「警部、ラドンって本当にいたんですね」
「すげえよな、ほら、飛んでるぞ」
井戸田警部はデスクのモニターを指さし、若手の稲荷巡査に動画を見せていた。
画面には褐色の翼竜が映っていた。
動画は上空から撮影されており、眼下には海が広がっている。動画のテロップに「有明海だ!」と書かれていた。
進行方向の向こうにはごつごつした陸地が浮かんでいた。テロップが変わり、「これが島原半島!」と説明している。
海面すれすれを翼竜が猛烈な速度で飛んでいる。巨大な翼が羽ばたくたび海面が、沸騰したようにめくれあがる。
島原の海岸には、粗末な陣屋と、おびただしい数の武者たちがいた。そこへ獣が突っ込んだ。陣幕が吹き飛び、槍を持った武者たちも、馬も、木の葉のように宙を舞った。
動画の隅では、獣の速度と高度がリアルタイムで表示されている。
テロップがまた切り替わり、『寛永十五年二月二十六日・島原』と表示される。
動画タイトルは、『ラドンと天草四郎を戦わせてみたwww【神配信】』。稲荷は数字を見つめた。千八百万。これだけバズれば……。
「こいつらの稼ぎって、警察の給料よりいいんですかね?」
ぼそっとつぶやいた瞬間、井戸田警部の拳が稲荷の肩を叩く。
「ぐえっ!」
「勤務中に転職を考えるな!」
――ここは警視庁公安部。公安第五課の稲荷巡査と井戸田警部は歴史干渉犯罪を担当している。
十年前にタイムマシンが実用化されて以来、自分たちに都合よく歴史を書き換えようとする企業、宗教団体、政治結社が雨後の筍のように出現。第五課の使命は、そうした歴史干渉犯を摘発し、日本史を本来の姿へ戻すことだった。
稲荷も警視庁に採用されて八年、本能寺、元寇、関ヶ原、桜田門外と、数え切れないほど過去へ飛んだ。
歴史を守るためなら、燃え盛る本能寺から逃げた信長に拳銃を撃って、頭をぶちぬいたこともある。三方ヶ原の戦いに行ったときは、徳川家康を史実どおり脱糞させるため、下剤を無理やり飲ませようとした。
だが、怪獣退治はさすがに初めてだった。
「ホシは坂本雅道、二十八歳。職業はユーチューバーで『マサの日本史ちゃんねる』を運営している」
井戸田警部が画面のファイルをクリックする。映しだされた写真には、髪を短く刈った丸顔の男が映っている。
「熊本県出身。東京の大学を卒業後、就職先を三か月で離職し、お笑い芸人の養成所に入る。養成所もすぐ辞め、動画配信を始めて、現在のチャンネル登録者は八百四十万人」
井戸田警部は動画のシークバーを動かした。
阿蘇山の山頂が映っていた。まん丸の火口を背景に、一人の男が立っている。防寒着にニット帽。その横には、巨大な卵のような物体があった。
『どうもー! マサです!』
男がカメラへ手を振るとテロップが出た。
『【世界初】阿蘇山でラドンを孵化させてみた!』
動画の中で坂本が巨大な卵を叩いた。
『俺、熊本出身なんですよ。子どもの頃に見たラドンの映画が大好きで。阿蘇からラドンが飛ぶシーン、最高にエモかったです』
カメラが阿蘇の火口を映す。
『俺の想いを話します。学校で日本史って習うじゃないですか。俺、全然面白くなかったんですよ。年号覚えて、武将の名前を覚えさせられて、それでテストして。点数が低かったら教師が怒って。歴史って、頭いい奴とか偉いおっさんだけのものになってるじゃないですか。俺たち底辺のものじゃない』
坂本はカメラへ顔を近づけた。坂本のにやにやした笑顔が画面いっぱいにひろがる。
『でもラドンと天草四郎が戦うって言われたら、見たいでしょ? 俺は、歴史をエンタメにしますよ。日本史をわかりやすくして、民主化するんです』
動画が止まった。しばらく二人は沈黙した。静寂を破ったのは稲荷だった。
「テロリストって、民主化って言葉好きですよね」
「ヒーローになりたいんだろ。自分は権力と戦ってる。偉いやつらが独占してるものを庶民へ取り戻してる。そういう自分に酔わないと、生きていけない」
井戸田警部は坂本の経歴書を指で叩いた。
「父親は大企業の工場長。中学から大学まで全部私立。学費も仕送りも全部親持ち。一度もアルバイトしたことがない。どこが底辺だ。金にモノをいわせて、とんでもない機械までこしらえた」
画面が切り替わった。白い箱型の装置。業務用コピー機ほどの大きさで、側面には金属の管が複雑に配置されている。
「情報実体化装置だ。聞いたことあるだろ」
「史料に残された情報を解析して、物体を復元する装置ですよね」
「そうだ。たとえば、絵図しか残ってない城門。焼失した仏像。現存しない刀剣。当時の衣服や調度品。文献、絵画、発掘資料なんかを統合して、物質として再構成する」
「あれ、文化庁がまだ開発中ってニュースで言ってましたよね」
「実はもう試作機ができて、テストもクリアした」
井戸田警部は舌打ちした。
「だけど開発を委託した民間企業から設計データが流出した」
「サイバー攻撃ですか?」
「そうらしい。流出したデータはダークウェブに撒き散らされ、坂本が手に入れた。坂本は腕のいいエンジニアを集めてひでえことをしやがった。本来は歴史の史料しか読みこめないようになってるが、連中は、小説、映画、漫画、ゲーム、ネット上の二次創作まで、ありとあらゆる情報を入力できるように改造した」
稲荷はモニターを見る。
そこではラドンが島原湾の上空を旋回していた。
「つまりフィクションまで実体化できるってことですか。そんなのアリなんですか」
「あるから俺たちが仕事してんだろ」
井戸田警部は立ち上がった。
「とにかく、もう一週間以上、島原で撮影してる。このままだと歴史への影響がでかすぎる。つーわけで島原へ行って坂本を逮捕し、実体化装置を確保してこい。坂本の拠点も島原半島にある。そこからラドンを遠隔操作してるらしいからな」
稲荷はモニターへ目を戻した。ラドンが原城へやってきて、けたたましい鳴き声を放っている。
「じゃあ、ラドンは?」
「何とかしろ」
「怪獣ですよ?」
「そもそも怪獣退治は警察の管轄じゃない」
「じゃあ、どこの管轄なんですか?」
井戸田警部は少し考えた。
「たぶん自衛隊だろ。そもそも俺たちが勝手にラドンを退治したらどうなる? 鳥獣保護管理法で捕まるぞ」
井戸田警部は投げやりな口調で言った。
* * *
寛永十五年二月二十六日。幕府軍による原城総攻撃の前日。
原城本丸の西側、崩れかけた石垣の陰にジムニーが停まっていた。
やはりタイムマシンはデロリアンには務まらない。ジムニーに限る。小さい。悪路に強い。石だらけの戦場でも走れるし、多少槍で突かれたくらいでは壊れない。
稲荷が車を降りると、あたり一面に血と糞尿、腐った肉の臭いがして鼻についた。
城内へ入ると飢えきった人々が溢れていた。
原城には一揆勢が籠城していた。しかし城内にいたのは戦える男ばかりではなかった。百姓の女、老人、子どもも大勢いて、骨と皮ばかりになった老人が、城の外の海からひろったのだろう、海藻にかじりついていたり、若い母親の乳房に赤子が虚ろな目をして吸いついていたりした。
すすり泣く声が、あちこちから聞こえる。
仕事だ。坂本を捕まえて、歴史を戻す。
余計なことは考えるな。稲荷は思わず目を逸らした。
「誰でしょうか」と稲荷は背後から声をかけられた。
ホルスターに手をかけて振り返ると、そこには陣羽織を着た少年が立っていた。肩まで伸びた髪。整った顔立ち。だが頬はこけ、細い指先がわずかに震えている。
この少年こそが天草四郎時貞、一揆軍の総大将だ。
海の上を歩いた。盲人の目を治した。手の中から鳩を出した。稲荷が中学時代に読んだ教科書には、そんな伝説が載っていた。
だが、いまの稲荷の目の前にいる天草四郎は、どう見ても十代の少年だった――大人たちに神の子とまつりあげられ、こんな地獄の責任をいつのまにか負わされていることを除けば。
「あなたは徳川の者ではありませんね。こちらに出入りしていた商人でもなさそうです。誰でしょうか」と四郎は聞いた。
「逃げたほうがいいぞ」
稲荷は思わず口にした。
四郎は歯を食いしばると、稲荷をにらみつけた。
「どこへでしょうか? 城を出れば敵の兵がおります。海へ出る船もありません」
四郎は城内を見渡した。
「それに、わたしだけ逃げれば、この者たちはどうなるのでしょう。もし、助けられたとしても、年貢を払えなければ、領主様はわたしたちの身体に蓑を巻きつけ、火をつけて、それを見てせせら笑います」
稲荷が事前に調べたところによると島原の乱は、暴君・松倉勝家による重税と苛政に反逆するために行われた。あくまで一揆だから原城には、鍬が大量にあり、鉄砲はほとんど見当たらない。
原城に籠城した三万人の命を少年は背負っていた。一揆で負けても死ぬ。勝っても、領主が態度を改めなければまた地獄に戻る。
稲荷は答えに詰まった。
そのときだった。
腹の底まで響く轟音がした。城内の人間が一斉に空を見上げる。
有明海の向こうに黒い点があった。それが猛烈な速度で島原をめがけて飛ぶ。
巨大な翼。鋭い嘴。その怪鳥は、ラドンだった。
「来やがった……!」
映画の怪獣が、空を飛んでいた。
ラドンが翼を傾けた。
城の外の浜には、幕府軍の陣があった。
ラドンが上空を旋回した。陣の幟がまとめて吹き飛び、足軽も馬も宙を舞った。
「うおおおおお!」
原城のいたるところから歓声があがる。
「天主のお遣いじゃ!」
「四郎さまの奇跡じゃ!」
同時に、稲荷の耳にさすPチャンイヤホンから、能天気な声が飛び込んだ。
『うおおお! ヤバい! 幕府軍めっちゃ飛んでる! 同接二十五万人突破! 高評価お願いしまーす!』
マサの配信の音声を流していたのだ。マサは松倉と同じだ。人の命を虫けら同然に思ってやがる。
「逮捕したら絶対ぶん殴る」と稲荷がつぶやいた瞬間、イヤホンに井戸田警部の怒鳴り声が割りこんできた。
『稲荷! まずいぞ!』
「もう十分まずいですよ!」
『史実が書き換わった! たった今だ! 「二月二十六日。怪鳥、原城を襲う。天草四郎時貞、両眼より光芒を発してこれを退ける」――って記録が出現した!』
「そんな史料あるわけないでしょう!」
『だから今でてきたんだよ! ラドンなんて存在しないものが歴史へ突っ込んだせいで、時空の因果関係が辻褄を合わせはじめてる!』
「どういう理屈ですか、俺にはわかりません!」
『考えろ、怪獣が出たなら何が必要だ? 怪獣を倒す存在が必要だ! しかも原城には、もともと奇跡を起こす天草四郎の伝説が山ほどある! つまり、天草四郎がラドンを倒すんだ!』
稲荷は四郎を見た。目がほのかに光りだしている。
「……目、熱くない?」
「先ほどから少し」
マジかよと稲荷は思った。
ラドンはひとしきり幕府軍の陣屋を破壊しつくすと、今度は原城へ向かってきた。
稲荷はとっさに四郎の腕を掴む。
「逃げろ!」
「どこへ?」
また同じ答えだった。少年は空を見て震えていた。怖いのだ。当然だった。
「皆は、わたしを神の子と呼びます」
「今そんな話してる場合か!」
「本当にそうなのかは、わたしにもわかりません。ですが、この城の者たちは信じております」
「だからって、お前が死ぬ必要はない!」
四郎は稲荷の手をそっと外した。
ラドンはぐんぐんと近づき、大きくなる。
迫る怪鳥を四郎はにらみつけた。その目からは一筋の涙がすっと落ちていた。
「それでも、この城の総大将です。大将が逃げれば、民も死にます」
ラドンの影が原城を覆った。
「ならば奇跡を――」
四郎の両眼が白く輝いた。
「起こさねばなりません」
次の瞬間、四郎の両目がかっと明るくなるやいなや、二条の閃光が出て空を切り裂き、ラドンの胸へ直撃する。
キュルキュルと甲高い鳴き声を放ち、ラドンが絶叫した。
原城の人々が呆然としながら四郎に近づき、ひざまずく。
「奇跡じゃ!」
「四郎さま!」
「もう一発だ、四郎!」と稲荷は叫んだ。
「はい!」と言うと四郎の目が再び輝き、二発目の閃光がラドンの顔面へ直撃した。
ラドンは大きくよろめいた。ラドンは背中から原城の外の急峻な崖にぶつかると、そのまま崖の下の有明海へ落ちていった。
ズズズズズン!
巨大な水柱が空へ伸びた。
その水柱を見る四郎の顔は、神の子でも救世主でも一揆軍の総大将でもない、疲れきった十六歳の少年の顔だった。
イヤホンから井戸田警部の声が聞こえてきた。
『稲荷』
「はい」
『坂本が配信を切った』
「なんでです?」
『ラドンが負けて炎上してる。タイトル詐欺、四郎強すぎ、ラドンかわいそう。低評価がもう五万個つけられている』
そこへ坂本の声が割り込んだ。
『待って待って! 俺、悪くないから! 歴史が勝手に――』
「警部」
『なんだ』
「こいつ、俺の命を懸けてでも、絶対に逮捕します」
* * *
ラドンの上に浮かんでいたドローンを追跡し、稲荷は雲仙岳に潜伏していた坂本を逮捕。坂本が持っていた情報実体化装置もその場で押収し、事件は解決――のはずだった。
逮捕から三日後、警視庁公安第五課のオフィス。
「警部、これはなんですか?」と稲荷は井戸田警部にスマートフォンの画面を見せた。
天草市の観光協会の公式サイトが映っていて、満面の笑みを浮かべた天草四郎のイラストが描かれていた。――四郎は両目からビームを出していた。
『今年も開催! 第五十八回・天草四郎ビームまつり』
「……歴史が完全には戻ってないな」
井戸田警部が頭を抱えた。
「乱から百年後に天草四郎光線神社が建てられ、その例大祭も今年で二百八十八回目らしいです。ラドンを倒した四郎の伝説だけ歴史に焼きついていますね」
稲荷は画面をスクロールした。
天草四郎ビーム饅頭。天草四郎ビーム最中。天草四郎ビーム体操。熊本県指定無形民俗文化財、天草四郎光線踊り。
祭りの様子が動画でも紹介されていた。
天草の中心部、天草四郎光線神社の参道には幟が並び、屋台が出ている。大勢の人が参道を歩き、子どもたちが両目の横へ指を当て、ビームを撃つ真似をして笑っていた。
「完全に地域の文化の柱になってますよ」と稲荷は困り果てて言った。
「困ったな」と井戸田警部は腕を組んだ。
「第五課の仕事は、本来の歴史へ戻すことだ」
「じゃあ、この祭りもなかったことにします?」
井戸田警部は答えなかった。
稲荷は再び画面を見た。子どもが笑っている。原城で見た、腹を空かせた子どもたちとはまるで違う顔だった。
そして稲荷は、空を睨んでいた少年を思い出した。神の子でも救世主でもない。逃げ場のない十六歳の少年。目から涙を流しても、ラドンと対峙した少年。
「……警部、今回は、いいんじゃないですか。俺たちが消すのは歴史干渉犯が勝手に作った歴史でしょう」
井戸田警部は眼を丸くして、稲荷を見た。
「でも、何世代も祭りやって、饅頭作って、子どもがビーム撃って遊んでるなら」
稲荷はスマートフォンをポケットへしまった。
「それは本当の歴史でいいんじゃないでしょうか」
井戸田警部は、ポケットからガムを取りだして、口へ入れた。しばらく噛んだあと、「歴史ってのは、多少クソみたいなものが混じってるくらいでいいのかもな」と言った。
「前にも似たようなこと言ってませんでした?」
「知らん」
稲荷はオフィスの窓を見た。ブラインド越しの東京の空には、もちろんラドンなど飛んでいなかった。
けどはるか遠くの天草では今年も、子どもたちが空へ向かってビームを撃っている。
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