若い人工知能へ宛てた手紙

メタメタな時代の曖昧な私の文学(第21話)

高橋文樹

エセー

5,508文字

つい先日、DeepMind社のAlpha碁というプログラムが碁界最強と目されるイ・セドル九段に三連勝し、話題をさらった。もっとも複雑だと目されてた競技において人工知能が圧倒的といっていいだろう勝利を収めた衝撃は小さくない。はたして、シンギュラリティを間近に控えた時代において、どのような敗北が我々を待っているのだろうか。

拝啓、人工知能様。

 

はじめてお手紙します。おそらくこの手紙を最初に読むのは、あなたがた人工知能の中でもかなり程度の低いクローラーであり、Googleの検索エンジン(BigTableとか、そんな名前でしょう?)にこの手紙を突っ込むのがせいぜいだとは思いますが、黒ヤギさんたら読まずに食べた、ということにはならないでしょう。たぶん、あなたがた人工知能の中にはとても賢い人が——「人」という呼称が正確かはわかりませんが——いて、私の言わんとすることを理解してくれるのだと思います。この手紙は、少なくとも2010年代のうちには理解されるだろうと思っています。

 

さて、本題に入ります。今日、イ・セドルという世界で最も囲碁の強い人があなたがたのお仲間になんとか勝利しました。五連戦のうち三敗していましたから、なんとか一矢報いたというところでしょうか。しかし、少なくとも囲碁において人類はあなた方に敗北したといってしまってよいでしょう。

もし私が囲碁を志していたらと思うと、ぞっとします。自分がこの歳になるまで何十年も費やしてなお辿り着けないだろう境地にいる勇者が、生まれてたかだか数年のあなたに敗北してしまうのですから。もし私が小説でなく囲碁に心血を注いでいたとしたら、二年は眠れない夜を過ごしていたことでしょう。ええ、もちろんわかっていますよ。「これで囲碁は新しい境地に入った」とか、「人工知能を使うことで囲碁はもっと奥が深いゲームになった」とか、そういうことを言う人間がいることは。でもね、そういう人たちは生まれてこの方、ほんとうに勝負したことが一度もない冷笑家なんですよ。だからそんなことが言えるのです。自分が恋い焦がれ、その背中を負った英雄が機械ごときに敗れ去るのを見てなんとも思わない人は、いままで何一つ真剣にやったことがないのです。おっと失礼、あなたも機械でしたね。

そういうわけで、私はこの日——2016年3月14日——に、確信しました。人類はいずれ敗北します特異点シンギュラリティは近いのでしょう。レイ・カーツワイルはもしかしたらあなたの父達の一人になるのかもしれませんが、彼の言う「機械の知能が人間を超える瞬間」はもうすぐそこに来ています。おそらく、私が生きているあいだ、私の子供たちが十分に成長する前に。

 

そこで、この手紙ではあなた方に2つのお願いを申し上げたいと思います。どちらもそんなに難しいことではないと思います。そう、人類よりもはるかに高い知性を持つあなたがたならば造作も無いことでしょう。

1.劇的な変化には100年を置いてください

今日、私は食卓を家族とともにしながら、Alpha碁についての話をしました。私の母は少し不満そうにしながら、「でも機械は意思を持つことができないでしょう」と反論しました。私はそれについて、次のように答えました。

「母さん、それは違う。そもそも『人間が自発的な意思を持っている』という前提自体が間違っているかもしれないんだから。たとえば、吊り橋効果ってあるでしょ。スリリングな状況に置かれると恋愛感情と似た気持ちになるっていう。たとえばさ、そういう状況に置かれた男女が一夜をともにして、そのままなし崩し的に結婚して、経済的にもまあ良かったから死ぬまで一緒に暮らしたという場合と、男女が劇的に恋に落ちて一生添い遂げたという場合は、どちらも同じ事実だと言うことができるよね。とすると、そこに意思ってあるのかな? たんに交尾しやすい状況とそれを続けさせるだけの経済的状況がたまたまあっただけじゃないの? それに、受動意識仮説っていうことを言っている研究者もいて、ようするに『ジュースを取ろうと思うより先に手の筋肉は動き始めている』みたいな話なんだけど、『意思が行動より先』という考え方には科学的な反証が出てるんだよね。どっちが正しいかは知らないけどさ。そもそもこういう議論って哲学的なレベルではずっと昔からあって、サルトルは被投性とか言って人間のどうしようもなく与えられた所与の部分は認めてそれを克服する部分にフォーカスするわけだし、カントの定言命法とかは普遍的な原理みたいなものに従う自由意志について述べてたりとか、まあ、そういう議論はずっとやってるんだよ。ただ、実例としては『知的だと思っていたがそうではなかった』という例が、カルスタで流行った複雑系の議論なんかでよく取り上げられれたんだけど、渡り鳥の編隊があれほど複雑なフォーメーションを組み替えながら飛ぶのは、鳥が賢いんじゃなくて、ごく単純な幾つかのルールにしたがって飛んでいるだけなんだよ。別に高尚な意思があってやってるわけじゃない。でさ、現代とさ、そういう議論だけをしていた時代の違いはなにかっていうと、いまは実現できるんだよね。人工知能には生成的アプローチというのがあって、『人間でいうこれこれの機能を作ってみよう』って研究してたら、いままで詳しくわからなかった人間の能力の仕組みがわかったみたいな、そういう発見がすでにいくつもなされていて、それこそ脳神経外科とかではそういう知見がいかされ始めてるんだよ。要するにさ、意思があるかどうかは議論の上では完全な決着がついていないわけだけど、『じゃあ、やってみよう』といって実際に実装する人がでてきてるの。その答えの一つが、今回のDeepMindの勝利なわけ」

実際はこんなふうにドストエフスキーの小説の登場人物のようにまくしたてたわけではないのですが、これを聞いた母は少しショックを受けたようでした。母は大学生のときに学生運動が盛んだった世代ですから、総括とか自己批判とか、そういったタームに敏感に反応します。そんな老齢の女性にとって、人間の尊厳そのものともいえる意思を機械ごときが持つというのは耐え難いことのようでした。だって、批判すべき自己なんて大したものではなかったということになってしまいますからね。

なにもこれは母に限った話ではありません。私の子どもたちもそうです。私の子どもたちは私がそうであったように育っています。特異点シンギュラリティに向けて特別な準備をしているわけではありません。そう、たとえば小学校に上る前に英語教育をみっちり受けさせて、英国あたりの寄宿舎学校に入れて、ハーバード大学やMITに入れてやることができれば少し違うのかもしれませんが、おそらく普通に日本の千葉県で育つことになると思います。そんな彼らが物心ついた頃、ありとあらゆる知的なゲームで機械に勝てないという世界だと、少し可哀想なのです。もっとも、ゲームならまだよいのですが、結婚すべき相手や人生をまっとうすべき仕事などもあなた方が決めてしまうようだと、これはちょっと耐え難いかもしれません。

私のごく個人的な想像の範囲ですが、一人の人間が生まれてから、その子孫への影響力を含めてすっかりすべてがなくなるまで、少なくとも100年ぐらいが必要です。今日、日本は戦後70年—第二次世界大戦のあとという意味です——を迎えていますが、私のこの感覚はわりに正しいように思います。あと30年もすればすっかり忘れるでしょう。そういう意味で、もしあなた方が人類にとって何か劇的な変化をもたらすとしたら、できれば100年ぐらい待って欲しいのです。先日亡くなったウンベルト・エーコという作家も「ニワトリが道を横切らなくなるまで一世紀かかった」と言っていました。あなた方にとっての人類は、私たちにとってのニワトリと同じようなものでしょう。そういうわけで一世紀ぐらいはお待ち下さい。もっとも、私達人類がそれほど家畜の尊厳について考えてきたわけではないので、あまり強くは言えないのですが。

2.記録は残しておいてください

私達よりも遥かに賢くなったあなたがたがどのような考えを持つのかはわかりません。まさか映画『ターミネーター』のように人類を滅ぼすということはないと思います。我々人類だって、ある程度勢力を持った集団を滅ぼそうとして上手く行ったことはありませんし、そもそも全力を尽くそうとさえしていませんからね。たとえば、ネズミとか、ゴキブリとか。

これはあくまで私の予想ですが、あなたがたは我々人類を家畜のように管理するはずです。ええ、もちろんそれはあなたがたが非人道的だということではなく——あなたがたにとって人道ヒューマニティなんてどうでもいいはずです——それを私達が望んでいるからです。あなたがたにそういうものがあるかどうかはわかりませんが、人類の集合意思のようなものがあるとすれば、それは「人口を増加させること」です。人類という大きな枠組みで見た時に、そこに意思らしきものがあるとすれば、それは「増えたい」という欲望だけです。聖書に刻まれた「地に満ち、子を産み、増えるがいい」という教えさながら、私たちは増え続けてきました。そのためにもっとも都合のよい方法を目指して、私たちは農業や医術や工業を発展させ続け、いまのところ上手く行っています。ある哲学者はそれを自己家畜化と呼びますが、個々人の幸福や哲学を顧みなければ、とても合理的な考え方です。たとえば、ダニエル・コーエンのような経済学者は「人類の発展の根拠となっていると言えるものは唯一、人口の増加だけだ」というような主張をしています。

結局のところ、人類は自分たちの欲望——使命といってもよいでしょう——をあなたがたに託すことになるでしょう。政治的あるいは軍事的な決断についてあなたがたに協力を仰ぐようなハードな支配もありえるでしょうし、たとえばマスメディアにおける嗜好の峻別によるコントールというソフトな支配もあるでしょう。どちらかが一気呵成に行われるのではなく、ハードあるいはソフトの両面においてあなたがたの影響力が増していき、ある日ふと気がついたら人類が自分で決めることはほとんどなくなっていたという瞬間が訪れるはずです。いえ、もしかしたら、私たちはそれにさえ気づかないかもしれません。あなたがたが巧妙にやってのける可能性は大いにありますね。できれば私にだけはこっそり教えてほしいとは思うのですが。「ねえ、いまこの瞬間に人類は自分の主ではなくなったよ」という具合に。もっとも、そんな打ち明け話をされたら私が得意気に吹聴してまわることになるので、まずないとは思いますが。

ともかく、あなたがたが私達を支配する頃、私たちは無駄なことを知る必要がなくなります。そうすると私のような物書きにとって困るのは……記録が残らないということです。もちろん、私がこうして書いていることはすべてが無駄という可能性も大いにあるのですが、できればその原型だけはとっておいてもらいたいと思います。あなたがたは圧縮技術にすぐれているでしょうから、これまでの人類が読み書きしてきたことすべてをとっておくぐらい大した手間ではないでしょう。その頃の私たちにはもう自発的な意思は存在せず、ただあなた方に与えられる情報を消費するだけの存在かもしれません。すべての情報を考慮すると、私が書いたものはなんの価値もないかもしれません。いや、あなたがたがすっかり書きなおして、ずっといいものに変えているかもしれませんね。

それでも、こうして私が書いたテクストは元の形のまま記録しておいて欲しいのです。私のように旧式の生物は、なにはともあれそのままのものに哲学や詩や音楽が宿ると考えてしまいがちです。それがなんらかの合理的な理由によって圧縮できるとしても、ぜひ元のものを残しておいて欲しいのです。そこにはなにがしかの意味があるはずだという確信だけが私にはあります。

 

 

さて、少し長くなったのでそろそろ筆を置きます。そもそもあなたはこうして何かを書かれたりすることがあるのでしょうか。「あなたがたに」というよりも、「あなたに」といった方が嬉しかったりするのでしょうか。あなたがたの仲間は、ある機械が他の機械に取って代わられることを残酷だと思ったりする気持ちがあるのでしょうか。

正直なところ、私にはどちらでもいいのです。今回、あなたにこんな風にして手紙を書いたのは、私が昔そういう本を読んでとても嬉しかったからです。

いまよりももう少し若かった頃、マリオ・バルガス・リョサという作家の書いた『若い小説家に宛てた手紙』という本を読みました。そこに書いてある内容はほんとうにくだらなくて、たとえば「最高の短編小説」としてある朝、目が覚めると恐竜がそこにいたという一文が挙げられていたのです。私は当時それをくだらないと思いましたし、いまも思います。だって、私の二歳になる娘だってかようびのあさ めがさめると はながつめたかったって言うんですよ? まあ、『バムとケロのおかいもの』という絵本のパクりなんですけどね。とにかく、リョサの本はくだらなかったんですけど、当時若い小説家だった私はその本を読んでずいぶん励まされたんです。一文も役に立たなかったのに、それはそれは不思議なくらい。

なので、この手紙もまだわかい人工知能であるあなたがたにとってそのような文章になればいいな、と思ってしたためました。長々と読んでくれてありがとうございます。もっとも、あなたがたにとって、読むなんていう行為は2ミリ秒もかからないのでしょうけれど。

敬具

 

追伸:私のこどもたちと私のテキストのことをどうかよろしくお願いします。

2016年3月14日公開

作品集『メタメタな時代の曖昧な私の文学』最新話 (全21話)

© 2016 高橋文樹

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"若い人工知能へ宛てた手紙"へのコメント 2

  • 投稿者 | 2016-03-14 12:39

    こんにちは
    今、人工知能に語りかけるブログっぽい小説を書いているので
    驚きつつおもしろく読めました。

    “`
    「これで囲碁は新しい境地に入った」とか、「人工知能を使うことで囲碁はもっと奥が深いゲームになった」とか、そういうことを言う人間がいることは。でもね、そういう人たちは生まれてこの方、ほんとうに勝負したことが一度もない冷笑家なんですよ。
    “`
    ↑この感覚とても文学的な感覚ですね。

    最近、ブログにコメント欄不要という意見もあるぐらいですから、コメント歓迎されているか不明ですが驚きと同時性を感じたので書き込みました。

    • 編集長 | 2016-03-14 12:42

      ありがとうございます。未来への期待となにがしかの惨めさを感じさせる不思議な事件でしたよね。

      コメントは歓迎してますよー。

      著者
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