響かせながら、キラキラにデコったスマホを顔に押し当て、早口で電話していた。道端には細長くこぢんまりとした吉野家があり、そのガラスの奥では、これまた女の子がひとり、キッとした目つきをしながら牛丼を口の中へかっこんでいた。

わたしと同年代ぐらいのその女の子たちは生きるのに必死で、しょせん親の金で東京にいて、肉体労働する必要のないわたしはあの子たちからしたら甘ったれたお嬢さんなんだろう。

しかし、美紗紀にはかなわない。

わたしの歩くこの道は、かつてソニー通りと呼ばれていたらしい。その名のとおり、むかしはソニーの本社や工場があり、このあたりはソニー村なんて呼ばれていた。美紗紀の親戚も関係者だらけだったけど、美紗紀のお父さんはそんな一族に反発して、だけど反発しておきながら、おじいさんからもらった金でベンチャー企業を創立し、成功している(このあたりは五反田バレーとも呼ばれているぐらいテック企業が多い。その話を田舎の父にしたら、ITなんてのは虚業だ、どうせ失敗すると顔を真っ赤にして言った。田舎では成功したい子どもに起業は勧めない。医学部に入れと言う)。

わたしはツルハドラッグを通り過ぎる。地元なら掃いて捨てるほどあるその赤い看板を通り過ぎると、街の雰囲気が一変する。

オフィスビルが壁のように通りを囲んでいる。しかし圧迫感はない。上品にそこに建っているが、無意識的に、人を選ぶ冷たいオーラを放っている。さっきまであれほどいた女の子たちはぱたりと見なくなった。ビルの無駄に磨かれた壁面のガラスは、弱々しい街灯の光さえしっかり反射していた。

――御殿山。社畜が川のように流れる品川と、デリヘルと違法チャイエスの聖地である五反田のあいだにあるその高級住宅地は、たしかに陸にあるのに、この東京のただなかで、金持ちのプライベートアイランドのように浮いていた。

東北の片田舎から上京するまでは、東京といえばおばあちゃんの見るテレビに毎日映る渋谷のスクランブル交差点とか、お天気カメラに映る真っ赤な東京タワーを思い浮かべていた。けれど、実際に上京してわたしをいちばん絶望させたのは、こういう静かで、上品な金持ちの街で、そしてそんな世界を当然だと思っている美紗紀のような人種だった。

わたしの向かい側の車道を、黒いジャパンタクシーが音もなく滑っていった。

 

 

 

美紗紀のマンションは、道からすこし奥まったところにあった。

宅配ボックスは銀行の地下金庫みたいに鈍く光り、エントランスの壁には水が流れ落ちていた。受付のコンシェルジュは、五反田の女の子以上にメイクをばっちりキメていたが、眠たそうな目をわたしに向けただけだった。

美紗紀は以前、そのマンションのことを「うち、戸建てじゃないから親戚にちょっと馬鹿にされるんだよね」と言った。

父親が「義務教育を終えたらもう大人だから」と御殿山のマンションを買い、高一のときから、美紗紀はそこでひとり暮らしをしていた。

わたしから見れば、理解の範疇を超えていた。

エレベーターでぐんぐん上昇する。二十階に着くと、エレベーターホールからは東京の夜景が一望できた。健康に悪そうな色だった。

美紗紀の部屋まで行き、インターホンを鳴らす。すぐに玄関が開いた。

美紗紀は、バタバタと急ぎ足で出てきた。

「ごめん、あと五分待ってて。部屋の中、本当にエグい」

「いつもじゃん」

「でも今日はさすがにきれいにしときたいじゃん」

美紗紀の髪はすこし濡れていた。シャワーを浴びたあとらしい。

部屋に上がると、煙草と古い化粧品と、油の匂いがした。

美紗紀の家は貴族かもしれないが、美紗紀自身はそうではなかった。

床には服と紙袋と充電ケーブルが散らばっている。テーブルの上には、使いかけのリップ、短くなった煙草が積まれた灰皿、コンビニのレシートの山、いつ洗ったかわからないマグカップが雑に置かれていた。椅子の背には高そうなワンピースがかけられ、机には、推し活のグッズがしっかり整理されて置かれている。

美紗紀は冷蔵庫を開け、缶チューハイと日本酒と開封済みのチーズを取り出した。それから、「つまみこれしかなくてごめん」と言って、切ったキュウリを持ってきた。

美紗紀の自虐が始まる。うちってほんと終わってるよね、と言う。終わっている人間が、どうして品川駅から歩いて十五分ほどのマンションでひとり暮らしをしているのか、わたしにはよく理解できない。けど、この部屋はたしかに終わっていた。

「座って。そこ、ちょっと沈むけど」

美紗紀は椅子の上の服をどけ、クッションを二つ重ねた。テーブルから灰皿を遠ざける。

それから、マグカップに日本酒を注いだ。その銘柄は、わたしの実家から歩いて十分ぐらいの酒蔵で作られているものだった。

「それ、わざと?」

「たまたまAmazonで見つけた」

美紗紀はマグカップに口をつける、ぐいっと傾けた。

「嘘ついてるでしょ」

「……うん」

美紗紀はすこし笑って、わたしのグラスにも酒を注いだ。

わたしはそれを飲むと アイドルの動画が終わり、関連動画が勝手に流れはじめたところで、美紗紀が聞いてきた。

「ねえ、見せてよ」

ディスプレイの中では、知らない女の子が青い照明の下で笑っていた。美紗紀はリモコンを取って、音量をひとつ下げた。

「お代は?」

さすがに見返りはほしい。わたしはボランティアで見せているわけではない。

「そのお酒」

くすくす笑う美紗紀はテーブルの下で足を伸ばし、タイツに包まれたわたしの足先に、くすぐるように触れる。

「ありがと。で、見てどうするの?」とわたしは意地悪な口調で聞く。

「どうもしない」

「ふーん、どうもしないなら見なくていいじゃん」とわたしは煽る。

「じゃあ、わたしも見せる」

「へえ、何を見せるの? だって、美紗紀はこれから生やす、、、んでしょ?」

わたしは椅子から立ち上がる。

美紗紀も立ち上がると、期待していたかのような顔をして床に正座した。

わたしはタイツを脱いだ。頭の中に、夏の山が浮かんだ。

大学に入って最初の夏休みだった。帰省して、祖父の家の山できのこ狩りをした。長靴で斜面を上がり、祖父が、これは食べられる、これは毒だ、と得意そうに教えた。母はそれを真面目に聞き、妹はすぐに飽きて、軍手を脱いでスマホを触っていた。

きのこはほんのすこししか採れなかった。祖父は機嫌が悪くなり、母は場を取りなすように、近くのウジエスーパーでエリンギを買ってきた。発泡トレイの上のエリンギは、山で採ったどのきのこよりも立派で、清潔だった。

わたしは山で採ったきのことエリンギを鉄板で焼いて、バターを落とし、醤油を垂らして、みんなで食べた。

普通においしかった。――それから、わたしの人生がかわった。

次の日から、下着の中に違和感があった。最初はかぶれだと思った。股間が膨らんできた。次に腫瘍だと思った。地元、仙台、帰京してからは東京のいくつもの大病院を回された。最後に、「一過性茸状外性器形成症」なんて病名だけがついた。けど一過性という癖に、あれから一年以上たってもエリンギは生えたままだし、なんなら切ったとしても一週間で元に戻る。

わたしは息を止めた。ショーツをおろし、スカートの裾に手をかけた。指が震えていた。美紗紀が何か言おうとした。たぶん、やめてもいいよ、と言おうとしたのだと思う。その優しさ、いや臆病さが言葉として出る前に、わたしは動いた。

ゆっくりと、自分の秘密を部屋の明かりの下に出した。

わたしの股間から、立派なエリンギが生えていた。

正座していた美紗紀が、小さく息をのんだ。

美紗紀は頬を赤らめ、呼吸がすこし上がり、熱い息が肌にかかった。

わたしのなかで、何かが爆発する。爆発すると同時にエリンギがさらに屹立した。美紗紀をめちゃくちゃにしなきゃいけない。

「触っていい?」

美紗紀が言った。

「触るなら、聞いて」

「うん」

「嫌って言ったらやめて」

「絶対やめる」

そこから先は、きれいではなかった。わたしたちは何度も止まり、聞き、触り、噛み、舐め、手で押しのけ、また触れた。おそるおそる、お互いの身体を、探って調べるように触った。

そしてわたしはエリンギを美紗紀の股に差しこんだ。エリンギを突くたびに、美紗紀は毒キノコでしびれたように痙攣し、目をひんむいた。

勝ったと思った。美紗紀の首筋に汗が浮き、Tシャツの襟が伸び、髪が頬に貼りついて、いつも雑な美紗紀がさらに雑になっていくのを見ると勝った気がした。

 

 

 

行為のあと、美紗紀はあっけなく眠った。

部屋全体に、わたしと美紗紀の体液の臭いが薄くこもっていた。下着の中で、エリンギはまだ熱を持っている。美紗紀はソファの端で丸くなり、口をすこし開けていた。貴族なんて言葉の似合わない、ただの疲れた人間の顔だった。

かわいい、と思った。かわいそう、とも思った。エリンギが大きすぎたのかもしれない。

それよりもお腹が減った。キッチンへ行った。美紗紀のキッチンは殺風景で、ほとんど使われた形跡がなかった。冷蔵庫を開けると、冷気が顔に当たった。ストゼロ、納豆、キムチ、開封済みの味噌、バターの塊、それから醤油。

ふと思った。わたしのエリンギは、食べられるのだろうか。どうせ切ったところで、一週間もすればまた元に戻る。

包丁を見つけ、わたしは流しの前に立ち、スカートをたくし上げた。股間のエリンギは、さっきよりすこし萎んでいた。けれど、まだ立派だった。白くて、太くて、滑稽だった。

「ごめんね」

エリンギに謝って、根元に包丁を当てる。息を止め、すこしだけ力を入れた。

血は出なかった。代わりに、白い繊維が裂ける感触がした。

切り落とされたエリンギをまな板に置くと、ころんと転がった。

水で洗い、包丁で切った。内側は、気味が悪いほどきれいな白だった。

フライパンをIHヒーターにかけ、バターを落とした。

黄色い塊が溶け、泡立ち、甘い匂いが立つ。そこへ、わたしだったものを並べた。

じゅう、と音がした。しょうゆを垂らすと、香ばしい匂いが跳ねた。

美紗紀がソファの上で寝返りを打った。匂いを嗅いだのだろうか、鼻をひくひくさせていた。起きたら食べるだろうか、と思った。食べるかもしれない。

エリンギがしなってきたところでIHヒーターを切る。皿に移すのも面倒で、わたしはフライパンから直接、箸でつまんで食べた。

普通においしかった。思わず吹き出した。

笑いながら、涙が出た。口の中は香ばしくて、目の奥は熱くて、切り落とした根元は鈍く疼いていた。わたしは何をしているのだろう、と思った。けれど、そんなことはもうずっと前からわからなかった。わからないまま、また一切れ食べた。バター醤油の味がする。

わたしはひとしきりエリンギを食べ、スマホを開いた。学科のグループラインには、どうでもいい連絡が流れていた。二限の教室変更。レポートの共有。誰かのスタンプ。アイコンの女たちは、みんな好きではなかった。笑っている女。犬を抱いた女。ディズニーランドでミニーの耳をつけた女。就活用の証明写真みたいな女。

つぎは誰から声がかかるのだろう、と思った。

同級生で東京出身の女たちはたいてい箱入り娘で女子高出身だった。男にたいしてはほとんど免疫がない。けれど、好奇心だけはある。汚いものを見たがるくせに、自分の手は汚したくない。かわいそう、と言いながら近づいてくる。ひどい、と言いながら、もっと聞きたがる。だから、わたしのエリンギを見たがる。触りたがる。欲しがる。

射精しないから安心なのだと、笑って言った子もいた。

まあ、わたしのエリンギが生え切らなくても、別にエリンギは一本だけではない。

スマホが震えた。別の同級生からメッセージが来ていた。その子も前に一度、わたしのエリンギを見た。

「やった。わたしにも生えたよ」

文章の下に、画像が貼りつけられていた。画面の中の彼女は、嬉しそうな顔をしていた。洗面所の白い光の下で、頬を赤くして、片手でスカートを持ち上げている。股間には、まだ小さなエリンギが生えていた。発泡トレイに並ぶ前の、売り物になる前の、土の匂いをすこしだけ残したような白さだった。

わたしは画面をしばらく眺めた。わたしに病名をつけた医者は「この病気に感染性はたぶんない」と診断したが、ひどい誤診だった。

美紗紀はまだ眠っていた。ソファの端で丸くなり、片膝をすこしだけ立てている。Tシャツの裾がめくれ、太腿の内側が、部屋の明かりにぼんやり照らされていた。そこにはまだ何も生えていなかった。

わたしは同級生に返信した。

「おめでとう」

それから、美紗紀の寝顔をもう一度見た。

美紗紀に一発でエリンギが生えてくれるかなと思った。できれば美紗紀が朝起きたときに気づけばいい。シャワーを浴びようとして、下着を脱いで、そこに白い突起を見つける。叫ぶかもしれない。泣くかもしれない。あるいは、黙ってしばらく眺めてから、そっと指で触るかもしれない。

わたしは美紗紀の股間にエリンギが生えてくるのが、いまから楽しみでしかたがない。

© 2026 眞山大知 ( 2026年6月6日公開

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