メニュー

びちょびちょトラベル

破滅派25号「児童文学」応募作品

眞山大知

10歳のころ、コロコロコミックの発売日になると近所のスーパーに開店凸して買っていました。当時読んでいたコロコロの作品を思い出し、児童文学としてふさわしい不条理文学を書こうと試みました。対象年齢:10歳以下

タグ: #破滅派25号「児童文学」

小説

11,433文字

「こちらが海外の旅行。こちらは家族でのんびりできる温泉おんせん旅行。そして、こちらがびちょびちょトラベルです」

駅前の旅行のお店で受付のお姉さんが、にっこり笑って言った。

お父さんはカウンターに置かれた青いパンフレットを手に取った。

その横では、小学一年生の妹の穂乃花ほのかが、お母さんのうでにくっついている。

びちょびちょトラベル。

小学四年生の僕ぼくにもわかる。旅行のお店で、大人がふつうの顔をして言っていい言葉ではない。

「ちょっと待ってください」

僕ぼくは、給食でいちごが一個いっこあまったときより手を速く上げた。

「いま、何て言ったのですか?」

「温泉おんせんです」

「その次です」

「びちょびちょトラベルです」

お姉さんは、「京都旅行、二泊三日にはくみっかです」と同じ声で言った。

なめらかすぎる。きっと朝の仕事が始まる前に店のみんなで練習しているのだ。

びちょびちょ。

びちょびちょ。

もっと笑顔で、びちょびちょ!

カウンターにはほかにもパンフレットが並ならんでいた。

国内の旅行。外国の旅行。温泉おんせん。古いお城めぐり。おいしいものめぐり。

その中で、びちょびちょトラベルのパンフレットだけ青かった。

表紙には大人の男の人と女の人、それに男の子と女の子が写っていた。たぶん家族だろう。全員、ずぶぬれだった。

お父さんのメガネから水が落ちている。お母さんの髪かみは、顔にワカメのようにはりついている。男の子のリュックからはジャージャーと水が流れている。女の子は笑顔でピースしているが、スカートのすそから水がふき出している。もはや家族じゃなくて四つの噴水ふんすいだ。

表紙には、大きな文字でこう書いてあった。

 

びちょびちょトラベル
 家族の思い出、しぼれるくらい。

 

しかも、表紙の青い「び」の字から、本当に水がたれていた。

ぽちゃん。

しずくがカウンターに落ちた。

しずくは丸くふくらむと小さな青い魚になった。

魚はぴちぴちとはねると、パンフレットの中へもぐっていった。

「いま、魚が出ませんでした?」

僕ぼくが聞くと、お姉さんは首をかしげた。

「人気の仕かけです」

「どうした、蒼汰そうた」

お父さんがパンフレットをのぞきこんだ。

「さあ、ひと夏の思い出にぜひ」とお姉さんが言う。
嫌いやな予感がした。

「せっかくだし、行ってみようか」

出た。『せっかくだし』。

お父さんは前にも、「せっかくだし」と言って、出張先しゅっちょうさきで緑色のジュースを買ってきた。家族四人で飲んだら、全員でトイレを取り合うことになった。

別の日には、「せっかくだし」とスーパーで紫色むらさきいろのジャガイモを買ってきて、カレーのなべの中に大魔王だいまおうのぬまを作った。

お父さんの「せっかくだし」のあとには、ろくなことが起きない。

「父さん、これはやめよう」

「でも、少し変わっていて楽しそうじゃないか」

少し変わっていて楽しそう。

これも、お父さんの危あぶない言葉だ。

お母さんはパンフレットの後ろにある料金を見ていた。

「新幹線しんかんせんと旅館がついて、この値段ねだんなら安いわね」

「お母さん、安さで家族をびちょびちょにしないで」

「いいじゃない。安ければすこしぐらいびちょびちょになっても」

「びちょの時点で安心できないよ」

穂乃花ほのかがパンフレットを指さした。

「ほのか、これがいい!」

「よくない!」

「びちょびちょ、楽しそう!」

「楽しいわけないだろ。靴下くつしたがぬれるんだぞ」

「かわかせばいいじゃん」

小学一年生は強かった。

お姉さんがパンフレットを開いた。

中から、さっきの青い魚が飛び出した。

魚は僕ぼくたちの頭の上を一周すると、またページの中へもぐった。

「こちらが、家族に一番人気の金沢かなざわスタンダードびちょプランです」

「金沢かなざわなんですか?」

「はい。一日目は、びちょびちょ新幹線しんかんせん、兼六園けんろくえんのびちょ松、近江町おうみちょう市場のびちょ海鮮丼かいせんどん、ひがし茶屋街のびちょ祭り、お泊とまりは名物旅館・濡乃屋ぬれのやです」

名前を聞いただけで服がしめってきそうだった。

「二日目は自由に町を歩いていただきます」

「そこはふつうなんですね」

「もちろん、自由にびちょびちょになっていただきます」

「ぬれない自由はないんですか?」

僕ぼくは何度も反対した。

けれど、お父さんは「せっかくだし」と言った。

お母さんは「安いし」と言った。

穂乃花ほのかは「びちょびちょ!」と両手を上げた。

気がつくと、お父さんは申しこみの紙に、自分の名前を書いていた。

その横で、パンフレットの青い「び」が、にやりと笑った気がした。

 

*

 

旅行の日。

東京駅の広場には、青い旗を持った男の人が立っていた。

旗には、白い文字で「び」と書いてあった。

「皆みなさま、おはようございます!」

男の人が大声で言った。

「今日、皆みなさまといっしょに旅をする水沢みずさわです!」

水沢みずさわさん。名前まで湿しめっていそうなひとだった。

「では、びちょびちょのかくにんをします! 蒼汰そうたくんと穂乃花ほのかちゃんのご家族!」

「はい」

お父さんが答えた。

「ぬれる心のじゅんびはできていますか?」

「少しくらいなら」

「少しではこまります!」

こまるのはこっちだ。

「今日の目あては?」

「家族で楽しく旅行することですかね」

「ちがいます! 家族で楽しくびちょびちょになることです!」

「びちょびちょー!」

穂乃花ほのかが両手を上げた。

「やめろ、穂乃花ほのか。向こうの仲間になるな」

新幹線しんかんせんのホームへ行くと、白い車体が入ってきた。

白い車体にきれいな窓まど。それにかわいたドア。見たところふつうの新幹線しんかんせんだった。

僕ぼくはほっとした。新幹線しんかんせんまで変だったら、日本はもう終わりだ。

だけどドアが開いたら中から、むらさき色のけむりがふき出した。

「うわっ!」

けむりは黄色になった。

黄色からピンク。

ピンクから青。

青いけむりの中を、小さな魚が何匹なんびきも泳いでいた。

その先頭に、パンフレットから出てきた青い魚がいる。

「こちらが、びちょびちょ新幹線しんかんせんです!」

水沢みずさわさんが拍手はくしゅした。

「新幹線しんかんせんの中に魚を泳がせないで!」

「きんぎょ!」

穂乃花ほのかは大よろこびで魚を追いかけた。青い魚は穂乃花ほのかの手をするりとぬけ、僕ぼくの鼻先で一回転した。

「蒼汰そうた、写真を撮とるよ」

お母さんは、もうスマホを出していた。

「いまは写真より逃にげるほうが先だよ!」

車内へ入ると、座席ざせきがしっとりしていた。

びしょびしょではない。でも、かわいてもいない。手でさわると、座席ざせきが小さな声で言った。

「すわって」

僕ぼくは手を引っこめた。

「いま、座席ざせきがしゃべった」

「旅行でつかれてるんじゃない?」

お母さんが言った。

「まだ東京駅だよ!」

お父さんが座すわった。

「あっ」

お母さんも座すわった。

「あ、これは……」

穂乃花ほのかは勢いきおいよく座すわった。

「おしりが雨だ!」

「雨じゃない。座席ざせきだ」

僕ぼくも、そっと腰こしを下ろした。

ズボンを通して、冷たさがじわじわやってきた。大きなナメクジが、おしりの下で昼寝ひるねをしているようだった。

「ただいま、びちょの強さは一です!」

車内に水沢みずさわさんの声が流れた。

「一でこれなの?」

「蒼汰そうた、びちょまんじゅう食べるか?」

お父さんが言った。

食べ物を売るカートがやってきた。

「びちょまんじゅうはいかがですか」

「どんなまんじゅうですか?」

お母さんが聞いた。

「中に水が入っています」

「あんこは?」

「水です」

「皮は?」

「ぬれています」

「それは、水を皮で包んだだけでは?」

「旅先で食べる特別な水です」

お父さんは四つ買った。

「せっかくだし」

「せっかくだしで水を買わないで!」

びちょまんじゅうをかじると、口の中に水があふれた。目の前がとつぜん、青や黄色、ピンクに変わる。ピンクのもやもやがただよっていたけど、だんだん形をかえてピンクのぞうが三頭現あらわれた。ぞうたちは小さなぼうしをかぶり、新幹線しんかんせんの通路でなわとびを始めた。

「お父さん。ぞうがいる」

「どこに?」

「そこ」

「何もいないぞ」

ぞうたちは僕ぼくに向かって手を振ふると、シャボン玉になって消えた。

「おいしい!」

穂乃花ほのかが言った。

「本当に?」

「うん! 耳の中が青くなる!」

「それを、おいしいと言っていいのか?」

お父さんもびちょまんじゅうを食べた。

しばらく口を動かし、遠い目をした。

「会社の味がする」

「会社って、どんな味?」

「味がしない味だ」

お父さんは窓まどの外を見ていた。

いつもの朝より、少しだけ楽しそうな顔だった。

 

*

 

金沢かなざわについた。駅の前には、大きな門が立っていた。

「みんな、並ならんで」

お母さんがスマホを出した。

「蒼汰そうた、ちゃんと笑って」

「これから水にしずめられる人が笑えるわけないよ」

「そんなに大げさな」

僕ぼくたちが門の前に並ならぶと、門の足が一本だけ動いた。ずずず、と石の上を歩き、僕ぼくたちのすぐ後ろへ来た。

「門が動いた!」

「蒼汰そうた、カメラを見て」

「後ろの門が歩いたんだって!」

写真を撮とり終えると、門は何もなかったように元の場所へ戻もどった。水沢みずさわさんだけが、うんうんとうなずいていた。

「金沢かなざわも、皆みなさまのお越こしをよろこんでいます」

こんな歓迎かんげいは嫌だ。

駅の前にはバスがとまっていた。兼六園けんろくえん行きのバスだった。バスへ乗り、席にすわったしゅんかん、乗っていた人たちが、いっせいに言った。

「あっ」

バスの席は新幹線しんかんせんよりぬれていた。水沢みずさわさんがさけんだ。

「ただいま、びちょの強さは二です! 座席ざせきや道が、しっとりぬれます!」

「もう、しっとりをこえてるよ!」

 

 

兼六園けんろくえんに着く。白い雲。緑の木。きれいな池。今度こそ、ふつうの旅行が始まるのかもしれないと思ったけど、青い魚が池の上を飛んだのを見てしまった。

そのしゅんかん、松の木から水がふき出した。

「うわああああ!」

右の松から青い水。左の松から黄色い水。奥おくの松からピンク色のあわ。あわの一つ一つの中を、小さな馬が走っていた。

「名物、びちょ松です!」

水沢みずさわさんが叫さけんだ。

「そんな名物はない!」

松の枝えだが、ぐにゃぐにゃと曲がった。一本は大きな手。一本は長いへび。へび松が、僕ぼくの頭へ水をかけた。

「松がねらってきた!」

穂乃花ほのかは、ピンクのあわを追いかけていた。

「お兄ちゃん、馬が飛んでる!」

「口を開けるなよ!」

僕ぼくは折りたたみがさを出した。水沢みずさわさんが飛んできた。

「お客様! かさは禁きん止です!」

「自分で持ってきたかさです!」

「蒼汰そうたくんだけかわくと、ご家族がバラバラになります!」

「かさ一本で家族はバラバラにならない!」

園内えんないのスピーカーから声がする。

「びちょの強さが三になりました! これから靴くつの中に水が入ります!」

「先に言えばいいと思ってるだろ!」

足元の石のすき間から、水がわいてきた。ちょろちょろ、じゃぶじゃぶ。水は靴くつの中へ入った。とても冷たい。

「靴下くつしたが終わった!」

旅行は始まったばかりなのに、最初の靴下くつしたが終わった。

「蒼汰そうた、かわりの靴下くつしたを持ってきたでしょ?」

お母さんが聞いてきた。

「三足持ってきたよ」

「じゃあ大丈夫だいじょうぶね」とお母さんが言う。何が大丈夫だいじょうぶなんだろう。

 

*

 

お昼は、近江町おうみちょう市場の海鮮丼かいせんどんだった。

僕ぼくは楽しみにしていた。朝からびちょびちょにいじめられた心を、魚とご飯で元気にするのだ。

店へ入ると、テーブルの上に、きれいな海鮮丼かいせんどんが並ならんでいた。赤いマグロ。オレンジ色のイクラ。白いイカ。

僕ぼくははしを持った。店員さんが、大きなやかんを持ってきた。どぼどぼどぼ。やかんの水で海鮮丼かいせんどんはびちょびちょだ。

「何をしてるんですか!」

「びちょ海鮮丼かいせんどん、りゃくしてびちょ丼どんです」

「魚とご飯がしずんだ!」

「海の中へ帰してあげました」

「食べ物を帰さないでください!」

丼どんぶりの中で、マグロがゆらゆらしている。

イクラは水の上を流れている。

カニが、じっと僕ぼくを見ていた。

「ヤア」

カニが話しかける。僕ぼくははしを落とした。

「カニがしゃべった!」

「どのカニ?」

お父さんが聞いた。

「僕ぼくの丼どんぶりのカニ!」

もう一度見ると、カニはただのカニだった。

「水族館ごはんだ!」

穂乃花ほのかが言った。

「名前を変えても、しずんだ海鮮丼かいせんどんだよ」

お父さんが一口食べた。

「うすい」

お母さんも食べた。

「うすいね」

僕ぼくも食べた。

味がうすい。とにかく、うすい。水を飲んでいると、ときどきマグロが口に入ってくる。

穂乃花ほのかは、水に浮うかぶイクラを、はしで追いかけていた。イクラが一つにつながり、赤い魚になった。赤い魚は丼どんぶりから飛び出し、お父さんの茶わんを一周し、お母さんの頭を飛びこえた。最後に、穂乃花ほのかの口へ飛びこんだ。

「おいしい!」

穂乃花ほのかが笑った。僕ぼくも、がまんできずに笑った。ひどすぎる。でも、家族みんなで同じひどい目にあっていると、だんだん笑えてくる。店の窓まどの外では、青い魚が僕ぼくたちを見ていた。

 

*

 

午後は、ひがし茶屋街へ行った。

石の道に古い家が並ならび、ぬれた屋根がきらきら光っていた。通りの奥おくから、大きな車がやってきた。上には、水のけむりを出す機械が乗っている。

車を引く人たちは、「びちょやー、びちょやー」と声を上げていた。

「お祭りにするな!」

「びちょ祭りです!」

水沢みずさわさんが胸むねを張はった。

「いばらないで!」

機械から白いけむりがふき出した。

町は、あっという間に真っ白になった。

前が見えない。

右も左もわからない。

「蒼汰そうた、どこだ!」

お父さんの声がした。

「ここ!」

「穂乃花ほのかは?」

「ここー!」

「お母さんは?」

「ここよ!」

声だけが白いけむりの中を飛んだ。

僕ぼくは手をのばした。

指先が、小さな手にふれた。

穂乃花ほのかの手だった。

けれど、ぬれていて、するりとすべった。

「お兄ちゃん!」

穂乃花ほのかの声が遠くなった。

僕ぼくはもう一度手をのばし、今度は強くつかんだ。

「はなすなよ!」

「うん!」

穂乃花ほのかも、僕ぼくの手を強くにぎった。

反対側から、お母さんが僕ぼくの肩かたをつかんだ。

お父さんは、お母さんのリュックをつかんだ。

「何も見えない」

お父さんが言った。

「メガネを取ったら?」

「もっと見えない」

小学四年生にもなると、家族と手をつなぐのは少しはずかしい。

でも、今は仕方がない。これは、はずかしい手つなぎではない。迷子まいごにならないための手つなぎだ。

白いけむりの向こうで、青い魚が光った。

魚について歩くと、けむりの外へ出ることができた。けむりの外には、水沢みずさわさんが立っていた。いつものように青い旗を持っていたが、笑っていなかった。

「穂乃花ほのかちゃん、大丈夫だいじょうぶですか?」

水沢みずさわさんが、しゃがんで聞いた。

穂乃花ほのかは僕ぼくの手をにぎったまま、うなずいた。

「ちょっと、こわかった」

「えっ?」

水沢みずさわさんは、手に持っていた予定表を見た。

紙には、こう書いてあった。

 

【白いけむりで、家族のきずなを深めます】

 

水沢みずさわさんは予定表を見た。次に、ぬれて震ふるえている穂乃花ほのかを見た。もう一度、予定表を見た。

「でも、家族のきずなは深まりましたよね!」

水沢みずさわさんは、いつもの大きな声を出そうとした。

けれど、声は途中とちゅうで小さくなった。

「……たぶん」

「水沢みずさわさん?」

「いえ。なんでもありません」

水沢みずさわさんは、ぬれた予定表をたたんだ。紙から青い文字が一つはがれ、地面へ落ちた。文字は「び」だった。「び」は水たまりの上で、ぷるぷる震ふるえていた。

水沢みずさわさんはその文字を見つめ、青い旗を少し下げた。

「けむりを、もう少し弱くするように本社へ伝えます」

「弱くできるんですか?」

「おそらく」

「いままで伝えてなかったんですか?」

「……本社は、強いほうが思い出になると言っていました」

そのとき、水沢みずさわさんの無線が鳴った。

『水沢みずさわさん、びちょ祭りは予定どおりですか?』

水沢みずさわさんは無線を口へ近づけた。

少しだけ迷まよってから、答えた。

「予定どおりです。ただし、次からは子どもがこわがらない強さにしてください」

『そのような設定せっていはありません』

「だったら設定せっていをいますぐ作ってください」

無線の向こうが静かになった。水沢みずさわさんは自分でもおどろいたような顔をした。すぐに、いつもの笑顔へ戻もどった。

「では皆みなさま、次へまいりましょう!」

でも、青い旗の「び」は、さっきまでより少し小さくなっていた。

振ふり返ると、僕ぼくたちの足あとで、石の道に大きな「び」の字ができていた。道まで仲間になっている。

 

*

 

夕方、旅館の濡乃屋ぬれのやに着いた。

着物を着た女の人が、入り口で頭を下げた。

「ようこそおこしくださいました。足元の悪い中、ありがとうございます」

空は晴れている。でも、旅館の床ゆかは水びたしだった。

「こちらは、ようこそびちょです」

「ようこそのやり方がまちがってる!」

部屋の畳たたみもしっとりしていた。

「畳たたみがぬれています」

お母さんが言った。

「はい。びちょ畳たたみです」

「くさりませんか?」

「くさる少し前が、いちばん落ち着くのです」

「落ち着きません」

夕食には、魚、肉、野菜、天ぷらが出た。

そして、全部が水にしずんでいた。

「天ぷらまでぬれてる!」

「こちら、びちょぷらです」

水沢みずさわさんが言った。

「最悪の名前だ!」

「カリカリにあげた天ぷらを、わざと水へ入れました」

「何のために?」

「ぬらすためです」

まっすぐな答えだった。

お父さんは、びちょぷらを食べた。

「ふにゃふにゃしているところが、今の僕ぼくににている」

「旅先で悲しいことを言わないで」

お母さんが笑った。

穂乃花ほのかが、にんじんを水の中で泳がせた。すると、にんじんに足が生えた。皿から飛び出し、部屋の中を走り始めた。

エビの天ぷらにも足が生え、にんじんを追いかけた。

「待てー!」

穂乃花ほのかが追いかけた。

お父さんも追いかけた。

僕ぼくも追いかけた。

最後は家族四人で、ぬれた畳たたみの上へ転がった。

服はぬれた。

でも、少し楽しかった。

 

*

 

夜、僕ぼくとお父さんは温泉おんせんへ入った。

温泉おんせんは、ぬれていて当たり前だ。ぬれる場所でぬれる。これこそ正しいぬれ方である。

「ああ……」

お父さんが湯ぶねで息をもらした。

「蒼汰そうた、今日は楽しかったか?」

「ぬれた」

「それはそうだな」

「でも、少しだけおもしろかった」

「そうか」

お父さんは、会社へ行く朝より元気そうに笑った。

「父さんは?」

「楽しいよ。こんなに何も考えず笑ったのは、ひさしぶりだ」

そのとき、湯ぶねの底が開いた。

「うわああああ!」

僕ぼくとお父さんは、お湯ごと長い水のすべり台へ落ちた。

右へ。左へ。上へ。下へ。

「温泉おんせんを乗り物にするなあああ!」

最後は広間の畳たたみへ、水といっしょに飛び出した。

水沢みずさわさんがマイクを持って待っていた。

「親子びちょスライダー、いかがでしたか!」

「まず服を返してください!」

お父さんが叫さけんだ。

僕ぼくは笑った。お父さんも笑っていた。

 

*

 

布団ふとんはぬれていた。ぬれた布団ふとんで一晩ひとばんねるのは、ものすごく嫌いやだった。

次の日の朝ごはんのあと、水沢みずさわさんが言った。

「今日は自由に町を歩いていただきます!」

みんながよろこんだ。

「ただし、びちょの強さは四です!」

「自由じゃない!」

僕ぼくたちは商店街へ向かった。お母さんはお土産を見たがった。穂乃花ほのかはアイスを食べたがった。お父さんは言った。

「せっかくだし、全部行こう」

また危あぶない言葉が出た。おかし屋へ入ると、水でっぽうを持ったロボットが出てきた。

「イラッシャイマセ、ビチョ」

「最後にビチョをつけないで」

ロボットは、お土産の紙に水をかけた。

「お土産がぬれる!」

「思イ出モ、イッショニ包ミマス、ビチョ」

「何を言ってるんだ!」

次に入ったカフェは、ふつうに見えた。

かわいた木のテーブル。かわいたいす。かわいたメニュー。僕ぼくは、かわいた物を見ただけで泣きそうになった。

「ホットココアをください」

お母さんが言った。

「びちょにしますか?」

「かわいたままで!」

しばらくすると、ふつうのココアが出てきた。

温かい。

いいにおい。

僕ぼくはカップを持ち上げた。

天井から水がふき出した。

「なんでだよ!」

店員さんが、あわてて顔を出した。

「すみません! びちょびちょトラベルのお客様がかわこうとすると、水が出る仕かけです!」

「そんな仕かけを町じゅうにつけないで!」

お父さんのスマホが鳴った。

 

【蒼汰そうたくんと穂乃花ほのかちゃんのご家族が、かわこうとしています。水を追加します】

 

「見張はられてる!」

僕ぼくたちは店を飛び出した。

道の両側から水が飛んできた。

花屋のホース。魚屋の水そう。郵便ゆうびんポスト。自動はん売機からは、青いカエルが飛び出した。カエルは二本足で歩き、太鼓たいこをたたきながら道を進んだ。道が波のようにうねった。家がぐにゃりと曲がった。信号が鳥になって空へ飛んだ。赤い鳥。青い鳥。黄色い鳥。三羽は空でぶつかり、大きな「び」の字になった。

「町が全部、変になってる!」

空が暗くなった。四角い雲が浮うかんでいた。白い豆ふのような雲の横には、びちょびちょトラベルのマークがついている。

「お客様へお知らせします」

雲から声がした。

「びちょの強さを五にします。これより、全部びちょびちょを始めます」

「始めるな!」

四角い雲から、大量の水が落ちてきた。雨ではない。滝たきだった。道が川になった。

金沢かなざわ駅の門は足を生やして逃にげた。兼六園けんろくえんの松が空を飛び、水をまいた。大きな魚が、ビルの間を泳いでいる。

空の「び」の字が、口を開いた。

「ビチョ」

「空までしゃべるな!」

大きな水の流れが、僕ぼくたちへ向かってきた。

「こっち!」

お母さんが穂乃花ほのかを抱だき上げ、店のひさしの下へ走った。

お父さんが僕ぼくの手をつかんだ。水がひざまで来た。足が地面からはなれそうになった。

「お兄ちゃん!」

穂乃花ほのかが、僕ぼくのリュックをつかんだ。

いつも笑っている穂乃花ほのかが、泣きそうな顔をしていた。

「どこにも行かないで」

「行かないよ!」

僕ぼくは穂乃花ほのかの手をにぎった。

そのとき、水沢みずさわさんが水の中を走ってきた。青い旗を横にして、流されそうな子どもを引っぱっている。

「皆みなさん、高い場所へ逃にげてください!」

「水沢みずさわさん!」

「これはもう、旅行ではありません!」

水沢みずさわさんは、ぬれた帽子ぼうしを脱ぬぎ捨すてた。

「本社は『家族の思い出が深まる』と言いました。でも、怖こわがっているお客様をぬらし続けるのは、さすかにまちがっています!」

水沢みずさわさんは首から下げていた青いカードを、僕ぼくへ渡わたした。

「本社へ入るためのカードです。蒼汰そうたくん、水を止めてください」

「水沢みずさわさんは?」

「私わたしは、ほかのお客様を助けます」

「会社におこられませんか?」

「お客様を助けておこる会社なら、私わたしが先に会社におこります!」

水沢みずさわさんは青い旗を高く上げた。

「びちょびちょトラベルの皆みなさん! こちらへ逃にげてください!」

水沢みずさわさんは、水に流される人たちのほうへ走っていった。青い魚が、僕ぼくの目の前を横切った。

魚は、金沢かなざわ駅の前にある高いビルへ向かって泳いでいく。そのビルだけが、まったくぬれていなかった。

「母さん、あのビル!」

「びちょびちょトラベル本社って書いてある!」

「行こう!」

僕ぼくは叫さけんだ。

「社長に水を止めさせる!」

穂乃花ほのかも、ぬれたこぶしを上げた。

「社長、びちょれ!」

 

 

本社の自動ドアは開かなかった。

ドアの横に文字が出た。

【びちょびちょのお客様は入れません】

「あなたの会社のせいだろ!」

僕ぼくは水沢みずさわさんから受け取った青いカードを、機械へ当てた。ピッ。ドアが開いた。中の床ゆかは、ぴかぴかにかわいていた。

僕ぼくたちが歩くたび、水たまりができる。

「床ゆかがぬれます!」

受付のお姉さんが悲鳴を上げた。

「ぬれろ!」とお父さんが叫さけんだ。

エレベーターで一番上へ行くとドアの向こうには、大きな部屋があった。社長室だった。中に入ると、社長が、かわいた机つくえの前にすわっている。髪かみも、服も、靴下くつしたも、全部かわいていた。

「君たち、どうやってここへ来たんだね」

「水沢みずさわさんがカードをくれました」

社長の顔がきびしくなった。

「水沢みずさわくんは会社を裏切うらぎったのか」

「お客さんを助けただけだ!」

僕ぼくは叫さけんだ。

「町の水を止めてください!」

「止めることはできない」

「どうして!」

「家族が同じようにぬれれば、みんな仲よくなる。私わたしはそう思って、この旅行を作った」

「だったら、自分もぬれればいいだろ!」

社長は、自分のかわいたくつを見た。

「私わたしは、ぬれるのが大きらいなんだ」

「自分が嫌いやなことを、お客さんにさせるな!」

社長室の奥おくには、ガラスの箱があった。

中には白いレバーがある。レバーの上には、こう書かれていた。

 

【金沢かなざわの水を止める】

 

「あれだ!」

僕ぼくがレバーへ向かうと、部屋でベルが鳴った。ビーッ、ビーッ。

 

【かわこうとするお客様を見つけました】

 

「何だ、これ!」

 

【お客様かわき防止ぼうしそうちを動かします】

 

天井と床ゆかが開いた。青、黄色、ピンクの水が、いっせいにふき出した。

部屋の奥おくまで、深い水が広がった。水の上には、大きな「び」の字がいくつも浮うかんでいた。

「そんな仕かけを会社につけるな!」

社長は机つくえにしがみついた。

「その装置そうちは、私わたしにも止められない!」

「社長なのに?」

「作った技術者ぎじゅつしゃが会社をやめてしまったんだ!」

「先に止め方を聞いておけ!」

青い魚が僕ぼくたちの前へ飛んできた。

水の上を一周し、レバーのほうへ向かった。

「私わたしが道を見る!」

お母さんが、かべに浮うかび上がった案内図を指さした。

「右側は流れが弱い。父さん、蒼汰そうたを支ささえて!」

「わかった!」

お父さんが水へ入った。

「冷たっ!」

僕ぼくも足を入れた。

かわりの靴下くつしたは、もう一足しか残っていない。ここで入ったら、また靴下くつしたが終わる。

嫌いやだ。本当に嫌いやだ。けれど、窓まどの外では町が水にしずみかけている。

穂乃花ほのかは僕ぼくの服をにぎった。

「お兄ちゃん」

「大丈夫だいじょうぶ」

僕ぼくは水へ入った。

靴下くつしたが一気にぬれた。

「靴下くつしたが終わったあああ!」

僕ぼくの叫さけびが社長室にひびいた。

「左へ!」

お母さんが声を上げた。

お父さんが先へ進み、僕ぼくの手を引いた。穂乃花ほのかは、お母さんに抱だかれてついてきた。浮うかんでいる「び」の字をふむと、ぐにゃりとしずんだ。水の流れが強くなった。僕ぼくの足がすべった。

「蒼汰そうた!」

お父さんが僕ぼくのうでをつかんだ。お母さんがお父さんの服をつかんだ。穂乃花ほのかがお母さんの首につかまった。家族四人が、一つの長いだんごになった。青い魚が右へ曲がった。

「魚についていって!」

穂乃花ほのかが叫さけんだ。魚のあとを追うと、流れの弱い道があった。部屋の一番奥おくに、白いレバーが見えた。でも、最後の水は深かった。

「蒼汰そうた、父さんが行く」

お父さんが言った。

「だめ。父さん、メガネが何も見えてないでしょ」

「たしかに」

レバーは僕ぼくのすぐ前にある。

水は胸むねの近くまで来ていた。ぬれたくない。でも、ここまで来た。

「穂乃花ほのか、手をはなすなよ」

「うん!」

家族と手をつないだまま、僕ぼくは一歩進んだ。

もう一歩。

水をかき分け、レバーへ手をのばした。

「これ以上、勝手に家族をぬらすな!」

僕ぼくはレバーを引いた。

ガコン。

ビル全体がゆれた。窓まどの外で、町の水が空へ上り始めた。川になった道が、元の道へ戻もどった。空を泳いでいた魚たちは、青い紙になって折りたたまれた。曲がった家は、くしゃみを一つして、まっすぐになった。

空の「び」の字は、くるくる回り、小さなしずくになった。社長の頭へ、ぽちゃんと落ちた。

「つ、冷たい!」

「それが、びちょびちょです」

社長は、ぬれた頭をさわった。

「なるほど。これは嫌いやだな」

「いまごろ気づいたんですか!」

社長は深く頭を下げた。

「申しわけありませんでした。これからは、お客様がぬれる量を自分で決められるようにします」

「ゼロも選べるようにしてください」

「もちろんだ」

社長室のスピーカーから、水沢みずさわさんの声が流れた。

「町の水が止まりました! 皆みなさん、もう大丈夫だいじょうぶです!」

社長がスピーカーを見上げた。

「水沢みずさわくん……」

「水沢みずさわさんは、お客さんを守ったんです」

僕ぼくは言った。

「社長も、少しは見習ってください」

 

*

 

帰りの新幹線しんかんせんはふつうだった。座席ざせきはかわいている。僕ぼくはおそるおそるすわり、息をもらした。

「ああ……」

おしりが冷たくない。何も起こらない。それだけで泣きそうになる。

窓まどの外を、夕焼けにそまった町と山が流れていく。お母さんは、スマホの写真を見て笑っていた。お父さんは、びちょまんじゅうをもう一度買えないか調べている。

穂乃花ほのかは「お兄ちゃん、楽しかったね」と言ってきた。

「楽しくはない」

「じゃあ、何だったの?」

僕ぼくは少し考えた。

松から出たピンクの水。水にしずんだ海鮮丼かいせんどん。けむりの中でにぎった穂乃花ほのかの手。お父さんと水のすべり台を流れたこと。どれもひどかった。でも、どれも、たぶんずっと忘わすれない。

「家族事件じけん」

「じけん?」

「家族旅行じゃなくて、家族事件じけん」

お父さんとお母さんが笑った。

穂乃花ほのかも、よくわからないまま笑った。そのとき、お父さんのかばんから、小さな青い魚が顔を出した。魚は僕ぼくにウインクすると、夕焼けの窓まどへ飛びこんだ。赤い空を、青い魚が泳いでいく。

僕ぼくは見なかったことにした。もちろん、びちょびちょトラベルには二度と行かない。

……けど、ほどほどのびちょなら少しだけ考える。

© 2026 眞山大知 ( 2026年8月2日公開 )

これはの応募作品です。
他の作品ともどもレビューお願いします。

みんなの評価

0.0点(0件の評価)

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

  0
  0
  0
  0
  0
ログインするとレビュー感想をつけられるようになります。 ログインする

著者

この作者の他の作品

この作者の人気作

「びちょびちょトラベル」をリストに追加

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 あなたのアンソロジーとして共有したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

"びちょびちょトラベル"へのコメント 0件

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る