「ところでさ、今のうちに言っておかないといけないことがあって」
と、ひとしきり盛り上がった会話が一段落したところにちょっと付け加えるといった様子で、しかし微妙に言い淀んだ後で、呟くような小さな声で、博はその言葉を口にした。
「あのな、明日の正午に、世界が終わるんだ」
一呼吸おいて、それから、はぁ?と反応したのは、陽佑と俺とでほぼ同時だった。
「お前たちだけには、やっぱり教えとくべきだと思って」
「なるほど。了解」と陽佑が言い、小さくうなずいた。
「ありがとう、教えてくれて」と俺も合わせた。
「やり残したことがあったら、とにかく今日中に済ましてくれ」と博。
「そうする」と陽佑。
それから俺たち三人は十秒程の妙な沈黙を分かち合った。博の表情は今ひとつ読みにくい。
そういえばさっきから、博は微妙に変だった。どこか上の空で、何か思いつめているようにも見えて、気にはなっていた。ナースだという歳上の彼女とのことは露悪的なくらい赤裸々に語っていたが、実は彼女とはうまくいってないんだな、と思った。
ソイラテを飲み干して空になったグラスの底に残った氷を、カリ、と音を立てて噛み砕いた博は、ふぅ、とため息をついてから「冗談だって」と言った。
「いや、もちろん分かっているけどさ」と俺。
「どうしたの?情緒不安定?」と、陽佑も太い眉を八の字にして博の目を覗き込む。
「冗談だって言いたいんだよ。俺も」
「だから、冗談なんだろ?」
「ああそうだよ、って言いたいよ」
博は喉の奥から絞り出すような声を出した。どこか芝居がかっているようにも思えた。だが妙に目が据わっている。やはり様子がおかしい。博は俺たち三人の中では一番生真面目で優秀で、どちらかと言うとボケるよりはツッコミが専門だ。ドッキリを仕掛けてくるタイプでもない。それなら今一人で、一体何のための芝居をしているのだろうか。
「まあ確かに、冗談としてはいい出来とも言えんな。唐突すぎるし」と俺が言うと、陽佑が腕を伸ばして、向かいに座って俯いている博の肩をポンと軽く叩く。
「病院、行ってこい。お前」
「ずっと隠してきたんだけどさ」ぼそりと博は言う。
「何? 一体」
「俺さ、分かるんだ。先のこと」
何か言おうとする陽佑を手で制して、俺は言った。
「マジで言ってるの?」
「まあ、信じないだろうけど」
「信じたらおかしいでしょ。俺はまともな人間だもん」そう言ってから、少し言い過ぎたか、と思った。
「そう。きっと俺はまともじゃないんだよ。でも嘘は吐かない」博は言った。
何だか妙な沈黙が流れた。
「どう終わるわけ?世界は」と陽佑が訊いた。
「それはまだ分からない。でも、とにかく終わる。それだけはっきりしている」
「いやいや、それじゃ冗談にもなってないでしょ。ツッこめないよ」と陽佑が口をへの字にする。
「とにかく終わるって、そんなんじゃ先のことがわかるとはとても言えんだろ」と俺。
「いや、本当に分かるんだけど、中途半端だし、自分でコントロール出来ないんだよ」
「当たり馬券とか分からないのか?」
「そういうのは全く駄目。パチンコの当たり台も分からない」
「何だそれ。役には立たないってことか」
「ああ。実用性ゼロだよ。知りたいことはわからない。知りたくもないことはわかる。それに、わかった時にはいつも手遅れなんだ。ただはっきりしてるのは、一旦分かったことは間違いなく起こる。これまで外れたことが無いんだよ。東北の震災も津波も、コロナのパンデミックも、ウクライナの戦争も、イスラエルのガザ空爆も、実際に起こる直前には俺はもう知ってた。というか、知らされてた」
「お前、ちょっとヤバいよ」俺は思わず言った。
「信じてもらえないのは分かってる。だから今まで誰にも言わずに隠してきた」
「いや、そりゃ信じろって言うのが無理だわ」と陽佑が憫笑を浮かべた。
「マジで病院行った方がいいよお前。心が疲れてるんだよ」
博は首を小さく振った。
「病院はとっくに行ってる。軽い鬱だと言われて薬出されてる」
陽佑と俺は顔を見合わせた。
「でも、薬飲んでも変わらない。相変わらず、時々見えるし、それがいちいち当たるし」
「じゃ、最近では何が見えたんだよ」
「芸人の大浜、自殺しただろ。前日に知った」
「その証拠は?」
「無いよ。まあ、信じてくれって言う方が無理だよな。確かに。逆の立場だったら俺も信じない」
「もし、大浜のことを、その日のうちにブログとかに書いてたらバズっんじゃね?」陽佑はそう言い、もったいね、と呟いた。
「書ける訳ないだろ。俺だってそんなことが起こるって信じられないし、それに、実際にそうなるかもって思うと、とても怖くて書けないし」
「まあ、それはそうだな」
「誰にも知られたくなかった」
そう言って博はテーブルに両肘をつき、顔を手で覆った。
「だけど、お前らだけには打ち明けた。だって世界が終わるんだから」
「なるほど、分かった。じゃあさ、お前のその能力を、どんな形でもいいからさ、とにかく今、この場で証明してみせてくれよ。例えば今、何が見える」
「いや、見ようとして見えるものではないんだ」
「何だよそれ」陽佑は露骨に、呆れた、という表情を浮かべている。
「何か訳わからないな」と俺も言った。
博は黙って俯いていたが、しばらくして、あ、と言って顔を上げた。
「見えた。今夜のお前たちが見える。健次はマンションの中でスマホで誰かと話してる。陽佑は女の子と車に乗ってる」
「それじゃ別に普段と大して変わらんじゃん」
「健次は……電話しながら泣いてる」
はぁ?と思わず声が出た。もしかしてこの博の戯言を信じた挙句に、俺がそんなザマになっていると?そもそも誰かと電話していて泣いたなどという経験は、これまでの人生で一度もない。
「アホらし」と俺は言った。博は首を小さく横に振った。陽佑は腕組みをした。
「車の中で陽佑はその子と、明日観る予定の映画の話をしてる」
「何の映画だよ。言ってみろ」
「ちいかわ・人魚の島のひみつ」
俺はぷっと小さく吹き出した。
「マジかよ。うける」
陽佑が筋金入りのホラー映画のファンであることも、アニメ映画は基本、観ないことも俺は知っていた。そして博も知っている。
陽佑は黙っていた。しばらくしてから硬い表情で言った。
「なんで博がそれ、知ってるんだよ」
「マジで、ちいかわなのか?」俺は唖然として訊いた。
「ああ」
「博、陽佑の彼女からその話、聞いたんじゃないのか?」と俺。
「いや。俺はその子のことは全然知らない。ただ見えただけ」
「陽佑、それ彼女なのか?」
「ちげーよ。高校の同級生だよ。たまたま昨日街で会って、明日映画観ようって話になったんだ」
「で、ちいかわ、か」
「そいつがどうしても観たいって言うから」
「無理に信じなくてもいいよ。信じたくなければそれでいい。忘れてくれ。変な話をして悪かった」
博は寂しげな笑みを浮かべて、そう言った。
俺たち三人はカフェを出て、大学通りの並木道を駅の方に向かって歩いた。三人とも口をきかなかった。
博が最初に沈黙を破った。
「具体的に見えることもあるし、ぼんやりしたイメージだけのこともある。大体は、一日位前から、霧が晴れてくるように少しずつ見えてくる。でも直前にならないと映像みたいにはっきりとは見えない」
「そうなのか」
「あのさ、縁起でもないこと言うけどさ」陽佑が博に向かって言った。
「お前がひょっとして明日、事故とかに遭って死ぬ、という可能性があるんじゃね?」
博は黙って聞いている。
「そしたら、お前にとっては世界が終わるだろ?」
博の口角が少しだけ上がった。ぞっとするほど寂寥感に満ちた笑顔だった。
「いや、文字通り、我々全員にとって世界が終わるんだよ。我々全員、死ぬ」
「地球が爆発すんのか?巨大隕石とか降ってきて」と陽佑。
「いや、それならいくら何でも予測がついてるだろ」と俺。
「情報が隠ぺいされてたら」
「何のために?それに隕石なら隠ぺいなんか不可能だろ。世界中で観測できるんだから」
「なら、AIが暴走して人類を一瞬で死滅させるような生物兵器を……」
「まだ分からない。もうちょっと直前にならないと。たぶん明日の朝にははっきり分かる」博が言った。
「じゃ、今現在は、どう見えてるんだよ」
「何というか…まだ映像的ではない。言葉でうまく説明できない。ただ、空っぽ。何もない。虚無だよ」
「当たるのか?」
「当たる。間違いなく」
「とにかく俺たちは明日には、もうこの世から消えるってことか」
「そうだ」
「というか、俺たちを取り巻く、この世界も消えてしまうってこと?」
「そう」
「地球も、宇宙も、全部?」
「分からない。ただひたすら、どこまでも無になる」
「何だよそれ。気持ち悪いな」
「ああ、気持ち悪い。ほんと気が狂いそうだよ。何でこんなの知らされなきゃならないんだって、心底思うよ。何で俺なの?って。分からなければどんなに楽だか」
陽佑と俺が黙っていると、博は,ごめんな、と言った。
「ちょっと一人では抱えられなくてさ、すまん」
「いいんだよ」と陽佑が言った。
「気にすんな」と俺も言った。
駅で博と陽佑と握手して別れた。
「最後にちいかわ観るわ。午前中から観る約束だから。でも正午なら途中までしか観られないけど」
「そうか」
「じゃあな」
「うん」
改札を抜けながら、博が俺と陽佑をかついでいる可能性について考えた。例えば博と陽佑の同級生だった女の子とは元々知り合いで、二人で俺たちを騙す計画を立て、そのうえで彼女は陽佑と偶然を装って再会し、ちいかわの映画を観る約束をし、それから……。
でも何のために?
それから考えたのは、博の予言が外れている可能性についてだ。世界が終わるなんていくら何でも荒唐無稽すぎる。自分が見たヴィジョンが世界の終わりを示すという博の解釈は、間違っているかもしれない。
だが博の確信に満ちた断言は、それが確実に起こることを示しているとしか思えなかった。
信じたくなければ、無理に信じなくていい、と博は言った。博らしい思いやりなのだろう。見えてしまう苦悩に、博は鬱病になるまで耐えていた。しかしさすがに今回は自分一人で抱え込むことが出来なかった。彼は世界が滅ぶ、とは言わなかった。終わると言った。滅ぶなら、その後、時を経て再興する。だが終わるというのは断ち切られて消滅することだ。
やはり、明日の正午、世界は終わる。博を疑う理由が無い。博の予言は正しい。陽佑もそう思っている。
もうこれで彼らとも二度と会うことがないのだと思うと、不意に涙腺が緩みそうになった。
陽佑はアパートには帰らず、彼女のところに行くと言った。博は一旦家に帰って、それからバイクで出かけると言った。どこに行くかは決めていないと。俺はとにかくアパートに帰り、もう何ヶ月も連絡を取っていない親に、とりあえず電話しようと思った。明日でお別れならば、感謝の一言でも伝えておかなくては。博の予言通りになるのは悔しいけれど、その時、ひょっとしたら泣くことになるのかも、と思った。
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