文学だけにできること

メタメタな時代の曖昧な私の文学(第22話)

高橋文樹

エセー

5,493文字

2010年から連載してきたこのエッセーもついに最終回となる。本稿では、連載を通じて触れてきた「テクノロジーと文学」ということに対する考察ではなく、単に文学だけができることについて、現時点での私の結論めいたものを書く。

これまで触れてきた電子書籍人工知能といったテクノロジーが文学のあり方を変えるだろうということは、私がいまここで改めていうでもなく、リアルタイムで進行中の出来事である。既に述べたように、最高のテキストを書くのが人類でなくなる日は遠いかもしれないが、いま私たちが日々読んでいるテキストは最高ではないものがほとんどであり、書くことの創造性はしばらく人間の側にあるだろう。こうした状況は長く続くかもしれないし、五年後には一変しているかもしれない。

では、人類がもうテキストを書く必要はなくなるのだろうか? いや、この問いは不適切なので書き直そう。そもそも、いまあながた読んでいるこのテキストを含め、およそすべてのテキストは必要があって書かれるものではない。もちろん、読んでみて「これは書かれるべきだった」と感じるようなテキストもあるにはあるが、それらもまた「こういうテキストが求められています!」という要望があったから書いたわけではないだろう。より正しい問いの立て方としてはこうだ——人類がもうテキストを書かなくなる日は来るだろうか?

答えはもちろんノーだ。

ある程度インターネットに触れる日常を送っている人々であれば、統計などをみるまでもなく、各種SNSやメッセージツールなどで膨大な量のテキストが発信されていることはご存知だろう。LINEスタンプやInstagram、ビデオメッセージなどの非テキストコミュニケーションが隆盛する時代ではあるが、なんだかんだいって大量のテキストを人々が書くようになった。なぜそのような事態になったかというと、答えは一つ、テキストを発信するのが容易になったからである。国家転覆を目指す人が、地下に潜ってガリ版刷りを夜な夜な配って回る必要はなくなった。twitterに大量のハッシュタグをつけてひねもす呟き続ければ済むのである。こうした事態はすべて、テクノロジーがもたらしたものだ。

テクノロジーの禍福

発展しつつあるテクノロジーのうち、テキストに関するものは文学にもまた関わっている。そのうち、あるものは福音をもたらすだろうし、また別のものは災いとなるだろう。その二つの側面について、いくつかの予言めいたものを残したい。

福音としてのテクノロジー

「良い知らせと悪い知らせがある、どっちから聞きたい?」というアメリカン・パルプ・フィクションの模倣をすれば、きっとあなたは「よい知らせから」と答えるだろう。オーケー、まずはあのくそったれなテクノロジーのもたらすバカみたいな福音について語ろう。

これまでこの連載で取り上げてきたいくつかのテクノロジーは、あなたのテキストについてよい効果をもたらす。たとえば、電子書籍。これは印刷して書店流通に乗せるに値しないあなたの作品に読者が対価を支払う方法を授けてくれる。検索エンジンはあなたがテキストを書くにあたっての調べ物を最大限に効率化してくれるし、あなたのテキストを読んでみようとも思っていなかった人をあなたの元に連れてきてくれるだろう。連載中はあまり触れなかったが、マイクロファイナンスや仮想通貨といった金融技術フィンテックもあなたの作品が対価を得るための様々な方法を、そう遠くないうちに提供してくれるはずだ。

テキストの自動生成についてもそれほど恐れることはない。生成よりも先に、分析のための技術が確立されるだろう。あなたは自分がテキストを書いている側から、それが果たしてどのような受け止め方をされるか、知ることができるようになるだろう。こうした技術は広告業界ですでに実装済みであり、年齢・性別といった人口統計学的デモグラフィックな属性から候補となる人数まであらかじめわかる。

そう、あなたがどのような野心を抱いているにせよ、あなたが書くものを受け入れる準備ができている人々は書かれた内容によって推測可能なのだ。その上でなにをするかはあなた次第。「書いたそばから評価される」という残忍さから逃れるのも、より残忍な復讐を企てるのも、あなたの自由だ。

変革者というのは、世界の残忍さをそのまま受け入れ、そして一段と激しい残忍さで世界に応酬できる人間のことを言うのだと思う。

ミシェル・ウエルベック『ある島の可能性』

幸いにして、あなたは自分のテキストを評価してくれる集団をあらかじめ見つけることができる。そこであなたは志を同じくする仲間を見つけることができるだろう。どのようなコミュニティに属するかはあなた次第だ。仲間たちはあれこれと忖度してあなたにアドバイスを送ってくれるだろう。あなたは互助的なコミュニティに身を置いてのびのびと——それこそ保育園児がお遊戯をするように——テキストを書くこともできるし、真剣で切りつけ合うような批評を交わすハードコアな集団に身を置いて切磋琢磨をすることもできる。

総体として、テクノロジーはある種の明晰さをもたらすだろう。あなたのテキストはより明らかになる。そうした分析から零れ落ちる曖昧で繊細なものについて書くにせよ、あなたがそのテキストの精髄だと思う部分を際立たせ、多くの読者を獲得するために明晰さは大きな役割を果たす。

災いとしてのテクノロジー

良い知らせを聞いた後、悪い知らせはより悪い。これはアメリカン・パルプ・フィクションの伝統だ。悪い知らせの多くはテキストの生成過程(あなたの執筆プロセス)ではなく、その受容に関するものだ。あなたが変わらなくても、世界は変わってしまうのだ。

インターネットはテクノロジーの発達によって、多様なメディアを気軽に配信することができるようになっている。たとえば、私が破滅派を立ち上げるに当たってWeb制作業界に身を投じた頃、勃興中だった動画ストリーミングサイトを立ち上げることはかなりの資本を必要とした。動画自体の制作、Webブラウザ上で動作する動画プレイヤー、そして動画配信用のサーバおよびネットワーク。しかし、いまでは一個人が動画配信チャンネルを持とうと思った場合、とても簡単だ。iPhoneとFacebookアカウントがあれば、すぐに生放送を始めることができる。リッチなメディア(画像、映像、音声)が人々を惹きつける力は非常に強く、統計的に有意な結果が出てしまっている。

また、SNSやスマホゲームや無料電子コミックなどの別種の娯楽が、通勤電車における人々の可処分時間を奪い去っていることは強く意識すべきだろう。それらの娯楽は、基本的にあなたの可処分時間を奪うことを指標化しており(e.g. DAU)、その指標に向けて最適化されている。結果、人々は強力な従僕サーバントを引き当てるためにお金を払う。そうした娯楽と比較した場合、消費者(=読者)が受容するために労力を払わなければならない読書という娯楽は、可処分時間の奪い合いにおいて本質的に不利だと考えるべきだろう。

さらに、流通するテキストの総量が増え続けていることは、あなたのテキストそれ自体ではなく、その評価を変えてしまう。読むために分析や事前の知識が必要とされるテキストはかなり不利な戦いを強いられるだろう。その傾向は私が予言したころよりも顕著となっており、いまは海外文学の翻訳書では訳者への印税さえ払われなくなりつつある。端的に言うならば、難しいテキストはより読まれないということだ。これは古典的な文学の愛好者にとってはかなり苦しい現実だろう。読者の劣化を嘆くのは簡単だが、読者の頭が悪くなったのではなく、より可読性を向上させたテキストが多く出回るようになったので、難しいテキストの難しさは相対的に向上してしまった、というのが私の意見だ。この傾向を直感的に理解できない方は、書店に向かい、売れ筋の自己啓発本やビジネス書をパラパラとめくってみるといい。可読性とはそういうことだ。

総体としてテクノロジーはあなたのテキストに力を与えるが、それ以外のものにより多くの力を与える傾向がある。文学がそれ単体では存在しえない世界内存在である以上、避けようがないことだ。かつて蓮實重彦がなにかの本で書いたように、映画技術の発達によってフローベール『ボヴァリー夫人』の冒頭部のような描写——キャメラが地図上の一点にフォーカスしてズームして行くような映像的描写——は無意味になった。機械仕掛けの詩神ミューズは平等であり、同時に残酷でもある。

 

よい文学とは何か

 

毒にもなれば薬にもなる——これはテクノロジーの薬理的性質だ。テクノロジーは私たちの書くテキストに否応なく影響を与える。だが、文学的にはどうなのだろう?

この連載ではあなたのテキストについて語ってきた。そう、あなたの文学ではなく、あなたのテキストである。これは私が意図的に使い分けてきた表現である。あなたのテキストとは、あなたが書いたもののことである。それが小説であるのか、詩であるのか、はたまた文学的であるのかは関係ない。ただ書かれたもの、それだけのことだ。テキストという無機質な言い方は文学に関する困難な議論を避けるためだ。大文字の文学が失われたといわれて久しいが、「なにが文学なのか」という点に関して、共通項を見いだしつつ議論を行うのはいまや不可能である。純文学/大衆文学という菊池寛による構図ももはや古びているし、純粋芸術としての文学について議論しても単なる決意表明合戦にしかならない。そこで、あくまでテキストについてのみ述べるという態度を一貫させた。この連載ではそうした形式主義的な態度を貫いたので、いくつかのティップスが得られたはずだ。

これらの論考は最終的に「よい文学」を書くための指針となるものだ。そう、私は小林秀雄よろしく「よい文学はある、文学のよさというものはない」とは言わない。「文学のよさ」はテキストの特質として顕現しうる。もちろん、それは普遍的なものではない。宝石の硬度や果物の糖度とは異なり、うつろいやすいものだ。ある時点でよかったものが次の時点では悪くなることはザラだし、さらにそれが「やっぱりよかった」となることも稀ではない。時代を超える文学作品の普遍性とやらもまた、より大きな時代の枠で移ろう頼りないものだ。この連載の間におきた様々な出来事によって、文学の仕事は減りつつあることは明らかだ。文学にできていたことの多くは代替可能である。陶酔や感動を与えること、別の人生を体験すること、世界をこれまでとは違った形で見えるようにすること。これらは絵画や音楽、漫画、ゲームでも可能だ。きっと、そう遠くないうちに人工知能がテキストでも感動をもたらすだろう。

だが、私はある書き手が存在し、その書き手が「よい文学」を残すことは可能だと考えている。

先日、私はNHKを見ていた。ノーベル賞授賞式を間近に控えたカズオ・イシグロのインタビューで、イシグロは彼の文学のテーマとして「感情」について述べていた。イシグロの小説の主題として常に「記憶」と「感情」が登場することは知られている。最新作『忘れられた巨人』はまさにそのテーマを全面に押し出したもので、イシグロはたとえそれが国家や伝統であったとしても、「感情」によって動かされることをよしとする。そこでは記憶を乗り越える英雄ではなく、記憶に蓋をする元英雄が描かれる。曖昧な「記憶」が、より曖昧な「感情」によって左右される。イシグロの文学の中では——ちょうど私たちが人生を生きるように——事実や記録や知性でさえ、感情のフィルターを避けて通ることはできない。そして、それこそが文学に残された仕事なのだそうだ。

また、私が熱心に読むミシェル・ウエルベックも『服従』において、文学の特殊性について書いている。

文学と同じく、音楽も、感情を揺さぶり引っくり返し、そして、まったき悲しみや陶酔を生み出すものと定義することができる。文学と同じく、絵画も、感嘆の思いや世界に向けられた新たな視線を生み出す。しかし、ただ文学だけが、他の人間の霊と触れ合えたという感覚を与えてくれるのだ。その魂のすべて、その弱さと栄光、その限界、矮小さ、固定観念や信念。魂が感動し、関心を抱き、興奮しまたは嫌悪をもよおしたすべてのものと共に。

二人の世界的な作家が似たようなことを書いている。文学は人間の魂の根源的な部分を書くことができる。そう、「どのようにして書かれたか」ではなく、「なにが書かれたか」で文学のよさが決まる。

メタメタな時代の曖昧な私の文学

さて、長かったこの連載もついに終わるときがきた。テクノロジーによって変容する世界において目指すべき「よい文学」の秘訣を箇条書きにしてまとめよう。

  • 難しすぎない。増大する他のテキストの平均的な可読性から大きく逸脱していない。
  • 読者層を意識している。対象とする読者の属性、規模などを意識して書かれている。
  • メタ情報が整理されている。ジャンル、タイトル、説明文などがきちんと整理され、読む前に優れた部分がわかる。
  • 連載形式である。キャラクターを重視し、連載形式となっている。
  • 機械と差別化されている。自動的に生成されるテキストに対する比較優位性がある。
  • フックがある。ソーシャルで議論の俎上に上るような「ひっかかり」を持っている。
  • 媒体に最適化されている。電子書籍、Webなどの掲載媒体ごとに内容が最適化されている。
  • 人間の魂の根源に触れている。

これらの秘訣を踏まえ、あなたの文学がより輝くことを祈って筆をおこう。

2018年1月4日公開

作品集『メタメタな時代の曖昧な私の文学』最終話 (全22話)

メタメタな時代の曖昧な私の文学

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© 2018 高橋文樹

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