帰りたい家

合評会2023年11月応募作品

曾根崎十三

小説

4,005文字

合評会「海老とストレート・ネック」応募作品。ほっこりストーリーです。誰にでも実家はある。
倉橋ヨエコさんの歌に「帰りたい家」というのがあるけど、直接的には関係ないです。ヨエコさんは好きです。

「いつでも帰っておいで」

それが母の口癖だった。母は結婚した時に祖母から「嫁入りしたらもう簡単には帰って来れない」と繰り返し言われていたので、なかなか帰れなかったらしい。もし「帰っておいで」と言われていたら、もっと早く、何なら私の命が発生する前に父と離婚していただろう。そういう点では祖母様々だ。様々か。様々だろうか。別に生まれたくて生まれたわけではないが。

でも、帰る家があるのは良いことだ。帰る家があって良かったと思う。なので、こうして何もかもを失った私は実家でごろごろすることを許されている。母がしょっちゅう来て欲しそうにするから、私は遠慮なく実家に上がり込むことができた。招かれてもないのに上がり込めるほど私は図太くない。

母が海老を剥いている。背わたをとるのは手伝ったが、後は手伝い不要とのことだったので、テレビを見てごろごろしている。牛になりそうだ。生まれ変わったら牛が良い。いや、牛は何度も草を反芻するので何か気持ち悪い。やめておこう。口が臭そうだ。

私は海老が好きだ。子供の頃からだ、と母が言っていた。私自身の記憶はないのだが、バナナは食べ過ぎて吐いてから食べなくなったけど、海老は吐いてもなお食べ続けていたらしい。何となくその時の感覚は覚えている気がする。海老パラダイスだ。散財癖のある大叔母から甘エビの刺身が大量に送られてきていたらしい。海老に包まれて幸せだった記憶がぼんやりとある。事実を知れば狂気だ。ゲロを吐いてなお甘エビをちゅるちゅるし続ける子供だったのだ。古代ローマ貴族のごちそうかよ。お腹いっぱいになったら羽をのどにつっこんで吐いて、美味しいものを食べ続けてたとかいうアレ。でもアレは誇張説が有力らしい。何じゃそりゃ。誇張というのは人間誰しもやりがちだ。何にだって尾鰭も背鰭も付く。面白おかしかく話題性に事足りないよう変化する。私の話だってそうだった。私という生身の人間が見えていないかのように、皆エンタメとして楽しんでいた。面白い読み物でも見るかのように触れ回り、バッシングをした。

嫌なことを思い出しそうになった。窓から西日が射し込んできて暑い。テレビも見えにくい。私はブラインドを下げた。外は気持ち悪いほどに白かった。

ちなみに海老にも生まれ変わりたくない。海老はいつも同じ体勢しかとれないのがキツそうだ。しかも背中に腸管があるので、仮に今みたく仰向けでゴロゴロするとウンコを漏らしそうなのが嫌だ。

「ご飯できたよー」

母の声が台所からする。私は子供時代に習い、出来上がった料理を取りに行って居間のちゃぶ台に並べた。今日はエビフライだ。千切りキャベツとプチトマト、ご飯と味噌汁。そしてなぜかほうれん草の胡麻和えが並ぶ。ほうれん草の胡麻和えは普段なら入れないが、私がいるので栄養に気を遣って入れたと言っていた。こういうのを親心というのだろう。

2人で食卓を囲み座布団に座る。「いただきます」と挨拶をして食事をいただく。

「海老には腰が曲がるまで長生きって意味があるからね」

母は海老を箸で摘みながら言った。

「お正月みたいだね」

「真里が家にいるんだから年中お正月みたいなもんよ」

「やっぱ邪魔? 大変?」

「ううん。面倒臭い親戚に会う必要がないから普通のお正月と違って楽ちん」

いつも「お正月は面倒くさい」と言っていた記憶があったのでほっとした。ここには母しかいない。ずっと一緒に住んでいる時は窮屈なことが多く、喧嘩というか説教をされることも多かった。しかし、こうしてたまに帰るようになってからは円満に過ごしている。人間には程々の距離感が必要なのだ。身内と言えど、皮一枚隔てれば他人だ。別の感性、別の価値観を持っている。

「ねぇねぇ。私ストレートネックなの」

私は出し抜けに壁にもたれた。子供の頃だったら「食べてからにしなさい」と怒られていただろう。でも怒られない。大人なので。

「ほら、頭がね、壁につかないの。これストレートネックなんだって」

今日ごろごろしながら見た昼間のNHKで言っていた。母は掃除をしていたので見ていなかったはずだ。

「長生きできないかもしれない」

芝居じみた口調で私は言った。心配して欲しかっただけなのだが母は呆れた様子で笑った。

「何それ。そのストレートネックってそんな大層な病気には見えないけど」

「なんかスマホとかパソコンのしすぎで本来緩やかに曲がってるはずの首の骨が真っ直ぐになっちゃうらしい」

「それで死ぬの」

痛いところをついてくる。さすが私の母だ。

「いろいろ不調は出るけど死にはしない」

「何じゃそりゃ」

母は笑った。ご飯が柔らかくて甘めで、実家の味がした。みそ汁の出汁も甘い。わかめしか入ってなくてもほっとするような甘さがある。それにこの家にはスマホもパソコンもないからストレートネックなんてすぐ治ってしまうかもしれない。

「それに首がまっすぐって、あんた、海老はストレートネックじゃないの」

「確かに」

長寿の象徴の海老がストレートネックなら、ストレートネックが長寿の象徴になってもおかしくない。ストレートネックは往々にして猫背らしいので、ほぼ海老だ。腰が曲がるまで長生き! ストレートネック≒海老。お正月は海老みたいに私の首にありがたがる日も来るかもしれない。でもストレートネックになるほどSNSに齧り付く必要なんてないのだ。ここにはSNSなんてないし、そこに繋がれる物もない。事情をよく知らない人の罵詈雑言のリプライやDM通知にいちいち怯える必要もない。

「ふと怖いことを考えたの」

私が言うと、母はキャベツにポッカレモンと醤油をかけながら私に目をやった。すっと母が遠くなった気がした。私は確認するように、母との間にあったお茶のピッチャーを取った。良かった。私はまだここに存在している。

「たとえば私が自殺未遂して、でも、お母さんも死んでて、実家もなくなってて、私に帰る場所がなかったらって。どうなってたのかなって思う」

母は首を傾げた。キャベツをシャキシャキと噛んでいる。なぜか心臓がバクバクとした。嫌な汗が出る。

「なくなるって何よ。実家はなくなったりなんかしないわ。ずっとあるもの。それでも実家に帰ってきたでしょうよ」

心の中とかそういうこと? と思ったけれど、どうしてだかそれを伝えるの憚られた。それがすごく無粋で、全てを陳腐にしてしまうようなみっともない発言に思えた。それに、言ったら泣くような気がして、なんか嫌だった。汗が止まらない。

「真里の気が済むまでゆっくりすれば良い。飽きるまでここにいれば良い」

その言葉に私は心底ほっとした。ここでゆっくりしていて良いのだ。この優しい夢を見続けていたい。ずーっと温かいお布団の中で優しく包まれていたい。でも私は何かを忘れている。忘れてのんびりしている。最後のご飯を口に入れ、咀嚼して飲み込む。申し訳程度に残していたみそ汁を飲み干す。母の教え通り、綺麗に食べ切った。子供の頃はご飯粒一粒でも残したら殴られていた。そういう頃もあった。でも今は母もそんな血気盛んではない。程良い距離。だから安心できる実家。ほっ、とする時くらいあっても良い。なんでもせかせかする必要なんてない。それなのにまだ心臓はバクバクしているし、脳天から血の気が引くような汗が出続けている。

「でも、それって死んでるのと一緒じゃない? いや、死んだら夢も見られないのか」

なぜか口に出していた。ゆっくりしたい。もっとずっとゆっくりしていたいけど。世界は回る。私はあっという間に老いぼれて死ぬ。それなのゆっくりしていて良いのか。もう行かないと他の人に差をつけられる。主張しなければ存在も忘れられる。何年も経ってから不意に「あの人は今」なんて言われてしまう。それで良いのか。それで良いならこのままで良い。でも、それで良くないと私は思う。もう嫌だ。もう戦えないよ。でもこんな都合の良い家でダラダラしていて良いのか。もっとやることがあるんじゃないのか。

「お母さん」

ティッシュじゃなくて手の甲で口を拭った。昔の母なら怒鳴っていただろう。でも今の母は何も言えない。さいごの方に会った時も目が悪くなって見えてなさそうだった。

「私ここにずっといたいんだけど、行かなくちゃ」

「ごちそうさまでした」と大慌てで言って私は玄関に駆け出した。もう陽が落ちているらしい。暗い。重い扉を引いた。その向こうは真っ暗の闇だった。何もない。誰も私を待っていない。帰っておいでなんて言わない。入院しても見舞いに来る人はいない。皆死んでしまったか、連絡も取らないほど疎遠になってしまった。もう嫌だ。もう何もしたくないよ。でも、行かなくちゃ。母が見送りに来ている。手を振っている。私はもう半分飛び出している。手を振り返した。胃が浮くような浮遊感がした。

「行ってらっしゃい。気を付けてね」

小学生の頃から母は言っていた。集団登校に行く時も朝練の時も。さっきまでずっと聞いていたはずなのにどこか懐かしい声。走馬灯みたいに玄関から手を振る母が何日分も流れていく。喧嘩してそのまま離れ離れになったら一生後悔するからと母は見送る時いつも最高の笑顔だった。そう、最高に優しい顔をしていた。そういう変な芯が通ったところがあった。いや、ちょっと疲れてたこともあったか。でもその時できる最大限の良い顔をしていた。私は母を見送る時に最高の笑顔なんてしていないのに。

「私は真里のお母さんだから」

だから何なんだ。これはどこで言っていたっけ。でも私が出棺の時に出目金みたいな不細工な顔をしていても、母ならそう言ってくれるような気がしていた。

私は目を覚ました。目を覚ました私は首をギプスで固定されていて「ストレートネックだ」と思った。別に真っ直ぐじゃないんだけど。なんかストレートネックを治すためにギプスを付けることもあるらしいね。どっちなんだろう。どっちでも良いか。

2023年11月8日公開

© 2023 曾根崎十三

これはの応募作品です。
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"帰りたい家"へのコメント 9

  • 編集者 | 2023-11-23 10:52

    思考が脇に逸れていく一人語りがとても良かったです。キャベツの千切りにポッカレモンと醤油をかけるというのは、自分にはない発想だったので妙にリアルでした。お母さんの笑顔で見送る下りも泣けました。

    • 投稿者 | 2023-11-27 11:43

      生まれたくて生まれたわけではないけれど、牛とか海老に生まれるよりはマシかもというもやもや感と人生への焦りが作品の急所かと。優しいけど、なんかこう、怖いっすよね、母って。「お母さんだから」と言われて、だからなんだなんだけれど、それがなんか怖いんですよね。

  • 投稿者 | 2023-11-23 17:51

    母親、親って子供の好物を勝手に決めますよね。わかります。私も覚えがあります。いつまでも幼稚園の頃に好きだったものの話をされます。私が父の葬儀に関しての記憶を繰り返し使うのに似てる気もしますが、どうも親の好物についての話は、それとも違う気がします。ジャブ打たれてる気がします。あと、
    「私は真里のお母さんだから」
     だから何なんだ。
    っていうのが、良さみが深い。

  • 投稿者 | 2023-11-24 09:04

    私と母親の微妙な距離感がいいですね。
    親の心子知らず、子の心親知らず。家族とはいえ所詮は他人なんだなと思わされつつも、やはり親子の縁というのはどこまでも追いかけてくる。良い関係であれ悪い関係であれ。

  • 投稿者 | 2023-11-24 22:38

    ほっこりした話とリードに書いてあっても騙されないもんね、と思いながら読んだのに、危うく騙されるところでした。
    この数年、よく見る夢は40年も前に離れた実家の夢なんです。母がいて祖母がいて、私は娘時代のまま二人と話をしているんです。たまに息子も出てきますが、幼児の頃の姿をしてます。
    息子はJuanさんと同じ年で母も祖母もとうにこの世の人ではないのですけどね。そういうことを思い出させる見事な作品でした。
    ちなみに夢にダンナは出てきません(笑)

  • 投稿者 | 2023-11-26 16:52

    エビというお題に引っ張られ過ぎ…ているような印象を受けました。もしお題が別の食べ物だったらそれは交換不可能なものとしてこの物語のなかで、成立しうるものでしょうか?とも思いましたが、ストレートネックとあとでつながるのですね。あと主人公の暗い過去は、もっと断片的にでも出した方がいいかもしれないです。

  • 投稿者 | 2023-11-27 03:52

    自殺に失敗したときに見た夢だとして、出目金のような顔になるとすると首吊りかなと「首吊り自殺」で検索したら「こころの健康相談統一ダイヤル」が表示されたのでやめました。いつもながら心情描写でずいずい読ませますね。

  • 投稿者 | 2023-11-27 11:21

    そもそも腰が曲がった海老は死んだ海老だ。
    海底ではわりと背筋は伸びていて自由に動いている印象ではあります。
    ぼくはもう実家という存在がきれいさっぱりなくなっている根無草なので、みなさんはまだあるうちに孝行するとよいと思いました。母と娘のじんわりしたやり取りよいものですねえ

  • ゲスト | 2023-11-27 19:00

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